機関誌『水の文化』63号
桶・樽のモノ語り

桶・樽のモノ語り
文化をつくる

桶と樽に見る、人の営みと時間軸

編集部

木や土を用いた伝統的な手法

水を汲んで運ぶ。あるいは水そのものを溜めておく。そして水も混ぜて貯蔵することで別の何かを生み出す——。今回の特集では、そんな多面的な役割を長年担ってきた桶と樽を取り上げた。

考えてみると、多くの場合、人は生まれたら桶に汲んだ産湯につかり、死んだら棺桶(早桶)に入る。また、慶弔に欠かせない酒は樽で運ばれた。桶と樽は、人の生き死にまつわる祝福や弔いにまでかかわる存在だったが、ホーローやFRP、プラスチック、ステンレスなどに置き換わっていく。

ところが他の素材では代替できないこともあり、特定の用途で生き残っている。その代表格がしょうゆとウイスキーの製造。両者に共通するのは、科学的にはっきり解明できない点がまだあるということだ。

ヤマロク醤油五代目の山本康夫さんのもとに、突然「もろみを分けてください」と香料メーカーが訪ねてきたことがあった。理由を聞くと、しょうゆの香りを分析したところヤマロク醤油の製品だけからミント系の香りがしたとのこと。そういう香りを出す酵母はまだ見つかっていないため、研究用にもろみを持ち帰ったという。

また、ベンチャーウイスキーの貯蔵庫に冷暖房設備はなく、土の上に樽を置いて熟成を進める。「これはスコットランドの伝統的なやり方です。露出した地面が水分を適度にコントロールしてくれると考えられています」と肥土伊知郎さんは語る。

ほかにはない価値を生み出すために、木や土といった人為的にはコントロールしづらいはずの自然素材の力にあえてゆだねる。桶や樽が長年使われてきた伝統や歴史を重んじたうえで、データよりも自らの経験と勘を信じる。これはとても人間的な営みと感じた。

桶と樽の周囲に集う人々

人間的な営みと言ったのにはもう一つ理由がある。それは、人と人のつながりを強く感じさせる場面が多かったからだ。

木の特質を活かして飲料水の質を長期間保つ受水槽をつくる日本木槽木管と、自分たちで洋樽をつくっているベンチャーウイスキーはこの特集では外せない存在だと思っていたが、まさかベンチャーウイスキーの蒸留所で日本木槽木管の木製水槽が発酵槽として使われているとは思わなかった。

たしかにウイスキーと飲料水という違いはあるが、いずれも木を用いる点では共通している。両社が知恵を求めてつながるのは当然のことだったのかもしれない。

大桶職人の上芝雄史さんに弟子入りし、見よう見まねで桶をつくりはじめたヤマロク醤油の山本さんの周辺も人のつながりが濃い。新桶づくりには全国から多くの人が集まる。現場では各々ができることをやり、それぞれのSNSで発信している。次の新桶づくりのときはぜひSNSを見てほしい。桶を軸に熱気が渦を巻いている様子が垣間見えるはずだ。

なぜ人々が桶や樽でつながるのか。仕事で必要だからという実務的な理由だけではなく、桶づくりというなじみが薄くて難解で、しかし人の手でつくりだす素朴で根源的な喜びが得られる手仕事が新鮮に感じられる理由もあるだろう。

そしてなにより、結果がすぐにわからないという長い時間軸が魅力的だ。桶でいえば、試みたことが100年経たないと正しかったのかどうかわからない。生きている間にわからないことに力を注ぐのは、ある種のロマンではなかろうか。自分が朽ちたあとも残る桶をつくるのだという気概が人々を引き寄せているのではないか。

しかも、それらが東京などの大都市ではなく、小豆島や秩父といったローカルな場所で芽吹き、国外までつながっていることは、社会的な変化を表しているように見える。

時間の経過が生み出す価値

桶と樽は産業にかかわる製造装置としては珍しく、時を重ねるほどにメリットが大きくなるものだ。ステンレス製の配水塔も似たところがある。コンクリート製に比べると初期投資は嵩むが、時間軸を長く捉えればランニングコストは抑えられる。更新時にはマテリアルリサイクルも可能だ。

廃棄物を燃やして処理するのが避けられないのなら、発想を転換し、燃やして出る熱をエネルギーとして効率的に活用する手もあると教えてくれたのは国立環境研究所の藤井実さんだ。桶と樽が全国に普及するまで数百年かかったように、循環型社会も一足飛びにできるものではない。皆が連携して時間がかかっても少しずつ整えていくしかない。自然素材をうまく使いながら、今ある技術や文化をつないで将来に選択の余地を残す。それが次代に引き継ぐということなのだろう。

これからの持続可能な社会を考えると、今だけの喜び、自分だけの幸せを求めて生きる時代はそろそろ終わらせなくてはいけない。桶と樽を追ってみてそんな気持ちを抱いた。

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