機関誌『水の文化』34号
森林の流域

森林からの警告

石弘之さんはジャーナリスト、研究者、特命全権大使などさまざまな立場から、40年以上地球ウォッチャーをしてきました。石さんはその感想を「手がつけられないほどに人間が暴走している」と言います。 本来再生可能な資源である水産、土壌、水の基礎にある森林。世界の森林が置かれている現状について聞きました。

石 弘之さん

環境史家
石 弘之 (いし ひろゆき)さん

1940年東京都生まれ。東京大学卒業後、朝日新聞社に入社。ニューヨーク特派員、科学部次長などを経て編集委員。1985~87年国連環境計画(UNEP)上級顧問。1994年朝日新聞社退社。1996~2002年東京大学大学院教授(総合文化研究科・新領域創成科学研究科)。2002~2004年までザンビア特命全権大使。北海道大学公共政策大学院教授、国際協力事業団参与、東中欧環境センター理事などを歴任。
主な著書に『地球環境報告』(岩波新書 1988)、『世界の森林破壊を追う-緑と人の歴史と未来』(朝日新聞社 2003)、『地球生態系の危機-アフリカ奥地からのリポート』(筑摩書房 1987)、『私の地球遍歴-環境破壊の現場を求めて』(洋泉社 2008)ほか。

環境の定義

最近は環境が大流行(はや)りで、生態学はもちろんのこと環境政治、環境経済、環境歴史、環境社会、と環境とついたものがいっぱいできてきました。あまりにも幅が広すぎて、いまだに環境というのは定義できないんです。

いかなる法律も、最初に例えば「犯罪とは」という定義から始まるんですが、環境関係の法律に関していえば、環境とは何かについて一切書いていない。EUの法律には書いてありますが、「人体の外側にあるすべてのもの」と書いてあるだけで、定義でもなんでもないでしょう。

環境がなんであるか、言えますか? 難しいですよね。「日本の政治環境は」とか言い出すと、単に「状況」を意味するだけにすぎなくなってしまいますし。

もっとも日常的に使われているのは、状況の急激な変化で我々の健康や生命に危険を感じる場合、それを「環境問題」と呼ぶ、という意味合いでではないでしょうか。

環境という言葉が爆発的に広がったのはいいんですが、このように中身が議論されないままに環境、環境と言っているんです。だから、お互いに環境について話しているのに、全然噛み合わない、ということがよくあります。

私の自宅は、できてから100年が経つのです。ほとんどが木と紙でできた家です。電気のスイッチ類は、石油由来のプラスチックができる前に使われていたベークライトでできています。楠の樹脂からつくられた最古のプラスチックで、元を正せば木でできているということです。零戦のプラスチック部分も楠からできていたんですよ。

話は逸れますけれど、日本が世界で最大の楠の産地だった台湾を占領したのは、原料が豊富にあったからです(注1)。楠というのは虫に強い成分がありますからね、なかなか枯れないんです。それで、今でも都会の街路樹に植えられて増えています。

日本が台湾を占領して、楠の樹脂がアメリカに入らなくなったために、アメリカが頑張ってナイロンを発明し(注2)、これ以降、化学合成樹脂の開発がいっきに進展するという経緯があります。

環境史というのはこういった雑学のようなところがあるのです。

(注1)台湾の日本統治時代
日清戦争の敗戦に伴い清朝が台湾を日本に割譲した1895年(明治28)4月17日から、中華民国統治下に置かれる第二次世界大戦後の1945年(昭和20)10月25日までを指す。

(注2)ナイロン66
1935年(昭和10)、アメリカ・デュポン社のウォーレス・カロザースが、アジピン酸とヘキサメチレンジアミンを重合してナイロン66の合成に成功した。絹の代用として、女性のストッキングに使われた。

脱・国際分業論

日本は温帯多雨林もあり、森林の形成が豊かです。しかも、地形が南北に長い上に複雑ですから、木の種類も滅茶苦茶多いんですね。

例えば、北欧の森林学科の学生は木の種類を10種類ぐらいしか覚える必要がないんです。しかし、東大の林学科では、150種ぐらいを必死で覚えないと試験に通らないんですよ。本当に森林の専門家になろうと思ったら、1000種くらい覚えないとなりません。

熱帯林で一番植生が豊かなのはボルネオなんですが、ボルネオで1haあたり、500種以上の樹木があるんじゃなかったかな。日本で一番条件が良い所で70種ぐらい。それが北ヨーロッパに行くといきなり10種ですから。

ヨーロッパは氷河期の影響を受けていて、いったん死滅したところから回復した状態が今なのです。日本では氷河期の影響を受けたのは北海道と高山帯だけで、あとは残ったんですね。

それだけ豊かな植生の日本で、よそから大量のエネルギーをかけて木材や食料を運んでくるというのはおかしい話です。国の将来設計がないままに、外材の関税を撤廃してどんどん買ってくるようになってしまった。

食料なんて、日本は耕地が少なくて商売にならないのだから外国から買ってくる。木材もコストがかかって利益に見合わないから外国から買ってくればいい。そのような国際分業論というものがもてはやされた時代があるんです。

しかし、国際分業論には、木にしても食料にしても、売る側にいつも余剰があることが前提となりますよね。そして、日本に買うだけの金がなくてはいけない。売る側の余剰と買う側の金。この二つの条件がそろわないと成り立たない理論なのです。

まず食料のことで言いますと、一昨年は世界の二十数カ国で食料暴動が起きたんです。その背景には結局売るものがなくなってきたという現実がある。国内でさえも足りなくなっているというのが実情なんです。

ですから世界で30カ国ぐらいの国が、食料の輸出に全面規制をかけ始めています。日本が国際分業論を唱えていた「誰でも金を出せば売ってくれる」という時代は、もう終わりを告げているんです。

世界の10大森林国

世界の10大森林国
FAOSTATより編集部で作図

酷使された森林資源

私は環境史が専門なんです。その中でも木材というのが人類にとってどういう意味を持つものであったか、ということに関心があります。

人間が未開状態にあるときに、身近にあって使える素材というのは、石と木だけだったと思います。石で石器をつくって、石器で木を伐って。木は残りませんから、どういう風に使ったかはわからないのですが、日本の場合、縄文時代に50種類以上の木や竹や草を使い分けていたといわれています。

19世紀のヨーロッパでは、木はほとんどが燃料として使われています。木を使い尽くしてしまい、止むなく石炭に移行するわけです。

石炭は古くから知られていたんですが、臭くていぶいために「汚いエネルギー」と言われ嫌われていました。ところが産業革命後に使用が増加して、18世紀の半ばから、人類は初めてヨーロッパで広域の大気汚染を経験するのです。

日本でも薪や炭を使っていました。石炭や石油に代わっていったのは、1960年代からです。

木が存在しなかったら、人類は存在しなかっただろうと思います。

近世になって、森林破壊が起きたのは、薪として使う量が増えたためです。それが燃料革命で石炭や石油に取って代わられると、今度は鉄道の枕木としての利用が森林破壊の原因となりました。インドとかビルマ(現ミャンマー)、タイといった地域の森林はどんどん消えていきました。

それが一段落すると、今度は電柱に使うために木が伐られました。さらに紙の原料になっていきます。

このように人類は燃料から始まって、常に常に木に頼ってきたわけです。

その、最も重要な資源が、今、壊滅的な状況に陥っています。

例えば、農業がまだあまり進展していない8000年前、地表面積の60%ぐらいはおそらく森林だったろうと推定されています。それが、現在は30%になりました。8000年間で半減したのです。

森林の質

しかし、残った30%が良い森林かというと、そうではありません。

また、ここ10年間ぐらい山火事が大変な勢いで起こっているのですよ。一番ひどいのがロシアですが、中国でもアラスカでもカナダでも地中海地方でも、頻繁に起きています。これは森林が劣化していて、山火事が非常に起こりやすい状態になっているからです。

一つは伐りすぎて森がスカスカの状態になって乾燥していますから、火が入ったときに燃えやすくなっている。つまり、過剰伐採によって森林の木がまばらになってしまった、ということです。伐った後に生えてくる二次更新の木は細いですから、燃えやすい。また、細い木はしなりますから、こすれ合って自然発火してしまう。

そんな状況であるにもかかわらず、世界中が森林資源を狙っています。アマゾンでは現在でも非常に破壊が進んでいます。東南アジアの森林は、一部ボルネオなどには少し残っていますが、ほとんどなくなってしまいました。あとは西アフリカのコンゴ民主共和国の流域です。

山火事の原因は煙草や焚き火の不始末が主なものと思われていますが、圧倒的に多いのが自然発火です。なかでも落雷によるものが最も多く、それから先程も言いましたように風によって木どうしがこすれて起こる自然発火です。

アフリカなどで起こる不思議な現象に、サバンナの真ん中の木が、いきなり燃え上がる、というものがあります。実はこれは雨の水滴が原因です。水滴がレンズの役目をしてしまうんですね。それで、いきなり発火する。そういう意味で言うと、煙草の火の不始末よりも、飲料ビンのかけらがレンズの役目をして発火する、ということのほうが多いように思います。

アフリカの現状

ザンビアの大使をやったのは、外務改革の一環で大使を民間から登用する施策をとったから。そのときにアフリカが好きでホイッと行く人間がほかにいなかったんですよ、きっと。

環境のことをやりながら世界各地を40年ぐらい回っていたんですが、アフリカが好きで全部で4回勤務したんで、ちょうどよかったんでしょうね。

みなさんはザンビアと言っても馴染みがないでしょうが、日本の十円玉はザンビアの銅でできています。八つの国と国境を接していますが、今までに1回たりとも国境紛争とかクーデターが起きたことがない。アフリカでは唯一と言っていいほど、平和な国なんですね。

そこに2年半ぐらいおりました。私はバードウォッチングが好きで、鳥を見るには最高の場所です。

アフリカは植民地支配でひどい目にあって、今はエイズの問題があります。アフリカでは、人口の自然増が2000万人に対してエイズで亡くなる人は年間200万人ぐらいに上ります。

ただ問題になるのは、あちらは男女間の感染で10代から20代の若い年代を中心に亡くなっている。そうすると社会の中核の年代が消えていくわけですよ。

奴隷貿易のときも、ほとんどが10代から20代で、社会の中核の年代が消えた。そのことが、今日アフリカが開発から取り残された理由の一つといわれています。今のエイズの問題は、同様な状況を生み出しています。

アフリカで初めてエイズの発症が確認されたのが1982年(昭和57)で、それから一挙に広がりました。ケニアでは、エイズ死亡者の4割がティーンエイジャーで、その多くは女性です。

一番深刻なのは教師の不足です。ザンビアですとね、年間1000人ぐらいの教師が、エイズで死ぬんですよ。それで新たに教師になる人は、年間500人ぐらいですから。校舎をつくっても、教師がいないんですよ。

森林に依存して生きる人々

日本人は完全に森林依存から後退してしまって、100%森林に依存している人は皆無に近いんじゃないでしょうか。わずかに残る炭焼きの人ぐらいでしょうか。マタギもいないから、熊が出てきても撃つ人が少なくなってきました。

しかし、南米であるとかアフリカやアジアには、まだ森林に依存して生活している人がいます。森林に食料から燃料から建築材から衣服の材料まで、すべての資源を依存して生きているという人が20億人いると推定されています。

CSRで植林が流行っていますけれど、アフリカなんかでは腹をすかせた羊と薪にしようとする主婦が手ぐすね引いていますから、すぐに姿を消してしまうんですよ。

左:アマゾンの帯林を焼いて造成した牧場。中:マレーシア・ボルネオ島の焼き畑風景。右:NGOの指導で住民の間に植林の機運が高 まった。(ケニアのキスムで) 写真提供:石 弘之さん

左:アマゾンの帯林を焼いて造成した牧場。中:マレーシア・ボルネオ島の焼き畑風景。右:NGOの指導で住民の間に植林の機運が高 まった。(ケニアのキスムで) 写真提供:石 弘之さん

人口爆発と森林の関係

人口爆発と森林破壊は相関しています。1人増えると0.4haぐらいの土地が必要になってくる。それが世界で8000万人近く増えているわけですから、日本列島ぐらいの広さの土地がないと、毎年増える人口を養えないということです。

2009年(平成21)6月に世界の人口が68億人を超えました。それが2050年、あと40年で91億人になるんですよ。あと23億人増えるわけですね。ということは、今の人口に中国とインド分が乗っかるというわけです。そんなこと、考えられないでしょ。

私の説は2025年ぐらいに、一つの破局点に達するんじゃないか、という予測です。ではどういう形で破綻するのか。一つには農業生産がどんどん低下しているんですね。

この50年間、世界の農地はまったく増えていないんです。かえって減っている。それに対して単位面積当たりの収量は2倍になっているんです。つまり、同じ面積の農地から2倍の生産量を上げるようになったのです。そのためには、大量の農薬や化学肥料を投入しています。その投入による単収の伸びがほとんど止まってしまったんです。

いかに肥料をくれようが、畑はもう増収できない状態になってしまった。ですから、まず食料問題は目に見えてダメになっていく。

現に一昨年から昨年にかけて世界の食料備蓄分は54日分なんですよ。これはものすごくきつい状況です。戦後、最悪です。1973年〜1974年(昭和48〜49)の世界的な大食料危機のときよりもひどいのです。

ところが誰にも自覚がない。日本人はコンビニやスーパーマーケットに走れば、いつでも食料が買えると思っていますから。今の日本は世界中から食料を買い集めた、世界一の食料輸入国なんですね。ところがご存知の通り、外貨準備高がすごい勢いで減っている。金さえあれば世界中から物が買えるという時代は、ほぼ終焉しつつあるわけです。しかも、食料自給率は4割前後なわけですから。

それを考えた場合、あと15年、保つだろうか、というのが私の懸念です。

先に崩壊してしまったのが、海の魚です。ですから、みなさんが食べている魚は30年前とは似て非なるものです。

いよいよ地球の限界が見えてきた。そして、真っ先に限界を超えてしまったのがアフリカだ、ということです。


  • 土地利用形態と人口の歴史的変化

    土地利用形態と人口の歴史的変化
    『地球環境「危機」報告』石弘之(有斐閣2008)をもとに編集部で作図

  • 世界の森林面積の変化

    世界の森林面積の変化
    「世界森林資源評価2005」(FAO)より編集部で作図

  • 1人あたりの紙・板紙消費量(2007年)

    1人あたりの紙・板紙消費量(2007年)
    日本製紙連合会HP をもとに編集部で作図

  • 土地利用形態と人口の歴史的変化
  • 世界の森林面積の変化
  • 1人あたりの紙・板紙消費量(2007年)

大規模災害の原因

アフリカは限界を超えてしまったから、悲惨なことが次々と起きています。森林というのは生態系の基本ですから。森林がなくなったら、土壌侵食が起き、保水ができなくなりますから水にも影響がありますし。いろいろな自然災害の原因になっていくわけですね。

森林という地球上の一番の要を失っているために、さまざまな災害が引き起こされています。

5年前のインド洋の大津波(2004年12月26日のスマトラ島沖地震によって引き起こされた大津波)も、海岸にマングローブ林のある所は被害が少なかったんです。ところがタイのようにマングローブ林を伐っては、リゾートにしてしまったりエビの養殖池にしてしまった所は、大きな被害があった。

フィリピンのレイテ島で2006年(平成18)2月に起きた大規模な地すべりも、大量な降雨が直接の引き金になったとはいえ、森林喪失がその背後にあったことは否めません。フィリピンは第二次大戦後にもっとも森林を失った国の一つで、その多くは日本が輸入しています。

それからヨーロッパはひどい酸性雨の影響を受けましたね。今は少しは良くなりましたが、一番ひどかった時期にはヨーロッパの3割の木が枯れました。それによって、ヨーロッパで頻々として大洪水が起きた。ドナウ川が氾濫したりしてね。

しかし、自然災害の発生件数は、年間1万km2あたり0.27件ぐらいで増えていないんです。ではなぜ、被害だけが増えているのか。それは人間の側の状況が変わってしまったからです。

森林がなくなったことで山崩れが起きる。それは、人間の影響で起きた災害です。しかし、自然に山崩れが起きた場合にも、以前に比べて被害を受ける割合と程度が増しているんです。

南極のど真ん中でいかに火山が爆発しようが、誰も被害を受けませんよね。昔は、危ない山だから住むのをやめようと言っていた山に住まざるを得ない。海岸地帯だって、町から押し出されてきた人が住まざるを得ない。

アフリカでいつも大災害が発生する場所は、サハラ砂漠の南側なんですね。昔は環境もいい所だったのです。しかし、人口爆発で木を伐り尽くしてしまった。それで、いきなりサハラ砂漠の影響をもろに受けるようになったのです。旱魃(かんばつ)が起きて、食料危機になった。

ですから、こうした災害は人間が招いたというのが、私の主張なんです。

それと地下水です。

表流水がなくなって地下水に頼る、ということが一番ひどく行なわれているのがアメリカです。アメリカ中央部の、世界のパン籠と言われているカンザス州、ミシシッピ川の支流であるミズーリ川の周辺ですけれど、ここはほとんどが地下水に頼った農業です。それも使いすぎていて、場所によっては年間5mほど地下水位が下がって、塩水が増えてきている。

ですから、アメリカのトウモロコシや小麦の生産は、この先あまり長くは保たないだろうと言われています。

もう1カ所、地下水をひどく使っているのは中国の北部です。もともと表流水がない所ですから。北京では年間30cmぐらい地盤沈下を起こしている所があります。

あとは中東です。中東はもう地下水がなくて、海水を淡水化しています。日本のメーカーが大儲けしていますよ。

エジプトは地下水だけでまかなっているナセルシティという大きな町があったのですが、ここも使い切りましてダメになっています。

地下水というのは、人間の最後の水資源なんですね。地下水というのは涵養量に左右されますから。雨量のもともと少ない所で、涵養量を超えた量を使ってしまったら、枯渇してしまうのは当然のことです。

地下水というのは今から1万年前の氷河期の終わりに、氷河がばあーっと融けたときに蓄えられた水なんです。ですから中東やアメリカにある地下水などには、「化石水」と呼ばれているものもあります。

稲作と森林

森林文化というのはコメ文化と表裏一体。水田稲作というのは、春に水を入れて秋に抜くまで、膨大な水の管理が必要で、昔の人は森林が水の涵養機能を持っていることを知っていたから、稲作をやっている地域には森林が残るんです。

水田というのは水を溜めますから、平らな平地でしかできませんし。傾斜地は段々畑にするしかない。だから、土地を荒らさなかった。

インドでも東のほうは稲作地帯で、森林が残っているんです。

一方、地中海性気候の地域は冬期に雨が集中する。秋に種を蒔いて、春に芽を出す、秋蒔き小麦です。そしてタンパク源として、ヤギや羊を飼った。地中海沿岸に広がる荒涼とした光景は、ヤギ、羊がつくった、といわれています。ヤギや羊が土地を荒らすのに加え、小麦は傾斜地でもできますから徹底的に開墾が行なわれた。ヨーロッパは30世代土地を使うと、もう壊滅的な状態になる。だから1000年で土地が使いものにならなくなる。信じ難いことですが、かつてのアルジェリアは古代ローマの穀物地帯だったんですよ。このようにパンと獣肉というのは、自然に対して過酷だった。

スペインも植生の復活が非常に悪い、典型的な地中海性気候です。もう一つには、土壌があまり良くない。最近のスペインは山火事がひどいですね。世界で最悪の山火事地帯になっています。

スペイン人はあの何もない状態が自然だと信じているんです。メキシコは割合植生が豊かだったんですが、スペイン人が移住したときに故郷同様の景色を再現するために、メキシコの木を伐って伐って同じ景観をつくったのです。

宣教師の手紙などを読むと「我々は神の恩寵(おんちょう)のもとに、やっとこの地にカスティリア地方をつくり上げました」なんて書いてあります。

人間は環境の所産ですから、そういう所に育った子供は自然環境の良い所に行ってもピンとこないのでしょう。

求められる政策

ただ日本は森林が多いといわれていますが、一人あたりにすると0.2haしかないんです。国連の稀少森林国の定義は0.1haですから、日本も稀少森林国のぎりぎりのところにいるんです。一見多そうに思えるけれど、人口が多いから、そう豊かではない。一人当たりにすると足りないのです。

ただ、国土面積の3分の2、67%近くは森林で、世界の先進工業国では稀有な存在です。

森林蓄積量の60%までが人工林です。これを植えたときには、総檜づくりの家が最高だと想定して植えた。ところが外材がたくさん入ってくるようになって、パネル工法が主流になりましたから、檜なんか使わなくなった。当時としては、そこまでの予測はできなかった。関税を下げたのも、外圧が強くて仕方がなかったと思います。

逆に農業や漁業は保護しすぎて、産業自体がダメになった。水田を票田に変えてしまったんですね。農業の就労者の60%は65歳を超えているのですよ。10年後に誰が畑で働いているのか、もっと問題にすべきです。

林業はもっと過酷で、1年間に新規に就業する人が1500人しかいません。これは今年度のトヨタ自動車一社の採用人員と同じです。

少子高齢化は経済だけではなく、労働人口の低下も意味します。

日本の森林は非常に条件が悪いんです。放っておけば売れる樹木が育つわけではなく、下草を刈ったり枝打ちをしたり、手間がかかる。ですから生産林としてではなく環境林として利用していくしかないのではないでしょうか。

しかし、日本の法体系では国有林は特別会計になっていて、自分たちで伐って、自分たちで儲けなくてはならない仕組みになっている。環境林として成立させるには、法律も変えなくてはならないところまできているんです。

とはいうものの、日本は中国に抜かれたとはいえ、世界有数の木材輸入国です。アジア周辺の森林は、日本が荒らしてしまったんです。

フィリピンなんて、1960年代(昭和35〜)には世界最大の木材輸出国だったのに、1980年代半ば(昭和55〜)からは輸入国になってしまった。日本が大量に伐って持ってきたからです。よその国の森林を丸坊主にして、日本は環境林だから森林を守っていこう、というわけにはいかないでしょう。

今、日本が輸入しているのは、東南アジアではマレーシアの木です。マレーシアでは森林に住んでいる人たちが、どんどん追い立てられて住む場所を失っています。

ですから、日本では生産林と環境林をはっきり区別して、生産林にはしっかりとお金を投入するようにしなくてはなりません。

生態系はつながっている

日本海側は、びしーっとコンクリート堤防で固められている醜い海岸線が多い。それはダムが多くて土砂が流れていかず、海岸侵食が激しいからです。

ダムのせいで、川が土砂を運び込まなくなっただけでなく、珪酸も止めてしまっている。珪酸は海に流れていって、珪藻、つまり植物プランクトンをつくるんです。

これは世界中のありとあらゆる食物連鎖の基礎になるものです。それができなくなってしまう。

植物プランクトンがいないということは動物プランクトンもいない、魚もいない、怪しげなクラゲが大発生する、という悪い連鎖が起きています。ダムは単に水を溜めているだけでなく、川の成分を変えてしまっているのです。

森と水と土は、日本の必須条件です。

私は40年以上、地球ウォッチャーをしてきました。その感想を一言で言えば「手がつけられないほどに人間が暴走している」ということに尽きます。1965年(昭和40)から2005年(平成17)の統計を見ると、人口が1.9倍に増加したのに対して、世界総生産は4.3倍、世界貿易額は45倍、エネルギー消費量は2.5倍にもなった。その一方で漁獲量は1.7倍、丸太生産量は1.4倍と、人口増加を下回っています。

森林、水産、土壌、水といった、本来再生可能資源が枯渇しつつあるというのは、性急な収奪が原因に他なりません。

象の乱獲がなぜ起きたかというとね、19世紀に普及したピアノが原因の一つです。日本でも1970年代(昭和45〜)、中国ですと2000年(平成12)に入ってからですけれども、中産階級の勃興とともにピアノブームが起こるんですね。

ピアノは象牙だけでなく、黒鍵に使われた黒檀の大伐採も引き起こしました。象牙も黒檀もアフリカが産地です。ですから、私は「ピアノは植民地時代の申し子である」と、いつも言っているんです。

それと印鑑です。1960年代(昭和35〜)に、月賦で印鑑を買えるようになったことで、日本のサラリーマンが2万〜3万円の象牙の印鑑を買うようになった。それで象の大殺戮(さつりく)が起こった。

このように一見関係ないようなことが、つながっている。悪気がないのに、知らず知らず森林破壊に加担していることもあるのです。もっと多くの人に現実を知ってもらうようジャーナリストが発信することも大切ですが、意識して物事を見るように、個々人が見識を鍛えていくことも大事なのではないでしょうか。

  • 米国の西海岸オレゴンでは20世紀はじめに巨木の伐採がおこなわれていた。

    米国の西海岸オレゴンでは20世紀はじめに巨木の伐採がおこなわれていた。
    写真提供:石 弘之さん

  • 象牙海岸には1970年代初期にはこんな巨木も残っていたが、現在はまったく姿を消した。

    象牙海岸には1970年代初期にはこんな巨木も残っていたが、現在はまったく姿を消した。
    写真提供:石 弘之さん

  • 米国の西海岸オレゴンでは20世紀はじめに巨木の伐採がおこなわれていた。
  • 象牙海岸には1970年代初期にはこんな巨木も残っていたが、現在はまったく姿を消した。


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