機関誌『水の文化』53号
ぼくらには妖怪が必要だ

異界との境目
「水辺」に現れる妖怪

歌川広景『江戸名所道戯尽 二 両国の夕立』(安政6[1859])

歌川広景『江戸名所道戯尽 二 両国の夕立』(安政6[1859])川に落ちた雷様の尻子玉を河童が狙うけれど、
雷様が放屁したので河童はたまらず鼻をつまんでいる 国立国会図書館蔵

妖怪は多様だが、水辺だけを見た場合、どのような妖怪がいるのだろうか。代表格は河童が挙げられるが、それ以外の存在も知りたい。そこで妖怪に関する著述が多い飯倉義之さんに、水辺に現れる妖怪についてお聞きした。水辺は生活空間と自然の境界にあることが多いため、妖怪が出やすく、怪異も起こりやすいという。

飯倉 義之さん

國學院大学文学部日本文学科 准教授
飯倉 義之(いいくら よしゆき)さん

1975年千葉県生まれ。國學院大學大学院修了。博士(文学)。国際日本文化研究センター研究員を経て現職。専攻は民俗学、口承文芸学。世間話・都市伝説研究の一環として、怪異・妖怪文化を研究。編著に『ニッポンの河童の正体』(新人物往来社 2010)、共著に『妖怪文化の伝統と創造』(せりか書房2010)『図解雑学 日本の妖怪』(ナツメ社 2009)など。

生活空間の〈きわ〉は不思議なことが起きる

かつての村落共同体では、すべて知り尽くした安心できる生活空間を「この世」、そこから外へ出て、なんの情報もなく不安な場所を「異界」と捉えていました。さらに、「この世」と「異界」が重なる境目を「境界」と呼び、妖怪や幽霊が出たり、不思議なことが起こりやすい場所だと考えられてきました。境界である村境に、お地蔵さんや道祖神を多く祀ったのはそのためです。

境界とは二つの空間をつなぐ場所で、かつどちらの空間にも属するあいまいな場所です。すなわち「両義性」を備えた空間。例えば橋、坂や峠、水辺などがこれにあたります。

橋は向こう側とこちら側をつなぐものです。不思議なこと、奇跡的な出会いが橋の上では起こりやすい。義経と弁慶の出会いも京の五条の橋の上でした。

上と下をつなぐ坂もそうです。上でもあり下でもある中途半端な空間です。里から入る峠は、山にあるとも里にあるともいえるので、天狗が出るということが起こり得る。

時間にも境界はあります。夕方は昼でもあり夜でもあるあいまいな時間帯です。「黄昏」が「誰そ彼は?(あれは誰ですか)」という大和言葉からきているように、薄暗く人影すら見えづらくなる。だから事故や怪異が起こりやすいのです。

ところが、現代の都市では村落共同体のような理論が成立しづらくなりました。知っている場所が安心できる空間だとすれば、都市はほとんどが知らない場所です。マンションには大勢の人が暮らしていますが、他人の住戸にはほとんど入ったことがない。だからどこに恐怖が潜んでいるかもわからない。今の私たちは、実は境界だらけの世界で暮らしているのです。

水辺は人間にとって「もっとも身近な境界」

境界のなかでも、水辺は妖怪が出やすく、怪異の起こりやすい空間です。もともと水辺は、生活空間の端にあるもの。昔から水辺の真横に住むのはジメジメとして気持ちのよいことではありません。トイレや風呂などの水場も家の端にあります。けれども水は生活に欠かせない。水辺は私たちの「いちばん身近にある境界」といえます。

水辺に伝承が多いのは、身近にありながらも時に人の命を奪いかねないから。そもそも人は水のなかで生きられない。だから水に「異界」のイメージを強く投影したのでしょう。

家のなかの水辺ともいえるトイレは、特に怪異が起こりやすい場所とされてきました。古くは厠でまじないが行なわれました。「トイレの花子さん」などの怪談も有名です。よく知る空間でありながら、排泄という特別なことにしか利用しない場所。しかも学校のトイレとなると、集団生活で唯一「個」を感じる、とても不安定な場所です。

池や沼、川は妖怪伝承が多く残りますが、海や浜辺はそれほど多くありません。海は妖怪よりも、海の主である巨大生物がいるという考えが一般的でした。古くから「鮭どころ」として知られる新潟県村上市では、サケが海の主だと信じられてきたため、今でもサケを食べない家があります。

沖縄には、海の主に無礼をはたらくと祟りや災害が起こるとされる「ヨナタマ(魚の魂)」の伝承があります。ヨナタマとは人面魚のこと。ある日、漁師がヨナタマを捕まえて持ち帰り、火で炙(あぶ)って食べようとしたところ、大津波が来て集落ごと押し流されてしまったそうです。この大津波は、1771年(明和8)に起きた「明和の大津波」です。

池や沼にもガマガエルやヘビなどの主がいます。カエルやヘビは両義性(水陸両生)をもち合わせているので化けやすいとされてきました。

相撲とキュウリは水神の名残?

化けはしないものの、水陸の両義性と水辺の妖怪で思いつくのが河童。名前は各地でさまざまですが、背が低く7〜8歳の子どもの姿で現れるのが特徴です。

河童は相撲が好きで、やたらと「相撲をとろう」と言ってきます。キュウリも好物です。これは、河童がかつて水神だった名残とも考えられます。なぜなら相撲は神に捧げる神事の一つでしたし、ウリやキュウリは水神への夏の捧げものでした。

人を水に引き込んだり、尻子玉を抜く悪い河童もいますが、何かをしてあげるとお礼として薬や高価なものをくれるのも河童の特異性です。河童は、水神の零落した姿なのかもしれません。

また、河童は悪さをして捕まったあとに「詫び証文」を残していきます。証文を書くことは、人間と意思疎通ができていた表れでもあります。コミュニケーション可能なところは、ほかの妖怪と大きく異なる点ですね。

月岡芳年『和漢百物語 白藤源太』(慶応元[1865])

月岡芳年『和漢百物語 白藤源太』(慶応元[1865])。伝説の力士、白藤源太が河童に相撲の稽古をつけている 
国立国会図書館蔵

恐怖の対象から親しみやすい存在へ

河童のイメージは江戸期に成立しました。これは灌漑や土木技術が発達して、人間がある程度水をコントロールできるようになった時期にあたります。全国的に見ても河童伝承の多い福岡県の田主丸町(たぬしまるまち/現・久留米市)から佐賀県にかけての佐賀平野は、国内有数のクリーク(注)地帯です。

つまり、水が人間の管理下に置かれたことで、水辺が恐怖の対象ではなくなった。しかも、河童は体も小さく、ばったり出会ってもなんとかなるイメージ。ほかの妖怪よりも明らかに矮小化されています。生活に根づいた川に現れる河童には、人々の水への親近感が投影されているのかもしれません。

2016年の夏、青森県の八戸市博物館で「かっぱ展」が開かれます。展示の目玉は「よるな近づくな。メドツが出るぞ」と描いてある看板です。メドツとは八戸周辺の河童の呼称。つまり、農業用水に子どもを近づけないためにかつて設置された看板が、用水路が暗渠(あんきょ)化されて不要になったのです。今、河童が看板に使われる場合は「川をきれいにしよう」という意味合いがほとんどです。「メドツが出るぞ」という看板の撤去は、川さえも人間がコントロールできるようになった、象徴的な出来事だと思います。

昔ほど怖い存在として語り継がれることはなくなったものの、河童をはじめとするかつての妖怪たちは、アニメや漫画をはじめとする娯楽や創作の世界に活躍の場を移し、元気に生きています。伝承が果たす役割や機能があるからこそ、多くの人がコミットしつづけるのでしょう。

長い年月を経て残ってきたのですから、人間がスペースコロニーで暮らすような日がきても、おそらく妖怪は消えないでしょう。そうなったときに、今度はどんな妖怪たちが現れるのか楽しみです。

(注)クリーク
デルタ(三角州)などの低湿地につくられた人工的水路。中国の揚子江(ようすこう)やインドシナ半島のメコン川、タイのチャオプラヤー川のデルタにも見られる。

  • 『寛永年中豊後国肥田ニテ捕ル水虎之図』。今の大分県日田市付近で捕えられた河童を写生した絵とされる。
    川崎市市民ミュージアム蔵

  • 『寛永年中豊後国肥田ニテ捕ル水虎之図』

    鳥山石燕『画図百鬼夜行』から「河童」(右)と「獺(かわうそ)」(左)。動物のカワウソは川辺に棲むことから河童のモデルの一つともいわれている
    川崎市市民ミュージアム蔵

  • 鳥山石燕『画図百鬼夜行』から「河童」(右)と「獺(かわうそ)」(左)

    河童の呼称の分布図
    出典:国立歴史民俗博物館の展示パネル「河童―呼称の分布図」を作成者・三好周平氏の許可を得て転載

  • 『寛永年中豊後国肥田ニテ捕ル水虎之図』
  • 鳥山石燕『画図百鬼夜行』から「河童」(右)と「獺(かわうそ)」(左)


(2016年3月30日取材)

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