機関誌『水の文化』31号
脱 水(みず)まわり

集約から分離へ

編集部

暮らし方の変貌

バブル時代に隆盛を極めたスポーツクラブの中には、減った会員の穴埋めに、安価な午前中限定会員のサービスを提供しているところがある。利用者は主に高齢者。軽い運動をし、顔見知りと話ができると好評だ。

そこに思わぬ副産物があった。広々とした風呂を利用できるから、自宅の浴室を何年も使っていない、というのである。

考えてみたら、銭湯復活のある種のあり方ともいえる。エネルギーの節約にもなるし、広くて快適だし、何より掃除をしなくていいというのが人気の要因だ。

経済成長期には「内風呂がない」というのは、貧しさの象徴のようで、言い出し難い雰囲気まであったことを思えば、隔世の感がある。

同様な現象は、台所にも起きている。

持ち帰りができる中食(なかしょく)や外食産業を使ったほうが効率がよい単身者、夫婦だけの少人数世帯が増えているのだ。自分で調理すると、使いきれなくて材料を無駄にしてしまう少人数世帯や、仕事が忙しくて時間的に余裕がない家庭では、加工食や外食をうまく利用しないと生活が回っていかない状況にある。

東南アジア、特にタイでは、いつごろからの習慣かは知らないが、安価で種類も豊富な屋台を利用することが当たり前になっている。食事は家でお母さん(お父さん)がつくって家族みんなで食べるもの、という風習が、既になくなっているのである。

原始時代のルーツ

原始時代、「家」(棲み家)は水の近くに炉をつくった所から始まる。炉に屋根を掛けたものが「家」。「家」は、「家族」という最小単位の社会だった。

台所以外の水の場は、風呂は沐浴か行水、トイレも屋外。もちろん、トイレは穴を掘った肥溜め式だったから水とは無縁であった。

ところが今では、台所も風呂もアウトソーシングできる時代になっている。絶対に、外に出せないのがトイレで、現代日本では水洗であることが必須だ。原始時代とは逆になっているのだ。

水洗トイレがいかに重要であるかは、阪神淡路大震災のときの経験からも明白である。被災者は食事は炊き出し、風呂や洗濯は取り敢えず我慢したが、水洗トイレが使えないことで、日々非常な困難を強いられたからである。清潔なトイレが人間の生活の質に深くかかわっていることが、痛感された経験である。

「水にかかわる生活の術(すべ)」は、長らく原始時代のルーツに添って続いてきた。ところが、竃がガスに置き換わり、加圧水道が蛇口の上にくることで、一気に変貌を遂げたのである。

不勉強の故だが、加圧水道が敷設されて、水消費が一気に変わったように誤解していた。しかし実際には、当初、水道の蛇口は井戸のあった場所もしくは水甕の上に設けられ、いったん溜めて使われていた、と山口昌伴さんに教えられた。

経済成長期に生まれた人間は、原始時代のことは習っていても、ごく近い昔のことは何も知らないということだ。このことは、水の文化の継承に不安を覚えることにもなった。

LDKの誕生

激変した「水にかかわる生活の術(すべ)」を、もう一段階押し進めた出来事がある。日本住宅公団(現・独立行政法人都市再生機構)によって開発されたDKの誕生である。これはその後リビングルームを巻き込んで、LDKという不動のスタイルを生み出していく。

都市の住宅難に対応するために大量につくられた集合住宅は、非常に狭かったため、空間を最大限効率よく利用する間取りとして、考案されたものである。詳細は、藤森照信さんと北川圭子さんのページを参照してほしいが、当時の日本の住宅事情、家庭婦人の置かれた状況、寒く、汚く、暗い台所環境を改善する画期的な発明だったのである。

その象徴となる一体成型ステンレス流し台は一世を風靡するが、一体成型ステンレス流し台にしても、長屋を脱した集合住宅にしても、それは「家」と「水にかかわる生活の術(すべ)」を工業化することと同意義だった。均質な製品を大量生産することで、一般市民に高品質な住宅を供給しよう、という意気に燃えて開発された製品であったことには間違いがない。

こうして「水にかかわる生活の術(すべ)」は、「家」と運命共同体となって、「製品」化していった。これは、わずか50年程の間に起こった現象に過ぎないが、あまりに偉大な発明であったため、すべてを巻き込みつつ、それ以前のスタイルをほぼ席巻してしまったのである。

技術的制約はない

多層階の集合住宅の性質上、これまでは給排水管が縦管として、上階から下階まで1カ所に通されていた。そのことが「水にかかわる生活の術(すべ)」を配置上まとめることにつながって、「水まわり」という言葉が現れた。本来、多様な機能や用途がある別個の術(すべ)を、乱暴にまとめて「水まわり」としてしまったのだ。

しかも、コンクリートの駆体と給排水管は耐用年数にズレがあったため、駆体はまだ保つのに給排水管が傷んで水漏れがしたり、駆体内部に組み入れて施工していたために修繕が利かず取り壊さざるを得なくなったり、という不都合が生じた。

日本住宅公団では、こうした不都合に随時対応し、スケルトン&インフィル工法という優れた方式を開発するだけでなく、給排水管の高耐用化、修繕のし易さを実現。1カ所に通されていた縦管を共有スペースに持っていき、屋内には水平方向に配管することで、「水にかかわる生活の術(すべ)」を自由に配置できるようにした。

従来の日本家屋で重視された風水を中心とする配置の制約も、人工的なエネルギーを使うことで解決されるし、床の間を背にした家父長の権限も民主主義の名の下に消え去っている。

効率化と建物としての必然性、及び様式がすべて消滅した今、「水まわり」は解放され、再び自由な「水にかかわる生活の術(すべ)」として生まれ変われる機会が与えられた。

いわば「水にかかわる生活の術(すべ)」の復権である。

100の家族に、100の水まわり

ところが、ことはそれほど簡単ではない。いったん途切れてしまった「水にかかわる生活の術(すべ)」は継承されていないので、自分らしく何でもできるといわれても、要望がないのだから現状に不都合も感じない。だから、何をどうしていいのかわからない。せっかく与えられた復権の切り札を、どう使っていいかわからない。

100の家族に100の水まわりが実現できるのに、実現したいスタイルが提示できないのは勿体ない。しかも、「家」で暮らす肝心の「家族」がバラバラだ。「水にかかわる生活の術(すべ)」どころではないのが実状である。

今までは、家と同様、家族にもモデルがあって、黙っていてもそれに従いさえすれば生きていけた。それが、自由になったばかりに「選択」することが求められている。

選択して、創造して、答えを出す。ある意味、面倒で厳しいことではあるが、労働以外に使う時間を大切にするためには、「生活の術(すべ)」を見直すことが必要である。

いったん集約された「水まわり」が解放されて自由になったことをチャンスと捉え、自分はどう暮らしたいかを考えてみよう。自分ならではのオリジナルのスタイルを追求することは、案外楽しめるはずである。

家族と囲む食卓、リフレッシュのための風呂、清潔なトイレというように、すべての「水にかかわる生活の術(すべ)」は、豊かな暮らしに欠かせない重要なアイテムだからだ。

【様式から解放された自由な水まわり  前川國男自邸】

近代化以前の住まいは、時代性や格式といった様式に支配されていた。農民の家は農家らしくとか、風水による間取りの決定といった具合に。それは、用途に即していたし、自然環境を考慮したら当然の成り行きだったので、理にかなったことだった。

近代住宅は、そうした支配から住まいを解放しようとしたもの。水まわりにも、創意工夫が満ちているように思える。LDKの登場で画一化してしまった現在の住宅から見ると、なんとも自由で、「設計の思想」が迫ってくるのである。

江戸東京たてもの園に移築・保存されている前川國男自邸は、まさにその代表だ。1942年(昭和16)、建築資材と延べ床面積の制限(「木造建物建築統制規制」1939年)という厳しい条件下で竣工した。

ごく小さな空間にもかかわらず、貧乏臭いところがなく実に豊かな空間が生み出されているから不思議だ。最小限ながら、機能的でゆとりさえ感じさせる設計には、感心させられる。玄関を入ると左手にリビング、正面に廊下があって、廊下の右手に女中部屋とトイレ、突き当たりが書斎である。リビングは吹き抜けで家の中央を占める。書斎などとは線対称に台所、浴室(トイレ)、寝室という配置。

実は銀座にあった事務所が1945年(昭和20)に空襲で焼失、以来1954年(昭和29)四谷にミドビルが完成するまで、美代夫人との生活と事務所機能が同居。浴室はトイレと一体型で、寝室の続き間のように考えられおり、ヨーロッパでの生活が反映されている。台所、浴室(トイレ)、寝室は、完全なプライベート空間で、リビングと行き来する扉もごく小さなものとしてつくられている。書斎には、なぜか小さな洗面台がついているが、それはプライベート空間に他人を入れないで済ませるためであった。前川邸には、LDKでは表現できない暮らしのスタイルがあったのだ。

ちなみにこの家は、一時期完全に失われたと思われていた。ご遺族である甥御さんに藤森照信さんが尋ねたところ、1973年(昭和48)に解体されて前川の父の軽井沢の別荘に保存されていることがわかった。壊さなくてはいけない事情がありながら、価値のある建物だから、完全に廃棄するわけにはいかなかったのだという。藤森さんの奔走のおかげで、江戸東京たてもの園で再び日の目を見ることができた。今も、建築を志す若者に、大きな示唆を与え続けている。

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