機関誌『水の文化』45号
雪の恵み

わたしの里川
里の水音 川それぞれ

鳥越 皓之さん

ミツカン水の文化センター アドバイザー
早稲田大学教授
鳥越 皓之(とりごえ ひろゆき)さん

私の里川のイメージは水の音である。谷間の、また田んぼの間の小さな流れでチョロチョロというような音をたてて水が流れていると、それが逆にまわりの静けさを感じさせるところがある。その静けさのなかで、春が来たなとか、四季それぞれの移ろいが感じられる。春といえば、雪国を歩いていると、雪景色の中でこのチョロチョロという水の流れを聞くことがある。上を覆っている雪の蓋が溶け始めて少し穴があいていて、そこから水の流れが見え、その流れの横で、主張するように芹などの緑が見えていたりする。雪国に春が来たなと思わせる瞬間である。

水の流れが暮らしのすぐ近くで見られること、これは日本の特色である。「里川」という日本固有の名前が誕生したのもこの特色と関係がある。チョロチョロという水の流れの音は、九州でも北海道でも、日本のどこでもすぐ身近に聞けるものだ。私にとって印象深いのは、長崎県島原市の伝統的な家屋が並んでいる一本道の真ん中を流れる幅50センチほどの水路である。この道は地元の人たちが通る道であるが、学校帰りのセーラー服の中学生二人が、持っている傘をこの小流れに突き刺して遊んでいた。通学路の小流れで小学生が遊んでいる姿はめずらしくないが、セーラー服を着るようになった女の子はめずらしい。だが、彼女らにとっては、そこは気が向いたらいつでも遊んでいる空間なのであって、ただ自分たちが成長していったに過ぎないのだろう。この小流れは、幼少の時から、そしておそらく高齢になっても、時間を超えていつも同じように存在しつづけているものなのだろう。

私は小川のチョロチョロという音から話をはじめたが、住んでいる場所によると、流れが大きくていつもゴーという音とともに育った人もいるだろう。地と共鳴するようなこのような音も、そこで生まれ育つと懐かしいものに違いない。私はこの五月に福島県檜枝岐村の農村歌舞伎を見物に行ってきたが、その神社の前は大きな川で、茶色く濁った雪解け水が恐ろしい激流となって、ゴーという音をたてて流れていた。このゴーという音を背景に聞きながら、夜のとばりのおりた歌舞伎の舞台では、悲劇の恋の話が展開していった。彼らにとっての春の季節は、このゴーという地鳴りのような音とともにあるのが自然なのであろう。

里川は地域によってイメージが異なる。ただ共通するのは、川が自分たちの生活とともにあることだろう。里川とは地域の人たちが自分の生活に取り込んでいる川のことだ。そしてそれは、多くのばあいその人の一生とともにあり、また自分たちの先祖もお世話になり、さらには自分たちの未来の子や孫たちもお世話になるだろう川のことである。


え●岩田健三郎



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