機関誌『水の文化』62号
再考 防災文化

再考 防災文化
総論(水防)

「水防災」の意識を取り戻す社会へ

有史以来、いくたびもの水害によって数えきれないほどの人の命が失われてきた。堤防やダム、河川改修などによって水害は大幅に抑制されたが、今また異常ともいえる豪雨の頻発によって各地で被害が発生している。私たちは水害に対してどう向き合うべきなのか?国の「水防災意識社会 再構築ビジョン」の策定を主導した小池俊雄さんに、これからの水防災に対して必要なことをお聞きした。

小池俊雄

インタビュー
国立研究開発法人 土木研究所
水災害・リスクマネジメント国際センター(ICHARM)センター長
東京大学名誉教授
日本学術会議会員
小池俊雄(こいけ としお)さん

1956年生まれ。1985年3月、東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。博士(工学)。専門は河川工学、水循環の科学、環境心理学。水環境にかかわる現地観測、衛星観測、数値モデリング研究および環境心理学研究に従事。河川流域規模から地球規模の水循環の観測や予測のため、データ同化手法、分布型流出モデルなどを世界に先駆けて開発。河川事業にかかわる合意形成の実務にも貢献。共著に『地球環境論』『水・物質循環系の変化』、『環境教育と心理プロセス』がある。

激甚化する水害と脆弱化する社会

強い雨が大量に降れば洪水が起きます。しかしそれは、雨が降った土地ごとに、過去の経験、地形・地質、土地利用のしかた、人々の住まい方などに関連しているのです。したがって、同じ量の雨が降れば、どこでも同じ被害が出るというわけではありません。

例えば2018年(平成30)7月に発生した西日本豪雨です。6月28日0時から7月8日24時の期間雨量を比較すると、もっとも降雨が激しかったのは高知県安芸郡馬路村の1852mmで、次が岐阜県郡上市の1214mmでした。ただし、ほとんどの甚大な水害は広島、岡山、愛媛の3県で起きています。西日本豪雨での死者数は237名でしたが、そのうち212名が広島、岡山、愛媛でした。ところが、これらの地域の同期雨量は200mmから600mmで、高知や岐阜と比べると少なかったのです。にもかかわらず被害が大きかったのはなぜでしょうか。

広島、岡山、愛媛3県での西日本豪雨時の観測雨量と過去の雨量を比較すると、ほとんどすべての地域で100年に一度以上、地域によっては500〜600年に一度以上の確率の豪雨でした。つまり、雨量の絶対値ではなく、経験の多寡が災害の原因になっています。強い雨を経験したことがない地域ほど被害が大きかったのです。

気象庁のアメダス(地域気象観測システム)は1976年以来、全国1300カ所で時間雨量を計測しています。過去44年間を3期間に区分して、今までにない強い雨(過去最大24時間降雨)が記録された観測所数の各期間の平均を比較すると、最初の2期間では年間20カ所程度でしたが、直近の第3期間では年間50カ所を超えています。明らかに全国どこでも、今まで経験したことのない豪雨が発生しやすくなっているのです。

現に近年、伊豆大島豪雨災害(2013年)、広島土砂災害(2014年)、関東・東北豪雨災害(2015年)、北海道・東北豪雨災害(2016年)、九州北部豪雨災害(2017年)、そして西日本豪雨災害(2018年)と、激甚な水害が続いているのは周知のとおりです。

その一方で、災害に立ち向かう社会の様態は脆弱化しています。西日本豪雨での全国死者数237名のうち65歳以上の高齢者は56%。なかでも、破堤浸水で甚大な被害を受けた岡山県倉敷市真備町で亡くなられた51名の方々のうち、高齢者は88%に及びました。急速な少子高齢化による生産年齢人口の減少に伴い、災害時の「要支援者率」が増えている半面、「支援可能者率」が減っています。つまり、助けが必要な人が増えているにもかかわらず、助ける立場にある人が少なくなっているのです。

倉敷市が作成・公表していた洪水ハザードマップを、発災後に国土地理院が作成した真備町周辺の浸水状況の図と照らし合わせるとぴったり重なります。ところが、住民の皆さんにアンケート調査すると「ハザードマップは見たことがある。でも自分のところでこんなにひどい水害が起きるとは夢にも思わなかった」との回答が多いのです。危険情報は提供され、住民に届いているのですが、それが「わがこと」として正しく認識されず、行動につながっていないのです。これは倉敷市に限ったことではなく、全国的な課題です。

(注)
文中の死者数(都道府県別、年齢別など)は、ICHARM主任研究員・大原美保さんの調査による数値(2019年1月19日時点)。

  • 図1 平成30年7月豪雨(西日本豪雨)期間降水量の分布図

    出典:気象庁 「災害をもたらした気象事例/平成30年7月豪雨(前線及び台風第7号による大雨等)」

  • 平成30年7月豪雨による被害 破堤浸水(岡山県倉敷市真備町)

    平成30年7月豪雨による被害 破堤浸水(岡山県倉敷市真備町)(提供:国土交通省)

  • 平成30年7月豪雨による被害 土石流など(広島県安芸郡熊野町)

    平成30年7月豪雨による被害 土石流など(広島県安芸郡熊野町)(提供:国土交通省)

  • 平成30年7月豪雨による被害 越流浸水(愛媛県大洲市東大洲)

    平成30年7月豪雨による被害 越流浸水(愛媛県大洲市東大洲)(提供:国土交通省)

  • 日本の至るところで豪雨災害が頻発。例外はない。これまで豪雨があまりなかった地域ほど、経験不足のため豪雨災害が大きい。

    日本の至るところで豪雨災害が頻発。例外はない。これまで豪雨があまりなかった地域ほど、経験不足のため豪雨災害が大きい。出典:小池俊雄さん提供資料

水防災意識社会の再構築へ向けて

過去の経験に照らして日本は水害に対処する知恵があり、水防災の意識も強い……はずでした。

その思いを手ひどく打ち破られたのが、2015年9月10日に起きた鬼怒川の決壊です。私は同年2月に国土交通省所管の社会資本整備審議会河川分科会会長を拝命しました。前年の広島土砂災害に鑑み、施設の能力を上回る外力によって氾濫が発生した際の減災対策の基準となる「想定最大外力」を設定した計画を作成し、7月に記者発表したのですが、その2カ月後に起きたのが関東・東北豪雨災害でした。

鬼怒川では堤防からの溢水や破堤に対して住民の避難が遅れ、多くの人々が氾濫流のなかに孤立し、ヘリコプターで1300人以上、救命ボートで約3000人が救出されました。昼間でしたから鬼怒川が水で満杯になっている様子はテレビでも実況中継されていました。それにもかかわらず、逃げ遅れた住民の方々が多かったのです。これには愕然としました。

そこで現地を歩き国土交通省と議論してまとめた施策が同年12月に答申された「大規模氾濫に対する減災のためのあり方について〜社会意識の変革による『水防災意識社会』の再構築にむけて〜」です。孤立者の発生防止、効果的な広域避難の実現、危機管理に資する施設の整備等を盛り込みました。

キーワードは水防災意識の「再構築」です。そもそも日本は水害の多い国なので、かつては地域ごとの水防団の活動が非常に活発でした。ところが近代になって堤防が強化され、ダムが建設されて水害が一時的に減ると、かえって水防災の意識が低下してきたのです。

鬼怒川は国管理の河川ですが、翌2016年の北海道・東北豪雨災害では、都道府県管理の河川で甚大な被害が生じました。ここで課題となったのは、高齢者グループホームなど要配慮者利用施設における避難と対応、そして地域経済に与えるダメージの最小化です。そこで2017年1月に「中小河川等における水防災意識社会の再構築のあり方」が答申されました。

これら二つの答申を受けて同年5月に水防法が改正され、国と都道府県が協力する大規模氾濫減災協議会の設置が法制化され、要配慮者利用施設の管理者に対して避難確保計画の策定と避難訓練の実施が義務化されました。また、災害復旧事業やダムの再開発において都道府県の権限を国が代行する措置なども盛り込まれたのです。

平成27年9月関東・東北豪雨によって破堤した鬼怒川左岸(提供:国土交通省関東地方整備局下館河川事務所)

平成27年9月関東・東北豪雨によって破堤した鬼怒川左岸(提供:国土交通省関東地方整備局下館河川事務所)

住民一人ひとりが水防災の責任者に

豪雨が頻発すると、これまでにない水害が顕在化してきました。

至るところで土砂崩壊が起き、それが豪雨で流され、勾配の緩い下流で留まり、川は土砂で埋め尽くされます。その結果、行き道を失った洪水流は流木を伴い、谷底平野(こくていへいや)全体に氾濫するのです。

また、合流する河川では通常、支川の洪水流出の方が早く、本川が遅れるものですが、本川が洪水ピークを迎えたときに支川の流量が依然として高い場合、水位の上昇が支川にも及ぶ「バックウォーター現象」が起きます。豪雨によってバックウォーター現象が長時間続くと、川の両岸が破堤するのです。片岸が破堤すれば対岸は守られるのが常識でしたが、長時間にわたり河川の水位が高い状態が続くため、これまでの常識が通用しなくなりました。

さらには、ダムが水で満杯のときに洪水のピークが来るので、上流からの流入量をそのままダムの下流に放流する「異常洪水時放流操作」に移行せざるを得ないケースが発生しています。まずは、異常洪水時放流操作に移行した際のハザードマップを作成して、ダム下流部の住民に周知徹底することが急務です。さらに、予測情報などを用いて緊急時のダム操作を適切に行なう手法の研究開発とオペレーターの育成を検討しなければなりません。

高い水位が長時間継続する場合のリスクにも対応できる河川計画、堤防を水が越えて越水した場合でも決壊までの時間を少しでも引き延ばせるような堤防構造の工夫——こうした危機管理型ハード対策に加えて、これまでにない水害に対応するには、水防災意識を再構築するソフト面の強化が欠かせません。防災情報の提供や避難訓練などを行政目線から住民目線へと転換し、あらゆる人々が災害を「わがこと」として認識することが求められます。

西日本豪雨災害の際の記者会見では「河川分科会の会長が自分たちの責任を棚上げにして」と批判されるのを覚悟のうえで私は「これからは皆さん一人ひとりが水防災の責任者です」と言いました。このとき、報道各社はハザードマップを見て避難情報をもとに自分の身は自分で守り、互いに助け合う「自助・共助」が大切という論調を打ち出してくださいました。これはとてもよいことだと思います。

図3 バックウォーター現象と破堤

予測情報が「腑に落ちる」ためのファシリテート

将来の展望としては、気候の変化を先読みした治水計画が必要です。

IPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)の五度にわたる評価報告書では、最終的に「気候システムの温暖化には疑う余地がない」と結論づけられています。

気候変動に伴って生じる現象の予測にはまだ不確実な部分は残っていますが、科学的な理解はずいぶん進みました。その裏づけは、過去から現在までの豪雨や洪水の頻度と強さのデータと、現在から将来を予測するモデルの一致度です。ここ3〜4年でデータ解析の精度が高まり、確率論的な評価ができるようになってきました。コンピュータの計算能力があと100倍くらい向上すれば物理的な予測が可能となります。

豪雨を予測するシステムの実現について研究者は確証をもっています。実務家も使えそうだと思いはじめており、研究者と実務家がさまざまなデータを出し合いながら侃侃諤諤(かんかんがくがく)と議論しているところです。時間がかかりますが、実証のステップを一歩ずつ踏んで、気候の変化を先読みした治水計画を実現したいと考えています。

一方で、こうした科学的知見や技術的対応に基づいた予測情報を住民の皆さんが正確に理解し「腑に落ちる」ためには、専門家と市民が一緒に考える場をファシリテートする人や組織が必要です。ファシリテーターには住民からの問いに対して科学的知見を平易に説明する対話機能も求められるでしょう。私は今、いくつかの大学や地域防災の関係者と協力して、ファシリテーターを育成・支援する枠組みをつくろうとしています。

防災科学技術研究所が事務局、私どもICHARM(土木研究所水災害・リスクマネジメント国際センター)が国際担当となり、全国13の災害研究所による「防災減災連携ハブ」を2019年3月に立ち上げました。そこで検討している具体策の一つも、世界中から集めた防災・減災の知見を統合化した、ファシリテーターの活動を支援できるようなシステムの開発です。

目指すのは、全国津々浦々にいるファシリテーターを通じて防災意識が再構築され、科学技術の知見が災害リスクの軽減に活かせる社会です。5年後には、誰もが「避難したけれど空振りに終わってよかったね」と思うような社会にしなければなりません。

そして20年後には、コンピュータの精度が高まり、予測情報に基づいた河川計画が軌道に乗って「想定外の大規模氾濫」という事態のない社会になっていてほしいものです。

(2019年5月9日取材)

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