機関誌『水の文化』62号
再考 防災文化

再考 防災文化
坂本クンと行く川巡り 第17回 Go ! Go ! 109水系

躍動するプレートに文化を刻む狩野川

蛇行する狩野川と富士山を望む

蛇行する狩野川と富士山を望む

川系男子 坂本貴啓さんの案内で、編集部の面々が全国の一級河川「109水系」を巡り、川と人とのかかわりを探りながら、川の個性を再発見していく連載です。

国立研究開発法人
土木研究所
水環境研究グループ
自然共生研究センター 専門研究員
坂本 貴啓(さかもと たかあき)

1987年福岡県生まれの川系男子。北九州で育ち、高校生になってから下校途中の遠賀川へ寄り道をするようになり、川に興味をもちはじめ、川に青春を捧げる。全国の河川市民団体に関する研究や川を活かしたまちづくりの調査研究活動を行なっている。筑波大学大学院システム情報工学研究科修了。白川直樹研究室『川と人』ゼミ出身。博士(工学)。2017年4月から現職。

狩野川流域の地図

【狩野川流域の地図】
国土交通省国土数値情報「河川データ(平成20年)、流域界データ(昭和52年)、海岸線データ(平成18年)、鉄道データ(平成30年)、高速道路データ(平成30年)」より編集部で作図

109水系
1964年(昭和39)に制定された新河川法では、分水界や大河川の本流と支流で行政管轄を分けるのではなく、中小河川までまとめて治水と利水を統合した水系として一貫管理する方針が打ち出された。その内、「国土保全上又は国民経済上特に重要な水系で政令で指定したもの」(河川法第4条第1項)を一級水系と定め、全国で109の水系が指定されている。

川名の由来【狩野川】

狩に因むという狩猟説、焼畑・開墾地のカノ(カノン)とする焼畑説、金(かな)川で製鉄に因むとする製鉄説、古代の巨船の「枯野」に因む枯野説、狩野氏因む本狩野(天城湯ヶ島町柿木)から流れる説など数多い。

狩野川
水系番号 :45
都道府県 :静岡県
源流 :天城山(1406 m)
河口 :駿河湾
本川流路延長 :46 km97位/109
支川数 :76河川50位/109
流域面積 :852 km275位/109
流域耕地面積率 :11.7 %42位/109
流域年平均降水量 :2558.6 mm23位/109
基本高水流量 :4000 m3/ s73位/109
河口の基本高水流量 :1万584 m3/ s32位/109
流域内人口 :47万8401人32位/109
流域人口密度 :562人/ km221位/109

(基本高水流量観測地点:大仁〈河口から26km地点〉)
河口換算の基本高水流量 = 流域面積×比流量(基本高水流量÷基準点の集水面積)
データ出典:『河川便覧 2002』(国際建設技術協会発行の日本河川図の裏面)
流域内人口は、 国土交通省「一級水系における流域等の面積、総人口、一般資産額等について(流域)」を参照

地殻変動の中心を流れる川

日本列島が地球上のどのような位置にあるのか知っていますか?日本列島の周りは複数のプレートが近づき合っていて、ユーラシアプレート、太平洋プレート、北米プレート、フィリピン海プレートの4枚ものプレートがひしめき合っている場所なのです。

このプレートのせめぎあいの中心にあるのが伊豆半島周辺の地域で、富士山―箱根山―天城山(伊豆半島)―伊豆諸島と火山が連なっています。この隙間を流れている川が狩野川(かのがわ)です。今回はせめぎあうプレートの上に身を置いて狩野川流域の成り立ちを感じ、人々の暮らしと文化について探りました。

半島の付け根に向かって流れる理由

狩野川は伊豆半島の中心付近に端を発し、半島の付け根方向に北上して流れ、下流部で大きく向きを変えて駿河湾に注いでいます。

狩野川のこの珍しい流れ方は、日本列島の地殻変動を考えることで読み解くことができます。伊豆半島ジオパーク推進協議会事務局の鈴木雄介さんに伊豆半島と狩野川の成り立ちをお聞きしました。

「約2000万年前、現在の硫黄島くらいの緯度にあった火山島が噴火を繰り返しながらフィリピン海プレートとともに北に移動し、約100万年前に本州に衝突した結果、伊豆半島ができました。本州に衝突・隆起してできた半島のなかにもいくつもの火山ができました。天城山もその一つでこの山に降った雨が低い方に流れ下っていき、現在の狩野川の流路になりました」と鈴木さんは言います。狩野川の流れを上流から下流まで見てみると、山が規定しているのがよくわかります。

水源地でもある天城山から狩野川は流れはじめ、複数の火山に東西を挟まれて伊豆半島の付け根に向かって北上すると、箱根と富士山の間を流れる黄瀬川(きせがわ)が正面から合流してきます。それによって狩野川は急に西向きに流れを変え、駿河湾に注ぎます。

地球の大きな活動を考えることで狩野川の今の流れの理由が見えてくるのはおもしろいです。

伊豆半島の地形
フィリピン海プレートの北上とともに本州に衝突してできたとされる伊豆半島は地学的に重要な場所で、今も本州に押しつけられている。約20万年前まで噴火を繰り返していた天城火山や達磨火山、多賀火山などが分水嶺となって狩野川は北に流れている

  • 狩野川の流路を定めた複成火山と富士山

  • 伊豆半島ジオパーク推進協議会事務局の鈴木雄介さん

    伊豆半島ジオパーク推進協議会事務局の鈴木雄介さん

たくさんの文豪を引き寄せた川

狩野川流域が大部分を占める伊豆半島ですが、地殻変動が激しいことに関連して温泉郷も発達してきました。この温泉郷から下田の海まで延びる峠道は天城路と言われ、狩野川に沿って通っています。この風情のある天城路は多くの文人が歩きました。『伊豆の踊子』を著した川端康成、『しろばんば』の井上靖、『旅』の島崎藤村などがこの場所を舞台に執筆に励んだそうです。

この天城路は当時どんな場所だったのか、道の駅「天城越え」昭和の森会館の渡辺文和さんにお話を聞きました。

「この伊豆の地域は多くの文学作品が誕生した場所です。数多くの文人墨客が東京近郊からやってきて、温泉宿に泊まりながら執筆活動をしていたそうです。今の私たちが歩いても結構気持ちのいいところでしょう」

文化人がこの流域に惹きつけられた理由として、都心に近い利便性を有しつつ半島という奥まった環境が非日常の雰囲気を醸し出していたことや、四季折々の風情や旅情が作品の創作意欲につながっていたのかもしれません。

伊豆の文学
井上靖や川端康成など伊豆にゆかりのある作家はおよそ120人。首都圏に近く、山、川、海へのアクセスもよく、天気がよければ富士山も望めるため創作には格好の場所。道の駅「天城越え」には井上靖が子ども時代を過ごした家が移築されている

  • 浄蓮の滝

    浄蓮の滝

  • 旧天城トンネル

    旧天城トンネル

  • 井上靖文学碑

    井上靖文学碑

  • 川端康成文学碑

    川端康成文学碑

  • 伊豆の踊り子像

    伊豆の踊り子像

  • 道の駅「天城越え」昭和の森会館の渡辺文和さん

    道の駅「天城越え」昭和の森会館の渡辺文和さん

阿鼻叫喚の狩野川台風と放水路

天城の源流から狩野川を下ってくると、修善寺で山間部が終わり、開けた平野部となります。このように変化する箇所は水害が起こりやすい場所でもあります。今回の取材とは別に狩野川に遊びに来た時に、川の傍の木陰にひっそりと建っている石碑が気になってしかたありませんでした。川系男子の勘というものでしょうか。この公園には何かあると直感的に感じ、今回石碑を読んでみました。ぎっしりと書かれた碑文にこんな一節がありました。

「堅を誇る修善寺橋もその暴圧に堪ゆることを得ず轟然陥没した。(中略)かかる上流の事態を夢想だにしなかった熊坂の夜は一瞬にして阿鼻叫換の修羅地獄不気味な地鳴りと荒れ狂う波の底に沈んだ」

この場所こそが戦後最悪と言われた水害の一つ、狩野川台風(1958年[昭和33]9月26日)の悲惨さを後世に伝えるものでした。川沿いの公園には、災害の爪痕を物語る災害伝承碑が残されていることが多いです。

狩野川台風の被害と狩野川の治水について、国土交通省沼津河川国道事務所調査課の土屋郁夫さん、山根宏之さん、鈴木康之さんにお聞きしました。

「伊豆半島の南を進んだ台風は、伊豆半島周辺の海上を進み、台風の左側に位置した天城山周辺に雨雲を長時間にわたり送り込みました。その結果天城山に降った大雨は狩野川に集中し、狩野川の多くの場所で氾濫し、死者・行方不明者853人という大きな被害を出しました。そのことから『狩野川台風』と名づけられています」

この狩野川台風の以前より狩野川の治水は、火山岩質でダム適地がないことから放水路案が検討されてきました。水害を機に放水路の規模拡大の方針となり、放水路計画を一気に推し進めました。

「狩野川台風の際、多くの場所で浸水しましたので、本川に負荷をかけないように、伊豆半島のくびれのところに三つのトンネルを掘り、近道して海まで導く『狩野川放水路』を建設しました(1965年完成)

これにより狩野川の治水は劇的に改善され、大水害はそれ以降起こっていないそうです。2018年で狩野川台風から60年を迎え、小学生を招いたイベントが開かれ、水害の記憶を風化させないように後世に伝承されているようです。

  •  1958年9月21日ごろ、グアム島に発生した台風22号が9月26日に伊豆半島南端を通過。死者・行方不明者853人、家屋の全半壊・流出・浸水による被害6775戸という被害をもたらした(提供:国土交通省 中部地方整備局 沼津河川国道事務所)

    1958年9月21日ごろ、グアム島に発生した台風22号が9月26日に伊豆半島南端を通過。死者・行方不明者853人、家屋の全半壊・流出・浸水による被害6775戸という被害をもたらした(提供:国土交通省 中部地方整備局 沼津河川国道事務所)

  • 国土交通省 中部地方整備局 沼津河川国道事務所 調査課で課長を務める土屋郁夫さん(右)、専門官の山根宏之さん(中)、水防調整係長の鈴木康之さん(左)

    国土交通省 中部地方整備局 沼津河川国道事務所 調査課で課長を務める土屋郁夫さん(右)、専門官の山根宏之さん(中)、水防調整係長の鈴木康之さん(左)

  • 伊豆市狩野川記念公園に建立されている狩野川台風に関する水害伝承碑

    伊豆市狩野川記念公園に建立されている狩野川台風に関する水害伝承碑

  • 河口から18km付近に設けられた狩野川放水路との分流地点

    河口から18km付近に設けられた狩野川放水路との分流地点

  • 狩野川台風の洪水実績に鑑み、計画流量を改訂して工事が進められた狩野川放水路。狩野川台風以前の計画で水路は2本だったが3本に改めた

    狩野川台風の洪水実績に鑑み、計画流量を改訂して工事が進められた狩野川放水路。狩野川台風以前の計画で水路は2本だったが3本に改めた

流域外から水を引く

狩野川流域は火山の影響の色濃い地形・地質をもつため水が浸透しやすく、年間3500~4500mmという豊富な降水量も手伝って、地下水や湧き水が多い地域です。それを活用したわさびの生産も盛んで、わさび漬けなどは伊豆半島の特産物の一つとなっています。

一方で、山に規定される川でもあるため、流域には川の水を利用しにくい地域も一部あります。狩野川の下流で合流する黄瀬川流域では、川よりも高いところに住宅や農地がある地域があり川の水を利用しにくいため、この地域の人々は流域を越えて芦ノ湖から水を引いてきました。それが「深良(ふから)用水(箱根用水)」です。

深良用水の水利用について裾野市役所行政課の原邦臣さんと山田隆蔵さんにお聞きしました。

「深良用水は江戸時代(1670年)に完成した歴史ある用水路です。今なお現役で約500haを潤しています。箱根山系の芦ノ湖の水を1280mの素掘りのトンネルにより引いてきています」

この用水路、2市2町で静岡県芦湖水利組合をつくり、主要な受益地である裾野市が中心に管理しています。実際に現場を案内していただきました。流域を越えて箱根の芦ノ湖につくと、深良用水のトンネルがありました。ここから水を取り入れ、山中を少しずつ下って水は流れていくようです。流域の外からやってくる水の流れがあることも実感できました。

取水口の近くには管理棟があり、ここで流量がリアルタイムで計測されています。年に二度、トンネル内を点検する時にはここを拠点として、水の番人(水配人)は前の日から泊まりこむそうです。江戸時代から今日まで世代を越えて毎年同じ管理を続けることは、新しいものをつくるよりも難しいことで、誇るべき遺産です。2014年に世界かんがい施設遺産としても登録された深良用水は、2020年に通水350周年を迎えます。これを記念して深良用水に感謝したお祭りや記念誌の発行を予定しているそうです。

  • 伊豆市中伊豆地区の「わさび沢」。雨が多く緑豊かな伊豆半島はわさびの栽培適地

    伊豆市中伊豆地区の「わさび沢」。雨が多く緑豊かな伊豆半島はわさびの栽培適地

  • 芦ノ湖から狩野川流域へ農業用水を送る「深良用水」の取水口

    芦ノ湖から狩野川流域へ農業用水を送る「深良用水」の取水口

  • 取水口から山を貫くトンネルの入口。少し奥に素掘りの跡が見える

    取水口から山を貫くトンネルの入口。少し奥に素掘りの跡が見える

  • 深良用水は、最終的にはここで狩野川の支川・黄瀬川へ流入する

    深良用水は、最終的にはここで狩野川の支川・黄瀬川へ流入する

  • 裾野市役所 総務部 行政課の主幹、原 邦臣さん(右)と主事の山田隆蔵さん(左)

    裾野市役所 総務部 行政課の主幹、原 邦臣さん(右)と主事の山田隆蔵さん(左)

地下水と川は表裏一体

狩野川流域は南北に細長い形をしています。伊豆半島の南から北に向かって狩野川本川、富士山の麓から南に向かって支流の黄瀬川、そしてその中央部に三島市があります。三島市を含む一帯は富士山山麓から湧き出す湧水が豊富で、『三島湧水群』と呼ばれています。この湧水を源流にもつ川として源兵衛川や柿田川があり、まちの中心部で多くの人が川沿いで涼を感じたり、水浴びを楽しんだりできる空間になっています。三島の湧水と源兵衛川の利活用についてNPO法人グラウンドワーク三島の渡辺豊博さんに話を聞きました。

「この豊富な地下水に恵まれている三島の人は、地下水と呼ばずに、『地下川』と呼びます。ですから、上(河川)が汚れると下(地下水)も汚れる。どちらも表裏一体で、体(水環境)の健康を保つためには両方とも大切です」

この源兵衛川、今でこそ湧水河川として全国的にも名高い清流ですが、非常にゴミが多かった時期がありました。

「ゴミの多い現状に憂えた数名が中心となり市民団体をつくり、毎週1.5kmの川を3年間ひたすら清掃活動を続けました」

同じ区間を清掃しつづけていると、ゴミが一切なくなり見た目にもきれいな空間になったそうです。渡辺さんは人が集まる秘訣として、「右手にスコップ、左手に缶ビール」がキーワードだと言います。

「清掃に一所懸命に取り組んだ後、みんなでビールを飲みます。いい汗をかき、この楽しみがあるから続き、続けているときれいになっていく過程で地域の人から差し入れがあったり、川の勉強会を開催しようという機運が高まったり人が集まってくるようになり、三島の地域経営という概念が育まれていったのです」と話します。

住民主体で120回もの源兵衛川の川づくりのワークショップを開催し、行政と一緒に利活用しやすい川を計画していったのも成果の一つです。この短い湧水の川に一人ひとりの多くの時間が注ぎ込まれて今の風景がつくり出されていることが感じられました。

  • 富士山の伏流水を源とする柿田川。水の色、透明度ともにすばらしい。この先で狩野川に合流する

    富士山の伏流水を源とする柿田川。水の色、透明度ともにすばらしい。この先で狩野川に合流する

  • 地域の人たちの力で清流を取り戻した源兵衛川

    地域の人たちの力で清流を取り戻した源兵衛川

  • NPOグラウンドワーク三島で専務理事と事務局長を兼務する渡辺豊博さん。渡辺さんたち数人で始めた清掃活動が地域の人たちを動かした

    NPOグラウンドワーク三島で専務理事と事務局長を兼務する渡辺豊博さん。渡辺さんたち数人で始めた清掃活動が地域の人たちを動かした

  • 人を惹きつける源兵衛川の河畔にはこのようなカフェレストランもある

    人を惹きつける源兵衛川の河畔にはこのようなカフェレストランもある

躍動するプレート上の狩野川流域の暮らし

大きな視点をもってダイナミックな地殻変動を見ていくなかで、狩野川流域の人々の暮らしや築かれた文化も見えてきました。

活発なプレートの運動は高い山々をつくり出し、その制約を受けながら狩野川は流れます。その制約が狩野川放水路や流域外から水を引いてくる深良用水をつくり出しました。また、その制約ある地形は天城路のような旅人や文人を魅了するすてきな空間として好まれ、多くの文学作品を生み出し、文化の薫る場所となりました。表層の川だけでなく、地下にも広がる地下川が地表と表裏一体となったその証がまちのなかを流れる源兵衛川や柿田川沿いに人が集まる風景でもありました。

今なお動きつづけるプレート運動は、狩野川流域の暮らしや文化を刻みつづけています。

(2019年4月22~24日取材)

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