機関誌『水の文化』62号
再考 防災文化

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文化をつくる

防災仲間——新たなコミュニティの可能性

編集部

他人事ではいられないこれからの水害

「これほどいろいろ取り組んでいても後追いになることが多く、忸怩たる思いがあります」

総論にご登場いただいた小池俊雄さんが発したこの言葉に、目が覚める思いがした。水害をなくそうと研究に取り組み人材を育てつつ、今すぐ実行すべき事柄や社会資本の整備のあり方を政府に提言するなど真剣に取り組んでいる方の言葉を聞いて、自分はどこまで真剣に水害について考えていただろうかと恥ずかしくなった。

戦後しばらくの間、自然災害が相次いだ日本は、国土整備に投資して被害をある程度抑えることに成功する。しかし、近年その様相が変わった。大規模な水害が毎年のように発生しているのは周知の事実。特に平成27年9月関東・東北豪雨で発生した鬼怒川の堤防決壊については、小池俊雄さんだけでなく下館河川事務所の青山貞雄さんもショックを受けたと語る。治水や水防災に携わる人々は皆、きっと同じ思いだ。

非常に強い雨が地域を選ばず降るようになった気候の変化に加えて、1970年代半ばから犠牲者が1000人を超えるような水害がなかった日本。国や行政の努力によって私たちは守られたがゆえに、かつてはあったはずの水害への危機意識がいつの間にかゆるんでしまっていたのではないか。

国の機関も自治体も研究者も私たち市民を守ろうと一生懸命取り組んでいる。任せっきりの時代はもう終わりだ。

自分が住む地域を知ることが第一歩

水害を含む防災全体についてお話しいただいた林春男さんは、「自助7割、共助2割、公助1割」と言った。自助とは、他人の力を借りることなく、自分の力で切り抜けること。それがいかに大切かは、大規模な土石流が発生したにもかかわらず怪我人すら出なかった山川河内地区に見ることができる。

「念仏講まんじゅう」で伝えつづけた江戸期の災害の記憶が、土石流は必ずまた来ると住民に植えつけた。暗闇のなか、個々が自らの判断で逃げた行動は「自分の身は自分で守る」という防災の基本を示す。

しかし、「念仏講まんじゅう」のような取り組みはまねしようとしてできるものではない。しかも悲しいことに、災害の記憶は何もしなければ時間とともに薄らいでしまう。

「自分の住む地区に目を向けることが大切です」と説くのは、山川河内地区にご同行いただいた長崎大学名誉教授の高橋和雄さんだ。長崎大水害から30年後の2012年、長崎市内で地区の防災マップを住民につくってもらったところ、「やっぱりここが危ないね」と危機意識が一気に高まったそうだ。

高橋さんは、水害の記憶をつなぐため、水害の碑や案内板に二次元コードを取りつける試みを進めている。

「かつてそこにどんな水害が起きたのかを、二次元コードからアクセスして見られるようにします。どれほどの水が来るのか、近くの避難所はどこかなどの情報も盛り込む予定です」

ICT技術で風化を食い止める取り組みは大事だ。そして、一度も水害が起きていない地域にどうアプローチするかという課題もある。洪水浸水想定区域にしたがってつくられるハザードマップの見直しが進んでいるが、個人に浸透させなくては意味がない。防災学習用ARアプリ「天サイ!まなぶくん」防災学習教材セット「逃げキッド」といったツールも応用したい。

頼もしい人たちに思う自助発の共同体

私の家は高台にあるから水害は大丈夫、関係ないよ——そう思う人がいるかもしれない。しかし、例えば自分が住む家のすぐそばの低地で水害が起きたらほんとうに無関心でいられるだろうか。「あのおばあさんはどうしているだろう」「自分にもできることがないか」と気になるのではないか。

今回の取材で印象深かったのは、お会いした方々が皆、前向きで明るく、頼もしいことだった。それはなぜか。「自分でできることが多い人たち」だからだろう。

例えば、揖保川に設置された畳堤を初めて活用した正條自治会の方々。西日本豪雨の後、市役所が地区内に畳の倉庫を設置したが、「これじゃあ畳が腐ってしまう」と自分たちで電気工事を行ない、換気扇と夜間作業を想定して照明を取り付けたのだ。「頼ってばかりじゃいられないよ。自分たちでやらなきゃね」と笑う。

コミュニティで大切なのは一芸に秀でた人がたくさん集まり、つながることだと聞く。ごはんをつくる、なにかを修繕する、子どもたちの世話をする。いざというときは、地域の外側にパイプをもつ人も必要だ。

なんでもよいから得意なことを持ち寄って、多様な人同士がつながること。かつて地縁をベースにしたコミュニティがあったが、都市部でそれを目指すのは難しい。しかし、水害をはじめとする自然災害に備えて自分ができることを持ち寄って「防災仲間」としてつながれば、今から都市部でも新しいコミュニティをつくることができるのではないか。

目指すべきところは、今の個人主義をベースにしつつ、自助から互助、そして共助へとつながるようなコミュニティ——。それが地域の防災力を強め、ひいては他者に開かれた日本社会のレジリエンスに結びつく。

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