水と風土が織りなす食文化の今を訪ねる「食の風土記」。毎年12月から2月、長野県の諏訪地域でつくられる「角寒天(かくかんてん)」を紹介します。
水分を抜くために天日干ししている角寒天
稲刈りを終えた田んぼに組まれた干し場に、きらきらと輝く寒天の列が整然と並ぶ。青い空の向こうにそびえるのは八ヶ岳だ。ここは長野県中南部の茅野市(ちのし)。全国でこの地域だけに残る天然角寒天(かくかんてん)づくりが最盛期を迎えていた。
寒天の起源は江戸時代前期。京都の旅籠に島津の殿様が滞在した際、戸外に捨て置いたところてんが凍結し、乾物のようになっていたのを主人・美濃太郎左衛門が見つけ、試しに溶かし固めてみると、くさみがなく透明度も高いものができた……というのが通説だ。その後、丹波の宮田半兵衛が製造法を確立。1839年(天保10)、丹波に行商に来ていた諏訪郡の小林粂右衛門(くめえもん)が製法を習得し農閑期の手仕事として持ち帰り諏訪地域(注)の地場産業となった。
海藻が原料の寒天が、なぜ海から離れた諏訪地域で栄えたのか。長野県寒天水産加工業協同組合の松木修治組合長はこう答える。
「寒天づくりで重要なのは、寒冷な気候と豊かな水。この地域はその条件にぴったりでした。山々に囲まれた諏訪盆地は、冬は厳しく冷え込み、雪も少ない。そして何より良質な地下水が豊富です。茅野市の上水道は、今も地下水のみを水源としているんですよ」
(注)諏訪地域
長野県の諏訪市、岡谷市、茅野市を中心とした地域。諏訪湖や八ヶ岳、蓼科高原など観光資源に恵まれ、戦後は豊富な水と清涼な空気を必要とする精密機械工業が発展した。
角寒天の原料となるテングサやオゴノリは国内外から集められる。それを地下水で丁寧に洗い、3日ほどアク抜きしてから径2mもある巨大な釜でじっくりと煮込む。釜屋(かまや)といわれる職人がつきっきりで釜を見守り、状態に合わせて性質の違うテングサを10種類以上混ぜながら品質を整えていく。勘と経験が頼りの難しい工程だ。
最後にオゴノリを加え、煮上がったら8時間ほど蒸らし、ろ過した液を型に流し入れ固める。それを四角く切って、夕方、干し場に並べていく。その後、2~3日かけて、夜の冷気が内部の水分を表面に浮き上がらせて凍結した氷を、昼の日光が融かす。さらに2週間ほど乾燥させて完成となる。
「気温が低すぎて一晩で凍ってしまうと、水分が分離して形が崩れます。逆に凍結に何日もかかると変色してしまう。こればかりは自然任せ。朝ちょうどよく凍っているとそのたびに『ありがたい』と手を合わせています」と松木さん。
天然寒天には、主に和菓子店など業務用で使われる糸寒天と、家庭向けの角寒天がある。戦後、気候や環境に影響されない工業的製法による粉末寒天が生まれて天然寒天の生産量は減り、角寒天の産地はほぼ茅野市だけとなった。
「角寒天づくりは、自然が相手で手間がかかり、効率が悪い。それでもこの地の特性に根ざした伝統産業ですから、何とか次世代につないでいきたい」と松木さん。
干し場の様子を見に来た生産者の五味嘉江(よしえ)さんにも話を聞いてみた。五味さんは組合の広報担当としてテレビ番組などで寒天料理を紹介し、PRに努めている。
「豆腐とクルミを寒天で寄せた『クルミ豆腐』など郷土料理はいろいろあります。でもこのあたりの家庭で寒天は身近な食材。ごはんやみそ汁、鍋、サラダなどに調味料のように入れて使うんですよ」
ノンカロリーで食物繊維が多い寒天は、健康食材として改めて注目されている。ふだんの食卓に、気軽に取り入れてみるのもいいかもしれない。
取材協力:長野県寒天水産加工業協同組合
長野県茅野市宮川4013
Tel.0266-72-2039
https://www.kanten.or.jp/
(2020年1月10日取材)