機関誌『水の文化』68号
みずみずしい果実

みずみずしい果実
果実的野菜

台地で育つ、甘いスイカ
──「すいかの里」千葉県富里市の挑戦

千葉県は熊本県に次ぐスイカの産地だ。なかでも富里(とみさと)市は関東ローム層の土で水はけがよく、昼夜の寒暖差が大きいため、糖度の高い実がなる「すいかの里」。あまり水に恵まれない北総(ほくそう)台地でスイカはどのように栽培されているのか。「すいか条例」を定めたばかりの富里市を訪ねた。

富里市が誇るスイカ。甘さと水分、そして歯ごたえが絶妙なバランスで成り立っている

富里市が誇るスイカ。甘さと水分、そして歯ごたえが絶妙なバランスで成り立っている

みずみずしいスイカで水分補給するランナー

「給水所」ならぬ「給スイカ所(きゅうすいかじょ)」でランナーが手にするのは、水ではなくカットスイカだ。

これは2019年(令和元)に36回を迎えた「富里スイカロードレース大会」で毎年おなじみの風景。同年は全国から1万559人がエントリーした。小・中学生は3km、大人は10kmを走る。なかには緑と赤のスイカ柄など仮装した人たちもいる。

富里のスイカは梅雨時に最盛期を迎えるので、ロードレース大会も6月下旬に行なう。「ここ数年は曇天の日が多くランナーにはかえっていいんですね。小雨はありましたが大雨になった記憶はありません」と富里市農政課課長の池田幸市さんは言う。完走後は仲間と一緒にスイカを頬張る。これを楽しみに毎年参加する常連も多い。

その前週には「富里市すいかまつり」を開催。前日の「すいか共進会」に出品されたスイカの即売会が行なわれるほか、カットスイカも振舞われ、家族連れなど約1万5000人の人出で賑わう。

残念ながらコロナ禍でここ2年、スイカロードレース大会もすいかまつりも中止を余儀なくされた。夏の風物詩・スイカは、みんなでかぶりついてこそ、そのおいしさが際立つ。再開が待ち遠しい。

  • 2019年まで毎年開催されていた「富里スイカロードレース大会」。ランナーたちは「給スイカ所」でカットスイカから水分補給する

    2019年まで毎年開催されていた「富里スイカロードレース大会」。ランナーたちは「給スイカ所」でカットスイカから水分補給する 提供:富里市

  • 2019年まで毎年開催されていた「富里スイカロードレース大会」。ランナーたちは「給スイカ所」でカットスイカから水分補給する

    2019年まで毎年開催されていた「富里スイカロードレース大会」。ランナーたちは「給スイカ所」でカットスイカから水分補給する 提供:富里市

  • 2019年まで毎年開催されていた「富里スイカロードレース大会」。ランナーたちは「給スイカ所」でカットスイカから水分補給する

    2019年まで毎年開催されていた「富里スイカロードレース大会」。ランナーたちは「給スイカ所」でカットスイカから水分補給する 提供:富里市

  • 千葉県 富里市

    千葉県 富里市

  • 富里市農政課課長の池田幸市さん(左)と同課長補佐の平山正則さん。庁舎正面入口にあるスイカのオブジェの前にて

    富里市農政課課長の池田幸市さん(左)と同課長補佐の平山正則さん。庁舎正面入口にあるスイカのオブジェの前にて

昭和初期から栽培 皇室にもスイカを献上

江戸時代の富里は牧場で、明治時代になってから開墾され、雑穀、落花生、里芋などがつくられた。市内に七栄(ななえ)、十倉(とくら)という地名が残るのは、千葉県で七番目、十番目に開墾された土地だからだ。販売用に初めてスイカが耕作されたのは1927年(昭和2)、江原義三ら3名による。5年後には、富里村長の藤崎勝三郎の発案で、東京・新宿のデパートで名士や市場関係者を招いて試食会を開き、好評を博したという。

「今でもスイカの種苗会社は奈良県に多いですが、当時のスイカ市場を独占していたのは奈良の『大和スイカ』でした。しかし輸送が大変で傷みも多く、市場では近郊に産地を望んでいた。そのころ富里村が県の農業試験場で北総台地の火山灰土向けに育成した品種『都1号』を栽培したタイミングが合ったのです」と、富里スイカ隆盛の端緒を説明してくれたのはJA富里市営農指導課課長の相川康行さんだ。

根菜や落花生はやせた土地でも育つが、スイカは土づくりが必要。秋に深さ1mの穴を掘り、幾層にも有機質と土を交互に入れて埋め戻し、翌春その上に播種(はしゅ)する「鞍築(くらつくり)」など、栽培技術の工夫によって生産は軌道に乗った。

1935年(昭和10)には「富里村西瓜栽培組合」が発足し、翌年には皇室へも献上された。広く富里スイカの名が知られ、一大産地となっていくが、戦時中は作付禁止。スイカ畑は根菜、落花生などに変わり、その復活は戦後まで待たなければならなかった。

相川さんによれば、作付面積のピークは1995年(平成7)ごろで300ha以上。JA富里市扱いの1シーズンの出荷量は90万ケースに上った。

JA富里市営農指導課課長の相川康行さん

JA富里市営農指導課課長の相川康行さん

いいものをつくるには手間がかかる

60年前から農業に携わる皆川茂明さんが育てたスイカを納屋でごちそうになった。包丁で切り分けるそばから、若々しく甘い香りが漂う。子どものころの夏休みの記憶が呼び覚まされる。がぶりと一口。シャリッとした食感と同時に、すっきりした甘さが口いっぱいに広がる。これぞスイカ。香ばしい美味が後をひき、いくらでも食べられそうだ。

出荷時期が5月中旬から7月中旬で、梅雨と重なる富里では、ビニールハウスやアーチ状の支柱にビニールを張り開閉可能にして雨を防ぎ昼夜の寒暖差を調節する「トンネル」で栽培している。

トンネルのビニールをめくると、茂った葉に埋もれるように大小のスイカの実があった。皆川さんが「整枝(せいし)」の作業を説明してくれた。

「スイカの蔓(つる)を這わすとき、蔓を伸ばしてみて3番めに花が咲く18節くらいがトンネルの真ん中に来るようにします。そこになるのが大きくて、いいスイカ」

4本の蔓に2個のスイカが基本。18〜23節に雌花が咲いたら、雄花の花粉を受粉させて交配し、着果させる。「曇天や雨だとミツバチが飛ばないので、手で雌花に雄花をつけます」と皆川さん。着果して15日後くらいに、よく育つ実に養分が回るよう摘果(てきか)する。果皮に日光をむらなく当て着色させる「玉返し」も2〜3回する。スイカの栽培は種まきから苗づくり、畑への定植、収穫、出荷まですべて手作業で、大変な手間がかかる。

今は外国人の技能実習生も農作業を手伝うが、交配や摘果、蔓からもぐ方向を誤ると実を傷めてしまう摘み取りなど肝心の作業はまだなかなか任せられない。

「スイカは難しい。長年やってると、もっといいものをつくりたいと思うから、さらに難しくなっちゃうね」と皆川さん。

とびきりおいしいスイカの秘訣は、たゆまぬ探求心にある。

  • ビニールを用いたトンネルで育てられる富里のスイカ

    ビニールを用いたトンネルで育てられる富里のスイカ

  • 祖父が開拓した農場でスイカをつくりつづける皆川茂明さん

    祖父が開拓した農場でスイカをつくりつづける皆川茂明さん

収穫日数と品質管理 その徹底がブランドの肝

JA富里市の西瓜部は170名。60代が中心と高齢化が進む。だが部長の堀越薫さんが言うように「消費者に届いたときは、どれを割ってもおいしい」スイカを育てる努力は変わらない。その一例は、収穫日数の厳密な管理。

「富里のスイカは、花が咲き交配した日に赤、青、黄などの色が付いた紙をそれぞれの花ごとに巻いて印とします。交配日から起算し50日前後で収穫。暑くなってくると熟度が進むので、48日や46日など、天候と気温によって微妙に調節するのです」と堀越さん。

圃場(ほじょう)で試し切りして糖度を確認してから収穫。各農家でサイズ、等級ごとに箱詰めし、最寄りの集荷場へ出荷する。各集荷場で西瓜部の役員が必ず1箱、開封検査し、不合格だと他の箱も開けてみる。

「富里スイカの売りは、ABCの等級のうち、AとBには『中空(なかす)き』(鬆(す)のような空洞)が入らないこと。叩いてみれば音でわかります」と堀越さんは話す。スーパーなどの店頭でサイコロ状にカットして売る場合、実が詰まっていないと何パックとれるか目安がつかないので嫌がられる。収穫日数と品質の管理の徹底が、富里スイカの信用を支えている。

栽培品種は「紅大(こうだい)」「味きらら」「祭りばやし」など6種類ほど。プレミアムブラックと呼ばれる真っ黒な果皮の品種は、ほぼ種なしに近いが育てにくい。

  • 縞模様のない品種「プレミアムブラック」。成熟すると果皮はもっと黒くなるという

    縞模様のない品種「プレミアムブラック」。成熟すると果皮はもっと黒くなるという

  • JA富里市西瓜部で部長を務める生産者の堀越薫さん

    JA富里市西瓜部で部長を務める生産者の堀越薫さん

  • JA富里市が運営する直売所「旬菜館」。平日なのに駐車場はほぼ満車状態だった

    JA富里市が運営する直売所「旬菜館」。平日なのに駐車場はほぼ満車状態だった

まちぐるみで盛り立てる決意表明が「すいか条例」

最盛期に比べてスイカの作付面積は半減し、出荷量も90万ケースから40万ケースほどに。他の農産物と同じように、スイカも生産者の高齢化や後継者不足から逃れられないからだが、しっかり家業を継ぐ若手もいる。

35歳の青木智大(ともひろ)さんは、未来を担う若い後継者の一人。農業大学校を卒業し20歳で就農した。長男で子どものころから農作業を手伝っていた。「トラクターに乗ったりするのが好きでした。まあいずれ継ぐのかなあ、と、そんな感じで」と屈託なく笑う。父親の隆義さんは「もう三代目に任せてます」。実に頼もしい。

智大さんも「スイカは大変です」と異口同音に言う。「天候と気温次第。交配の時季に雨が続いたり寒かったりすると、受粉しないで玉がならなかったりします」。富里市はニンジンも全国有数の産地で、出荷高はスイカより多く、作付面積もスイカが130haに対し秋冬ニンジンは600ha。青木家でも売り上げの主体はニンジンだが、この地に住む人々のスイカへの愛着は強い。

富里市では、2021年(令和3)3月に「富里市すいか条例」を制定した。「作付面積の減少に歯止めをかけるべく、市、生産者、事業者、市民の四者が互いに協力して富里のすいかを盛り上げることを目的としたものです」と言う池田さん。生産者の方々へのエールという意味合いも強いそうだ。

実は、2011年(平成23)から富里市は、この地の特産品で大切な地域資源でもあるスイカ栽培の促進と、生産者の減少を抑制するための奨励金「すいかの里生産支援奨励金」を交付している。交付金額は栽培面積10aを超える部分につき1a当たり1000円。また、日本大学と包括連携協定を結び、芸術学部がスイカなどのポスターをデザインし、理工学部ではスイカ栽培工程のロボット技術活用の可能性を探りはじめている。

一方、JA富里市の西瓜部会は、温暖化に強い新品種の開発に取り組もうとする。「暑すぎると『うるみ』といって中身がジャムのように溶け出してしまうことがあります。高温によるストレスです。温暖化に耐え得る新品種をつくり、各農家が安心して生産できるようにしたい」と堀越さんは言う。

種を開発するのは種苗会社だが、単年ではなく2〜3年植えて、気候条件の違う年でも仕上がるかどうかは、その土地に根づいた農家にしか判断できないことだ。

これまでもそうした地道な試験栽培を重ね、定着させてきた富里のスイカ。「すいか条例」や「奨励金」などのエールも受けながら、前に進もうとしている。

  • 取材日に生産者の青木智大さんが出荷準備したスイカ

    取材日に生産者の青木智大さんが出荷準備したスイカ

  • 日本大学芸術学部が制作したスイカのポスター(初夏版)

    日本大学芸術学部が制作したスイカのポスター(初夏版) 提供:富里市

  • 父親からバトンを受け取った青木智大さん。細かな技術は父親から教えられたという

    父親からバトンを受け取った青木智大さん。細かな技術は父親から教えられたという

(2021年5月28日取材)

PDF版ダウンロード



この記事のキーワード

    機関誌 『水の文化』 68号,JA富里市,千葉県,富里市,水と生活,食,水と社会,産業,果実,農業,土壌

関連する記事はこちら

ページトップへ