機関誌『水の文化』47号
つなぐ橋

石橋・眼鏡橋のある風景

古賀 邦雄さん

古賀河川図書館長
水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄(こが くにお)さん

1967年西南学院大学卒業
水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)に入社
30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集
2001年退職し現在、日本河川協会、ふくおかの川と水の会に所属
2008年5月に収集した書籍を所蔵する「古賀河川図書館」を開設
平成26年公益社団法人日本河川協会の河川功労者表彰を受賞

ヨーロッパの石橋

ヨーロッパ映画を観ていると、アーチ石橋が映し出されることがある。『哀愁』は、第一次世界大戦下、テームズ川にかかるウォータールー橋の高欄に寄りかかり、ロバート・テイラーの演じる将校が、ビビアン・リーが演じる踊り子レスターのことを想い出すシーンから始まる。悲恋物語であり、佐藤清著『橋との出会い』(朱鳥社 2006)に描写されていた。

アーチ石橋の技術は、紀元前一世紀ごろローマに架けられたのが始まりという。これがローマ帝国の欧州制覇につれて各国に拡がった。中国では、紀元610年ごろ逍州橋が架けられ、その後日本に伝わってきた。

成瀬輝男著『ヨーロッパ橋ものがたり』(東京堂出版 1999)には、橋梁施工に携わった筆者が、フランスのアヴィニョン橋、第一次世界大戦の導火線になったボスニアのサラエボの橋、ノーベル賞受賞小説の舞台となったポスニアのドリナの橋、トルコのミマール・シナンの架けた橋などを綴る。

ウィルバー・J・ワトソン、サラ・ルース・ワトソン著『歴史と伝説にみる橋』(建設図書 1986)は、虹の橋、悪魔の橋、聖者の橋、橋上の礼拝堂、生命の橋、戦の橋、橋上パレード、平和の橋、屋根のある橋の章からなる。中世の橋は塔や礼拝堂をそなえている。それは便利さと橋のようなところは悪魔を追い払う効果があったという。ロチェスターの橋上礼拝堂、ヨークの橋上礼拝堂、ウェークフィールド橋上の聖マリア礼拝堂、ロザラム橋の礼拝堂を掲載、橋の入口には立派な城門を置いたところもあった。

『歴史と伝説にみる橋』

『歴史と伝説にみる橋』



イギリスの石橋

同様に礼拝堂橋、戦橋、屋根つき橋に関する三谷康之著『事典・イギリスの橋』(日外アソシエーツ 2004)は、橋が登場する英文学の作品を網羅する。ディッケンズの『大いなる遺産』では、主人公のピップがテームズ川でボートの練習に励む場面で、ロンドン橋の表現が出てくる。また、バック橋はイングランド南部に架かるバイブルック川に架かる15世紀の橋である。ワイルドの童話『幸福な王子』の中で、バック橋の下で、貧しくて住む家もない二人の男の子が空腹に耐えている描写がある。テームズ川はロンドンに全世界のあらゆる富が集まる所で、イギリスにとっては最も重要な河川である。小川和彦著『テムズ川橋ものがたり』(武蔵野書房 2006)がある。

『事典・イギリスの橋』

『事典・イギリスの橋』



フランスの石橋

小林一郎著『風景の中の橋−フランス石橋紀行』(槇書房 1998)で、著者はフランスでは橋といえば基本的には石橋であって、石橋といえば自分の故郷の石橋で、その石橋は個性的で、どの橋も周囲の風景と調和して美しい点で共通するという。サン=ミシェル橋、イエナ橋、ポン=ヌフ橋の変わらずに存在する故郷の美しい文化と市民生活を描いている。フランスにとっては、セーヌ川は欠かせない川である。渡辺淳著『パリの橋』(丸善ブックス 2004)、泉満明著『橋を楽しむパリ』(丸善 1997)、小倉孝誠著『パリとセーヌ川』(中公新書 2008)、尾田栄章著『セーヌに浮かぶパリ』(東京図書出版 2004)をあげる。

ヨーロッパの石造アーチ橋と日本の眼鏡橋を論じた太田静六著『眼鏡橋−日本と西洋の古橋』(理工図書 1980)は、実際に踏査して、写真集と実測図からなる最初の本格的な石橋の書である。中国の書、英伸三著『上海放生橋故事』(アートダイジェスト 2001)は、上海市青浦区朱家角鎮にある運河に架かるアーチ橋である。この橋は明の時代1571年に建設され、のち清の中期1814年に修復再建された。

『風景の中の橋−フランス石橋紀行』

『風景の中の橋−フランス石橋紀行』



日本の石橋

日本の石橋研究者の第一人者である山口祐造著『石橋は生きている』(葦書房 1992)は、石橋に関するバイブル書といえる。長崎興福寺第二世如定(にょじょう)は、寛永11年(1634)中島川に日本初の眼鏡橋を架けた。その後20橋が架けられた。柱のない堅牢な橋を見た長崎奉行所勤務の藤原林七は、密かに石造りの技法を学びたいと外国人に近づくが、奉行所に露見、熊本の種山に逃れ、農民となりながら、石橋架設の技法を習得。その技法は息子の三五郎に伝えられ、全国に拡がった。山口祐造、戸井田道三著『日本の石橋』(平凡社 1996)は、天に架かる虹にも似た石造アーチ橋を、昭和32年の諫早水害によって復元した諫早眼鏡橋、現川(うつつがわ)の石橋群、霊台橋、沖縄の石橋を旅する。榊晃弘写真、戸井田道三解説『眼鏡橋』(葦書房 1983)は、九州の石橋群に加えて、島根五百羅漢橋、和歌山不老橋、京都円通橋、石川図月橋、東京常盤橋、福島松川橋、山形覗橋、堅盤橋を撮り、石橋の技法が東北まで拡がっていることがわかる。

また、前田正彦著・発行『眼鏡橋』(1992)は、全国の石橋を歩き、スケッチする。著者はそのまえがきで「構造的に言えば、眼鏡橋とはリング状に積み上げた石橋のことで、上部からの荷重を垂直方向の圧縮力としての石の接触面に伝え、水平方向に広がろうとする力を相互の摩擦力によって抑え、橋の安定を保っている橋のことです。このためには、円周率π=3.1415…の計算に基づいて、石の大きさ、形を決め、石を精密に削る必要があります」と述べている。

『石橋は生きている』

『石橋は生きている』



九州の石橋

石橋はほとんどが九州地方に存在する。山口祐造著『九州の石橋をたずねて(前篇)』(昭和堂印刷 1974)によれば、長崎の中島川に架かる石橋群は、中国人や住民の寄付によって架けられた。同『九州の石橋をたずねて(中編)』(1976)は、農民たちの年貢輸送の便宜のために架けられた豊岡橋、馬門橋、霊台橋などの熊本県の石橋物語、さらに永安橋、西田橋、高麗橋など主に薩摩藩が主導して造られた鹿児島県の石橋物語となっている。同『九州の石橋をたずねて(後編)』(1976)は、農民の年貢輸送のために庄屋たちが架設した岩戸橋、小月橋、千載橋などの大分県の石橋物語、終わりに宮崎県、佐賀県、沖縄県に関する石橋を丹念に綴っている。

長崎・福岡の石橋

長崎の石橋については、片寄俊秀、村田明久編『長崎 中島川と石橋群』(観光資源保護財団 1977)は、歴史的景観の保全とまちづくりの観点から、石橋の架設から町の変遷を環境の面から論ずる。昭和57年7月、長崎は大水害に遭遇し299人が亡くなった。中島川の石橋群も損傷した。その後の復興は、中島川の両岸に放水路が建設され、石橋群も復元された。中島川復興委員会 日本リアリズム写真集団長崎支部編・発行『写真集 長崎の母なる川−中島川と石橋群』(1983)がある。

福岡の石橋は、筑後川水系小石原川の支川である野鳥川に架かる一連の石橋について、山口祐造著『秋月眼鏡橋物語』(秋月郷土館 1979)にくわしい。長崎の石工たちによって文化7年(1810)に竣工した。馬場紘一著・発行『伝えたいふる里の石匠の技−福岡県南地方の石橋』(1998)は、主に矢部川の石橋、宮ヶ原橋、洗玉橋、寄口橋、栗林橋などを上流、下流から撮り、長さ、径間、石質、竣工日、石工名を丁寧に表示する。これらの石橋は、明治から大正期にかけて、橋本勘五郎が指導したものである。しかしながら、平成24年7月九州北部豪雨によって多くの橋が損傷した。

『写真集 長崎の母なる川−中島川と石橋群』

『写真集 長崎の母なる川−中島川と石橋群』



大分・熊本の石橋

大分の石橋は、既に述べたように、農民の年貢搬送の難儀に対し、庄屋たちが資金を集めて造ったものであり、耐久、耐重性に富む。岡崎文雄著『大分の石橋記念碑』(双林社 1994)、大分の石橋を研究する会編・発行『おおいたの石橋』(2000)、岡崎文雄、薬師寺義則著、高山淳吉写真『魅せられて里の石橋たち』(高山總合工業 1993)、同『伝えたいふるさとの石橋』(高山總合工業 1996)がある。三光村泰源寺橋、本耶馬渓町耶馬渓橋、羅漢寺橋、院内町御沓橋、別府市久保鶴橋、緒方町柚木寺原橋などを捉える。

熊本の石橋については、熊本日日新聞社編・発行『熊本の石橋313』(1998)で全体像を捉えている。個別的には、一村一博著『霊台橋』(熊日情報センター 2011)、通潤橋について、笹原佗介著『自治之亀鑑為政之権化 布田保之助惟暉翁傳』(布田翁遺徳顕彰会 1938)、矢部町通潤地区土地改良区編・発行『通潤橋架橋150周年記念誌』(2004)がある。さらに、本渡祇園橋と町山口川の環境を守る会編・発行『国重文の祇園橋』(1998)は、わが国唯一の十連石桁橋である。

『国重文の祇園橋』

『国重文の祇園橋』



鹿児島の石橋

鹿児島の石橋は、甲突川(こうつきがわ)に江戸期に架けられた新上橋、西田橋、高麗橋、武之橋、玉江橋の五大石橋で、薩摩藩の命により、肥後の岩永三五郎が架けた。これらの石橋もまた、平成5年8月の鹿児島市を中心とした記録的な豪雨で損傷した。小説として、森光宏の『眼鏡橋−調所と三五郎』(東京図書出版 2004)があり、樋渡直竹、木原安妹子著『かごしま西田橋−甲突川最後の五大石橋』(南方新社 1995)、樋渡直竹著『石橋幻影 甲突川から消えた鹿児島五大石橋』(文化ジャーナル鹿児島社 1996)、日本の宝・鹿児島の石橋を考える全国連絡会議編『歴史的文化遺産が生きるまち−鹿児島・甲突川の石橋保存をめぐって』(東京堂出版 1995)が刊行されている。その他の書として、北脇義友著『岡山の石橋』(日本文教出版 2007)、和歌浦を考える会編・発行『和歌の浦 不老橋』(1992)をあげる。

  • 『かごしま西田橋−甲突川最後の五大石橋』

    『かごしま西田橋−甲突川最後の五大石橋』

  • 『和歌の浦 不老橋』

    『和歌の浦 不老橋』

  • 『かごしま西田橋−甲突川最後の五大石橋』
  • 『和歌の浦 不老橋』


 以上、石橋・眼鏡橋の書をみてきた。集落の人々がその集落の川を利用し、みんなで守っていくような川を里川と呼ぶ。素朴な石橋は、里川に架かっていることが多く、里橋と言える。石橋・眼鏡橋のある風景は、人々に安らぎを醸し出し、水の歴史と文化を生み出す原動力でもある。

〈俥屋(くるまや)と月の出を待つ眼鏡橋〉
(北園逸子)

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