機関誌『水の文化』67号
みずからつくるまち

ひとしずく
ひとしずく(巻頭エッセイ)

北海道の広い空

視界を遮るものがない、北海道らしい雄大な景色(晩秋の十勝平野)

視界を遮るものがない、北海道らしい雄大な景色(晩秋の十勝平野)

ひとしずく

スポーツコメンテーター
田中 雅美(たなか まさみ)

1979年北海道生まれ。競泳平泳ぎの日本代表として、アトランタ、シドニー、アテネとオリンピックに3大会連続出場。シドニー大会では400mメドレーリレーで銅メダルを獲得。引退後はメディア出演、講演会、トークショーや水泳教室で全国を回る。2020年1月には第二子を出産。仕事と子育てで奮闘中。

私が生まれたのは、北海道紋別郡の遠軽町(えんがるちょう)というまちです。当時住んでいた家の裏には牧草地が広がり、積まれた牧草によじ登ってよく遊んでいました。遠軽町はコスモスが有名でとてもアットホームな雰囲気なのですが、その温かさは幼いながらに感じていました。

6歳まで遠軽町で過ごし、その後は父の仕事の関係で美唄市(びばいし)に、さらにその1年半後には、現在実家のある岩見沢市に引っ越しました。

水泳の原点は、遠軽町です。当時4歳くらいだった私は、ケガをした母のリハビリ(水泳)について行き、プールで遊んでいたんです。潜ったりでんぐり返しをしたりするのがとにかくおもしろくて、物心ついたときから水のなかは楽しい場所でした。本格的にスクールに通い、競技水泳を学びはじめたのは岩見沢にいた小学2年生のころです。

中学校の3年間で記録が大幅に伸び、高校は親元を離れて上京し、東京のスイミングクラブに所属することに。母は私が上京することに賛成でしたが、父は心配からか反対でした。当時はずいぶん迷いましたが、今ではあのとき上京してよかったと思っています。

高校3年生のときにアトランタオリンピックを経験しました。それまでは練習や合宿、試合漬けでホームシックにかかる暇もありませんでしたが、アトランタオリンピックが終わったあとで無性に寂しくなり、下宿先のシャワーを浴びながら泣きました。調子が上がらなかったこともあり、両親に告げぬまま、思い立って北海道に帰ったことも。冬なのに不思議と「雪が多いのに暖かいなー」と、広い空を見上げてホッとした記憶があります。東京に出なければ、気づけなかった感覚です。

私にとって、自分を自由に表現できる水のなかは、陸にいるよりも楽でした。でも、タイムや順位、メダルを追い求めているときほど力みが強くなるのか、水を思うようにコントロールできなくなります。そんなときは、プールに行くのが怖いとすら感じたものです。

シーズンオフが明けて練習が再開した時。普段は水の重さを利用し、それを推進力に変えて体が水にのる感覚なのに、1週間ほど練習を休むと水がなかなかキャッチできず「スカスカ」に感じてしまう。

水は楽しさも厳しさも、私に教えてくれました。

現役引退後は子どもを対象に水泳を教える機会も多くなりました。東日本大震災から2年後のあるチャリティイベントのこと。いつものように子どもたちに水泳を教えていたところ、学校の先生が「震災で校庭が使えなくなったとき、夏場に子どもたちが体を動かすことができたのがプールだったんですよ」と教えてくれたのです。子どもたちには恐怖の対象だったはずの水。でも、人間にとってかけがえのないものでもある水……。その楽しさを、子どもたちが少しずつでも取り戻してくれているのならと、その先生の言葉に救われた思いでした。

北海道には、今も年に2回ほど帰ります。着陸する飛行機の窓から見える一面の緑や雪景色は特有の風景です。千歳空港から岩見沢までの田舎道で、広大な畑の向こうに沈む夕日を見たときなどは言葉になりません。反対に、羽田空港からモノレールに乗り、徐々に増えていくビルを眺めながら「よし、やるぞ」とスイッチが切り替わるあの感覚も好きですが、それとは対極にあるのが北海道です。

私は特に、本格的な冬に入る前の秋の北海道が好きです。でも、6月ごろの清々しさもいい。結局のところ、全部好きなんですね。

(インタビュー・構成/編集部)

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