機関誌『水の文化』64号
氷河が教えてくれること

氷河が教えてくれること
文化をつくる

氷河と私たちの距離感

編集部

知ることで増す氷河への興味

淡水を地上に留める役割を担う「氷河」。水循環の要の一つでありながら、これまで触れたことのない氷河を特集テーマに据えようと皆で決めたとき、どんなことがわかるのかと各々がわくわくしていた。

近年、氷河が融けて海に崩れ落ちる巨大な氷塊、あるいは行き場を探してさまようホッキョクグマなど、特に北極周辺の氷河は温暖化関連の報道で取り上げられることが多いようだが、果たしてどうなのか?

多くの方々にお会いして話を聞くうちに目が開かれる。氷河の条件は「流動」であること。大陸氷河(氷床)と山岳氷河など種類があること。水が削るとV字谷、氷河が削るとゆるやかなカーブのU字谷になることなど。きちんと地学を学んでいた人には笑われそうだが、氷河について初めて知ったことを挙げたらきりがない。

そして「海のベルトコンベア」などの水環境についてもあらためて学んだ。陸の上にある氷河が融けて海に流れ出すと海水の量が増えて海水面は上昇するが、氷河の影響は5割くらい。実は海水が温まって膨張する影響が5割を占めることも知った。

そして、グリーンランドのカラーリットが、氷が融けることで得る利便性と伝統文化の狭間で揺れている現状と、彼らが捕えたオヒョウを日本人が多く食していることを聞いて、つながっていると感じた。氷河は私たちと無関係ではなかった。

次の世代につなぐ私欲なき熱意

年縞も含めて強く印象に残ったのは、氷河や気候変動を語る際の「時間の尺度」だった。

地球46億年の歴史で氷河が巨大化した「氷河時代」は約6億年前の先カンブリア時代、約3億年前の石炭紀末からペルム紀、約260万年前以降の新生代第四紀とされる。なんだか気が遠くなるが、悠久の時間を経た氷河の研究もまた長い時間を費やしている。

日本に氷河はないとされていたのは、現代の気候で日本くらいの低緯度において氷河が現存するならば4000m級の山が必要といわれていたからだ。しかし構造的には氷河でもおかしくない万年雪は半世紀以上前に見つかっている。藤井理行さんたち先輩世代が試みて果たせなかった流動の測定を飯田肇さんと福井幸太郎さんが成功したのは、まさに執念というほかない。

また、氷河の研究で日本人が各地で活躍していることにも勇気づけられた。予算が潤沢ではないなかトップクラスの成果を挙げ、アイスコアの研究では世界を牽引しているという。

「日本人は粘り強いのです。お金がなくてもなんとか工夫してしまう」と藤井さんは笑ったが、年縞の発掘でも同じことを聞いた。掘削で多大な貢献を果たした中小企業の経営者は「利益はいらない。赤字でもいいから掘ろう」と言い張り、中川毅さんたちに協力しつづけたという。

純粋な探究心とそれにこたえようとする義理人情。そういった私欲なき熱意が次の世代に種を残すのだと思う。

氷河の時間と私たちの時間

さて、これからである。現代は比較的暖かい間氷期とされるが、すでに約1万1000年が経過した。1970年代に「これから地球は冷えていく」と氷期の到来が心配されていたのはこのせいだ。氷期と氷期の狭間である現代は「つかの間の春」ということもできる。

太陽と地球の位置関係で氷期と間氷期が繰り返されるなら、私たちにできることはないのか……と無力感にさいなまれそうになるが、きっとそうではない。

昨年の夏、一人の高校生が「セミの成虫の寿命は1週間程度」という従来の常識を覆す発表をしたと話題になった。セミ863匹を捕獲して印をつけて放し、再捕獲して調べたところ、最長で32日間(アブラゼミ)生きていたという。太陽と地球の位置関係が氷期・間氷期をもたらすことを突きとめたミランコビッチは、紙と鉛筆と手回し計算機で30年かけて計算したそうだ。水月湖の年縞を一枚ずつ数える作業は、顕微鏡だと1日で10cmしか進まなかったと中川さんは明かす。これらのエピソードは、真理を解き明かそうとあらゆる手を尽くす知的好奇心こそ人間の根源であるということを教えてくれる。

それは何も研究分野に限ったことではないはずだ。仕事でも暮らしでも、新しい何かを生み出そうとする姿勢は、たとえそれが自分の代で成し遂げられなくても、日本の氷河研究のように後世へ受け継がれていく。

氷河から見れば、人間の生涯などカゲロウの成虫のような儚(はかな)さだが、人類は700万年以前に初期の類人猿から枝分かれし、私たち(ホモ・サピエンス)は約20万年前にアフリカで生まれ、約7万年前から各地に移り住み、寒い氷期を乗り越えてきた。拡大したり後退したりしながら水を地表に留め、水循環の一つの源でありつづける氷河とともに生き長らえてきたのだ。

だから、おそらく人間は対応できる。そのために「つかの間の春」である今、何ができるのかを考えつづけたい。

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