機関誌『水の文化』61号
水が語る佐渡

佐渡
文化をつくる

水の恵みと可能性に満ちた島

編集部

島の恵みとトキの絆

佐渡の水津(すいづ)集落にある漁家民宿に泊まった日、夕食を見て驚いた。旬を迎えたズワイガニ。ホッケと見まごうような大きなカレイの焼き魚。タラの切り身と大根を炊いたもの。野菜の天ぷら。サザエ。白子の酢和え。カニみそのみそ風味。キモの煮つけ。エビとタイの刺身。イクラの大根おろし和え。デザートはキウイ。これらはすべて佐渡で採れたものという。

キウイは島内の親戚が、米は民宿のおかみさんが、野菜はおばあちゃんが育てた。タイは「関東からお客さんが来るから頼むね」と言ったら別の親戚が釣ってきた。すごい食事ですねと言うと「こんなの普通よ」と笑われた。そのおかみさんが米をつくる集落そばの崖の上の田んぼにトキがいるという。風の強い海沿いなのにトキ?

「いますよ!5羽の群れが棲みついて最近2羽加わったの」

翌朝、その田んぼを案内してもらう。よくよく聞いてみると、おかみさんはトキを呼ぶために活動するビオトープの会の副会長だった。「青年団とか婦人会とは違って、年齢や性別に関係なく、集落のみんながかかわれるからおもしろいのよね」。

ちょっと待っててねと、おかみさんはトキが来ているか見に行く。「いなかったわ」と残念そうに戻ってきたそのとき、上空にトキの姿が。5羽いた。

「ほら、いたでしょ!これが見せたかったの!」と声を弾ませるおかみさん。集落の人々が田んぼを補修してドジョウなどエサを放ったその場所にトキが来る。それは地域への愛着も高めることを知った。

うれしい誤算と計算外

とはいえ、島の人みんながトキに関心があるわけではないらしい。別の宿の主人は「見たことないなぁ」と言った。農家の人々にも温度差があったと教えてくれたのは齋藤真一郎さん。トキのエサ場をつくるには草刈りなどの手間がかかり収量も減る。当初は「反対派」もいた。

「ところがトキはなかなかの役者でね。反対派の田んぼを選んで降りるのです。自分の田んぼにトキが舞い降りたらうれしいんですね。ついこの前まで反対していたのに『やっぱりトキは大事だ』と言い出す人が続出しました」と齋藤さんは笑う。

関係者の努力によってトキは当初想定していた以上のスピードで増えている。そのため「このまま増えつづけるとトキは再び害鳥になる恐れがある」と危惧する声もある。「たしかにそうかもしれませんが、それはそのとき考えましょう」と齋藤さん。「人と自然の共生」と簡単には括れない難しさはあるが、それは前例のない取り組みだからこその計算外。まずやってみる、そして見直すという柔軟さが大切なのだろう。

時代で変わる営みと水

減農薬やふゆみずたんぼなど、非常識な農法でトキをよみがえらせた佐渡。その歴史に水はどうかかわっていたのか。

かつて、砂金採取には水で土砂を洗い流す方法が用いられた。谷に大木を渡してその上に家を建てる者さえ現れたという相川金銀山では、水上輪をはじめとする技術で排水を行ない、それは島内の食糧確保のため農業にも転用される。

また、産出された金銀の積み出し港に指定された小木港を中心に、佐渡の米、竹、藁と藁製品が北前船で開拓期の北海道へと運ばれ、財をなした者も多かった。これも水の力といえる。

江戸時代初期をピークに金銀の産出量は落ち込んでいくが、明治時代以降には水も用いる選鉱法で増産に成功。その鉱山で多用された桶や樽は、地震によって隆起した小木半島一帯で明治時代初期からたらい舟として漁に用いられている。

さらに、鉱山で利用する炭や木材などの資材を確保するために佐渡奉行所が山間部に設けて厳しく管理した「御林(おはやし)」が、結果的に森の荒廃を防いだことも見逃せない。御林がどれほどの面積でどう推移したのかはつまびらかではないし、幕府が自らの財源確保のために行なったことなのだが、結果として佐渡に豊かな森を残し、その森が育む栄養豊かな水が田んぼと里山、島周辺の漁場を支えた。だからこそ、佐渡はトキの国内最後の生息地だったのだ。

今も昔も一つの産業の隆盛と衰退は人々の暮らしに大きな影響を与える。島であるがゆえに、また金銀という量に限りがあるものであったがゆえに、佐渡の歴史にはその光と陰が濃密に現れている。しかし、水を巧みに利用し、時代ごとに適応してきた人々の営みは実にたくましい。

都市部に住んでいると、雨や雪はめんどくさいものと思いがちだ。ニュースでも雪による障害ばかりを報じる。その一方、岩首昇竜棚田の大石惣一郎さんは「今年の佐渡は雪が少ない。春からの田が心配だ」とSNSで発信する。この感覚は、都市住民が失って久しいものだ。

時代の空気をもっとも敏感に感じとるのは若い世代だが、佐渡には若者が定期的に訪れているという。今回見聞きしただけでも、岩首昇竜棚田と宿根木のたらい舟に若者が集い、その暮らしや文化を称賛している。それは、佐渡には人が大切にしなければならない根本的なものが残っていると感じているからではないか。そして、そこには必ず水が介在する。

佐渡はその地形と文化の特性から「日本の縮図」といわれる。とすれば、時代ごとに水を巡らし生きてきた文化が残る佐渡の今を見て歩いて感じることは、私たちの未来を考えることにつながるのだと思う。



PDF版ダウンロード



この記事のキーワード

    機関誌 『水の文化』 61号,文化をつくる,編集部,新潟県,佐渡市,金山,トキ

関連する記事はこちら

ページトップへ