機関誌『水の文化』18号
排水は廃水か

捨て去ることが、排水か

編集部

きれいな排水

かつては下水処理場とか汚水処理場などと呼ばれていた施設が、最近では「水再生センター」と看板を掛け変える例が増えている。見学コースを整備している所も多く、中に入ると処理水の中を魚が泳いでいたりする。もっと遡れば、私たちの子供の時分は東京でも住宅街にどぶがあり、家庭から出る雑排水が流れていたし、洗濯機から出た泡立つ水をこの目で見ることもできた。

水再生センターでは、生きものが棲める程度の排出水基準に適合した水を排水している。東京都下水道局の広報パンフレットには、「多摩川の水量の約5割が下水処理水」(『東京の下水道』No.190、2004)と書かれているから相当な量になる。

なぜ、こんなことになっているのか。多摩川の場合、上流の小作取水口・羽村取水口で山口貯水池・村山貯水池に向けて、1日当たり88万5200kという大量の水が取水されるため、流量が一気に減る。そして今度はその下流、途中6ヶ所の水再生センターから80万8962kの処理水が排水されているのだ。このため、中流付近では水量の5割が処理水ということになっている。

「下水道が多摩川の水質向上に貢献している」というメッセージを込めて、隣のページには下水道の普及率が上がったことで水質が良くなり、多摩川に100万匹のアユが戻ってきた、というニュースが掲載されている。

水がきれいになった。

このこと自体は、何も悪いことではない。下水道法、水質汚濁防止法等の法令を遵守し下水を処理し、きれいな水を排水し、川の水が清浄になるのは結構なことだ。農業用水が使い回されて再び川などに戻るのと同じように、上水道が川から取水され、使われ、下水として集められて川や海などに戻る。

しかし、排水がたとえ非常にきれいであったとしても、川の水量の半分が人工的な処理水であるという事実に、違和感を感じてしまうのはなぜだろうか。

この違和感の正体をつきとめてみようと、まずは身近な生活排水である風呂の水がいつから「廃水」に変わるのかと自問自答してみた。

排水溝に吸い込まれ、見えなくなったら廃水なのだろうか? それとも、自分が浸かった時点で廃水となるのだろうか。自分ではなく、「誰かが使った水は廃水になる」という人もいるだろう。その誰かが、家族と他人とで、感覚は違ってくるのだろうか。さらには、その水が排水溝ではなく隣の家に溢れ出たとすればどうか。

ただの水が廃水と認識されるには、利用するかしないかは別として、「きれい・きたない」、「見える・見えない」、「境界を超える」等の要素が混然となって意識されていることに改めて気づかされる。

このようなことを考えていると、今森光彦の言葉が掲載された記事に目がとまった。今森といえば琵琶湖湖畔に住み、人と自然が共生する風景を紹介し続ける写真家としても有名なのだが、彼は水には飲むための「きれいな水」と、人間も含めた生命にとって大事な「生きた水」があると言う。そして、琵琶湖周辺にある「かばた(川端)」という仕組みを引用して、「自分たちが使う水に対して責任を持っている」ことを称賛している。「川端」というのは、台所の隣にある井戸端のようなもので、家の中に湧きだす湧水を生活に利用する。使った水は、水路に流れていく。

今森はこの水路の水を、「誰が使ったかわからないから汚い水だという概念はなかったのです」とコメントしている(『AERA』朝日新聞社、2004・9・27)。「利用者が特定できる」ことと「排水がきれい」ということが結びつけられている点が興味深い。

排水の質

排水が廃水となるかどうかの分かれ目は、人によって判断が異なることのようだ。さらには同じ人間でも、場合によっては判断がくつがえる。数値的には排出水基準に適合した水を汚いと思うときがあり、なんの根拠もないのに汚くない、と思うときもある。排水を捉えるときには、この「TPOで左右される感覚と判断基準」という人間の内面を視野に入れなければならない。これは時と場合で変わることがある一方、何十年も変化しない側面も持っている。長く変化しないほど、個人の経験や文化的背景、社会常識が、頑固さに磨きをかけることが多い。つまり、排水の将来を考えるときには、数値的な基準はもちろんのこと、常識的なTPOなど、複雑に絡み合う要素を解くことが求められる。

一般的な発想からいえば、「川の半分が処理水」という違和感に対応するには、次のようなことを誰しもが思い浮かべるだろう。取水量を減らし、個々の汚水排出量も減らし、地表の舗装被服率を低めて土に戻すことで雨水の地中浸透を進め、自然環境の持つ水循環を回復させることだ。これらが効果的であることは、現在の常識から見て、誰にも異存がないことだろう。

さらに将来を見るならば、今は個人下水道を実現するのが時期尚早であっても、コミュニティ下水道なら可能かもしれない、と考えてみるのはどうだろう。施設は居住者から成る下水道組合が管理する。つまり、メンテナンスは自分たちで行う。こうすれば、マンションの住民がビルのメンテナンスに真剣になるのと同じように、自分たちの下水管理も他人事にはできないだろう。

現在、全国各地の市民団体が暗渠の蓋を開けようと活動を行っているが、これも、まずは昔のどぶ川を復活させようとしているわけで、江戸の下水道復活と一脈通じるところがあるのではないだろうか。蓋を開ければ事が済むわけではないが、まず開けてみないことには話が始まらないという考えにも一理ある。

もはや「昔を見習おう」とか「なんとかなるという成りゆき任せ」や「数値さえクリアすればいい」という発想では通用しない。「TPOで左右される感覚と判断基準」という人間の内面にまで踏み込むことが求められているのである。

日本人が水に対して持つ一般的な感覚と対局にあるシンガポールを例にとってみよう。シンガポールは、683h(東京23区より少し広い程度)の土地に、約425万人の人口が居住する都市国家で、水道普及率は100%。年間降水量は約2100mm(日本でいえば熊本市と同じ位)で、決して少ないわけではないが、狭い国土に人口が多いため、水の調達は国家的な大問題となっている。

「川の半分が処理水」であることに違和感を感じる人間にとって、シンガポールの水事情は想像を超えたものである。シンガポールでは排水をそのまま浄化して、飲み水にしようとしているのだ。

1日115万tの水需要の半分は、隣国マレーシアからの導水路に頼り、1000ガロン(約3800R)当たり、0.03リンギット(約0.9円、2004年9月末現在)の値段でマレーシアから購入している。両国間の水供給協定は1961年に結ばれた。マレーシア側はこの協定の期限失効を9年後に控えた2002年に、値段を100倍に引き上げることをシンガポールに要求した。いわば越境河川紛争ならぬ越境水道紛争というわけで、シンガポールはこれまでのように水を安価に購入することができなくなりそうな雲行きなのだ。

水が稀少となれば、知恵を使わざるをえない。そこで家庭排水を逆浸透膜で濾過し、紫外線殺菌をして飲料水として国民に供することになった。「ニューウォーター」と呼ばれるこの水は、2003年2月からいったん貯水池に混合され、再処理供給されている。つまり、シンガポールには廃水が存在しないのである。

さて水が稀少になったときに、日本でも同じような試みができるだろうか。シンガポールのようなことを行おうとすれば「排水など飲めるか」と下水道局に苦情が殺到し、結果的にミネラルウォーターの売れ行きを押し上げることは想像に難くない。そして、おそらくどんなことがあっても、処理水をいったんは排出し自然の川の水と混ぜた上で、もう一度取水する方法を取ることだろう。

このことは、日本のある自治体の下水排水口の下流に、別の自治体の上水の取水口があることが「問題」と捉えられていることからもうかがえる。排水に多元的なアプローチが要求される所以である。しかし、よく考えるとそれは、上流の排水を廃棄物と捉えているから問題と思うのであって、資源と考えれば問題が起ころうはずもない。

帰りの切符を持たないゴミ

この気持ちをルポルタージュとして描いてみせたのが、ノンフィクション作家である佐野眞一の『日本のゴミ』(筑摩書房、1997)だ。時代はバブルの余韻冷めやらぬころで、目次を見ると「自動車の終わり」「紙の終わり」「食の終わり」など、廃棄物を「終わったもの」として表現している点が象徴的だ。

その中で佐野は「水の終わり」という一章を設けている。80年代から流行っていた朝シャン族から筆を起こし、

「ひとたび水に流してしまえば、あとは野となれ山となれ、と一切責任をとらない精神風土のなかで育ってきたわれわれ日本人には、トイレで流した水が再び循環して、水道の蛇口から流れてくるという思考回路が、恐ろしく欠如している。こうした傾向は、水源地および最終処理場の遠隔化によって、ますます助長されてきた。蛇口の向こうはどうなっているのか、トイレの汚水の行方はどうなっているのか。生産と再生産施設の不可視化によって、われわれは水を、消費物、廃棄物としかとらえられなくなってきている。いうなればわれわれは、みえないところから送られてきた水を、みえないところに送りつけている一本の管のような存在となっている」

と問題の所在をほぼ正確に指摘している。

ここで佐野が問題にしているのは、誕生から終末までを一直線で結ぶような、商品の流れという廃棄物を生む構造と、その流れを利用者が見ようとしないことだ。

では日本は排水に対して、ずっとそのような感覚で生きてきたのであろうか。江戸時代の排水はどのように意識されていたのだろう。一つの手がかりは、元禄時代に書かれたと推定される当時の農業百科事典である『百姓伝記』(岩波書店)の記述に見てとれる。

「土民の家内にてつねに水をつかひ、雑具を洗ひ捨るながしは、分限相応に水のもらざるやうに、板を以拵え、下水のはき所に桶をすゑ置て、毎日の悪水を溜桶にうつし、くさらせて、不浄うめ水に合し、田畠のこやしとすべし」

使った水は腐らせて、し尿を肥料に使うための薄め水にしろと記されており、使った水は次の利用の資源として意識されていたことがうかがえる。使い捨ての廃棄物感覚がなかった江戸時代には、水だけでなく、すべての資源を大切に使いこなすことが当たり前だった。木綿布も大福帳の紙も、人間の営みの大きな循環の中に組み込まれていたのだ。

廃棄(ゴミ)の本質が変化の中の連続性にあることを見事に描いているのが、都市計画家ケヴィン・リンチの遺作である『廃棄の文化誌〜ゴミと資源のあいだ〜』(工作舎、1994、原著/”Wasting Away”1990)だ。

彼は、廃棄物と汚辱の結びつきを指摘するところから始め、「廃棄物は、人間にとっては価値がなく、使われないまま、外見上は有用な結果をもたらすこともなく、ものが減少することである。それは、損失、放棄、減退、離脱であり、また死である。それは、生産と消費の後に残る、使用済みの、価値のない物質であり、使われたすべてのもの、屑ゴミ、残り物、ガラクタ、不純、そして不浄をも意味することになる。身の周りを見渡してみると、廃棄されたモノ(廃棄物)、廃棄された土地(荒廃地)、廃棄された時間(無駄な時間)、そして廃棄された人生(浪費された人生)がある」と暫定的に定義する。

続けて「(廃棄と対峙するための)最大の問題は、私たちの心の中にある。純粋さと永続性に焦がれつつ、私たちは永遠に衰退してゆく術や、流れの連続性、軌道や展開を見据える術を学ばねばならない。(中略)私たちは、今を生きている。緩急の差はあれ、すべては変化する。生命は、成長であり、衰退であり、変様であり、消滅である。この連続性を維持することのうちに、喜びを見いだす術を学びたいものだ」と結んでいる。

ここでは、廃棄というものが実は心の問題であり、変化の中の連続性を維持することを喜べるかどうかに、廃棄の問題があるのだと鋭く指摘している。

これは、「持続可能な開発」が理念として受け入れられている現在から見ても、大変深い洞察である。なぜなら、持続可能な成長を口にする一方で、ついつい私たちは衰退とか減速といった変化を怖れ、廃棄物を意識の外に追い出したくなるからだ。

  • 『日本のゴミ』

  • 『百姓伝記』

  • 『廃棄の文化誌〜ゴミと資源のあいだ〜』



きれいな水が排水されるという違和感

ここまできて、やっと「川の水の半分が処理水」になぜ違和感を感じるのかという冒頭の疑問が少し解けてきた。

第1は、廃棄物としての排水がいかにきれいであっても、処理されている以上それはゴミであることに変わりないと思い込んでしまっていることだ。つまり、「川の水の5割は、アユがのぼってくるほどきれいな水の処理水です」と言われても、受け取る側が「川の半分が廃水」と自動的に受け取ってしまうのだ。

第2は、用水と排水は利用を間に挟んだ一つの流れであるはずだ。にもかかわらず、「排水はきれいです」と言われると、つい取水して使い捨てられるという一直線の水利用の流れを想像してしまう。

第3は、下水道も上水道もその技術は巨大であり、利用者はそこで何が行われているか見えてこない。技術から「あなたは何も心配する必要はない」と締め出されているようで大いに不安である。川も自然の流れだと思っていたのに、その半分が処理水と聞くと技術の見えない巨大さを、否応なく意識させられる。ダムや潅漑設備は巨大ではあるが、原理自体は想像できる程度に単純だ。しかし高度処理の下水設備などは、まるで工場プラントのようで、理解しようと思う根気をくじくには充分すぎるほど複雑だ。

第4は、「川の半分が処理水」という言葉には、便利で快適な自分の生活が成立している背景にある厳しさを、否応なくつきつけられる。知らなければ幸せだったかもしれないのに、心の中の排水から目を背けないように強要されるかのごとき苛立ちが募る。誠に厄介な自己矛盾が、排水の場合も見え隠れするのである。

排水で意識させられる弱さの強さ

1992年にリオデジャネイロで開催された「環境と開発に関する国連会議」(地球サミット)では、持続可能な開発に関する27原則が宣言された。その第15原則が予防原則と呼ばれるもので、「重大かつ不可逆な影響があると認められる問題については、不確実性があることを費用効果の高い対策の実施を延期する理由としてはならない」としている。

これはまさしく、人間の社会が脆弱さを持っており、判断の誤りもある不確実で弱い存在だ、という認識を前提にした考え方である。環境問題の意思決定を、強い科学的理性を根拠に行おうという人々に、警鐘を鳴らしている文ともとれる。

しかし、その脆弱さを受け止めることで生まれる寛容さこそ、実は持続可能な社会が求めている価値なのではないだろうか。

金子郁容は、かつて『ボランティア』(岩波書店、1992)の中で、「自らを弱い存在にすることが、魅力ある関係を生む」とボランティアの意味を説明した。この指摘は、「こころに弱さや不確実性をあえて導入し、何かを排除する気持ちを抑えると、将来にわたり、より自覚的な人間関係が生まれるのではないか」という予防原理をもとにした人間関係の結び方として今読み直すことができる。

排水を身近に感じ、あえて自分が排除していた弱さを意識することで、水の利用に自覚的になることができ、排水を多様な資源として利用する心の可能性も広がる。

排水を廃水と考えず、排水を将来にわたる水循環の一部と見る。そして、弱さを受け止める社会関係を排水を媒介に取り結び、「排水の絆」をつくる。心の排水と向き合うとは、このようなことなのだろうし、そこから市民の力も生まれるのだろう。

生きること、使うことは、汚すことにつながっている。私たちが生きて生活を営んでいる以上、そのことに目を背けるわけにはいかない。自然に近い生活を維持して、排水をきれいにしても、これだけでは何も変わらない。捨て去るという行為に向き合わなくては、まさに「臭いものに蓋」で終わってしまうのだ。


『ボランティア』



排水の絆をつくる都市へ

排水の絆をつくるという視点で、都市圏の中で水をうまく循環させ持続させるようにするには、いかに取水、配水、利用、排水を誘導するかという政策が重要となる。これは、産業政策であると同時に農業政策でもあり、持続可能な開発を目的とした都市の成長管理政策でもある。

この先にある方向性は、おそらく単一用途の空間をゾーニングするのではなく、広い空間を多様に使う土地利用にあるだろう。これまで日本で常識とされた1極集中型都市を転換し、多様な土地利用を促進することが必要となる。そのためには、都市で享受できる集積のメリットを抑制し、分散のメリットを生み出す誘導策も必要となろう。

大西隆他編著『都市を構想する』(鹿島出版会、2004)は、既存の都市計画法を解説したり、都市再生などを表層的になぞる都市計画の入門書が多い中、人口減少社会、持続可能性を維持するためにどのような都市計画が考えられるのかを、事例とともにわかりやすく解説した入門書である。都市をどのように利用すればよいのか、真摯に考えようという気運が政策立案者の間にも生まれつつあるようだ。

都心から数kmの場所なのに、水路が走り、農地も林もある。自分の家の排水を自分なり、コミュニティなりが処理する。人の家の排水が見えるし、それぞれが暮らしながら、町の中を走る水路を利用する。水路は景観としても生きており、生活排水、雨水排水に用いるなど、流れが多面的に利用されている。

こんな都市があったら、けっこう快適なのではないだろうか。そんな都市など考えられないと思うかもしれないが、世界的に見れば別に珍しいものではない。都市だって成り行きでできたものではなく、かなり人為的につくられているのだから、修正することができないはずがない。水も、多様な使い方をする利用者が近接しているほうが、循環にとっては都合がいい。結局、多様な水利用とは、多様な土地利用と表裏一体なのだ。

白石好孝『都会の百姓です。よろしく』(コモンズ、2001)は、練馬区で農家を営む著者が、「消費者と近い都市だからこそ農業なのだ」と意気込んで営農する姿が描かれている。都市農業の可能性を読みとることができ、このような人はまだまだわずかであるが、ほっとさせられる。

さて、現在の日本では水質汚濁防止法をはじめ排水の水質については厳しい基準が設けられ、監視、罰則規定も設けられている。制度は整備されているが、そうした制度がうまく働くかどうかは、生活者の力、いわば「社会の市民力」による。これまで日本の都市政策は、それぞれの時代が求める「発展」を目標に進んできた。結果、都市生活者の身の周りには上水も排水も見えなくなっている。見えないというのは、文字どおり目に触れないことであり、複雑で巨大なシステムは市民の理解を超えたものになっている。このためにいったん希薄になった水への意識を、生活者の力で取り戻すことが問われている。

  • 『都市を構想する』

  • 『都会の百姓です。よろしく』



変えていく勇気

ここまで排水の水質問題には触れてこなかったが、このことが大問題であることは言うまでもない。2002年度の公共用水域の水質基準達成率は、河川は85・1%、海域は76・9%となっているが、湖沼のような閉鎖系水域は43.8%で、前年を2ポイント下回っている(環境省)。ただし、これら数字は、私たちの水利用と土地利用の結果であることを肝に命じなければならない。

近代になって私たちは、都市のつくり方も合意形成の仕方も、西洋文明から多くを学んできた。結果としては恩恵に与かってきたが、そっくりそのまま取り入れたことで、今ある種の歪みが表面化している。ドイツ留学から帰った森鴎外が下水道事業の急務を説いている(斎藤健次郎著『森鴎外と下水道』環境新聞社、1994)ことを、古賀邦雄が紹介している(水の文化書誌9 《下水道》)。近代化を目指した衛生官僚、森林太郎としては当然の建白だが、現在の都市を見て、文人、森鴎外はなんと言うだろうか。

経験や文化的背景で築かれた「感覚と判断基準」は、強固なものだ。しかしそれとても、10年、100年経てば変わる。

自分や社会は変えることができる、と発想を転換させ、排水を「見る」そして、排水に「寛容」となることで、排水を廃水にしない「今」できることが見えてくるのではないだろうか。



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