機関誌『水の文化』50号
雨に寄り添う傘

文化をつくる
「傘の下の空間」を感じる文化

編集部

「変化の兆し」から日本の傘に着目

 傘はかつてステータスのある贅沢品だった。その証拠に、少なくとも昭和50年代までは「包丁とぎ〜 傘なおーし♪」と音声を流してクルマで回る修繕業者が都内にもいた。そういう商売が成り立つほど、直しながら使う人が多かったのだろう。

 民俗学者の神崎宣武さんは「傘の扱いが大きく変わったのは、ビニール傘の登場から」と言い、服飾史家の中野香織さんも「ビニール傘の登場は革命的な出来事」と取材中に指摘していた。いつでもどこでも手に入るビニール傘は便利だ。どこかの傘立てに入れると、自分のものがわからなくなるのは少し困るけれど。

 傘に興味をもって調べていくと、意外なことがわかったと先に述べた。フォルムや素材に強いオリジナリティーをもつ傘が売れていること。自分の好きな色の傘生地や手元が選べるセミオーダーの店や1万本もの傘をそろえた専門店がオープンしていること。こうした、まだ小さいかもしれないけれど「変化の兆し」から、さらに関心は高まった。

情熱を注ぐ人や地域を訪ねてわかったこと

 特集の軸に「傘に強い思いを抱く人や地域」を据えると、傘を巡る新たな動きが見えてきた。

「日本から洋傘づくりがなくなってしまう」と廃業を踏み止まった福井洋傘の橋本肇さん。職人を社員として迎え入れ、和傘の継承に取り組む国内屈指の生産地・岐阜市加納地区の藤沢健一さんと岐阜和傘の研究を受け継ぐ大塚清史さん。従来の傘ではあり得ないフォルムの傘をつくるジョン・ディチェザレさん。楽しくて便利な傘をたくさんの人に届けたいと毎日アイディアを練る林秀信さん――いずれも情熱をもって傘をつくりつづけている人たちだった。

 取材を通じて、人目を惹くデザイン、雨音さえ甘美に響く傘、価格以上の機能を備えた風土に合った傘、日本の伝統を伝える高級な洋傘、文化そのものを継ぐ和傘などに触れた。傘について知らなかったことを痛感するとともに、たくさんの傘が選べる環境にあることを素直に喜びたい。

「傘の下の空間」と自然との関係

 一方、日本の傘は文化と呼べるものなのか。それは海外と比べると見えてくる。

 ディチェザレさんは、和傘のろくろを自分でつくれなかった過去を明かし、「あれこそが日本の文化」と語った。日本の精緻な技術は1つのカギになる。海外から取り入れた洋傘は日本で独自の進化を遂げ、今では外国が日本を手本にしているという。一生懸命つくっていたらいつの間にかトップランナーだったという事実は、日本の特性を表している。

 また、日本人が色とりどりの傘をさして歩く風景を見て感激したディチェザレさんは、歩くことを厭わない日本人と、歩くことを前提とした都市計画も、日本の傘文化を豊かにした要因ではないかと指摘する。

 歩くといえば、イギリスで暮らしていた中野さんは、傘にまつわる日本特有の文化として「相合い傘」を挙げた。2人で肩寄せ歩くとき、傘の下の空間はたしかに特別なものとなる。神崎さんも、枝葉の役割と前置きしつつ、傘がつくる空間を「結界(天蓋)」と見立てた歴史に触れた。

 あまりにも身近なために普段は意識しないけれど、日本の傘は文化と言ってもよいのではないか。特に「傘の下を空間と捉える観点」は、日本人特有のものかもしれない。

 雨のなか、傘がつくる空間に身を置くと、降り方によって変わる雨音、傘の手元から伝わる風の変化、歩く場所によって変わる匂い――こうした多くの情報を傘から、そして五感から受けとっている。大塚さんが言った「日本は『自然と寄り添う』文化」と併せて考えると、日本人にとって傘とは「雨に寄り添う道具」なのではないだろうか。

 傘を手に雨のなかを歩く。それが雨に関する豊かな表現を生み出し、絵画や詩歌で多くの作品を残してきた。傘の下の空間を意識すると、雨の日が楽しくなるかもしれない。



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