機関誌『水の文化』38号
記憶の重合

地図は河川研究の原点なり

古賀 邦雄さん

水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄(こが くにお)さん

1967年西南学院大学卒業
水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)に入社
30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集
2001年退職し現在、日本河川開発調査会筑後川水問題研究会に所属
2008年5月に収集した書籍を所蔵する「古賀河川図書館」を開設

1828年(文政11)9月、シーボルト事件が起きた。オランダ商館付きの医師シーボルトが、伊能忠敬作成の「大日本沿海輿地全図」縮図を帰国の際に持ち出そうとして発覚。縮図の写しを贈った幕府天文方・書物奉行の高橋景保ほか十数名が処分され、景保は獄死した。地図は禁制品の扱いであった。現代の日本地図とほとんど変わらない地図を全国にわたって作成したのは伊能忠敬で、その功績は大である。

測量図が作成される以前は、絵図がもっぱら使用された。大阪狭山市立郷土資料館編・発行『行基と狭山池』(1993)に、「行基日本図」がある。北海道はないが、本州、四国、九州の図が丸い団子状に描かれ、ひらがな文字で地名が記されている。行基土木集団の成果の一つといえよう。この行基図が最古の日本図なのであろうか。

農業用灌漑池として河内一帯の人々の暮らしを支えてきた狭山池は、古代に築かれ、奈良時代(762年)に行基によって初めて改修されたと伝えられている。大阪狭山市立郷土資料館編・発行『近世の絵図−狭山池の世界』(1998)には、狭山池惣絵図、狭山池除口樋口池廻り村々絵図、狭山池西除略絵図、狭山池中樋西樋筋水掛り村々絵図等が描かれている。村図や用水関係の絵図は、村の領域や用水路・溜池などの施設の概要を把握するためと、個別の土地や施設の細部を把握するためのものがあった。この書で金田章裕は、近世絵図の特徴について、「狭山池の場合でも、どの部分に堤防があって、そのどこに樋が設置され、池にはどの村から川が流入し、どの村々が沿岸に接していたか、といった事実が表現されていれば、池全体の形状が長方形であろうと楕円形であろうと十分に用を果たしたとみられることになる」と述べている。

さらに、絵図の意味について、小野寺淳著『近世河川絵図の研究』(古今書院 1991)では、「過去のあるがままの景観を描いたものではなく、作成主体によって選び出された景観を描いたものでもある。絵図から過去のあるがままの景観を復元することには限界があるが、絵図は言葉でなく地図として、描かれた景観の意味を我々に伝達している。絵図は作成主体の政治的、経済的、あるいは宗教的動機にもとづいて作成された地図であると同時に、作成主体の空間認識を表現しており、さらに絵図を利用する側にとっては、その関心によって様々な情報を読み取ることができる」そして、J.B.Harleyの言葉を借りて、「人間の心の中にある精神的世界と外部の物理的世界をつなぐ仲介者であり、様々なスケールにおいて人間の心の中の世界を創り出す手助けをする基本的な道具である」と定義する。これを拡大解釈するなら、地図は正しく、すべての学問研究の原点そのものだと考えられる。この書では、河川絵図を、

1【治水】
関東筋川普請各藩分担図、木曽三川大絵図、淀川沿岸図
2【堤外地】
岩木川流域図、吉野川絵図、筑後川絵図、菊池川絵図
3【用水・上水】
米代川絵図、小貝川絵図、玉川上水・神田上水大絵図
4【河川交通】
最上川舟運絵図、阿武隈川水路図、利根川河岸絵図、佐波川筋絵図、懐中鑑(多摩川)
5【地誌】
関八州川筋絵図、調布玉川惣畫圖、球磨川絵図

と分類しながら、絵図の表現様式の分析、図像の分類など客観的考察、過去の人間の主観的な空間認識を追究する。

  • 『近世の絵図−狭山池の世界』

    『近世の絵図−狭山池の世界』

  • 『近世河川絵図の研究』

    『近世河川絵図の研究』

  • 『近世の絵図−狭山池の世界』
  • 『近世河川絵図の研究』


今尾恵介解説『多摩川絵図 今昔−源流から河口まで』(けやき出版 2001)は、弘化2年(1845)の作である『調布玉川惣畫圖』ついて、源流域の大菩薩峠から羽田まで、往時の多摩川両岸村落の名勝、渡船場、街道、宿場の風景を解説する。見ていて愉しい。渡部一二著『江戸の川・復活』(東海大学出版会 2008)は、日本橋川・神田川・隅田川における絵図から学ぶ体感型博物館構想と、サブタイトルがついている。鈴木康久・西野由紀編『京都宇治川探訪』(人文書院 2007)は、『宇治川両岸一覧』の挿絵をカラーで掲載し、宇治川を江戸時代の旅人と同化する。同編『京都鴨川探訪』(人文書院 2011)も、京から淀まで鴨川沿いの名所旧跡、人々の暮らしぶりを、『淀川両岸一覧』の挿絵とともに、描いている。生田耕作編著『鴨川風雅集』(京都書院 1990)もある。絵図とは違うが、絵巻ものが刊行されている。木村きよし著『淀川絵巻』(保育社 1988)を懐に入れて歩くと、現在の淀川について文化と歴史を発見することができる。守口市の豊里大橋の辺りには、文禄3年(1594)豊臣秀吉が伏見城と大坂城を陸路で結ぶため、毛利輝元らが命を受け淀川左岸堤防を改築した「文禄堤」、文禄堤一円を「東海道守口宿」の道しるべ、それに「平田の渡し場」の碑もある。

  • 『多摩川絵図 今昔−源流から河口まで』

    『多摩川絵図 今昔−源流から河口まで』

  • 『淀川絵巻』

    『淀川絵巻』

  • 『多摩川絵図 今昔−源流から河口まで』
  • 『淀川絵巻』


河川を鳥の目で描いた鳥瞰図として、子ども向きの村松昭作・偕成社発行の『たまがわ』(2008)、『ちくまがわ・しなのがわ』(2010)、『ちくごがわ』(2009)がある。また、俯瞰的には、桑原啓三・上野将司・向山 栄著『空の旅の自然学』(古今書院 2001)で、千歳から羽田の飛行中、「左から右に流れる成瀬川(秋田) は岩井川と合流すると西に屈曲し、横手盆地へと流れている。成瀬川の左岸側には谷地(やち)の地すべりが存在する」と国土地理院の地図とともに地質学的に鋭く分析する。建設省菊池川工事事務所編・発行『菊池川の今と昔』(1998)は、古図『菊池川全図』と1996年(平成8)時点の空中写真を対比させている。菊池川下流部には加藤清正がつくった「石はね」、「旧白石堰」が時を超えて甦ってくる。

2008年(平成20)8月5日東京・雑司ヶ谷の下水道工事中、一時間60mmのゲリラ豪雨によって下水道内の作業員5名が流され、死亡した。下水管に雨水が集中し、秒速7mを超えたという。事故現場の弦巻(つるまき)通りは、谷底地形で、1932年(昭和7)に弦巻川を暗渠化した通りであった。現在は地下に下水道「雑司ヶ谷幹線」が設置されている。菅原健二著『川の地図辞典 江戸・東京/23区編』(之潮 2007)は、弦巻川、藍染川、小石川、音羽川など暗渠化で消えてしまった川をくまなく踏査して、都内の川を浮きぼりにする。1923年(大正12)関東大震災、1945年(昭和20)東京大空襲、さらに急速な都市化、特に1964年(昭和39)東京オリンピック開催前後の高度成長期には「臭いものには蓋をしろ」とばかりに東京の河川の暗渠化が進んだ。これは廃川になった川まで含めて地図上に表わした貴重な辞典である。同著者による『川の地図辞典 多摩東部編』(之潮 2010)は武蔵野市、三鷹市、狛江市、立川市、町田市などの川を追う。同編著『川跡からたどる江戸・東京案内』(洋泉社 2011)もあり、渋谷川に合流するイモリ川、暗渠化された河骨(こうほね)川の光景、高速道路に変わった楓川、吉原遊郭を囲む浜町川、お玉が池と藍染川、溜池の排水路だった汐留川などをたどる。

渡邉秀樹・樽永編『消えた川をたどる! 東京ぶらり暗渠探検』(洋泉社 2010)は、渋谷川、桃園川、北沢川、烏山川、呑川、立会川など暗渠化し、遊歩道、児童公園が整備された川を巡る。石坂善久著『東京水路をゆく』(東洋経済新報社 2010)は、水辺から東京の河川を徘徊する。

  • 『空の旅の自然学』

    『空の旅の自然学』

  • 『川の地図辞典 江戸・東京/23区編

    『川の地図辞典 江戸・東京/23区編

  • 『空の旅の自然学』
  • 『川の地図辞典 江戸・東京/23区編


日本には109水系の一級河川が流れ、それぞれに治水と利水に役割を持っているが、一方では人々に憩いの場を提供している。斎藤康一・矢野哲治著『日本の川地図101−カヌー・ツーリング・マップ』(小学館 1991)は、カヌーの案内書で、例えば、越後三山の麓を流れる清流 魚野川について、鮎釣りの期間は除き、河川長69km、湯沢〜六日町〜小千谷で快適な流れと瀬をカヌー・ツーリングで楽しめるとある。

地理学は、地図とは絶対に切り離せない学問である。大矢雅彦著『河川地理学』(古今書院 1993)、同著『河道変遷の地理学』(古今書院 2006)は、河川地理学の代表的な書といえる。著者は「河川と平野あるいは流域の著しい地域差を明らかにし、それを災害軽減など流域社会の発展に役立たせること、これが私の目的とする地理学だと思う」と心情を吐露する。平野を構成する扇状地、自然堤防、後背湿地、デルタなどの地形要素を述べ、平野の地形の基本型とした木曽川下流濃尾平野の地形、洪水、開発過程を論じ、世界の河川であるローヌ川、タイ中央平原とチャオプラヤ川、国際河川メコン川を分析する。一方、河道変遷では、石狩川、利根川、阿賀野川、斐伊川、野洲川、筑後川などを追求する。

終わりに、沖大幹監訳、沖明訳『水の世界地図』(丸善 2006)、同『水の世界地図第2版』(丸善 2010)を挙げる。人口66億8000万人になった世界の水問題について、高まる水需要、水の浪費、水汚染、水をめぐる国際協力など、世界地図に示しながらビジュアルに指摘。例えば水力発電は世界の電力の19%を供給。世界の疫病による苦しみは、水供給、衛生施設、衛生行動の改善でおよそ10%が予防可能。家庭で一日の使用量はオーストラリア282ℓ、エチオピア13ℓ。25億の人々は改善された衛生施設を使用できない。発展途上国では下水の90%が未処理のまま放流、等が示され、これらの水問題は世界的な協力のもとに改善されつつあると指摘する。

  • 『河川地理学』

    『河川地理学』

  • 『水の世界地図』

    『水の世界地図』

  • 『河川地理学』
  • 『水の世界地図』


以上、河川の問題に対し、時間的に、空間的に、地理的に指し示し、解決策を示してくれるものが地図の役割だと考えられる。そういう意味では、地図は河川における調査研究の原点であるといえるだろう。

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