機関誌『水の文化』20号
消防力の志(こころざし)

消防車メーカーが語る消火の現場

浅田 栄治さん

株式会社モリタ
常務取締役ポンプ事業本部副本部長
浅田 栄治 (あさだ えいじ)さん

消防は、消火とレスキュー

当社の創業は、創業者の森田正作(しょうさく)が消火器及び消防ポンプ機の製作を始めた1907年(明治40)まで遡ります。

東京は何度も大火に見舞われたこともあって、火消しが盛んな地域でした。森田正作は社会的貢献を強く意識していた人物だったようで、1907年に始まった消火器及び消防ポンプ機の製作も、個人経営の形で火防協会を設立し、大正時代にはドイツまで勉強に行っています。

1932年(昭和7)に、それまで手で押していたポンプ(腕用ポンプ)にガソリンエンジンをつけたことが、会社としての発展の契機になりました。すでにエンジン技術は他分野で発達しており、それを応用しようというひらめきがあったのでしょう。翌年には、はしご車を開発します。はしご車といっても、木のはしごを車に積み、ギアを使い手動で起こしていくようなものです。技術としては拙いかもしれませんが、現在の消防の考え方を技術として形にした点で、なるほどと思います。

現在の消防の考え方は、「消火活動」「救助活動」、そして「救急活動」から成り立っています。消防車といえばポンプ車とはしご車ですが、これは消防というものが消火(ポンプ車)とレスキュー(はしご車)から成り立っていることを示しています。

1948年(昭和23)に各自治体で消防を担う制度ができ(消防組織法に基づく自治体消防)、消火とレスキューという2つの考え方が謳われ、高度成長期にそれが確立しますが、消防車においてはこれに先駆けて技術面から実践していたということです。

  • 下:はしごを持つ消防車は、1933年(昭和8)に日本で初めて開発された。木製だが、伸長が18mもあるはしごである。ちなみに現在では伸長50mのはしご車を受注生産している。

    下:はしごを持つ消防車は、1933年(昭和8)に日本で初めて開発された。木製だが、伸長が18mもあるはしごである。ちなみに現在では伸長50mのはしご車を受注生産している。

  • 上左:現代の消防車において、レスキューの働きは、日増しに重要となっている。はしごに加えてクレーンや照明が備えられ、自動車事故など多様化した緊急事態への救命装備が満載されている。 上右:1910年(明治43)に開発された、日本初のガソリンエンジンで動く消防ポンプ。

    上左:現代の消防車において、レスキューの働きは、日増しに重要となっている。はしごに加えてクレーンや照明が備えられ、自動車事故など多様化した緊急事態への救命装備が満載されている。 上右:1910年(明治43)に開発された、日本初のガソリンエンジンで動く消防ポンプ。

  • 下:はしごを持つ消防車は、1933年(昭和8)に日本で初めて開発された。木製だが、伸長が18mもあるはしごである。ちなみに現在では伸長50mのはしご車を受注生産している。
  • 上左:現代の消防車において、レスキューの働きは、日増しに重要となっている。はしごに加えてクレーンや照明が備えられ、自動車事故など多様化した緊急事態への救命装備が満載されている。 上右:1910年(明治43)に開発された、日本初のガソリンエンジンで動く消防ポンプ。

誰もが操作できる

私たちは、消防署や消防団の方々の声を聞き、開発に活かしています。

昭和の末ごろのはしご車は、はしごを動かす操作を下で行なっていました。救助しなければならない人が10階にいるのに、地上ではしごを動かしていたのです。はしごの先端に乗った人が上から、はしごを「上に」「左へ」と指示を出し、それを受けとめて下で操作するわけです。現場の騒然とした中で、はしご上からの指示を理解するのも容易ではなく、また大きくレバーを動かすと、はしごが早く動いてしまうこともあって、ベテランしか操作できませんでした。ですから、若いころからはしごを操作していると、なかなか配置転換させられません。消防職員の人事異動が固定されてしまうわけです。しかも、そういう人も非番は休みますから、ベテランを何組も育てる必要がありました。

結局、現場ではしごを操作している人から、「上で動かしたい」という話をいただき、上に操作台を設けたバスケット式と呼ばれるはしご車を開発しました。はしごの先端に自分が乗って操作できれば、早く、安全に、正確に助けを求めている人にたどり着くことができます。1985年(昭和60)ごろから納入しました。

今の消防車へのニーズは、安全でシンプルで全自動、というのが大きな流れです。全部コンピューター制御ですので、非常に簡単に操作できます。誰もが、少しの知識で、少しの訓練で使えるようにしたいという要求を実現したのです。実際、今のはしご車は、誰でも操作できると思います。

ポンプ車も同様ですね。以前のポンプの基本操作は、エンジンをかけたまま車のギアをニュートラルにしておき、ポンプへのギアを入れると、エンジンとポンプがつながるようになっていました。吸水管を水がある場所に落とし、真空ポンプで水を揚げ、コックを開き送水する。操作の順番やタイミングを間違えると水は出ません。これらの一つひとつの操作を手で行なっており、水が揚がってくる感覚、ポンプを入れ替えるタイミングなどを覚えておかなければなりません。しかし、今はボタンをポンと押すだけですべてが自動でこなせます。

消防団員は、日頃は役場の人だったり、商店街の店主だったりするわけですから、そういう人が、消防職員と同じような訓練をしないと水が出ないというのでは大変です。せっかく現場に駆けつけても、水が出ないのでは役に立ちません。操作の訓練をそれほどしていない人でも、ボタン一つで操作できれば、失敗することもなくなります。消防団員にとっては楽になったと思います。こうした改善は、消防団員の要望を聞いた結果でもあります。

消防団というのは、真っ先に現場に駆けつけることが可能な地域密着型の組織です。「早い」ということは、初期消火に大変有効なので、プロでなくても扱うことができる消防車が役に立ちます。

事前に開発する先進性

消防車の開発というものは因果なもので、災害が起きることで、技術が前進するという側面があります。しかし、私たちに求められているのは予め災害を想定して開発するという先進性です。例えば、1950年(昭和25)には、すでに30mのはしご車を開発しています。30mということは、だいたいマンションの10階に相当する高さです。来たるべき都市の高層化を予測しての技術開発の一例です。

実際に1973年(昭和48)に起きた熊本の大陽デパート火災(死者103名、負傷124名)では、熊本市には32mはしご車が1台しかなく、周辺の久留米や福岡から集めました。このことをきっかけに、各自治体がはしご車の整備を痛感するようになってきたという記憶があります。

しかし1995年(平成7)の阪神淡路大震災のときは少し違っていました。「考えもつかなかったものが必要であった」ということがわかったのが、この震災でした。

その一つがシリウスという救助資機材です。昨年の新潟県中越地震でも使われています。東京消防庁のハイパーレスキュー隊が、がれきの中に埋まっている小さな子供を助けたときに使われた救助資機材です。電磁波の戻ってくる状態から、生存者の心臓の動きを確認するものです。心臓の動きが描く波形で、他の動物と人間とは識別することができます。こういう機材は、阪神淡路大震災以前はまったくありませんでした。

阪神淡路大震災では、がれきの中からやっと掘り出した被災者が亡くなっていることがよくありました。そこにたどり着くまでの3時間、もしかしたら横に生存者が埋まっていたかも知れません。でも、それがわからなかったのです。初めてそういう現実に遭遇し、震災以降、このような機材がたくさん開発されました。

震災以降注目されているものに、救助工作車があります。救助専門の消防車で、瞬く間に全国に配備されました。カッターや発電機など、いろいろな資機材を積んでいます。

さらに、新たな危機として意識されているのはテロです。海外ではテロ対策機材を積んでいるものがありますが、日本でもこれから求められるようになるでしょう。爆発物とバイオガスやケミカルガス、放射能などに対応するものですね。こんな考えは、私が入社した1977年(昭和52)には想像もしなかった事態です。日本でも、いくつかの政令指定都市にはすでに配備されていますが、おそらくあと5年ぐらいたつと広まっていくことでしょう。

  • 川西市のポンプ車の積み荷を見せてもらった。ドライバー側の積載品が、すべて救急(レスキュー)にかかわるものだったのには、驚かされた。

    川西市のポンプ車の積み荷を見せてもらった。ドライバー側の積載品が、すべて救急(レスキュー)にかかわるものだったのには、驚かされた。

  • 消防の用具は、座席の背後とナビゲーター側に積まれていた。

    消防の用具は、座席の背後とナビゲーター側に積まれていた。

  • 川西市のポンプ車の積み荷を見せてもらった。ドライバー側の積載品が、すべて救急(レスキュー)にかかわるものだったのには、驚かされた。
  • 消防の用具は、座席の背後とナビゲーター側に積まれていた。

大容量の消防水利

阪神淡路大震災の教訓は非常に大きいものでした。あのときは同時多発火災で、消火栓から水が出ないという事態が起きました。消火栓は水道を利用していますから、消火栓を一斉に開いて消火したため、圧力が出せなかったのです。あらかじめ、あれだけの火災が起きることは、想定できませんでした。

その後すぐに開発されたのが、自然水利を大容量で吸い上げ、それを枝葉に細かく分けて送水する大容量放水システムです。従来のポンプ車は、長さ20mくらいのホースを積んでいるのですが、重さで約10kgほどもあるホースを神戸港から市内まで多数つなぎあわせるのは大変です。大容量放水システムでは、4t車一台にホースを100m分積んでいます。神戸市には、これに自動でホースを展張(てんちょう)する車をセットして納入しました。

これは、町中で広範囲の火災が起きて消火栓では水が足りなくなったとき、涸れない水源から取水しようという発想からできた装置です。震災の反省から生まれたものですね。非常時のものですから、そんなに売れませんが。

ただ、この「大容量の消火剤」という考え方は、2003年(平成15)の苫小牧での石油備蓄タンクの火災でも再確認させられました。

もともと石油備蓄タンク火災は消防庁でも非常に気を遣い、コンビナートにおける消火機材は法律で定められています。1974年(昭和49)岡山県倉敷の水島コンビナートで火災が起きたときも、法令通りの設備で消しましたので、私たちは安心していました。しかし、苫小牧の全面火災は想定していませんでした。それまで想定していたのは、タンクから漏れた油が燃えるとか、二次火災で、タンクの屋根のあたりが燃えるとか、その程度のものです。小樽のように屋根が落ちて、タンク全部が燃えるなどということはまったく想定していません。あれは「消した」というよりは、結果的に「燃え尽きた」わけです。

その後消防庁とメーカーで話をして、ここでも注目されたのが「大容量」という考え方です。泡を大容量で打ち込まないとあのようなタンク火災は消えません。今までは、毎分3000rを打ち込める車を備蓄量に応じて何台か装備していました。しかし、今開発しているのは、一つのセットで2万5000〜3万リットル/分打ち込める消防システムです。これが2セットくらいあれば、たぶん苫小牧のときの火災は消えたと思います。

泡消火といっても、化学液は3%ほどで残りは水です。自然水利でないと、大容量の消防水利はもちません。コンビナートは周囲が海ですから、水の確保は可能ですが、3%とはいえ化学液を積んだタンクローリーが、50台程度並ぶこともあります。

消防車は神輿と同じ?

皆さんは消防車というと同じように見えるかもしれませんが、私たちから見ると一台一台まったく違います。日本の消防車は自治体消防制度を背景に、町や村が購入しますので、村の神輿と同じ感覚を持つことがあります。神輿には、村独自の作法や決まりごとがありますし、隣りの村と張り合うこともあるでしょう。消防車でも、似たような感覚がありました。42mのはしご車で日本一だといっていたら、すぐに43mのはしご車が出たという笑い話もありました。昔は、小さな消防署も消防団も、そういう気持ちで消防車を動かしていた時代があったのです。

また、地域によって土地に合った仕様をつくることもあります。例えば海に近い地域では、消防車は下回りの塗装を錆びないような塗装にするとか。寒い地域では、放水終了後にポンプの中に不凍液が自動的に入って、凍らないようにします。雪の多い所ではスリップしないように四輪駆動にする。こういうことは消防団の中で継承されていて、お客さんのほうから必ず要望が出ます。

積載品も違います。自然水利で対応する地域では、川をせき止めるようなものを積んだりします。一台一台本当に違う。積載物が違えば、それを収納する箇所のデザインも違ってきます。私は消防車を見れば、どういう所で使われている車かわかりますよ。

一方、海外ではそういう地域差はないようで、いたってシンプルです。ポンプがあって、タンクがあって、と規格化された形しかない。おそらく、大量に安価につくるためでしょうね。

昔のような御輿感覚はなくなったとはいえ、まちのシンボルである源満仲公のイラストを消防車のシンボルマークにしているのを発見。

昔のような御輿感覚はなくなったとはいえ、まちのシンボルである源満仲公のイラストを消防車のシンボルマークにしているのを発見。こういったところに、郷土愛や連帯感が生まれるであろうことは、想像に難くない。

消防車市場のこれから

逆にいえば、日本もこれからは、海外の消防車に倣う必要があるでしょう。コストの問題からいっても、規格化しないと生き残れません。当社でも、誰もが使えて機能が満たされた新世代消防車を提案するようになっていますが、市町村合併が盛んになっていることが追い風になっています。市町村合併で地域差がなくなったため、規格化させた消防車が受け入れられやすくなるという意外な効用があったということです。

私は入社以来、全国を営業マンとして飛びまわってきました。昔は消防団の1階に消防車が置いてあり、2階が詰め所になっていました。皆さん仕事を持っていますから、打合せは夜になります。風呂上がりに酒が入っているような場合もあって、よく注文をつけられたものです。そういう密度の濃いつきあいができた団は、購入してくれましたね。日本中に消防車が整備されていくという、新規需要が伸びる時代でもありました。

完成すると、20人ぐらいの消防団員総出で工場に見にみえました。今でも神輿と同じように入魂式をする所もあるようですよ。

現在、消防車は全国に約2万6千台あります。ポンプ車だけでも1万8千台はあるでしょう。消防車の寿命は、だいたい10年から20年。これらの更新需要というのが、現在の消防車市場の姿です。



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