機関誌『水の文化』18号
排水は廃水か

人間を扶養する力を持つ水効率とは
潅漑排水の効率化が必要だ

真勢 徹さん

秋田県立大学短期大学部教授
真勢 徹 (ませ とおる)さん

1941年生まれ。北海道大学農学部卒業。国際水資源管理研究所(IWMI)理事等を歴任。 著書に『水がつくったアジア』(家の光協会、1994)他。

塩害を押さえ込めるか

戦後、人工的な潅漑農業が世界中に広がりました。パキスタンやインドの潅漑施設を整備したのはイギリス、フィリピンはアメリカ、インドネシアではオランダがそれぞれ、技術と資本力で潅漑農地を広げていきました。

潅漑排水における「排水」は、「湿地排水」と「乾燥地排水」に分かれます。

湿地排水は、多すぎる水を排除することで、洪水排除と一脈通じるところがあります。日本で排水というと、多くはこちらを意味します。

一方、乾燥地排水は「塩害防止」のための排水。塩害とは、土中の塩が地表に吹き出てくる現象です。パキスタンを例にとりますと、その年間降水量は300mm程度で、日本の約5分の1です。降雨にも川の水にもわずかながら塩類が含まれ、それは長年の間、土中に沈積しています。土に染み込んだ潅漑水が作物の根から吸収されるときに、土中の塩も一緒に、毛細管現象で土の上へ引き上げられます。乾燥地では降水量に比べて蒸発量が極端に多く、このことが塩類化が起こりやすい条件でもあります。塩害が起きた潅漑地では、地表面が塩で真っ白になってしまいます。

塩害は自然の状態では起こりにくい。不適切な潅漑と排水不良や、地下水位の上昇により引き起こされます。世界で、少なくとも2700万haの土地で塩害が広がっているといわれ、現在、塩害の状況がもっともひどい地域がパキスタン、中国西北部、インドです。

この解決のために、乾燥地排水が行われます。まず一挙に水をかけ地表に上がってきた塩を、大量の水で下に押し戻す、リーチング(leaching)という方法を用います。水の量は、作物必要水量の4分の1程度。1年に1回から2回、一挙にかけます。塩分濃度の高いその水は、地区外に排除するために排水します。ですから、潅漑と排水路はセットで考えられるものといえます。

地表に吹きだした塩

地表に吹きだした塩

平らな土地では排水が難しい

乾燥地排水は、言葉にすると湿地の排水より簡単なように聞こえます。しかし、塩害を起こしている土地というのは、ほとんどが真っ平らな土地ですから、塩分濃度の高い水を排水するのに苦労するのです。

今、世界の潅漑農地は、2億8000万haあります。全農地は15億haですから、潅漑農地はその19%を占め、しかも、その7割はアジアに集中しています。パキスタンのパンジャブ平原は1400万ha、世界最大の大潅漑農地で、日本の全農地の3倍以上。いかに広いかがわかります。

しかしパンジャブ平原では、土地の勾配はわずかに5300分の1しかありません。つまり、1mの落差は5.3km離れないと得られない。このような中で塩を除去するには、排水が難しい。ちなみに、日本では、川は100分の1くらいの勾配です。もっと緩やかなのがメコンで、1万3000分の1となっています。

排水を流すには、作物の根の深さより下に暗渠を掘り、さらにその下のレベルに明渠を掘らなくてはなりませんから、明渠の深さは3〜4mは必要となる。4mの深さで水が有効に流れるには20kmの距離が必要となります。しかも、その間の排水路に雑草が生えず、土砂がたまらないようにして、断面を良好に保つ必要があります。しかし多くの途上国では、資金も人手もないため、その維持管理が難しいのが現状です。しかも、牛が排水路を渡ると、法(のり)面が崩れてしまいます。

こんな具合で、潅漑設備が整備されても排水がうまくいかないために、塩害がどんどん広がって効率の悪い農業経営に陥ってしまうのです。排水の面から見ても、農業の生産環境はどんどん劣化していっていると言ってよいでしょう。

世界の潅漑農地の内、パキスタン、インド、中国を中心に2700万haが塩害を被っており、これは世界の潅漑農地の10分の1を占める大変な事態なのです。

潅漑効率を上げる

潅漑農地で作られる農産物は、世界の農産物生産量の4割。潅漑農業での単位水量あたり収量は天水農業の2倍ですので、これから増え続ける人口を養うために、潅漑農業の役割は非常に重要です。しかし15年前にアジアの各国を調べたとき、潅漑と排水が両方セットになって効率的に使用されている農地は約6割でした。多くは、排水が機能していないのです。

現在、潅漑が可能な地域はほぼ開発し尽くされており、これ以上潅漑農地を大幅に増やすのは無理でしょう。むしろ潅漑効率を上げることで、新たに水を確保したのと同じ効果が得られます。例えば100万tの水の全部が作物の生育に有効に働けば、それは潅漑効率100%と考えられます。しかし、そのようなことは蒸発散などのロスもある以上ありえません。私たちは100万tの内60万tが有効に使われること、つまり60%の潅漑効率を得られればと考えています。これは現実的には相当良い状況ですよ。私の印象としては、世界の多くの潅漑農地で平均50%以下であることは間違いないし、ひどい所では20%という所もある。パンジャブなども、少ない水を広くばらまきすぎているので、潅漑効率は低いのが現状です。現在の潅漑効率を仮に50%として、それを10%上げれば、2800万haという日本の農地面積の5〜6倍程度の農地を作ったのと同じ効果があるわけです。今ある2億8000万haの潅漑効率を上げることは、現実的な選択肢です。

水管理組織のいろいろ

潅漑効率を上げる方法は、ハードとソフトの両面があります。

ハード面では、水がどんどん地中に染み込んでしまうような土水路ではなく、水のロスが少ないコンクリート水路にするような事が挙げられます。

水路システムは人間の血管のようなものですから、ゲートを制御しないと水量の調整ができません。ゲートの操作は誰かがしなくてはならないわけで、それがなされていない事例はいくらでも見られます。ハードの施設整備は必要ですが、それを操作管理するソフトのほうがはるかに重要です。

このソフトの主体を担うのが水管理組織で、日本でいえば土地改良区ですね。英語ではW U A(water users association)と呼ばれます。これにも千差万別があります。

カザフスタンのシルダリア川の中流にクジルオルダという潅漑地区があるのですが、そこで世界銀行の技術者と意見交換をしたことがあります。ソ連邦が崩壊したために資金が途絶し、潅漑システムが崩壊してしまうというので、彼らは調査に来ていました。彼らの処方箋は「日本には土地改良区というすぐれたソフトがある。それをここでも作ればよい。必要な管理経費は組合費として徴収すればよい」というものです。彼らは、制度を作れば、すぐに機能すると思っていたのです。しかし、事はそう簡単には進みません。

水利共同体がうまく機能するには、いくつもの必須条件があります。それをみんなが理解して、コンセンサスが成り立ち、はじめて制度は機能します。日本で土地改良法が成立したのは1949年(昭和24)ですが、土地改良区がうまく機能している背景には、室町時代からの水争いの苦い経験が蓄積されていることが大きいでしょう。自分勝手な言いたい放題の態度では共同体組織は成り立たないということを、みんなが知っています。「言いたいことを少し押さえることが全体の利益につながる」というコンセンサスが成り立つまで、400年かかっている。そのことを理解しないで、制度だけを移植できるわけがありません。

カザフスタンの場合、私は「彼らはこれまでソ連邦の管理体制で労働者として農業を営んできた。そこに自主的な管理組織を持ち込み、自分たちの創意工夫で運営しろというのは非現実的だ。むしろ、会社組織のほうが望ましい」と言いました。水供給施設の管理には資金が必要で、使用者は水の量に応じて、つまり従量制で料金を払います。こういう地域では、水管理会社と受益者との間で契約が発生するような関係が現実的です。一方、多くのモンスーンアジアの途上国では、会社方式ではなく、土地改良区のようなもののほうが適しています。システムの選択には、その土地の歴史に適しているかどうかも、よく見ないといけません。

水利的分権統治

水利共同体としてうまく機能する条件は、2つあります。1つは帰属意識を持つことです。自分はその水利組織に所属しているメンバーの一員であるという意識です。もう1つは所有者意識があることです。所有者意識というのは、水や施設に対して「おらが財産」という意識を持つことです。

(たとえ)話で、公共バスと自前の自転車という話をよく学生にするのです。隣町に行くとき、あなたは公共バスと自分の自転車のどちらを選びますか? 公共バスならスピードも早い。ところが、途中で故障してしまうかもしれない。そのとき乗客であるあなたは、運転手と協力しあって、バスを修理するでしょうか。普通はしませんね。乗客にとって負うべき義務はバス料金を払うことで、しかも、すでに払っている。帰属意識も所有者意識もないから、文句は言っても、自分で修理はしない。一方、自転車だと遅いかもしれないけど、自らメンテンスをし、自分のペースで目的地にいくことができます。

大規模潅漑がうまくいっていないのは、公共バスと同じだからですね。それに比べ、昔の溜池のような小規模潅漑は自分の自転車のようなもので、一見非効率的に見えながら結果的に目的を達するには適しているかもしれない。この両者の違いは、帰属意識、所有者意識を持つ仕組みができているかどうかにかかっています。

例えば、水路の分岐点毎に水溜、調整池を作ってはどうでしょうか。用水の水は、調整池がなければフローのままで、流れている水を「自分のもの」と判定することは不可能です。しかし、仮に農家が共有する用水の一番上の所に調整池を作ると、上流から流れてきた水が一旦ストックされます。ストックされることで、所有者意識が生まれます。フローのストック化によって、所有者意識を持つことができるのです。調整池の水が、我々の生命線で、きちんと使えば生活も良くなるという意識が共有されます。したがって、調整池の水をいかに効率よく使うか、作物の選定はどうするかなど、みんなで公平に協議しようという出発点になるでしょう。

私は、これを「水利的な分権統治」と呼んでいます。調整池がないと、用水のおおもとの取水口である頭首工の管理者が、中央集権統治者のように下流の水を握ってしまう。こうなると、農民はただのお客様になって、公共バスと同じです。自分の財産とみなすか、お客様としてふるまうかで、かかわろうとするインセンティブが違うのです。人間、個人であれグループであれ、何か動機があって動きます。動機が明白であればあるほど、行動の方向性も明確になります。

さて、日本の土地改良区は、その数、大雑把に7500あり300万haの水田用水を管理しています。1改良区あたり450haの計算になります(大潟村の管理面積は1万1760haで、特別)。多くは江戸時代からの小規模な水利共同体を土地改良区にしたものです。ですから、うまくいっていると言ってよいでしょう。

一方、エジプトのケースはユニークですね。土地が真っ平らなので、農地を掘り下げて用水路をつくった方がつくりやすい。ですから構造上は、排水路と同じようなものですね。低い用水路の水は上ってきませんから、農地に水を入れる時には、サキアと称する円盤状の揚水機を使います。牛の畜力で、サキアを回転させ水を入れるのです。その揚水は個人単位で行っています。

平坦地での排水路と同じような水路ですから、その水は流れているというよりも、そこに溜まっているようなものです。ですから、彼らにとって、水は人為的に分配されるものではなく、地下水と同じような意味を持っているのです。つまり、水利共同体という考え方は、エジプトには無い。エジプトの潅漑は個人潅漑なのです。考え方としては、アメリカの農民に近いでしょう。

現在、世界銀行などが、グループ化することで水管理組織を作ろうとしていますが、彼らにとっては余計な御世話かもしれません。

エジプトの揚水機サキア

エジプトの揚水機サキア

効率とは何か

潅漑効率を上げることは重要なことです。ただ、ここで「効率」という言葉に注意しないといけません。この点について、私の考えを話したいと思います。

第3回世界水フォーラムでも、水需要が逼迫し水戦争が起きる危険性があると言われましたが、欧米人らの論理の基本には、Crop per Drop、つまり、単位水量あたりの生産量を重視する姿勢があります。しかも、それを貨幣換算しています。したがって、単位水量あたりで貨幣価値の高い作物を作れば作るほど、水効率がよいという考え方になります。

この論理を進めると、例えば「世界中の潅漑農地でタバコをつくればよい」ということになってしまいます。穀物は効率が悪いから、効率の良いタバコをつくって、朝から晩まで吸っていればよいということになる。

貨幣換算で水効率を計ると、このように冗談のような話が生まれます。また、金や力をもっている人が水を独占し、弱者は得られないという不公平が生まれることも問題です。

さらに、このような水効率を追い求めると、水資源の持続性を利用者が考えなくなるという問題もあります。

例えば、オーストラリアのマレー・ダーリン川流域では、1枚当たり50haという大農場が輸出を目的とした企業的稲作農業を行っています。本来稲作に適さない土地ですから、現在、塩害が起きています。おそらく、その土地は10年ともたないでしょう。

同じ事は、アメリカ西部でも見られ、潅漑のために地下水の過剰揚水を行い、その結果塩害が起きると同時に、地下水が干上がっています。持続性が考えられていないのです。

これらの地域では、降水量が少ない上に、雨期乾期のない、年間を通して平均して雨が降るという特性があります。こうした気象条件の場所では、牧草の生産が一番適しており、ヨーロッパに酪農農家が多いのにはちゃんとした理由があるのです。それなのに潅漑することで稲作が可能になって、経済効率優先で稲作が行われ、塩害を引き起こしている。こうした持続性を考慮しない現状を見ると、不健全な稲作であると言わざるを得ません。

水の効率を上げることは、確かに絶対に必要です。100年前に比べ、世界の人口は3倍に増え、水使用量は6倍に増えています。現在、おおよそ世界で3兆7千億tの水が年間使われ、その内の2兆6千億tが農業用水です。その利用効率を10%上げれば、新たに2600億tの水を生み出すのと同じ効果がある。ですから、農業用水の効率化が人類社会で大きな課題であることはまぎれもない事実です。ただ、その効率化の定義が問題だと言いたいのです。

私は、世界の63億人に等しく公平に水分配されるという公平性が必要、と唱えています。それと、もう一つは持続性をどう定量的に評価するか。そこで、私は「Person per Drop」と言っています。つまり、単位水量当たりの生産量を問題にするのではなく、何人の人間を扶養できるかに注目すべきなのではないかというわけです。

アジアは水利共同体社会

全世界の人口の6割がアジアに集中し、潅漑農地の7割もアジアにあります。当然、アジアの稲作の水効率を論じるときに、単なる経済効率の話でよいのかは問題になります。

アジアの農村社会では、水田を核にした連帯意識が水利共同体社会を支えています。それに比べ、欧米の潅漑農業は利益追求型個別経営の側面が強い。

この3年間、カンボジア、ラオス、スリランカ、インドネシアの農家の意識調査をしました。カンボジアは、半分以上が洪水氾濫原農業で、作付面積も河川水位任せのようなところがあります。ラオスは洪積台地でのポンプ潅漑。スリランカは大昔から溜池文化。北海道くらいの広さの島国ですが、南西部の多雨地帯とそれ以外の乾燥地帯に分かれており、乾燥地帯では親池、子池、孫池とつながっており、水の徹底的な有効利用をして生きてきた歴史があります。インドネシアは火山の傾斜地で、火山からの伏流水による傾斜地農業。訊いた相手は122名で、4カ国の平均年収は約4万円から11万円です。

思った以上に鮮明に傾向が出たのは、「今現在の所得を上げたいですか。それとも、将来の地域社会の持続的な環境維持を重視しますか」との質問に、後者を選んだ人が85%を占めていることです。比較のために、地元の秋田県大潟村でも同じ設問をしました。大潟村では24%です。

「営農面で共同作業が必要かどうか」という問いには、4カ国では76%が必要と答えています。

「自分のファミリーを優先するか、集落内の公平性を優先するか」という問いには、89%の人が集落の公平性を優先すると答えました。大潟村で村の公平性を優先した人は45%。「冠婚葬祭を含めた、日常的な生活面での協力は必要か」と訊いたら、4カ国は100%が必要と答えている。大潟村では50%です。大潟村は日本でも、もっとも近代化された村ですから、この差はよくわかります。大潟村の農業というのは、アジアの伝統的な農村と、欧米の企業型農業の中間にあると理解しています。

分配を見直さなければ

雨期と乾期が極端に違うアジアモンスーンという風土は、稲作文化を育て、共同体でないと生きていけない一種の監視社会を構築してきました。一方、欧米は半乾燥地域で、冬は日射が少ないため積算温度が足りません。毎月60〜70mm程度の天水で、気温が上昇した季節にできるような作物は、人口扶養力も低い。

例えば牧草の場合、牧草を餌という形で利用して、動物性たんぱくにエネルギー変換するわけですが、変換に伴うロスを考えると効率の悪いやり方です。世界では、麦類と粗粒穀物で毎年12億tの収穫がありますが、その半分以上は家畜の餌用です。米だったら、1tの米はそのまま人間が食べるから効率的には100%。世界の農地の3分の1がアジアにあり、それで世界人口の6割の食糧をまかなっています。こうして比べると、欧米の半乾燥地の農業は、本当に人口扶養力が低いのです。

次には、これら収穫物の配分の公平性の話です。途上国と先進国の一人当たり年間の穀物消費量をべてみると、途上国は一人250kg程度ですが、先進国では635kgになります。先進国の人1人を養うために、途上国の人たち2.5人分の穀物を消費している勘定です。

さらに、アメリカは900kgで、インドの190kgと対称的です。私はアメリカの西海岸を訪れたとき、異常な数の人々がジムで自転車をこいでいるのを目にしました。多く食べ過ぎて肥満になった分を、無理矢理消化しようとしているのです。カンボジアの国家予算600億円に相当する金額が、アメリカ女性の脂肪吸引施術に費やされているという報告もあります。現在の穀物総生産量が18億tですから、60億人で分ければ1人あたり300kgが分配される計算になります。公平な分配が行われていたら、1日の摂取カロリーが2500kcal以下という、飢餓線上にある人間もいなくなるはずです。

途上国では、例えば一人年間100kgの米を食べ、30kgの動物性たんぱくを食べるといった穀物中心型の食生活です。片や、欧米では例えば一人年間30kgの穀物と100kgの肉を消費します。その場合、欧米型の食生活を維持するために必要な水の量は約1200tで、途上国型の穀物中心食生活だと500tになり、収穫物だけでなく水の配分にも不公平が生じているのです。その理由は、1kgの米を作るのに、2tの水を使い、1kgの肉を作るには、10tの水が必要だからです。このことから、欧米の半乾燥地の農業は人口扶養力だけでなく、単位水量当たりの効率も悪いことがわかります。

これから水需要が逼迫すると、水不足が顕在化するのは必至です。すでに起こっていることですが、食糧不足も深刻になるでしょう。こうなると人間の尊厳を保てない地域も出てきます。生産効率を上げることも大切ですが、その前に現状の不公平をどうしたら解消できるのかを考える必要があります。

土地資源や水資源は、もはやこれ以上は増やせない状況ですが、この問題には水利用の効率を上げることで応えることが可能です。しかし、分配の不公平が改善されない限り、いくら収量を上げても効果が薄い。人類は、そろそろ農産物の配分の見直しにまで踏み込んでいかないとならない岐路に立っていると、私は思っています。

【見て歩いて考えた八郎潟】

ヘドロに沈むトラクター

「村に来た初めのころは、田圃にトラクターがどんどん沈んで、乗っている人間の首くらいまで埋まってしまうことがあった。仲間が総出で、周囲の土を掘り返したり、丸太を車輪の下に入れて助け上げた。ここにいる連中は一度はそんな目に遭っているよ」

こう話してくれた高野さんは、1968年(昭和43)に大潟村に入村、研修を受け、翌年から営農を開始した第3期の入植者。

「トラクターは6人に1台だった。全員の田圃の田植えをするのに夜通し働いて、順調にいっても1ヶ月以上かかったぐらいだから、作業途中に沈んだからといって、放っておくわけにはいかない。必死で引き上げた。ヘドロとの闘いだね」

こんなことの繰り返しでは仕事にならないと、苦しい家計をやりくりして、徐々に個人で大型機械を購入していったという。

八郎潟はかつて琵琶湖に次ぐ日本で2番目に大きい湖だったが、最深部でも5m。そのためこの汽水湖を干拓する話は、江戸時代から幾度となく計画され、実際に湖岸各所で小規模の干拓が行われてきた。

戦後、食糧増産を求める声に応え農林省によって再び開発の対象となるが、一度は断念。オランダの技術支援、世界銀行の支援を受けて、国の直轄事業として1957年(昭和32)「国営八郎潟干拓事業」が着手された。1966年(昭和41)に干陸、引き続き「新農村建設事業」が進められ全国のモデル農村づくりが進められた。実際は入植直後から減反指導が始まっているから、食料増産のみならず、人口増に対応する新天地としての機能も求められていたようだ。

当初の入植者は全国から589名が集まったが、営農開始とともに泥との闘いに直面することになった。

大型機械を安心して動かせる程度に表土を硬くするため、石灰を撒き土壌を中和させたり、暗渠を下げて排水を促したりする苦労を重ね、生ヘドロの表面が酸化して固化し始めるまで10年ほどかかったそうだ。そうは言っても、このヘドロこそが稲作にとっても肥沃な土壌で、なくしてしまうわけにはいかないものなのだ。

こうした経験談をうかがうと、干拓地大潟村の生死を分けるのは排水であるといっても過言ではない。

秋田県立短期大学はこの大潟村の中心地区にある。その前身は農業講習所であり、現在は「生物生産学科」「農業工学科」の2学部。大学案内パンフレットを開くと「地域社会の中でこんなお手伝いができます」と全教員の得意技が紹介されている。ここは大潟村農家のよろず相談所でもあるらしい。

編集部では、農業工学科助教授近藤正さんに大潟村を案内していただいた。

  • 大潟村干拓博物館には、入植当時の様子が展示されている

    大潟村干拓博物館には、入植当時の様子が展示されている

  • 秋田県立短期大学の近藤正さん

    秋田県立短期大学の近藤正さん

  • 大潟村干拓博物館には、入植当時の様子が展示されている
  • 秋田県立短期大学の近藤正さん


八郎潟の干拓

八郎潟は内海で、JR男鹿線の天王駅と船越駅の間にある船越水道で日本海とつながっていた。ここに防潮水門を造り海水を遮断、内海の中央に大きな中之島をつくるように延長51.5kmの堤防を築いた。堤防を造る際、主となったのは砂置き換え工法。大潟村の命綱とも言うべき堤防は、湖底のヘドロをいったん取り除き、砂と置き換えてから盛り土するという大変な労力を費やして造られたものだ。

次に堤防で囲まれた内部の水をポンプで排水、半年後には湖底の半分が陸地となった。堤防で囲まれたのが現在の中央干拓地で、面積1万5666ha。山手線1周分が軽く入ってしまう広さだ。

中央干拓地は、東、西、北側を承水路(排水を承ける水路)に、南側を調整池に取り囲まれている。中央干拓地からの排水は、南部、北部、方口排水機場の3カ所から、東部承水路、調整池へと排水される。潅漑用水は干拓堤防に設けられた19カ所の取水口から取り入れ、幹線用水路をへて、各圃場へと供給されている。

年間降水量は1300mmで日本海側としては少ないが、承水路と調整池には21本の川から貯水量の約11倍の水が流れ込んでいる。したがって、承水路での滞留時間は短く、平均で約30日。承水路と調整池で一時調整し、防潮水門から日本海に排水している。

これらの排水、取水の管理によって、西部承水路は海抜プラス35cm、東部承水路及び調整池はプラス1mに水位調整され、水の給排水がスムースに行われるよう最初から計画されているという。この水位コントロールの要が南部排水機場である。

  • 大潟土地改良区管内図

    大潟土地改良区管内図

  • 樹木で囲まれた居住エリアから東方を望む。住宅の屋根が入植年次別に色分けされている。地盤が柔らかく、沈んでしまうため、住宅は一カ所に建設された。

    樹木で囲まれた居住エリアから東方を望む。住宅の屋根が入植年次別に色分けされている。地盤が柔らかく、沈んでしまうため、住宅は一カ所に建設された。

  • 大潟土地改良区管内図
  • 樹木で囲まれた居住エリアから東方を望む。住宅の屋根が入植年次別に色分けされている。地盤が柔らかく、沈んでしまうため、住宅は一カ所に建設された。


大潟村の水管理

地方自治体としての大潟村は、1964年(昭和39)10月1日に誕生した。

入植者は基本的に6人が一つのグループとなり、当初は機械も共有していた。圃場は大型機械による合理的な作業が行いやすいように、90m×140m(1.25ha)に造られた。600m×1000m(60ha)の区画を6人で割って、1人が8枚の圃場、つまり10haずつが割り当てられた(のちになって5haが追加)。グループとしてどの区画になるかまず抽選し、次に区画内のどの圃場を選ぶかを抽選で決めたという。

圃場は短冊状に並んでいて、長手に面して用水路と排水路が交互に配置される。用水路も排水路も勾配をうまくとって(3500分の1)、幹線水路に流れ込むよう造られている。

各圃場に水を供給する小用水路は一番奥の圃場までくると行き止まりになる。小用水路には水をいっぱいに満たして使用する、という考えで計画されたからだ。実際には上流の圃場を持つ人と下流とでは差が生まれるわけで、水争いで仲が悪くなるグループもあるらしい。道路も行き止まりになっているので、最下流の人は行って帰るだけで2kmも車を走らせなければならないといった不公平もある。

「土地改良組合は、紛争には介入はしません。基本的に、当事者による話し合いでうまく折り合いをつけてもらっています」

と話すのは、大潟土地改良区の田中昭博さん。

土地改良区の組合員数は、2003年4月1日現在で2155名とのこと。人間関係がうまくいっているグループでは、圃場を交換したり、上流にある取水口の管理を交代でしたりして、争いを回避しているところが多いという。

「6名のグループから代表を1名選び、同一用水系の代表から成る水系委員会をつくっています。さらにその水系委員会の代表者が集まり、管理委員会をつくります。時間単位のローテーションでどの水系から取水するか、といった水管理にかかわることは管理委員会の話し合いで決められます。19ヶ所の取水口を管理するために、8人の管理者を4〜9月の間雇っています。この人たちの雇用は、管理委員会の管轄ではなく、組合が行っています」

現在でも、年間約70cmほど地盤沈下が進むので、補修、維持管理が欠かせない。

  • 大潟土地改良区の田中 昭博さん

    大潟土地改良区の田中 昭博さん

  • 田圃末端の小排水路

    田圃末端の小排水路

  • 大潟土地改良区の田中 昭博さん
  • 田圃末端の小排水路


八郎潟干拓の次なるステップは

近藤さんは、干拓地の水質を調査し、環境負荷の低い農法等について研究している。

「近年アオコが発生することが多く、八郎潟では水質が問題視されています。ただ代掻き後に排水された水は濁ってはいますが、汚染されているわけではなく、適度な養分も含まれています。光を遮ることからかえってアオコを抑える効果もあり、ただ濁っているからいけないと考えるのは早計のように思います。大潟村では、化学肥料使用量も全国平均の四割程度。ただ有機肥料は効きが遅いためやりすぎるきらいがあり、これが流出するとアオコの発生につながります。水質に負荷をかけない循環農法の可能性を探るのが、私の研究課題です」

初代の入植者がそろそろ70代後半に差しかかり、モデル農村として計画された大潟村は、言葉にできないほどの苦労を重ねながらも2代目、3代目に引き継がれようとしている。

堤防強化のために植えた西洋ポプラは、大きく育ったものの約40年で枯れ始めているそうだ。開拓村の歴史も、ほぼ40年。この地に合った植生を、という近藤さんにとっても、大潟村は第二の故郷となりそうである。

モデル農村であるがゆえに戦後農政の変化をまともに被った大潟村。だが40年を経た今、この土地の持つ意味を冷静に評価する時期が来ている。

  • 南部排水機場

    南部排水機場

  • 代掻きで白濁した排水が南部排水機場から押し出されている。

    代掻きで白濁した排水が南部排水機場から押し出されている。

  • 用水路に波形のコルゲート管を使っているのも、軽くて沈下しづらいから、という経験から出た知恵。(コルゲート管用水路)

    用水路に波形のコルゲート管を使っているのも、軽くて沈下しづらいから、という経験から出た知恵。(コルゲート管用水路)

  • 南部排水機場
  • 上:代掻きで白濁した排水が南部排水機場から押し出されている。
  • 用水路に波形のコルゲート管を使っているのも、軽くて沈下しづらいから、という経験から出た知恵。(コルゲート管用水路)

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