機関誌『水の文化』17号
雨のゆくえ

『都市の水循環』発刊から四半世紀を振り返る 個人下水道という発想の現在

私たちは「健全な水循環」という言葉を、現在ではあたりまえのように使っています。水循環という言葉が、「健全な」という評価を伴って用いられるようになったのは1980年代になってからのようです。おそらくもっとも早い時期からこれを唱えたのが、押田勇雄編・ソーラーシステム研究グループ著『都市の水循環』(日本放送出版会、1982)でしょう。ソーラーシステム研究グループは、東京都の現場の若手行政マンが作った勉強会のグループでした。それから25年以上がたちましたが、ここで打ち出されたメッセージは今でも色あせていません。当時の中心メンバーだった3人に、四半世紀前からのことを語っていただきました。

佐藤 清さん

株式会社テクノプラン建築事務所
(元・東京都江東区役所)
佐藤 清さん

人見 達雄さん

東京都多摩府中保健所
人見 達雄さん

村瀬 誠さん

東京都墨田区役所
村瀬 誠さん

お風呂屋さんを救え

村瀬  ソーラーシステム研究グループは1979年(昭和54)4月からスタート、メンバー全員が保健所に所属していました。最初の目的は、石油ショックの影響で経営危機に陥っていたお風呂屋さんを、何とか救えないかというものでした。お風呂屋さんは屋根が広い。そこで、ソーラーパネルをのせて、お風呂屋さんの経営を救おうと呼びかけたわけです。すごい単純。そして報告書を自費出版したのが25年前です。

私たちのフィールドは都市です。これは私たちが現在も取り組んでいる雨水・水問題についても一貫しています。

都市の中でソーラーパネルの利用を普及させようとすると問題があります。例えば、高層ビルに遮られれば、光が当たらなくなる。あるいは、パネル自身に光が反射して、目が開けられないという苦情もありました。太陽熱エネルギーを普及させようとするならば、建物の高さ制限も必要ではないか、などと書いて、自分たちの安月給で自費出版しました。日本経済新聞に取り上げられ、爆発的に売れたのですが、研究はそれでおしまいにして、ソーラーシステムグループも解散の予定でした。

そうしたら江東区の職員だった佐藤さん、都庁の人見さんなど、こうした現場の問題に関心を持った人たちが集まってくれたわけです。集まったみんなと話すと、共通の関心は都市問題、特に水問題でした。

私の場合で言えば、ビルの赤水問題です。25年前の話ですが、ビルで蛇口をひねると赤い水が出てくる。しかも、建てて1年もしない内に出てくる所もある。調べてみると、塩素濃度がかなり高く、飲んでもおいしくない。そこで、問題の根もとまで辿ってみたいという率直な疑問が起きました。

佐藤さんは、当時すでに雨水利用に取り組んでいたこともあり、それぞれが今抱えている水問題を持ち寄って、徹底的に現場検証をしようとしました。公民館の部屋を週末に借り切って徹底的に議論し、実際に現場に行く。調査したものを、またみんなで検討する。

この方式が良かったのは、それぞれの専門分野から現場の問題をとらえると、それまで見えなかった本質が見えてくることでした。私の専門は衛生ですし、人見さんは農学、佐藤さんは建築。それぞれ違った分野から見ても、結局、都市の水循環に収斂していくわけです。この1年間の成果を『地域社会の水思想』という報告書にまとめました。上・下水道問題や水環境の問題の解決の糸口は、個々に技術主義的に対応することにあるのではなく、技術を位置づける水思想こそが、必要であると結論づけたからです。これも自費出版しました。

人見  村瀬さんから声をかけられたときは、一も二もなく参加しようと思いました。私は、美濃部都政の表看板だった光化学スモッグ対策のプロジェクトチームに先兵として採用されました。そして、都内の研究機関や大学を走り回っていました。当時の都庁は有楽町にありましたが、「有楽町からものを見ていてはだめだ。現場に行かねば」と気がつき、都庁を飛び出て、保健所に行きました。現場を回りますと、例えば、昔の受水槽は地下にあり、その水が腐ったり汚物が混入したりといろいろなことがありました。そういう所を実際に潜って調べ、泥まみれになっていました。そこに、村瀬さんが声をかけてくれたわけです。

やはり、現場でよく観察することと、そこで住んでいる人たちの話をよく聞くことが大切でした。見て考えた者同士が集まって自分たちの言葉で語り合って、どこがどうつながっているのか、つかまえなくてはいけないなと感じていたんです。

佐藤  僕は、40歳ぐらいになったら公務員を辞めようと思っていたんです。公務員は、大会社の部長級の仕事を、ヒラ職員ができるくらいの権限を与えられてしまうという不思議な立場にあります。一人で数十億円の仕事をするという恐ろしい所です。ただ、一方で、それに見合うだけの勉強をしているかというと、そうでもありません。

せっかく役人になったのに、他の部署が何をしているのかもよくわからない。民間企業でも同じでしょうが、大きな組織になればなるほど、他と連携しようと思っても、専門分野が違うと、深くは入れない。特に区の上に東京都があり、その上には国があり、と仕組みが上から下まで決まっているから、余計そうなります。そこで、他の人が何をしているのか知りたいという気持ちが強くなりました。また、技術屋というのは技術に走りがちで、ポリシーに弱い。もう少し、視野の広い考え方を見てみたいということがありましたね。自分と違う職業の人が何を考えているのか知りたいという気持ちもありました。

公害から環境へ

人見  水循環という言葉も、自然界の水循環という意味では、何十年も前から教科書に載っています。ただ、都市というものは、自然の水循環と隔離された別のものであるという意識が定着していた中で、「そうではない。都市にこそ、その諸矛盾が集約して現れている」と考えました。都市の中でこそ水循環を回復することが大事という意味で、都市の水循環という言葉を使ったのです。この考え方は、おそらく当時でも相当早かっただろうと思います。

当時の社会では、環境問題というよりは公害問題と呼ばれていました。公害というのは企業害ということで、企業を追求し、汚染除去装置などをつけさせれば問題は解決できるという考え方です。でも、どうもそれだけでは解決していかず、おかしいと感じ始めていたのです。

例えば、水の汚染にかんしても、特定の工場廃水から、一般の家庭廃水にウェイトが移りつつあった時代でした。昭和30年代後半から合成洗剤が使われるようになったことで、状況が極端に変わりました。また、いわゆる簡易水洗トイレと称し、全ばっ気式浄化槽が普及しました。その実態は、いわば「くそ粉砕機」で、うんちをばらばらにして、たくさんの水で薄めるというもので、浄化とは程遠いものでした。おまけに生活雑排水も垂れ流しでした。

こうなると、ある特定の工場廃水を突き止めれば汚染が解決するはずがなく、どこだかわからないけれど、たくさんの汚染源があるという状況になりました。そこで、犯人がわからない汚染について、「環境問題」という言葉を使ったわけです。

ですから環境という言葉は、普通に暮らしている生活者が汚染源になり得るという意味合いで使われ始めたのです。一方、かつては下町の中小企業などで工場廃水を垂れ流している所も多かったのですが、80年代になると、工場がだんだんと海外に進出し、日本はクリーンな製品だけを輸入します。公害は、グローバルに広がっていきました。そして工場にかんして言えば、汚水よりも産業廃棄物に問題が移っていきました。このような状況の変化を踏まえて、すべてを環境問題と呼ぶようになったわけです。

下水の現場を見て驚いた

村瀬  1967年(昭和42)に公害対策基本法ができました。これは一定の効果を上げたと思いますが、個人の出す環境負荷、廃棄物・廃水については、1993年(平成5)に環境基本法が制定され、環境負荷として網がかけられるまで、放っておかれました。

我々も川を遡って浄水場を見学しましたが、現場の人は良質の上水を作ろうと頑張っているのだけれど、縦割り行政で視野が狭いために技術面だけに深入りしがちです。塩素をいっぱい入れたり、活性炭を大量に使ったりしていました。一生懸命やればやるほど、技術の悪循環に陥っているのです。しかし、いくら頑張ってもカビ臭が取れない。それで、取水している川の水を見に行って、この水を飲んでいるのかと、大変なショックを受けたのです。これではいくら浄水場が頑張ってもきれいにできるはずがない。そこで、下水道に関心をもたざるをえなかった。

最近では生物膜を使った浄水処理がありますが、原理的には下水場の高度処理技術と同じわけですね。すると、われわれは下水を飲んでいるのではないかと思いました。個々に技術的には、頑張っているのだけれど、もう少し本質的な解決をしないといけない、というのが我々の出した結論でした。

個人下水道の発想

では、下水道とは何なのか。当時、下水道普及率は上がっていましたが、隅田川水系は飲み水として使われていませんでした。改めて気がついたことは、多摩川は羽村取水堰の上で、上水を全部取水してしまい、それより下流では下水処理水が流れているということです。これは上水道管としての河川と、下水道管としての河川を機能分化して都市計画をしているということです。実際、当時の建設省でも「河川の機能分化」ということを言っていました。水循環という考え方はもちろんないわけですが、人間の本位で河川を使い分けていた。

この発想でいくと、江戸川は水道管でして、金町浄水場の下にもかなり河口まで浄水場がある。多摩川は、羽村で上水道と下水道に分かれる。利根川となると、どこが水道管でどこが下水道管だかわからないですね。いったい、こういう考え方が正しいのかと思いました。

ちょうどそのころ、処理した下水を遠くに運んで捨てるという、流域下水道に対する批判も出てきていました。捨てた下流で、もし上水を取水するとしたらどうなるか。下水処理水を飲むしかなくなるし、それが安全かどうかという検証もなされていませんでした。

雨水も汚水も下水道に流してしまえば関係ないし、使ったあとの水がどうなろうが知ったことではない、という考え方で私たちは暮らしてきたけれど、それがトータルで都市に集積したときに、何が起きるのか。やはり根本的なところで、水についての考え方を変え、地域社会の水思想を変えていかねばならないと思ったわけです。そのためには、下水道の発想を根本的に変えねばならなかったのです。

当時の文献をみますと、下水道には、パブリック、コミュニティプラント、インディヴィジュアルの3種類あると書いてある。このインディビジュアルをどう翻訳するか、仲間でかんかんがくがくの議論をしました。個別なのか、各戸なのか。いや個人という意味もあるのではないかと。

結局、自分の出した下水を一人ひとりが関心を持ち、自らコントロールするという、下水道の根本的な考え方が必要ということになりました。そこで、あえて「個人下水道」という誰も使わない用語をつくったのです。

『都市の水循環』(日本放送出版協会 1982)

『都市の水循環』(日本放送出版協会 1982)

水循環は自己責任

個人下水道の議論は、われわれにとっては本質的な問題でした。雨も、汚水も、自己責任で処理する。このような発想をしないと、環境を守れない。いまでは共有される考え方と思いますが、当時は下水道は公共機関に任せればよいという風潮でしたから、受け入れられるのになかなか時間がかかりました。

結局、都市が利便性だけを追い求めて、雨や汚水はどこかに吐き出せばよいという発想が問題となって現れてきたのです。個人が自分の責任において水を処理する、雨水も処理するという、個人下水道の考え方に到達したんですね。

といっても、個人下水道の考え方を広めていくには、我々が現場でいくら頑張っても限界があります。そこで、全国に発信しようと出版社に持ち込んで誕生したのが『都市の水循環』です。幸い18刷を越え、今でも生き残っています。

個人と公共のかかわりかた

人見  この本の基本は、水における個人と公共とのかかわりについて考えようというものです。公害の場合では企業の責任追求論が多かったわけですが、多くの市民が廃水を出すと、廃水を出す責任が環境という言葉でぼかされてしまいました。そして「公共機関が下水処理するものだ」ということで責任が転嫁され、さらに水が汚れるという悪循環に陥ります。地下何十m下に、新幹線が通れるような下水管を掘った流域下水道ともなると、何でも流せるようになります。企業は、薬品や重金属などの工場廃水、市民は有機物を中心とした一般家庭廃水。これらを混ぜるだけで、両方の水質基準がクリアされてしまうという問題もあります。中西準子さんはこれらを明確にとらえ(例えば『都市の再生と下水道』日本評論社、1979)、流域下水道批判の根幹に据えました。

みんなで汚すものだから、公共機関が浄化すればいいという考え方に対し、ノーと言いたかったのです。基本的には自己責任で、自分たちの水の使い方、排泄の仕方がきちんと認識されるべきだろうと。その一番小さな単位が家庭であって、それから町内会や近所があって、だんだん大きくしていって都道府県や国にたどり着くのです。最初から「税金を使って処理すればよい」という考え方ではこの問題は解決できないというのが、我々の出した結論でした。

水道法という法律は、低廉・清浄・豊富、つまり市民が欲しいという量をできるだけ安い値段で安全に供給することを第一条で謳っています。そうなると、現場の人間は自分たちで全部責任を負わねばならないから、臭い水もきれいにします。金町浄水場は化学コンビナートのようですよ。水の浄化の基本は、沈殿、濾過、消毒です。しかし、ここではこれらの処理に加えて、生物処理、活性炭処理、オゾン処理などの高度浄水処理を取り入れており、大変な費用と無駄な手間をかけています。

外の人間は、そういうことはわからないわけですよ。市民はわからないまま、自ら高い税金を払い、このような水をきれいにしろと、行政を追求してばかりいたのです。

我々は一歩下がってみて、この問題の本質は水道局にあるのではなく、河川が汚されていることにあると気づきました。汚す側は、行政が処理してくれればいいと、汚物が目先からなくなることで文化的生活を維持してきたのです。個人下水道の発想は、公共に行く前に、個人が汚水を出すという意識を自覚すること、個人の認識と公共の認識を合体させていくことが環境問題の基本的な解決方法だと認識することにあります。

『都市の水循環』をそういう視点から読んでいただければ、今でも水の憲法として生きていると思います。下水道は汚水に限らないと謳っています。下水道の役割は現在では雨水の排除がありますが、不浸透域がどんどん増えていったため、下水道をいくら造っても氾濫は今でも起きています。それにトイレの汚水ときれいな雨水を一緒に混ぜて流すことは、無意味なことでしょう。ですから、雨水も基本的には雨を自分の家から外には出さず、地面の中に返すということを基本原則にするべきでしょう。地下水に戻し、それが循環しながら雨水を有効利用するのを総称して「雨水利用」と呼ぶのだと訴えました。下水道の発想には、そういう考え方はまったくなかったですからね。

「循環型下水道」という発想が今はやっと出てきましたが、我々は「保水型下水道」と呼ぼうと言っています。

雨水排出料金

村瀬  ドイツでは雨水排出料金というものがあり、敷地から雨水を出すのなら、それを受け止める側の公共の負担に対して雨水料金を払うシステムになっています。その代わり、雨水を屋根に溜めれば半分、屋上緑化すればさらに半分、敷地に浸透させれば一銭もいりませんという料金体系で、非常に合理的です。みんな納得できるもので、基本的な考え方は個人下水道に近いと思います。

佐藤  日本では水道料金イコール下水道料金なので、下水道局には徴収能力はありません。しかし、制度を変えれば雨水利用が一挙に進む可能性があるわけです。今のドイツの例など、最終的には敷地に降った雨の量で雨水料金をとる。とすれば、支払者はできるだけ雨水を出したくないと思うわけですから。

ドイツでは法改正が行われて、雨水利用者が有利になるようになっています。例えば、向こうは硬水が多いですが、洗濯のとき雨水を使えば軟水ですから洗剤の量が半分になります。下水の量がもっと減るわけです。そういうインセンティブを与えましょう、という考え方がどんどん出てきています。ドイツのドラム式洗濯機は雨水タンクとセットで売りますが、日本では洗濯機だけが輸入されているため、そういう事情は伝わってきませんね。ドイツでは、洗濯のときの洗剤の量、水質との関係でどれだけ汚れが落ちるかなどの科学的比較を行い、情報を公開しています。科学的なデータフォローと、インセンティブをいかに与えるかという仕組みがうまく設計され、誘導されていて、非常に合理的だと思います。

雨水利用者には水道料金をいくらか払わなくてもいいという優先権を与えれば、それだけでも違うだろうし、下水道管を細くすることにもつながるでしょう。行政では業界とのしがらみや、予算がついた計画などがあってなかなか改革しづらいですが、意識のある市民グループから提案していくのがいいのではないでしょうか。

健全な水循環が途切れる

村瀬  この本を書いていた当時、ある建築関係の学者が、「日本には飲み水がなくなってしまった。だから、飲み水は瓶詰めで、水道水は雑用水に使えばいい」と言ったことがあります。一見合理的です。飲む量はきわめてわずかですから、それだけはピュアなものにして、高度処理すればよいという意見があったのです。25年以上も前のことで、まだ瓶詰めの水など飲む人がいない時代の話です。

水道は臭かった。でも人見さんの言うとおり、これは環境からのシグナルなんです。見方を変えれば、水道がカビ臭いということは、汚れた河川が健気に教えてくれているわけです。気がついてくれよ!と。浄水器で臭いを取ってしまうのではなく、その根本を考えてくれよと。

だから、そういう環境シグナルとして市民が感性を高めていくことが求められるわけです。そういう意識をつくっていくことが必要と思っています。昔は雨を飲んでいたわけだし、身近の汚染に敏感になれば対応できるはずです。そういう意味で地下水も身近な水です。

「疑わしきは罰する」で、汚染があるとよく考えもせずにすぐに地下水の使用を全禁止にしてきましたが、使わないのではなく、そのシグナルを受け止めて根っこの部分で対策をとれば、水の循環も全然違ってきたでしょう。

神田川には空襲警報のようなサイレンが置いてあって、警戒水位を超えると鳴り出します。都市型洪水の被害が続出していた時代の話です。すると、各家が防水板をはめる。異常な光景ですよ。昭和56年ごろは、高床式の住宅に補助金が出るということもあった。弥生時代ではなく、現代の話ですよ。

当時はビルの飲み水のタンクが地下にありましたので、溢れた下水がそこに入ってしまう。都民は無関心だから、それを飲んでしまう。また、そこから上の受水槽にポンプアップしているわけですが、それを知らないで飲んでいる。計測するとおしっこの成分が出てくる。飲むなと指導すれば、「あんた保健所の人だろう。何とかしてくれ」と、住民も怒り出す状況でした。私も気の毒になったし、議論したりもしました。

こういうところに、水の循環が切れていることが見えるわけです。現場に行ってみて、「これは雨が怒っている」シグナルだと感じたんです。汚水も上水も雨の問題も、地域の水循環をどう再生するのかという中で、総合的な処方箋が見えてきたのです。

雨はシグナル

人見  雨水からスカイウォーターへ、と僕はよく説明します。子供たちに「雨水をどう思う」と聞くと、「きたねー、酸性雨」と言う。それに対して、ぼくは「世界中どこでも雨はきれいなんだよ。雨が汚いのではなく、雨が汚されているんだよ」と言っています。空には国境がない。イヌイットの飲んでいる水は、PCB汚染が高いのですが、大気を汚している張本人のアメリカで降る雨はPCBが低いのです。いったい、誰が雨を汚しているんだろう、と考えさせるようにすると、どうすれば汚さないようにできるかと認識するようになります。

水問題は、水そのものから出発しているため、「水が足りなければ持ってくればよい」という結論になりがちです。そして、余れば捨てればよいという結論となってしまった。でも、水問題ではなく雨問題として捉え直すと、循環に気づいて本質的な解決方法が違ってきます。

村瀬  雨を触ってみて、音を聞いて、眺めてみて、いろいろ五感で雨への感覚を取り戻してみるのが大事です。今、雨水ハウスの子供版を作って、いろいろな体験学習の試みを考えています。いまは「雨は汚れている」と教科書で教えて、生徒はペットボトルの水を飲んでいるけれど、そのペットボトルの元が雨水だという認識はありません。

―― 雨水を飲んでいいと勧めて大丈夫でしょうか。

村瀬  ファーストフラッシュ(降り始めの雨)だけ、カットアウトすれば問題ないでしょう。うちの子供たちも体験学習の影響で、樋に集められた降り始めの雨水をタオルで受けて濾過したことがありました。タオルは真っ黒になりましたが、濾過された雨はきれいなものでした。大気汚染の主たる原因は車からの排気ガスで、しばらく雨が降らないと屋根にその汚染物質が溜まって、雨によって流されるので、降り始めの雨が汚いのです。

バングラデシュでは汚染された地下水ではなく、雨水を飲もうという運動が始まっていますし、カンタス航空ではタスマニアの雨水が機内でサービスされています。現代の日本人は、雨水が汚いと過度に思い込みすぎているのではないでしょうか。

人見  我々は、災害時に一番安全なのは雨水だといっています。それは、毒性には、シアンのような急性のもの、それから重金属のような慢性的なもの、発ガン性物質などのように超慢性的なものなどがあります。それらを混同してはいけないわけです。災害時には、基本的には急性毒性が問題です。災害時に最も怖いのは伝染病の発生です。便1グラムの中の細菌の数は兆レベル存在します。だから、やはりし尿が混入していない雨水が一番安全なのです。毒性について、何にプライオリティを置くかが大事なんです。

佐藤  現在、雨水利用住宅を設計している立場から見ると、雨水利用住宅で雨水をトイレや洗車に使いたいというだけではなく、飲みたい、家庭菜園に使いたいなどと、いろいろな要望があります。水質は水道水より雨水の方が高い場合があります。

雨水タンクの掃除はどれぐらいの頻度でやるべきか、という質問はよく受けますが、私の家では15年間掃除していませんが、中を覗いてみると、油分が砂に付着したものは下に沈殿しています。また軽い油は浮いており、その中間の水はきれいです。この中間層から取水するようにすれば、問題はありません。

村瀬  健全な水循環を「質」として意識することは21世紀の大きなテーマだと思います。最後は食の問題にいきつきます。食の輸入に頼ることは、食を生み出すのに必要な水を輸入するのと同じことだからです。ちょうど今の時期は、インドのほうからどんどん雲がやってきています。インドでは日本では禁止されている農薬が食糧増産のために大量に使われています。その農薬を含んだ雲が日本の上空にやってきて、雨を降らせているのです。水を雨と捉えれば、問題はみんな解けていくのではないでしょうか。

我々は「雨水利用を進める市民の会」を作ってきたわけですが、昨年、名称から「利用」という言葉を取り「雨水市民の会」にしました。利用は人間の側からみた社会的側面だけど、水循環から見ると、我々は生かされているのです。しかもすべての命が、です。すると雨水利用と言うのはあまりに怖れ多いと思った結果です。

みんなが汚さなければ、健全な水循環の雨水を飲めます。つまり、大気に目を向けないと恐ろしいことになるわけです。まず雨水を溜めてみる。溜めてみると雨が気になり、水質も気になり出します。雨は大気の水鏡です。

来年、雨水東京国際会議を墨田区で開催します。10年前に出版した『やってみよう雨水利用』(北斗出版、1994)は、英語、中国語、韓国語、ポルトガル語、バングラディシュ語、スペイン語、アラビア語、ベトナム語などに翻訳されています。

わたしたちも予想もしなかったことですが、この10年で、世界の人々が雨が大事だと気がつき始めたんです。今年の3月に、韓国の済州島で国連と環境大臣の国際会議があり、そこで初めて「雨水利用を進める」というアピールが採択されました。21世紀の安全な飲み水を確保する上で、雨水がキー戦略になることを、世界レベルで気がついたことは、大変意義深いことだと思います。

我々の夢は、国際雨水センターを作りたいということです。そこに行けば雨のことはすべてわかるセンターを作りたいのです。これは、都市の水循環を社会の中にビルトインさせるための一つの結論なんです。

この本が出て25年以上、四半世紀がたちましたが、一つの結論を次の世代にバトンタッチしたいと思っています。人間が生きていくということが汚すことから逃れられない以上、次の世代に、きれいで健全な水循環を伝えていくにはどうしたらいいか、という実にシンプルな考え方が、これから実践されていくことが大切なのです。



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