機関誌『水の文化』72号
温泉の湯悦

みず・ひと・まちの未来モデル
真鶴の人のつながりを支える「社会的仕掛け」
「となり組」と「社会的オヤ」

地域が抱える水とコミュニティにかかわる課題を、若者たちがワークショップやフィールドワークを通じて議論し、その解決策を提案する研究活動「みず・ひと・まちの未来モデル」。2年目は神奈川県の「真鶴町(まなづるまち)」を舞台に研究活動を進めています。
4月に初めて真鶴を訪問した学生12名は、5月にも各グループで真鶴を訪れ、6月からはミツカンの若手社員3名も加わり、毎月真鶴へ調査に通いながら、ゼミで議論する日々を過ごしました。そして、7月30日から8月2日の3泊4日で調査のためのゼミ合宿を実施しました。
素朴でありながらも美しさが感じられる真鶴町の生活景観とコミュニティに惹かれて移り住んだ人たちは、既存のコミュニティに溶け込み、さらに地域活動にも積極的に携わっているようです。
かじ取り役である法政大学現代福祉学部准教授の野田岳仁さんに、夏のゼミ合宿を経て見えてきた真鶴町の地域性について記していただきます。

野田 岳仁

法政大学 現代福祉学部 准教授
野田 岳仁(のだ たけひと)

1981年岐阜県関市生まれ。2015年3月早稲田大学大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。2019年4月より現職。専門は社会学(環境社会学・地域社会学・観光社会学)。

月に一度の「真鶴なぶら市」が行なわれた快晴の真鶴港

月に一度の「真鶴なぶら市」が行なわれた快晴の真鶴港

調査からみえてきた2つのテーマ

私たちは、毎月の調査に加え、7月30日〜8月2日まで3泊4日の調査合宿を実施した。朝9時から夕方まで真鶴を歩き回って聞きとりを行い、宿に戻ってからは得られたデータを持ち寄ってのディスカッション。深夜まで連日議論は白熱した。

真鶴町役場および地元住民のみなさんの多大なご協力をいただき、刺激的なデータを得ることができた。今回はそれらについて述べていくことにしたい。

本研究の関心について振り返っておこう。大きくは2つある。

前号で論じたように、「美の条例」制定(1993年)の出発点となったのは、真鶴町の抱える「水」問題にあった。

真鶴町は全町民の暮らしをまかなえるだけの自主水源をもっておらず、バブル期の強大な開発圧力に抗いながら、水の供給量に応じたまちづくりのあり方を模索する必要に迫られていた。すなわち、水不足から町民の暮らしを守る手段として、「美の条例」はつくられたのである。

このように、真鶴町の未来モデルの根底にあるのは「水」であることがみえてきた。そこで私たちは、「水」を切り口に真鶴町を捉え直してみようと考えた。これがひとつ目の関心である。

調査を重ねると、水源がないといわれる真鶴町には意外なほど豊かな湧き水が残されていることがわかった。それは岩地区である。岩地区では、近隣住民で水道組合を運営しており、その一部は現在も存続している。そこで、岩地区にはなぜ水道組合が存続しているのか、その理由を明らかにすることにした。

真鶴町は、1956年(昭和31)に旧真鶴町と旧岩村が合併して発足した自治体である。両地域は文化的にも住民の気質にも違いがあるとよく語られるのだが、この理由を明らかにすることは、旧真鶴町に比べれば目立つことが少なかった岩地区(旧岩村)の地域的な特徴を把握することにもつながるだろう。

もうひとつは前号で展開した関心である。すなわち、「美の条例」制定から30年を経て、美しい生活景観や人に会いに行く「暮らし観光」が注目され、神奈川県唯一の「過疎地域」にもかかわらず、若い世代の移住に結びつくようになっていることだ。2019年度(令和元)には町の人口が初めて社会増に転じた。

移住者数の急増に目を奪われがちになるが、移住者が地域活動やまちづくりの中心的存在を担っていることにこそ注目しなければならない。

というのも、過疎地域の移住をめぐる政策的課題とは、いかに移住者を増やすかということよりも、移住者にどのように地域に馴染んでもらい、コミュニティの成員としていかに人間関係をつくってもらうのか、ということだからである。コロナ禍で地方移住が注目され、実際に人口が増加した自治体もあるが、別荘地で人が増えていたり、地域活動とは距離をとる場合が多く、期待されるような地域の担い手になるケースは想像以上に少ない。

ではなぜ真鶴町では、移住者が地道な地域活動に加わり、まちづくりの中心的な担い手として活躍できているのだろうか。私たちは、真鶴という地域社会には、移住者が地域に溶け込めるような「社会的な仕掛け」が幾重にもちりばめられているのではないかと考えた。

そこで、地域に潜んでいる「社会的な仕掛け」とはどのようなものかを明らかにすることにしたのである。これを明らかにできれば、過疎地域での政策的な応用ができるかもしれない。

この2つの関心は、結果的に真鶴という地域の歴史的性格をあぶりだすことにつながるだろう。

  • 野田岳仁さん指導のもと夏の合宿で真鶴町を調査したゼミ生たち

    野田岳仁さん指導のもと夏の合宿で真鶴町を調査したゼミ生たち

  • 地域の人びとに聞き取りを行なうゼミ生たち

    地域の人びとに聞き取りを行なうゼミ生たち

  • 真鶴町 地図

  • 真鶴地区 岩地区

岩地区の豊かな水と「となり組」

私たちは岩地区の歴史と文化に詳しい竹林初江さんの案内で岩地区を歩く機会に恵まれた。

岩地区を歩き回り、湧き水の利用が残っている場所や現在も地下水を利用している松本農園や芦澤石材店などを訪れ、利用者や管理者に聞きとりを行った。そこでわかったことは岩地区が豊かな水に恵まれていることだった。瀧門寺前(りゅうもんじ)や清水沢という小字名(こあざめい)が残る道筋には現在も洗い場や水場が残されている。

そのなかでも驚いたのは、湧き水を水源とした水道組合の存在である。設立者で長らく世話人を務めてきた佐藤清次(せいじ)さんの名をとって「佐藤清次水道組合」と呼ばれていた。水道組合の通帳の記録によれば、水道組合の設立は1961年(昭和36)である。

旧岩村には1924年(大正13)に簡易水道が導入されていたが、供給区域は限られていた。供給区域の外側が開発され、そこに暮らす住民たちは、湧き水に頼ったそうである。

清次さんの長男の妻である佐藤満枝(みつえ)さんによれば、旧岩小学校前の湧き水を天秤棒で水桶を担いで運んだそうだ。それは重労働であり、「となり組」を母体に16軒で費用を出し合って組合を結成し、山際の湧き水を水槽に貯め、そこから各家にポンプで引き込むようにした。その後、岩地区に町営水道が導入されると半数は脱退したという。

現在の組合員は2軒であるが、遠方から汲みに来る利用者も10名ほどいるそうである。水槽の泥をかきだす大掃除は年に2回行い、現在の世話人である湯川久雄さんが屋根の修理など日常的な管理を担っている。町は毎月水質検査を行う。

話を聞いて興味深く思ったのは、水道組合の管理主体にある。「となり組」という近隣集団が水道組合のみならず、さまざまな生活互助の基盤となっていそうだということだ。

岩地区で調査をしていると、地元住民から口癖のように「岩地区は人のつながりが強い」と誇らしげに語られることが相次いでいた。このことは、「となり組」の働きと無関係ではなさそうなのである。

これはいったいどういうことなのだろうか。

  • 岩地区のまち歩きをはじめ、さまざまな地域住民も紹介してくれた竹林初江さん

    岩地区のまち歩きをはじめ、さまざまな地域住民も紹介してくれた竹林初江さん

  • 松本農園の松本茂さん。祖父の雲舟(赳)さんは真鶴町の初代町長。「井戸があったからここに移り住んだと聞いている」と話す

    松本農園の松本茂さん。祖父の雲舟(赳)さんは真鶴町の初代町長。「井戸があったからここに移り住んだと聞いている」と話す

  • 小松石の加工に井戸水を使っている有限会社 芦澤石材の芦澤潤さんとお母さん。潤さんの祖父が水を探して居を定めたと言う

    小松石の加工に井戸水を使っている有限会社 芦澤石材の芦澤潤さんとお母さん。潤さんの祖父が水を探して居を定めたと言う

  • 岩地区に残る湧き水を水源とする「佐藤清次水道組合」の水槽

    岩地区に残る湧き水を水源とする「佐藤清次水道組合」の水槽

  • 「佐藤清次水道組合」の経緯について話す佐藤満枝さん(左)。右は湯川久雄さんの夫人、律子さん

    「佐藤清次水道組合」の経緯について話す佐藤満枝さん(左)。右は湯川久雄さんの夫人、律子さん

  • 水場の管理をつかさどる世話人の湯川久雄さん

    水場の管理をつかさどる世話人の湯川久雄さん

人のつながりの強さの正体

ここからは、地域の基礎的な生活の単位である「町内会」に目を向けてみよう。現在の真鶴町の自治会組織は、9つ(旧真鶴町6・旧岩村3)に再編されている。

岩地区の中心となる岩中央自治会(以下、岩中央)は、古くからの「むら(村落)」を継承したものとみられる。

地元住民が岩地区のつながりの強さに言及する際は、岩中央の範域を指していることが多く、じっさいに、自治会の加入率をみると、2021年時点の9自治会の加入率は平均で42.2%と低いが、岩中央では74.11%と突出している(2009年時点の平均加入率は54.5%で加入世帯数の減少は顕著である)

自治会組織は通常いくつかに区分される。各世帯を複数にわけたグループを「班」や「組」と呼ぶのが一般的である。岩中央を除けば、各町内会の「となり組」の役割は、回覧板を回したり、ゴミ収集所の管理が主だったところである。

にもかかわらず、岩中央の「となり組」では生活互助にかかわる次のような役割を果たしているのだ。

真鶴町自治会連合会会長で岩中央自治会長を務める朝倉隆さんによれば、冠婚葬祭、児子(ちご)神社の祭祀、灯籠流しの運営は組単位で行い、溝掃除(3、8、9組)、水道組合(10組)、弁天様のお世話(6組)、かつての無尽講や稲荷講も「となり組」を母体としたものだという。

象徴的なことは、「地区防災計画」策定にあらわれている。真鶴町は県内で高齢化率がもっとも高いことから、防災について町役場も町内会も力を入れている。国は2013年(平成25)の災害対策基本法改正において、地域コミュニティの自主的な防災計画を推進するため地区防災計画制度をつくった。

真鶴町でいえば、町内会レベルでの防災計画の策定が求められるのだが、驚くことに、岩中央では朝倉会長を中心に「となり組」の単位で細かく策定しているのである。

災害時は、平常時の人のつながりの濃淡が生存を左右しかねない。だからこそ、岩中央の人びとのもっとも基礎的な生活の単位である「となり組」を基盤として策定したのである。

岩中央は、「むら(村落)」の「村組」あるいは「近隣組」を引き継いだものと想定されるが、人びとが誇らしげに語る「つながりの強さ」とは、もっとも身近な生活互助の単位である「となり組」が機能していることだといえよう。

弱体化したとはいえ、「となり組」を母体とする水道組合の管理も人のつながりを支え続けているのである。

  • 真鶴町 自治会マップ

    真鶴町 自治会マップ 青色が旧岩村、赤色が旧真鶴町

  • 高台から岩中央地区を望む

    高台から岩中央地区を望む

  • 真鶴町自治会連合会会長で岩中央自治会長を務める朝倉隆さん 提供:真鶴町

    真鶴町自治会連合会会長で岩中央自治会長を務める朝倉隆さん 提供:真鶴町

移住者を溶け込ませる「社会的な仕掛け」

もうひとつの関心は、移住者を地域に溶け込ませる「社会的な仕掛け」とはどのようなものかを明らかにするものである。私たちはそれぞれの関心に基づき移住者チームと地元住民チームの2チームをつくり、双方への聞きとり調査を重ねた。

26組の移住者の入り口となっている真鶴出版の來住友美(きしともみ)さんが移住者の心得を教えてくれた。いわく、「まちの人たちの気持ちを波立てないで、まちの人たちがつくってくれた流れに乗ること」なのだという。

移住者は転校生のような存在であり、まずは移住者がどんな人なのかを地元住民に見極めてもらう必要があるそうだ。そうすれば、自然といろんな誘いがきたり、人の縁がつないでくれるようなのである。

本研究では、この「流れ」を生みだす源流にあたるものを「社会的な仕掛け」と呼んでいるのである。ここでは、真鶴という地域の固有性をふまえた2つの仕掛けをとりあげたい。

地域の人間関係を紹介する「まち歩き」

移住希望者に向けたユニークな取り組みがある。それは「まち歩き」である。

考案したのは、真鶴出版の川口瞬さん、來住さん夫妻である。宿泊客に対してまち歩きを行なっており、それがじつに効果があるようなのだ。

町役場による移住体験施設「くらしかる真鶴」の運営は真鶴出版が担っており、そこでも「まち歩き」が取り入れられている。

移住希望者は、夫妻の案内でまちを歩く。といってもただ名所を歩くわけではない。建築に興味があったり、空き家を探していたり、移住希望者の関心にあわせて歩くコースを変えるが、真鶴での暮らしを体感することは共通する。

生活商店街をめぐれば、鮮魚店、青果店、精肉店を訪れ、店主に移住希望者を紹介していく。そして、観光案内所ならぬ関係案内所としても知られる「草柳商店」では、そこで居合わせた地元住民と移住希望者が他愛もない話をしながらお互いを知り合う機会をつくっているのである。

移住希望者に向けた「まち歩き」とはまちの人と知り合うためのものなのだ。つまり、まち歩きのなかに「人間関係」を紹介するしくみを入れ込んでいるのである。

だからこそ、移住希望者は、移住後の生活が具体的にイメージできるのだろう。相談相手となってくれそうな人はいるだろうか。紹介された人たちと仲良くできるだろうか。そんなことを考えることができるのだ。

そして見逃せないことは、これが結果的には、地域が移住者を選ぶようなしくみとなっていることだ。前号ではこれを真鶴の暮らしの根底にある「フィルター」として表現した。これがある種の移住者選別機能を果たしていそうなのだ。真鶴の暮らしぶりや濃密な人の付き合い方に適合する人だけが移住につながるようになっているのである。

移住者はしばらく「流れ」に身を任せていると、多方面から声がかかるようになる。それは地元住民からの町内会や消防団の入会の誘いだったりする。あるいは、地元住民と移住者の交流会・通称「辰巳会」や「草柳商店」での角打(かくう)ちの誘いだったりする。そこで、移住者は、貴船祭りの執行部から担い手が少ないから参加してはどうかと勧誘されたりする。移住者は「流れ」に身を任せながら、町内会や商工会など既存の社会組織にひとつは入会するようになっているようだ。

このように、流れに身を任せていれば、「関係性の波」が迫ってくるのである。真鶴にはこの波がいくえにも重なっている。それが人のつながりの豊かさにつながっているのだろう。

  • 毎月最終日曜日に真鶴港で開かれる「真鶴なぶら市」。鮮魚や干物など港町ならではの食材から、農産物、雑貨、キッチンカーも集う。「人が交流する場」をつくるのが目的

    毎月最終日曜日に真鶴港で開かれる「真鶴なぶら市」。鮮魚や干物など港町ならではの食材から、農産物、雑貨、キッチンカーも集う。「人が交流する場」をつくるのが目的

  • 「真鶴なぶら市」で真鶴出版の來住友美さん(右)に話を聞くゼミ生たち

    「真鶴なぶら市」で真鶴出版の來住友美さん(右)に話を聞くゼミ生たち

  • 地元住民と移住希望者が知り合う「関係案内所」となっている草柳商店

    地元住民と移住希望者が知り合う「関係案内所」となっている草柳商店

  • 「真鶴ピザ食堂KENNY(ケニー)」を経営する向井研介さんと日香(にちか)さん夫妻。2016年6月に真鶴へ移住。当初は別の場所で営業していたが、向井さんが地域活動に取り組んでいる姿が認められ、真鶴駅前の一等地にある空き店舗を借りることができた

    「真鶴ピザ食堂KENNY(ケニー)」を経営する向井研介さんと日香(にちか)さん夫妻。2016年6月に真鶴へ移住。当初は別の場所で営業していたが、向井さんが地域活動に取り組んでいる姿が認められ、真鶴駅前の一等地にある空き店舗を借りることができた

  • 真鶴駅前に店を構える「真鶴ピザ食堂KENNY」。干物を使ったピザ、塩辛を用いたパスタなど港町ならではのメニューが並ぶ

    真鶴駅前に店を構える「真鶴ピザ食堂KENNY」。干物を使ったピザ、塩辛を用いたパスタなど港町ならではのメニューが並ぶ

  • 「まち歩き」とは関係なく、東京東部から移住してきた玉田麻里さん。一般社団法人 真鶴未来塾の代表理事を務め、「コミュニティ真鶴」内のコワーキングスペースの運営、空き家バンクの窓口業務、体験学習やイベントなど子どもたちに関する事業などを行なう。「真鶴に住んでいると自分に本当に必要なものが見えてくる」と語る

    「まち歩き」とは関係なく、東京東部から移住してきた玉田麻里さん。一般社団法人 真鶴未来塾の代表理事を務め、「コミュニティ真鶴」内のコワーキングスペースの運営、空き家バンクの窓口業務、体験学習やイベントなど子どもたちに関する事業などを行なう。「真鶴に住んでいると自分に本当に必要なものが見えてくる」と語る

移住者を支える「社会的オヤ」

もうひとつは、親分と子分によってなりたつ社会関係のことである。「社会的オヤ」とは、生みのオヤとは別に地域のルールや暮らしの作法を教えるなど地域で面倒をみてくれる存在を指す。社会学では、社会的に上位にある実力者(親分)と社会的に不安定な位置にある者(子分)の二者間に庇護と奉仕の関係を見いだしてきた。農山漁村地域ではかつてはよくみられた。ここでは2組紹介しよう。

一組目は、「草柳商店」のあーちゃんこと草柳文江(ふみえ)さんと絵描きの山田将志(まさし)さんである。山田さんは「真鶴まちなーれ」(注1)に参加する作家の一人として真鶴に縁をもった。はじめて真鶴を一人で訪れると、「草柳商店」の明かりに吸い寄せられるかのようにふらりと立ち寄ったそうだ。そこでしげさん(草柳重成さん)やあーちゃんと知り合い、結果的に移り住むことになった。

あーちゃんは、移住してきたばかりで生活基盤のなかった山田さんをオヤのようにサポートしてきた。具体的には、家探しから、山田さんの妻の仕事の紹介、結婚の保証人などである。これは「社会的オヤ」の役割の典型とされる。一方、山田さんはあーちゃんを「真鶴のお母さん」と慕い、あーちゃんの仕事を手伝ったり、一緒に出掛ければ傍らを歩いたり、家族のようなさりげない気遣いをみせる。

もう一組は、岩地区の竹林さんと山下拓未(たくみ)さんである。山下さんは移住へ向けた準備段階であるが、岩地区で築40年の空き家を改修し、宿泊もできるコワーキングスペースやカフェを運営している。竹林さんは事業をはじめた山下さんを応援し、外部からの新規参入者が抱えがちなトラブルを解消したり、地元の業者や住民との橋渡しに一役買っている。一方の山下さんは竹林さんの畑仕事を手伝ったり、毎週水曜日を竹林さんと地元の女性たちの井戸端会議のためにスペースを開放している。じっさいに山下さんは事業を開始した当初は地元住民に挨拶をしてもそっけない態度をとられることがあったそうだが、竹林さんを介することでその関係性はガラッと変わり、山下さんを応援する住民が増えた。

この関係性は人によって濃淡があるものの、「社会的オヤ」とでも呼べるような存在がいる移住者は少なくないように見受けられる。

前号(71号)で紹介した町役場の卜部(うらべ)直也さんは、ミッキーさんの愛称で多くの移住者に慕われる岩本幹彦さんに「社会的オヤ」として公私にわたって支えてもらっていることを話してくれた。

このように述べると、「社会的オヤ」という存在は移住者が増えはじめた近年にみられる新しい現象に思われるかもしれない。だが、じつは歴史的にみると、真鶴には「社会的オヤ」が根付いていたようなのだ。

郷土史『真鶴』の1967年(昭和42)の記述にみる。そこでは、「むら(村落)」の若者組にあたる青年会(後の青年団、現在は解散)の入会条件に保証人が必要であったことが述べられ、「保証人は親方といって第二の親になるわけである」とある。続けて、「近所の人に付き添われて親方の家に行き、親子のための盃をしてもらった。当時、親分、子分の関係は青年会入会のための、形式的なものでなくて、両家のつき合いの上に、深く密接なつながりを作ったものだ」と(注2)

もちろん当時の「社会的なオヤ」とは家のつながりが弱まるなど随分とかたちは変わっている。けれども、その機能は共通している。当時の青年会の働きは現在でいえば、多様なまちづくり活動を担う移住者の姿と重なるところがある。

このようにみれば、真鶴という地域社会は、若者や移住者といった不安定な位置にある者を「社会的オヤ」が支える歴史的性格を帯びているといえよう。真鶴には、このようなしくみが潜在的にあり、ある条件のもとで立ちあらわれてくる。そのような「社会的な仕掛け」なのである。

移住者の取り組みは、ともすれば、でる杭として打たれたり、地域での摩擦を引き起こしかねないものだ。けれども、真鶴では、2つの地域固有の「社会的な仕掛け」によって、移住者が地域の中心的な担い手として活躍できているといえるのである。

(注1)「真鶴まちなーれ」
2014年から不定期で開催されるアートと交流を楽しむアートプロジェクト。実行委員は地元住民の有志で結成されている。

(注2)
与野与志(1967)「『若い衆』の思い出①」『真鶴』第1号、郷土を知る会(『真鶴』復刻版所収)

  • 「真鶴まちなーれ」をきっかけに真鶴へ移住した絵描きの山田将志さん(右)と草柳文江さん(左)。実の親子のように仲がいい

    「真鶴まちなーれ」をきっかけに真鶴へ移住した絵描きの山田将志さん(右)と草柳文江さん(左)。実の親子のように仲がいい

  • 草柳商店に人びとが集う様子を描いた山田さんの作品

    草柳商店に人びとが集う様子を描いた山田さんの作品

  • 一般社団法人 地域間交流支援機構(略称:ロコラボ)の代表理事を務める山下拓未さん。「竹林さんに受けた恩は、これから岩地区にかかわる別の誰かに返したい」と語る

    一般社団法人 地域間交流支援機構(略称:ロコラボ)の代表理事を務める山下拓未さん。「竹林さんに受けた恩は、これから岩地区にかかわる別の誰かに返したい」と語る

  • 山下拓未さんが活動拠点とする岩地区の「Rockin' Village」。コワーキングスペースやゲストルーム、カフェなどを運営

    山下拓未さんが活動拠点とする岩地区の「Rockin' Village」。コワーキングスペースやゲストルーム、カフェなどを運営

  • 「ミッキーさん」と呼ばれ親しまれている岩本幹彦さん。町役場に長く勤めた。「真鶴のローカルルールを知って来てくれる人は大歓迎」と話す

    「ミッキーさん」と呼ばれ親しまれている岩本幹彦さん。町役場に長く勤めた。「真鶴のローカルルールを知って来てくれる人は大歓迎」と話す

  • 真鶴町政策推進課の卜部直也さん。岩本さんには公私にわたってさまざまな相談をしている

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  • フィールドワークで得たことをチームごとに分析し、発表し合う夜の討議。「問い」からずれていないか、論理をどう組み立てるのかなど深い議論を行なった

    フィールドワークで得たことをチームごとに分析し、発表し合う夜の討議。「問い」からずれていないか、論理をどう組み立てるのかなど深い議論を行なった

日を追うごとに成長するゼミ生たち

猛暑に見舞われた今夏の合宿。初日はまだチームごとに戸惑いがあるようでしたが、2日目の夕方、調査を終えてホテルに戻ってきたゼミ生たちの顔は実に晴れ晴れとしていました。

「こんな人に出会えた」「この情報は深く探るとおもしろくなりそう!」―そういう手ごたえを各チームがつかんだからです。

聞き取りを行ないつつ、人から人へ、あるいは見学先から住民を紹介してもらい、それが思わぬ情報を得ることにつながった場面は多々ありました。

岩地区の水チームは「水場」に着目することによって「住民同士の強いつながり」を見つけました。真鶴の移住者チームと地元住民チームは、真鶴出版の「まち歩き」経由ではない移住者を探し出します。また、自分たちの力で地域のキーパーソンを引き寄せ、図書館にこもって地域の論理を裏づける貴重な史料も発見しました。

3泊4日の合宿は長いようで短いです。残り時間を考えてチーム内で手分けして、「この人こそ!」と見定めて深く聞き込んでいく。がむしゃらに、でもときには冷静に……。4日間で大きく成長していく若者たちの姿を、編集部は目の当たりにしました。

真鶴町役場のご厚意により、研究成果発表会の日程も決まりました。お世話になった地域の方々に、その成果をお伝えする日はもうまもなくです。

(2022年7月30日〜8月2日取材)

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