機関誌『水の文化』12号
水道(みずみち)の当然(あたりまえ)

紅茶の水色

小関 由美

出版社勤務を経て、フリー・ライターへ。その後ロンドンに留学中、アンティークに開眼。帰国後イギリス関係の著作、アンティークの中卸業を始める。現在は文筆業のかたわら、NHK文化センターにて英国アンティーク教室の講座を担当。『イギリスでアンティーク雑貨を探す』(JTB)『イングランドーティーハウスをめぐる旅』(文化出版局)などの著作がある。

13年前の1989年、私は1年ほどロンドンで暮らしていた。

幼い頃から外国に対する憧れがあり、それは食いしんぼうの私ゆえ、食べものから始まったように思う。東京・御徒町のアメ横で、小さな露店の輸入菓子専門のお店でたまに両親が買ってくれた、外国製のお菓子のおいしかったこと!スイス製のチョコレートやアメリカ製のドロップス、それは日本製とはまったく違う色と形、そして豊かな味がした。

最初は、アメリカへ行くつもりだったが、その予行演習のために友人が留学していたハワイを訪ねたとき「私が夢見ていたアメリカと、現実のアメリカとは違うのかもしれない」と、思い始めた。それでいろいろ考えた結果、同じ英語圏であるイギリスはどうだろう?と2週間旅行してみたら、大のお気に入りとなってしまった。「絶対ここへ戻ってくるんだ」と心に決め、その2年後、改めて出かけたのが13年前。

しかしそんな大好きなイギリスのすべてを気に入っていたかというと、これが生活するには、とても不便であり、かつまた日本とは違うことだらけで、住み始めた当時は、何度この国を嫌いになったことか。「欧米」とひとくくりにされるぐらいだから、イギリスもアメリカと同じような暮らしぶりに違いない、と考えたのが大きな間違いであった。

まずはお風呂。私が最初に住んだところは「ホリデー・フラット」または「アパートメント・ホテル」などとも言い、長期のツーリストなどが主に住むところだ。日本からの友人とふたりで、最初はここに1カ月滞在したのであるが、イギリスのシステムというのをよく把握していなかったので、私はなかなかお風呂に入ることができなかった。

というのも、友人がお風呂へ先に入り、私の番になるとお湯が出なくなってしまう。こんなことが1週間ほど続いた後やっと気が付いたのだが、電気温水器の容量の問題だった。1日にバスタブやっと1杯くらいの量でおしまいという少なさ。なので友人が入ると私の分がなくなってしまい、またお湯になるまで1日ほどかかる。この経験を生かして、次に住むところは、お湯のたっぷり出るところにしよう!と、イギリスでは珍しいガス湯沸し器のついたフラットは、かなりボロ家だったけど、私にはとても快適であった。

その次にほんの少しだけいたフラットは、庭付きでとても環境がよかったのだが、バスルームにはびっちりと絨毯が敷かれ、バスタブから絨毯に湯を漏らしたらすぐに階下が雨漏りしそうで、ヒヤヒヤしながら入った。またそこは、シャワーがついていなかったので、お湯と水の蛇口に、一方が二股に分かれ、もう片方にシャワーノズルがついた専用ホースをつけた。イギリスではとてもポピュラーなものであるが、これの欠点は、熱湯と水が入り混じらずにシャワー口まで到達するため、ある部分は熱く、またある部分はひじょうに冷たい、というものがそのまま出てくる。そしてよく根元のホースがはずれたりするので、やっかいなものであった。そのやっかいなシャワーの上手な使い方をイギリス人の友人に聞いてみたら、「シャワーはついていないので、使わない。バスバブルを入れた泡風呂の中で、海綿で軽くゴシゴシと体をこすり、そのまま出て、体についた泡なども流さずにバス・ローブをはおる」という人がけっこういたので、驚いた。最近はシャワーの普及と、「肌によくない」と、最後に流す人も増えてきたらしいが。「欧米人にとって、風呂は体の汚いものを洗い流す場所でしかない。つまり排泄行為と同等の感覚。ゆえにバスタブとトイレが一室なのはあたりまえである」と、なにかの本で読んだことがある。たしかに風呂に入ること=気持ちがいい、リラックスする、などという意識は、ごく最近までイギリス人にはなかったようだ。

その違いは日本の銭湯とイギリスのパブリック・バスでも、明らかだろう。イギリスのそれは小部屋に分かれたところに、バスタブ、それもブリキのそっけないものがひとつぽつんとあるだけで、コインを入れるとその料金分、お湯が出る仕組みだ。ここに来るのは貧しい人々だけなためか、全体的にあまりぱっとしない雰囲気が漂っている。

イギリスにも各地に温泉はあるのだが、日本の行楽といった雰囲気ではなく、病院の付属施設のようなもので、入るのに処方箋がいるそうだ。以前そんなことを知らずにイギリス南部をドライブしていたとき、地図に「Spa. (Hot Spring =温泉の略)」と書いてあったので「温泉に入って帰ろう!」と、喜び勇んで行ってみると、「処方箋はありますか?」と言われたことがある。

また文化の違い、とくに言葉の違いなどは覚悟していったのでなんとか乗り切れたが、水まで違うのにはびっくりをこえて、あっけにとられた。イギリスでは硬水という、石灰を多く含んだ水道水であり、この石灰が体にたまると病気になるとも言われているので、生水を飲むときにはミネラル・ウォーターを飲む。健康に気をつけている人は、ろ過器でろ過した水を沸かして使ったり。そうしないとやかんなどに白く、石灰分がこびりついていくのである。しかしこの硬水、紅茶を飲むには最適な水で、日本の軟水では紅茶が抽出されすぎてしまい、渋みまでが出てしまう。しかし硬水であると、抽出加減もよろしく、水色(注)の綺麗な深みのある味わいがたのしめる。その逆で、イギリスで飲む日本茶は、まずい。

まあロンドンはイギリスの中でも、古くから水質の悪いところと言われており、飲料水は「水売り」という専門の業者がわざわざ売りに来ていたそうだ。19世紀頃は、不潔な水を飲むよりもビールを水代わりに、という人も多く、かつてチフスが流行したときにも、ビール工場の労働者だけはチフスにかからなかったらしい。

しかし「郷に入りては郷にしたがえ」のことわざにならったのか、私の頭が単純なのか、暮らしているうちにいろんなことをどんどん気にしなくなっていった。イギリス人の食器の洗い方(湯と洗剤を入れたシンクの中で汚れを落とし、泡だらけのまま水切りラックへ。すすぎをしない)も最初はとてもびっくりしたが、すぐ見て見ないふりをすることにした。たまにレストランやカフェなどで、入れたての紅茶に洗剤の残りらしい、虹色の膜のようなものが見えるときもあるけれど、あまり気にしなくなった。

日本に帰ってくると、なんて水の使い方が贅沢な国なんだろう、と思う。水をジャージャーと流しながら、キュッキュと音がするぐらいまでコップをすすぐのも好きなのだが、贅沢すぎる気がして、水の量を少なめにして使うのが、ロンドン暮らし以来のクセになってしまった。

(注)水色(すいしょく)
水の色のこと。転じて抽出されたお茶の色を呼ぶ。



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