機関誌『水の文化』67号
みずからつくるまち

みずからつくるまち
概論

「まちづくり」に今、必要なもの
──東川町に行くと未来が見える

人口減少、少子化、高齢化、財政難……日本、特に地方都市を取り巻く状況は厳しい。だからこそ人口増を実現した東川町には視察団が引きも切らない。いったい何が注目されているのか。全国を飛び回って地域と人をつなぎつづけ、さまざまな地域でプロジェクトに携わる「みつばち先生」こと鈴木輝隆さんに、現代のまちづくりの概況と東川町の位置づけ、これからの地域社会をつくるために必要なことを聞いた。

鈴木輝隆

インタビュー
資源家(地域クリエイター)
江戸川大学名誉教授
ローカルデザイン研究所【BEENS】代表
鈴木輝隆(すずき てるたか)さん

1949年名古屋市生まれ。北海道大学農学部卒業。神戸市役所、山梨県庁、総合研究開発機構主任研究員、江戸川大学教授、立正大学特任教授を経て現職。地域経営論、ローカルデザイン論を研究。著書に『ろーかるでざいんのおと 田舎意匠帳―あのひとが面白い、あのまちが面白い』『みつばち鈴木先生―ローカルデザインと人のつながり』などがある。

1970年代に本格化 日本のまちづくり

私は、魅力的なまちがあると聞くと実際に足を運び、地域の人と話をすることを40年以上続けています。北海道滝川市のまちづくり仕掛け人、水口正之さんの案内で初めて東川町を訪れたのは2001年(平成13)の5月です。「写真の町」「木彫看板設置事業」などに取り組んでいて、おもしろい人が多い。興味をそそられて、今も通いつづけています。

東川町の人口は増加傾向で、特徴的な移住者も多い。そのため地域活性化の成功例として注目されています。

それはなぜなのかをお話しする前に、活性化を目指すさまざまな取り組み、いわゆる「まちづくり」を時間軸から考えてみましょう。

日本でまちづくりが本格的に始まったのは1970年代です。嚆矢(こうし)となったのは、住民主体で音楽祭と映画祭を開き、文化人も巻き込んで知名度を高めた湯布院町(現・大分県由布市)、そして日本初の自治体経営によるワイン製造が「十勝ワイン」として認知された北海道の池田町などです。その後、各市町村が1つずつ特産品を育てることによって活性化を図る「一村一品運動」が大分県で始まり、全国へと広がっていきます。一村一品運動は六次産業化の先駆けです。

その後は「住民自治」が注目を集めます。北海道で代表的なのはニセコ町です。全国初となる自治体の憲法「ニセコ町まちづくり基本条例」を策定し、住民との情報共有化と住民参加の取り組みについて、制度として保障しました。

こうした一連の動きのベースには、社会学者の鶴見和子さんなどが1970年代に論じた「内発的発展論」があります。簡単に言うと、中央政府主導による地域開発ではなく、地域固有の資源を活かし、地域住民の主導による自主的発展を目指そうという考え方です。

グランドデザインと長期ビジョンのない現状

一方、日本政府は1962年(昭和37)に「地域間の均衡ある発展」を目指し「全国総合開発計画(略称 全総)(注1)を策定しました。これは日本の国土政策の基本的な方向を示すものとして計5回作成されましたが、2005年(平成17)の法改正に伴い、全総に代わって「国土形成計画」(注2)が策定されることになりました。人口減少などさまざまな変化に対応するために設けられたものですが、私の目には「国土をどうするか」というグランドデザインがなくなってしまったように映ります。

さらに、2011年(平成23)の地方自治法改正によって、市区町村に策定を義務づけていた総合計画の基本部分「基本構想」が、つくらなくてもよいことになりました。しかし、基本構想はその地域の長期ビジョンの根本となるものです。この部分をなおざりにすると目先の利益を優先しがちになり、もっとも重要なその町の「未来を構想する力」が失われる危険がある。実際に弊害が出ています。

例えば六次産業化なら、地域全体をどうするかというダイナミックな構想のもと自分たちでアイディアを出し、どういう方法をとるか決断して進めるべきですが、その実行力が弱まっています。逆に「住民自治さえあればいい」「インバウンドに期待してとりあえず何かやろう」といった場当たり的な施策が目につくのが、日本のまちづくりの現状です。

しかも、ある地域が一時的に活性化したとしても長続きしないことが多い。なぜなら、人が訪れるようになると、商店主が商売を放ったらかして不動産業に勤しむようになり、商店街がすたれるから。どこにでもあるようなチェーン店や土産物屋に店舗を貸すので、商店街が俗化して魅力を失い、地域の元気が失われていくのです。

そして、各地で今もっとも苦労しているのは「合意形成」です。新しいことをやろうとすれば反対派が出るのは当然ですが、日本全体が高齢化していることもあって「別に新しいことをやらなくてもいいじゃないか」という保守的な人が増えました。そういう人たちを巻き込んで合意形成する段階で疲弊してしまい、いざ実行となっても力が出せない状態です。

自治体も基本構想をつくらなくてよくなったことで、自ら構想する機会が減っています。町の総合計画を外注するので、新しいアイディアがなかなか出てこない。徳島県の神山町など一部の地域はがんばっていますが、その数は少ないのです。

(注1)全国総合開発計画
国土の利用、開発などに関する総合的かつ基本的な計画で、住宅、都市、道路などの整備のあり方などを長期的に方向づけるもの。「豊かな環境の創造」「人間居住の総合的環境の整備」「多極分散型国土の構築」「多軸型国土構造形成の基礎づくり」など時代の要請に応じて策定していた。

(注2)国土形成計画
日本全国の区域について定める「全国計画」と、ブロック単位の地方ごとに定める「広域地方計画」からなる。

一人ひとりの夢を大事にする風土

従来のやり方ではうまく回らないこの状況で東川町が注目されているのは、地域でアイディアを出し、決断して実行に移す力が秀でているからです。

しかし、最初からそうだったわけではありません。1985年(昭和60)の「写真の町」宣言は、町政100周年に向けた一村一品運動の一つで、外部のコンサルティング会社からの提案を採用したものでした。その会社が倒産してしまった。自ら動くしかなくなり、そこで初めて人脈やネットワークの重要性に気づきます。

東川町は合意形成や進め方がとても上手です。町内のさまざまな立場の人を集めて「こういうことをやりたいけど、みんなどう思う?」「財源はこれが使える」「こういう点で協力してほしい」と呼びかけて「さあ、みんなでやろうじゃないか」とスタートします。

また、なんでもいいから店を出そうともしません。いい意味で「店を選んで」招き入れています。すべてではありませんが、店舗が空いたら町が買い取り、公募のような形で入店者を募り、応募してきたら調査する。そして「この人なら」と見込んだ店だけを誘致するのです。よその町では空き家を斡旋する程度ですが、工事が必要ならば東川町が改修したうえで引き渡します。

そういうバックアップがあって、新たに起業した人や店の9割は黒字経営と聞いています。民間の個人住宅にも助成金を用意して、移り住みたいという人たちを大切に迎え入れていますね。

一人ひとりの夢を大事にする。そういう風土の町でもあるのです。

  • 新規出店が多いため、頻繁に改訂する手描きの地図「ひがしかわグルメMap(市街地編)」。

    新規出店が多いため、頻繁に改訂する手描きの地図「ひがしかわグルメMap(市街地編)」。旭川空港や道の駅ひがしかわ「道草館」で入手できるほか、ひがしかわ観光協会のHPからもダウンロード可能

  • 図書室、大雪山関連資料、写真コレクションなどからなる文化施設「せんとぴゅあⅡ」。これも東川町が未来を見据えて行なった事業の1つ

    図書室、大雪山関連資料、写真コレクションなどからなる文化施設「せんとぴゅあⅡ」。これも東川町が未来を見据えて行なった事業の1つ

AI時代におけるリアリティの重要性

今の日本は、あらゆる分野で前例にとらわれず実験をしていかなければなりませんが、東川町は常に新しいことに投資し、実験を繰り返しています。

近年は「企業版ふるさと納税」と個人のふるさと納税「ひがしかわ株主制度」で外部からの投資を呼び込んでいます。コツコツと自分たちのまちをよくしていこうとする従来のまちづくりを「貯蓄型」とするならば、東川町は人脈やネットワークを駆使する「投資型」といえるでしょう。

実は、先ほどお話しした「内発的発展論」は、時間が経つにつれその意味が矮小化されたきらいがあります。内発的とはたんなる地域内の自給自足ではなく、「地域外の人材や資金なども呼び込んで、自分たちの町をよりよくしていく」という意味も含んでいる。東川町の取り組みは、正統な内発的発展論に基づくまちづくりの新たな方向性を示しています。

AIの進化で次の社会がどうなるかは誰にもわかりません。バーチャルの進化に可能性を見いだす人も多いでしょう。松岡市郎さんが東川町の町長として最初に行なった事業は、大雪旭岳源水の遊歩道「源水歩道」の整備でした。周囲の人は「なぜこれを?」と困惑したそうですが、「水」を東川町の象徴的な存在として取り上げることで、環境のよい町、景観のよい町、水道のない町というブランディングにつなげました。

大雪山がもたらす豊かな水、そしてその山々と水田が織りなす美しい風景、それを借景として広がる瀟洒(しょうしゃ)な住宅街と点在しつつ増えている個性的な飲食店……。東川町は明らかにリアリティを重視していることがわかります。

こんなふうに私が東川町の話をすると、聞いた人はみんな「行ってみたい!」と言います。東川町に行くと未来が見える──そう感じるからだと思います。

良質な地下水に恵まれた東川町を象徴する「大雪旭岳源水」の源泉。湧出量は1分間に約4600L

良質な地下水に恵まれた東川町を象徴する「大雪旭岳源水」の源泉。湧出量は1分間に約4600L

(2020年12月24日/リモートインタビュー)

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