機関誌『水の文化』64号
氷河が教えてくれること

氷河が教えてくれること
未来

氷期の周期と気候変動
──水月湖の「年縞」から見えるもの

かつて地球は今とはまったく異なる様相を呈していた。例えば氷河がすべて消失するような暖かい時代があれば、地表すべてが氷で覆われる「全球凍結」という時代もあったという。アイスコアと同じく、過去の地球の気候変動を探るのに重要な「年縞(ねんこう)」を研究する中川毅さんを訪ねて、氷期と間氷期のサイクルや今後の備えなどを伺った。

水月湖の年縞。春から秋にはプランクトンの死骸など有機物が堆積するので暗い色、晩秋から冬には鉱物質が堆積して明るい色になり、縞が1年ごとに認識できる

水月湖の年縞。春から秋にはプランクトンの死骸など有機物が堆積するので暗い色、晩秋から冬には鉱物質が堆積して明るい色になり、縞が1年ごとに認識できる

中川 毅

立命館大学 古気候学研究センター
センター長 教授
中川 毅(なかがわ たけし)さん

1968年東京都生まれ。京都大学理学部卒業。エクス・マルセイユ第三大学博士課程修了。理学博士。国際日本文化研究センター助手、ニューカッスル大学教授などを経て現職。専攻は古気候学、地質年代学。福井県の水月湖などの年縞堆積物の花粉分析を通じて、過去の気候変動のタイミングとスピードの解明を研究。著書に『人類と気候の10万年史─過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか』(講談社 2017)、『時を刻む湖─7万枚の地層に挑んだ科学者たち』(岩波書店 2015)がある。

アイスコアの緻密さを目指した「年縞」研究

福井県の若狭湾岸にある三方五湖(みかたごこ)。ここには、細長くて高床式という一風変わった建物がある。2018年(平成30)9月に開館した福井県年縞(ねんこう)博物館だ。

「年縞」と聞いてもピンとこないかもしれない。年縞とは湖底などに泥が1年ずつ連続して堆積した地層のこと。三方五湖最大の湖「水月湖(すいげつこ)」の湖底には、7万年もの歳月をかけて積み重なった年縞が約45mも形成されている。大きな流入河川がなく山々に囲まれていること、湖底をかき乱す生きものがおらず、断層の影響で沈降しつづけているので湖底が浅くならない──といった条件が揃っているため、水月湖は「奇跡の湖」とも呼ばれている。

年縞に着目したのは、氷河と無関係ではないからだ。

「アイスコアの研究は地質学にとって一つの革命でした。それまで1000年ごとの区別すら曖昧でしたが、1年ごとに縞模様があるアイスコアを薄く切って分析すれば、数万年前の気候変動でも1年刻みでわかるようになった。これはグリーンランド氷床のアイスコア研究のおかげなのです」

そう語るのは立命館大学古気候学研究センター長の中川毅さん。中川さんは、恩師で環境考古学者の安田喜憲さん『水の文化』26号参照が発見し、先輩の北川浩之さん(現 名古屋大学宇宙地球環境研究所教授)が始めた研究を引き継ぎ、水月湖の完全に連続した年縞採取を成功させた人物だ。

「水月湖の年縞に携わったとき、私はグリーンランド氷床と同じような緻密さで研究したいと思い、彼らから考え方や方法論をずいぶん教わったものです」

  • 「奇跡の湖」と呼ばれる水月湖(面積4.15km2、水深34m)。1993年、2006年、2012年、2016年の計4回のボーリング調査と研究者たちの地道な取り組みで、地球の履歴が明らかになりつつある

    「奇跡の湖」と呼ばれる水月湖(面積4.15km2、水深34m)。1993年、2006年、2012年、2016年の計4回のボーリング調査と研究者たちの地道な取り組みで、地球の履歴が明らかになりつつある

  • 福井県年縞博物館

  • 三方湖西端に建つ福井県年縞博物館。細長い形をしているのは約7万年分、長さ45mに及ぶ年縞を実物展示するため。年縞は横向きにして展示されている

    三方湖西端に建つ福井県年縞博物館。細長い形をしているのは約7万年分、長さ45mに及ぶ年縞を実物展示するため。年縞は横向きにして展示されている

  • 三方湖西端に建つ福井県年縞博物館。細長い形をしているのは約7万年分、長さ45mに及ぶ年縞を実物展示するため。年縞は横向きにして展示されている

    三方湖西端に建つ福井県年縞博物館。細長い形をしているのは約7万年分、長さ45mに及ぶ年縞を実物展示するため。年縞は横向きにして展示されている

水月湖の年縞は「世界標準の物差し」

博物館の2階に水月湖の年縞が展示されている。細い縞模様が連なっていて、黒い層(夏)と白い層(冬)一対で1年分。顕微鏡とレントゲンに類似した装置の2つを用いて60ミクロン間隔で分析すると1カ月ごとの変化も読みとれる。年縞が3列に分かれているのは、7万年分を一気に掘れる技術はないので、掘削で「抜け」が出ないよう互い違いに複数回採取する必要があったからだ。

年縞に約30cmもの空白のようになっている箇所があった。(冒頭写真)

「3万0078年±48年前に姶良(あいら)カルデラが爆発してもたらした火山灰の層です。その直後に鳥取県の大山が複数回噴火していることもわかりました。地球では時折とんでもないことが起きるんです」

年縞からはこうした自然災害のほか、気温や水温、植生などの自然環境の履歴がわかる。水月湖の年縞に含まれる葉の化石の放射性炭素(炭素14)(注1)の量を正確に測ることができたため、化石や遺物の年代を調べる際の「世界標準の物差し」(IntCal13)(注2)にも採用されている。

(注1)放射性炭素(炭素14)
動植物に含まれる放射性炭素の量は、死後減衰していく。しかし、大気中の炭素14の量は、年代や地域によって異なるため、誤差を較正する必要がありIntCal(International radiocarbon calibration curve)が生まれた。

(注2)IntCal13
放射性炭素(炭素14)をもとに、暦年代を特定するための基準である較正曲線を作成する国際的な取り組み。1998年公開の「IntCal98」から、2004年、2009年、そして2013年に水月湖のデータが初採用された「IntCal13」が公開されている。

ミランコビッチ理論からはみ出した現代

中川さんによると、氷期の地球は今では考えられないような「暴れる」気候だったそうだ。

「過去に北極で1~3年の間に平均気温が7℃も上下したこともあります。今のような、人間が定住して計画的に暮らせる文明の時代はきわめて例外的なのです。私たち地質学に携わる者からすると、地球は少なくとも過去100万年間は氷期こそありふれた状態です。長い氷期があって、たまに暖かい時代があって、すぐまた長い氷期になる……その繰り返しこそが常態なのです」

氷期と間氷期の10万年周期は太陽と地球の位置関係にあることを示したのはセルビアの地球物理学者、ミルーティン・ミランコビッチ(1879~1958)だ。地球は太陽の周りを1年かけて一周するが、その軌道は一定ではない。真円に近いと氷期、楕円のように長細いと間氷期となる。そのサイクルがちょうど10万年。また、地球は自転軸(地軸)の周りを1日1回転しているが、地軸の傾きは約4.1万年、地軸の向きは約2.3万年の周期でぶれる。これらの軌道要素が太陽から地球が受けるエネルギー(日射)の分布や量を変え、気候変動が起こると考えられる。これをミランコビッチ理論と呼ぶ(下図)。水月湖の年縞から測定した過去の気候もミランコビッチ理論とほぼ合致しているそうだ。

ところが、ここ数千年だけは様相が異なる。北半球の夏の日射量が小さくなっているにもかかわらず、温度が下がるどころか逆に上昇しているようなのだ。

「理由はよくわかりませんが、人間活動が引き金になった温暖化の影響と考える人が多いです。なかには『地球の温暖化は産業革命よりはるか以前の5000~8000年前からすでに始まっている』と主張する研究者もいます」

それはバージニア大学のウィリアム・ラジマン名誉教授だ。ヨーロッパにおける大規模な森林伐採、そしてアジアにおける水田耕作の普及がCO2とメタンの濃度を高めた結果、地球が氷期に移行するのを先延ばししている……という仮説を発表し、学会に衝撃を与えたという。

「たしかに太陽との位置関係から考えると、地球は遅くとも19世紀ごろには氷期になっていなければおかしい。そういう状態です」

  • 図 気候変動に影響を与える地球の公転軌道と自転軸

    福井県年縞博物館の展示パネルなどを参考に編集部作成

  • ミルーティン・ミランコビッチが自身の理論についてまとめた書籍。第二次大戦中に出版された。中川さんが偶然見つけてセルビアの古書店から買い取った希少本。館内に展示されている

    ミルーティン・ミランコビッチが自身の理論についてまとめた書籍。第二次大戦中に出版された。中川さんが偶然見つけてセルビアの古書店から買い取った希少本。館内に展示されている

刺激を与えず寝た子を起こさない

氷期になったら今よりも気候は荒くなる。逆に温暖化すると大雨や猛暑などの極端気象が増える可能性がある。どちらも嫌だが、対応できそうなのはどちらか。

「変化がゆっくりでさえあるなら、実はどっちでもいいと思うんです」と中川さんは言う。

「人間は赤道からグリーンランドまで定住しています。これほど分布範囲の広い動物はほかにいません。対応する力があるのです。温暖化に適応するライフスタイルに変えればよい。と言うと『温暖化を放置していいんですか?』と指摘されますが、そうではありません。地球の気候システムは潜在的に暴れる可能性があるので、CO2やメタンの排出はできるだけ抑えて、刺激しないことが大切です。今おとなしく寝ている地球を起こしたくないですからね」

地球の気候システムはきわめて複雑で、いったんスイッチが入るとそれまでとは異なる動きをするそうだ。かつて地価や株価が高騰し、好景気に沸いた実体のないバブル経済のように、地球の気候もある日突然おかしなことになる危険性を秘めている。

今後は「想定外の気象災害はある程度起こり得る」ということを前提に、哲学や社会構造を新たにつくっていくべきではないかと中川さんは説く。

7万年分の年縞をこの目で見ると、文明が始まってからの時代は思った以上に短かい。地球で生きることの意味を考えさせられた。

(2019年12月4日取材)

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