機関誌『水の文化』31号
脱 水(みず)まわり

《水まわり 盥(たらい)と桶のモダニズム》

古賀 邦雄さん

1967年西南学院大学卒業。水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)に入社。30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集。
2001年退職し現在、日本河川開発調査会筑後川水問題研究会に所属。2008年5月に収集した書籍を所蔵する「古賀河川図書館」を開設

日本が貧しかった1950年代、我が家の水まわりは、まさしく貧弱、非衛生、不便性そのものだった。水道は共同栓で外にあり、そこから汲んで土間の台所の甕に溜め、柄杓にすくい、流し台で料理に使った。ご飯は釜に薪で焚き、コークスで熾(おこ)した七輪で煮炊きを行なった。トイレは外にあり、汲み取り式で悪臭に悩まされた。また風呂は銭湯に通った。洗濯は盥に洗濯板、石鹸で衣類を洗った。勿論テレビもなくラジオが唯一の娯楽であった。今では想像もできない。

水は日常生活に欠かせない。生命の維持ばかりでなく安全上、衛生上、支障がないように住宅には必ず水まわりの施設が整っている。給排水設備、給湯設備、排水・通気設備、衛生器具設備、糞尿浄化槽設備、厨房設備、洗濯設備などである。具体的には台所、風呂、洗濯、トイレであり、その変遷を辿ることは水の文化そのものである。

榮森康治郎著『水と暮らしの文化史』(TOTO出版1994)には、江戸期における神田・玉川両上水道から明治期にコレラの発生に伴い近代水道の敷設、そして家庭での台所、風呂、便所、の移り変わりを追っている。

明治期台所は座って流し台を使い、じめじめして暗かった。それから箱流し台になり、大正期には明るいこと、涼しいこと、乾いていること、皿洗いは台所に直結していることの改善がなされ、立って料理をつくるようになってくる。昭和10年ごろ一部の家庭にはステンレス流し台が普及、昭和30年代公団住宅にはダイニングキッチンが導入され、プレス加工のステンレス流し台、昭和40年代システムキッチンとなり、洗うこと、調理すること、過熱すること、冷却すること、収納することの機能が一体化してくる。風呂については、次第に銭湯から家庭風呂に変わっていくが、鉄砲風呂、五右衛門風呂、長州風呂、FRP(強化プラスチック)、昭和40年代にはホーロー、ステンレス、タイルの浴槽が登場する。

長い間、台所、浴室、洗濯は日常生活と密接にかかわっていながら、住宅空間の主要部分でなく、付属部分とみなされてきたという。和田菜穂子著『近代ニッポンの水まわり−台所・風呂・洗濯のデザイン半世紀』(学芸出版社2008)は、ガス、電気、水道が一般的に普及していなかった大正期から昭和30年代高度経済成長期まで振り返り、水を用いる生活道具と生活空間に注目し、台所、風呂、洗濯を主題として取り上げ、その中でも特に水と接する部分であるシンク(水槽)の変遷を辿る。

  • 『水と暮らしの文化史』

    『水と暮らしの文化史』

  • 『近代ニッポンの水まわり−台所・風呂・洗濯のデザイン半世紀』

    『近代ニッポンの水まわり−台所・風呂・洗濯のデザイン半世紀』

  • 『水と暮らしの文化史』
  • 『近代ニッポンの水まわり−台所・風呂・洗濯のデザイン半世紀』


この書の内容は水まわり設備である「台所設備」、「風呂設備」、「洗濯設備」の歴史を道具論的に展開し、本論では「水まわり空間」、「水まわり設備」に関して論じる。その観点は

  1. 技術革新のプロセス : 水まわりデザインの形、素材、技術の革新
  2. 空間構成の特徴 : 水まわり空間の変容
  3. 流通と消費のメカニズム

であり、水まわり設備の普及を多角的に捉え、そこから近代日本の生活を浮き彫りする。時代的には、大正デモクラシィー・台所座り式から立ち式への変化、関東大震災前後・風呂釜の発明(町工場の創意工夫)、第二次世界大戦を経て、戦後アメリカ文化の流入(進駐軍住宅の水まわり)、洗濯機の丸型から角型へのデザイン化、日本住宅公団による新しいライフスタイル・ダイニングキッチンの登場、高度成長期における洗濯機、冷蔵庫、テレビの量産化の半世紀を辿る。それは欧米から多大な影響を受け、住宅空間が近代化する過渡期にあたり、その後はライフスタイルが大きく変化していく。

この書で画期的な水まわりの変化について、3つほど挙げてみたい。

  1. 国家レベルで住宅政策が本格化するのは1955年(昭和30)の日本住宅公団の設立以降となる。食寝を分離し、本格的なダイニングキッチンとステンレス流し台の登場である。台所・食事室の台所空間にテーブルと椅子を備えた固定化であり、今までの板の間の台所に卓袱台を置いた食事からの変化である。
  2. また戦後進駐軍住宅における台所・浴室・洗濯機の登場に触発され、水まわりも技術とデザインの革新が行なわれた。例えば、洗濯機は撹拌式から噴流式に変わり、デザインも丸型から角型に変わった。
  3. 風呂釜、ステンレスの流し台、電気洗濯機の流通は、最初雑誌による通販、メーカー小売店、それからデパートによる高級品デモンストレーション、現在では秋葉原電気街、電気専門店の販売、月賦販売を可能にし、拡大する。さらに広告デザインをみてみると、「冷たい冬のお洗濯」、「女性を解放する洗濯機」、「スイッチ一つのお洗濯」、「洗濯しながら本がよめる」、「洗濯を楽しく、明るく!」のキャチフレーズを入れ、イメージキャラクターとして新珠三千代、八千草薫、高峰秀子、木暮実千代、若尾文子ら、女優を登場させて電気洗濯機の普及を図った。

電気洗濯機の価格変遷は、森永卓郎監修『明治/大正/昭和/平成/物価の文化史事典』(展望社2008)によると、昭和27年5月米軍から日本側に洗濯機100台の発注があり、日立が攪拌式角型洗濯機を納入、価格は5万3900円であった。大卒男性初任給1万900円のころである。

日常生活にかかわる水については、紀谷文樹ら著『暮らしをささえる水』(彰国社1987)、同編著『建物をめぐる水の話』(井上書院1986)があり、料理と水、食器洗い、給水と給湯の流れ、水洗便器、配管と管材料などが記されている。深井英一、高地進著『建設設備の節水ガイド』(理工図書1995)は、新設や改修における節水機器の利用法、循環利用、排水再利用などを中心にまとめられており、一方、泉忠之編著『住まいの水まわり学入門』(TOTO出版1995)では、水まわりに関連して、住宅の構法や仕上げ、色彩計画、照明計画、水まわり機器、給排水設備を言及し、室内の利便性、快適性を追及する。

  • 『建設設備の節水ガイド』

    『建設設備の節水ガイド』

  • 『住まいの水まわり学入門』

    『住まいの水まわり学入門』

  • 『建設設備の節水ガイド』
  • 『住まいの水まわり学入門』


人は汗や糞尿を排泄しなければ生きていけない。フランス華の都パリでは、1000年間、市民は糞尿まみれの日常生活が続いたというから驚嘆する。アルフレッド・フランクラン著『排出する都市パリ−泥・ごみ・汚臭と疫病の時代』(悠書館2007)には、12世紀から18世紀にかけて人や動物による糞尿があふれ、悪臭と疫病が蔓延し、王たちがその対策に悪戦苦闘する、パリにおける状況を詳細に描く。

我が国では糞尿は農産物の肥料として取引対象となっていた。戦後化学肥料が主流となり、その後上、下水道システムの設置により水洗トイレが普及する。前田裕子著『水洗トイレの産業史−20世紀日本の見えざるイノベーション』(名古屋大学出版会2008)は、日本近代化における水洗トイレが、給排水システムに組み込まれる過程をトイレ産業にかかわる森村組、日本陶器、東洋陶器などメーカー側から追求する。面白いことは、陶器会社がその後水洗トイレ機器の生産に踏み出したことである。

  • 『排出する都市パリ−泥・ごみ・汚臭と疫病の時代』

    『排出する都市パリ−泥・ごみ・汚臭と疫病の時代』

  • 『水洗トイレの産業史−20世紀日本の見えざるイノベーション』

    『水洗トイレの産業史−20世紀日本の見えざるイノベーション』

  • 『排出する都市パリ−泥・ごみ・汚臭と疫病の時代』
  • 『水洗トイレの産業史−20世紀日本の見えざるイノベーション』


水洗トイレはそれ自体偉大な3つのイノベーションを持っているという。

  1. 公衆衛生面で、都市の衛生状態を改善し人間の健康維持に寄与する。
  2. 清潔の面で、疫病の予防、悪臭や汚物の放置の改善。
  3. 心理的な面で、排泄行為への感覚を刷新し、排泄空間の快適さを生んだ。

前述の戦後占領軍の要求には、「600名の士官のため、浴室、及び便所の施設を有するホテル、また宿舎と」あり、水まわり設備に対するもので、このとき東陶が9割を受注したという。

現在、水洗トイレのシステムが確立されなかったら、14世紀ごろの糞尿まみれのパリのような状況が続いたことであろう。このような意味では近代的な水洗トイレのイノベーションは、衛生や清潔への希求は勿論のこと、快適空間へ移りつつあるという。なお、トイレに関しては、あくば(灰汁場・芥場)、石雪隠、陰所など多数収めた森田英樹著『便所異名集覧』(下水文化研究会2002)、それに雨水をトイレの水に使うことを提言する湯川清貴著『雨水利用システムの製作』(パワー社2006)を挙げる。

最近、雨水を捉えなおそうという考え方が顕著になってきた。雨を溜めれば水資源、捨てれば勿体ない。雨水を溜め、家庭菜園、洗車、防火水槽などに使い、残りは地下に浸透させる。また、住宅、集合住宅、ビルなどは新築、増改築を施し、コンクリートの雨水貯留槽を地下に埋設し、雨樋から水を集め、雨水貯留槽に溜め、それをトイレの洗浄水、散水、洗車に使う。このことは日本建築学会編『雨の建築学』(北斗出版2000)、同編『暮らしに活かす雨の建築術』(北斗出版2005)に、図でわかりやすく記されている。

  • 『雨水利用システムの製作』

    『雨水利用システムの製作』

  • 『雨の建築学』

    『雨の建築学』

  • 『雨水利用システムの製作』
  • 『雨の建築学』


急速な都市化で真間川などの水害に悩まされた千葉県市川市は、新住宅を建築する場合は、雨水利用施設の設置を条例化している。この雨水施設は、中水道を利用する新しい水まわりの役割を果しているといえる。

以上、水まわりについて概観してきたが、前書『近代ニッポンの水まわり』では、次のように結論づける。「近代化以前の水まわりの道具として、盥と桶があり、自由に時間的に、空間的に、地域的に移動、利用できた。・日本独特の水まわり空間が確立するのは1950年代以降であった。欧米のモダニズムの影響を受け、そこから派生した日本独特の盥と桶のモダニズム化があることを突きつめた」。そのことは「女性を解放する電気洗濯機」というキャチフレーズにみられるように、水まわりの近代化、即ち「盥と桶のモダニズム化」は、住宅、生活改善に伴う衛生的、利便性、快適性を希求した結果、女性(男性も)が解放されたと同時に民主化をもたらした一面を担ったといえるのではなかろうか。

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