機関誌『水の文化』68号
みずみずしい果実

水の余話
水は何処に

こんこんと湧き出る清らかな水(福井県大野市)

こんこんと湧き出る清らかな水(福井県大野市)

沖 大幹

沖 大幹(おき たいかん)

1964年東京都生まれ。東京大学教授。国連大学上級副学長。地球の水循環と世界の水資源、気候変動と持続可能な開発を主な研究領域とする。著書に『水の未来』(岩波新書)、『水危機 ほんとうの話』(新潮選書)などがある。

七つの海の数倍もの水が地球内部には含まれていて、マントル対流を滑らかにしながら水自身も地球表層と深とを循環しているとか、惑星進化から推測すると地球のコアにも大量の水が含まれているのではないか、といった学説が最近は聞かれ、地球のどこにどのくらいの水があるのか、実はまだまったくわかっていないことだけわかっている。

世界のどこにどれだけの雨が降っているのかも、つい20年ほど前まではよくわかっていなかった。もちろん、半世紀前の地図帳にも世界の降水量分布図が掲載されていたが、今にして思うと、あれは極めて限られた地点の雨量観測に基づき、ありったけの知識と想像力を総動員して専門家が描いた、いわば「芸術作品」であったのである。今では各国がお互いに人工衛星や地上気象観測のデータを共有し、組み合わせて世界中の雨量が推計され、インターネットで即座に情報共有されるようになっている。ちなみに、19世紀末に描かれた世界の平均年雨量図は、詳細に違いはあるにせよ最新の推計による分布をそれなりに的確に示している。専門家、恐るべし。

世界のどこでどのくらいの水をどんな風に私たち人間が使っているのか、もよくわからない。各国の統計がないわけではないが、どの程度信頼できる数字なのかすら不明である。これも、最新の衛星観測により水面の面積や標高が測定されて、河川流量の連続的な分布がわかるようになると、逆算してどこでどのくらい取水されているかは推計できるようになる可能性がある、という段階である。

まだまだわたしたちは地球の水を知らない。

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