機関誌『水の文化』35号
アクアツーリズム

ツーリズムは功罪を超えるか

阿蘇北外輪の山麓から、満々と水をたたえた田んぼの風景を望む。

阿蘇北外輪の山麓から、満々と水をたたえた田んぼの風景を望む。2000年におよぶ歴史を持つと伝えられる阿蘇神社には、健磐龍命(たけいわたつのみこと)を中心に12の農耕神が祀られている。神話の時代から、阿蘇では稲作が行われていたという

受け入れ側にとっては地域活性化、訪れる側にとっては日常からの解放として、期待を集めるグリーンツーリズム。しかし「スローライフ」は忙しく、「グリーンツーリズム」は落とし穴だらけ、それ自体は反対でないけれど、と徳野貞雄さんは慎重論を提示します。 今までの失敗は、旧来のパラダイムに固執したことにある、だから、突破口となる新機軸の構築が、農村(ムラ)にも都市(マチ)にも求められています。

徳野 貞雄さん

熊本大学文学部 総合人間学科 地域社会学教授
徳野 貞雄 (とくの さだお)さん

1949年大阪府生まれ。1987年九州大学大学院文学研究科博士課程修了。山口大学、広島県立大学、シェフィールド大学客員研究員を経て、1999年より現職。「食」と「農」の専門家として、日本全国の農村に出かけ、フィールドワークをこなす活動派。「道の駅」命名者。 主な著書に『ムラの解体新書』(林業改良普及双書 1997)、『地方からの社会学ー農と古里の再生をもとめてー』(共著/学文社 2008)、『農村(ムラ)の幸せ、都会(マチ)の幸せー家族・食・暮らし 』(日本放送出版協会 2007)ほか。

役所とマスコミのためのグリーンツーリズム

マスコミは、
「都会の暮らしがイヤになって山の中で農業をしています。収入は3分の1になりましたが、ここは自然も人情も豊かです」
というネタが大好きです。

しかし、農家の息子が、農業を継いでも記事にはしません。

日本の行政は、国も県も、もはや農山村をどう活性化したらいいか、わからなくなっています。だから、取り敢えずグリーンツーリズム。それで議員と役場職員が、農家民宿のメッカ大分県・安心院(あじむ)に視察に行く。これでは、役所とマスコミのためのグリーンツーリズムです。

私は、基本的にツーリズムに反対ではありません。ただ、農水省的な政策として、グリーンツーリズムによる農山村の活性化目標を立てていっても、そんなに短期でうまくはいかないだろうと考えています。

もっと基本的に、時間がかかってもいいから、いろいろな形で農村対策を展開していくべきでしょう。農山村活性化=グリーンツーリズムという、政策的なシングルフォーカス(画一化)が、一番恐ろしいのです。

目的は何?

厳しいことを言えば、ブームとして追いかけるのではなく、グリーンツーリズムにどんな効果があるのか、もう少し現実的、実証的に研究する時期にきているのではないでしょうか。少なくても、自分たちがやっている都市農村交流は「政策」なのか「事業」なのか「活動」なのかという性格づけが必要です。

熊本県の山都(やまと)町のY集落では、7年前から棚田オーナー制を始めて、地域起こしの優良例として、たくさんの表彰状をもらっています。都会から150〜200人のオーナー希望者がくれば農地は守れると考えたそうですが、実際に棚田オーナーになったのは21組でした(現在は18組)。この集落の水田は54haあります。オーナー制で都会の人が耕したのは34a、全水田面積の0.6%です。これでは棚田保全にも農業の担い手にもなり得ないでしょう。そして、都市農村交流に、集落の人は「疲れ果てて」しまっています。

しかし私は、棚田オーナー制はやめないほうがいい、と思っています。なぜなら、それは「新しい祭り(活動)」だからです。そう考えれば、赤字でも腹は立ちません。このように、都市農村交流の推進は、漠然とやるのではなく、目的や機能を明確にして進める時期にきているのです。

農山村の暮らしは、人口とか、経済とか、集団の関係性とかが複雑に絡み合っているのですから、過疎対策や農村活性化というのは、すんなり解決策が出せる問題じゃない。

例えば、熊本の郷土料理の馬刺。

「熊本は阿蘇があり、馬刺の文化があったから、ふるさと料理は馬刺」という。一昨年熊本県で生まれた馬は38頭で、馬刺用に落とされた馬は7600頭。ほとんどがカナダ産の馬です。都会から来た人は「自分がふるさと料理の馬刺を食べたことで、馬の生産者は潤って、阿蘇の草原が守られる」と思うのは勘違いもはなはだしい。

一方で、熊本県にたくさんいる赤牛の畜産農家には、何の手も差し伸べられないから、後継者対策も進まない。牛の値段が下がってやっていかれない。何のための「ふるさと料理」「都市農村交流」なのか。

こういうことを「アグリツーリズム」とか言ってやってきた。だから、僕は素直に賛成できない。慎重であるべきでしょう。

急斜面に作られた棚田に引かれる水は、勢いが強い。

急斜面に作られた棚田に引かれる水は、勢いが強い。水の勢いで土が掘られぬよう、竹樋の末端には節が残されている。

パブリックとはなんだ

景観問題も同様です。日本の景観を一番最初に壊したのは、行政です。戦後、役場を率先して鉄筋コンクリートにした。行政関係の支所、病院、学校など、全部そういう建物にした。そして人の心の中に「ヨーロッパ式のコンクリートの建物はカッコいい」という価値観を植えつけた。

一番問題なのは、日本式建造物の基本構造を行政自身が壊しておいて、まったくそれに気づいていないまま、景観だ、まち並み保存だ、とやりだすことです。

イギリスの田園地帯は美しい。地域で景観の統一美を守っている。それは行政だけじゃなくて、コミュニティで守っている。家を建てるときにはコミュニティが勝手バラバラな家を建てさせない。そこにはパブリックという概念が強く存在する。

この概念のルーツの一つはキリスト教の教会です。

もう一つは、疫病対策です。18世紀、19世紀に都市に人口が集中したときに、都市部はペストなどの疫病にさらされた。疫病というのは、貧富の差がない。王様だって貴族だって、流行ったら死ぬ。ばい菌もウィルスも知らない時代には、どうやって防ぐかわからないが、人が集中して住んで汚くしていたら起こる、ということは体験的にわかる。

それで建物の大きさ、高さだけでなく、形態や素材の質まで規制する力を持った。それがパブリックです。

20世紀の日本の都市開発は、公衆衛生に神経質にならずに済んだ。同時に、デベロッパーが勝手に商業主導的な開発をし、儲けていくのを阻止できない。その最たるものが、スプロールしていく都市計画と農村の田んぼの中にある看板です。

留学していたころに、イギリスの阿蘇国立公園みたいな所に行って、地域開発の計画書を見せてもらった。章立てになっていて1章から20章ぐらいまである。この章の順番には、どういう意味があるの、と聞いたら優先順位だという。

第1章が「空気と水」だった。驚いた。ギャフンとなった。なんで「空気と水」が一番なのよ、と質問したら、あんたは馬鹿か、これがなかったら人間は生きていけないだろう、と言われた。

2番目が「土と緑」。3番目か4番目がたしか「歴史と文化」。このあとに、道路や建物云々がある。

日本だと環境保護と開発は対立関係にありますよね。イギリス人は対立構造ではなくて、入れ子構造ととらえている。デベロップメント(開発)という言葉の中に、コンサベーション(保全)が入っている。哲学が違うんです。

人口交流論の落とし穴

低成長時代になって、成功者たちや経済界のリーダーたちは、昔へ戻ろうと言い出した。「昔の夢よ、もう一度」である。「坂の上の雲」や「龍馬伝」を見よ、という。ああいう番組を見て、日本人の真面目さを思い出して再発展しましょう、と思うのでしょう。

しかし過去の成功事例の目標しか持っていないで、新しいパラダイムがつくれないままやったって、おそらく失敗するでしょう。

僕が想定している新しいパラダイムは、縮小論。これからの日本は、人口減少を前提とした将来像をどう描いていくかが、最大の課題になります。

それなのに、政治家も大学の先生も、ほとんどの人は人口が増えないと地域や社会がだめになると思っています。

幻想でもいいからと、人口増加政策を求めます。旧・国土庁は過疎・過密問題を解決しようと三全総(1977年〈昭和52〉に閣議決定された旧・国土総合開発法に基づく第三次全国総合開発計画:田園都市構想)や四全総(1987年〈昭和62〉)を、旧・自治省は過疎地特別措置法をつくり、旧・通産省は農村工業導入政策を進めました。でも、地方の過疎化、高齢化は止まりません。

そこで苦肉の策というか、居直りというか「定住人口がだめなら交流人口」と考えだされたのが、「都市農村交流人口論」です。

交流人口論は、人口1万人の町に100万人の交流人口がきたら、町はすごく活性化する、というところに立脚しています。しかしそれには落とし穴があって、100万人がその町にいるのは1日だけ。しかもその人たちは、床屋にも病院にも学校にもスーパーマーケットにも行かないし、交流人口の増加で潤うのは、土産物屋、旅館、タクシーなどの一部の業種にすぎません。

町の住民は365日×1万人=365万人です。だから都市農村交流型経済活性化論は、経済的サギ論だというのです。

人口増加型パラダイムからの脱却

日本は、明治時代の3500万人の人口を1億2700万人まで増やして、その人口増加をベースに経済発展を成し遂げた。無茶苦茶な人口爆発型の国だったのです。

今、この弊害が出てきています。

一つは環境・エネルギーの問題。農村の若者を都会に連れてきてバラバラにしたら、労働力にもなるし、転勤も簡単にさせられる。ムラや家族が持っていた機能を、専門、分業化して、貨幣でもって赤の他人に依存する、という生活様式をつくれば消費者もつくれます。

ところがムラは機能的共同体という側面も持っている。

会社でサービス残業をするのも、ムラの苦役の延長です。他社とのシェア争いに徹夜で働くのも、隣ムラとの水争いと同じです。共同体の生き残りのために、サラリーマンは会社でもムラと同じ働きをするのです。

ムラが壊れるということは、単に農業や農村が衰退していくということではありません。日本人が、日本社会が持っている機能的共同体が、弱体化することなのです。

エネルギーだって、鳩山さんはCO2 25%削減と言ったけれど、バラバラに住んでいる人間が一緒に住むようになればすぐに達成できる。正面切ってアプローチしたのでは無理。発想を変えなくては。


  • 家族類型別世帯の割合(普通世帯)

    家族類型別世帯の割合(普通世帯)
    内閣府「国民生活白書 平成19 年版」より
    編集部で作図

  • 明治以降の日本の人口動向

    明治以降の日本の人口動向
    農村の幸せ、都会の幸せ』徳野貞雄(NHK 出版2007)をもとに編集部で作図

  • 家族類型別世帯の割合(普通世帯)
  • 明治以降の日本の人口動向

ハウスレスでなくホームレスが問題

もう一つの弊害は、人間どうしの関係性が稀薄になったこと。

みんな間違っているのは、一般にホームレスといわれている人たちは居住する家のない「ハウスレス」ではなく、家族や知人との人間関係を喪失した「ホームレス」なんですよ。

だからハウスレスは救えるけれど、関係性を喪失しているホームレスは救えないんです。

普通に生活しているように見える人たちの中に、ホームレスがものすごく多い。その人たちを切ってしまっているのは、人間関係資源を極度に縮小した現代社会です。

人口をベースに経済発展させるというモデルは、もう通用しない。 坂の上の雲を見つめて歩いていったら、「坂の上の崖」だったんです。

密飼いからの解放

都会には人間が多すぎるから、社会的関係性を拒絶しないとやっていかれないのかもしれません。あまりに近づきすぎたら危険を感じる。それって、動物の本能ですよ。

僕は去年、鶏インフルエンザをきっかけに、過密問題を研究していた。

科学者は証明できないことは絶対に言わないけれど、厳密には証明できないことも世の中にはたくさんある。鶏インフルエンザも証明されていないけれど、100万羽養鶏なんていうことをやったら、病気が起こる確率が高くなるのは当たり前です。突然変異でウィルスが変わっていく病気だから、10羽や100羽飼っているのと100万羽飼っているのとでは、ウィルスの変貌の速度も桁が違ってきます。だから基本的に家畜の密飼いが原因で、人間の密飼いとのダブル密飼いによって、インフルエンザは広がっていくんです。

昔は密飼いじゃなかったから、風土病で数十匹死んでも、宿主が死ぬとウィルスも死ぬから被害がそこで止まり、パンデミックにならない。

じゃあ、なぜ100万羽も飼っているのかといったら、それは産業資本主義の都合でしょ。そこを放っておいて、ワクチンが効くか効かないかを論じたって、結論は出てこないですよ。

家族と地域の価値

人間の集団には、目的がある集団とない集団がある。

家族とムラには目的がなくて、存在が先にある。逆に目的があったら困るんです。結婚して、産まれてきた子供が目的に合わないからといって「私は知りません」とは言えないのが家族。

家族がなぜ一番安心できるのかは、単純な話です。赤ちゃんが泣いたらおっぱいを吸わせておむつをかえる。そういう行為の積み重ねなんですよ。好きとか嫌いとか感情で家族になるわけじゃない。

関係性には、家族が果たす役割が大きいけれど、地域の働きもある。

このごろ子供の虐待が多い。そういうことは昔からあったけれど、最低限の保障をじいちゃん、ばあちゃんや隣近所がやっていた。だから子供は死ななかった。だめな親の数は、昔も今も同じぐらいだけれど、それを保障するシステムがなくなったから、子供が死んでしまう。

未熟な親をどうするかということも解決しなくちゃならないけれど、家族・世帯の在り方や、隣近所の関係性を高めることも大切です。

知らない仲じゃなし

アクアツーリズムという言葉は、よく知りません。どれぐらい都会の人を動員できるのかも知りません。

ただ、「みんな、つながりたいんだ」という気持ちはわかります。しかし、それをやるための基盤が、もう崩壊している。

僕が今考えているのは、個体識別ができる人間の集合体をつくれないだろうか、ということです。

室町時代から後のムラというのは、小字と大字の連合体。だいたい200から300の戸数で4000から6000人。この範囲内で、日本人は生きてきた。互いに個別に知っていた。

山も水も、この人数だとなんとか自律できる。それより外は、他所の世界。ときには水争いの対象です。

人間は知っている仲と知らない仲とでは、行動様式が変わる。だから個体識別ができている一定空間の中で、どれだけの人間関係をつくれるかが、地域再生の突破口の一つになる。

これが、アクアツーリズムの可能性への、答えかもしれない。

ただ、行政やメディアが見せるイデオロギーとユートピアの虚偽には警戒しなくてはいけない。

「大変だったけれど、貧しくても助け合っていた」とかね。

そういう話がみんな大好きなんですね。それを悪用する人がいて、何度も騙されて疲弊している農山村があることを、都会の人にもっと知ってもらいたい。

まずは、受け入れ側の地域の基盤と、訪れる側の関係性を再生しなくては。ニューツーリズムを語るのは、それから先のことだろうと思います。



PDF版ダウンロード



この記事のキーワード

    機関誌 『水の文化』 35号,徳野 貞雄,熊本県,水と社会,産業,水と生活,農村,人口,ツーリズム

関連する記事はこちら

ページトップへ