機関誌『水の文化』66号
地域で受け継ぐ水遺産

地域で受け継ぐ水遺産
灌漑

使いながら守りつづける灌漑施設から学ぶこと

地表を流れる、あるいは地下に潜む水を、農作物を育てるために利用しようと、人はさまざまな工夫を重ねてきた。水を溜め、水路を引くなどして耕作地を潤すことを「灌漑(かんがい)」と呼ぶが、日本中に広がる灌漑施設は、運用方法も含めて海外から評価されているという。その土地で使いつづけられる灌漑施設の課題や展望を、熊本大学くまもと水循環・減災研究教育センター特任教授で国際かんがい排水委員会の国内委員長も務める渡邉紹裕さんにお聞きした。

渡邉紹裕

インタビュー
熊本大学くまもと水循環・減災研究教育センター特任教授
国際かんがい排水委員会(ICID)国内委員長
渡邉紹裕(わたなべ つぎひろ)さん

1953年栃木県生まれ。京都大学大学院農学研究科博士後期課程(農業工学専攻)研究指導認定退学。博士(農学)。専門分野は農業土木学(灌漑排水学)。総合地球環境学研究所教授、京都大学教授などを経て2019年4月から現職。水に関する国内外の人や団体の連携協力を目指す一般社団法人 Com aquaの代表理事も務める。共著に『地域環境水利学』『農村地域計画学』など。

水とかかわるうえでのさまざまな工夫

水は常に循環していて、時間的にも空間的にも変動します。そんな水に対し、人間はさまざまな工夫をして活用したり、もたらされる悪影響を回避したりしてきました。

人間による最初の工夫は、洪水や冠水を避けることだったと思われます。人間は、農耕牧畜を始める前までは150人くらいの集団で狩猟採集を行なっていたと推定されていますが、そのような集団では、長老的な人物が集団を危機に陥れる付近の水の状況を把握するための知恵をもっていたはずです。

次の段階が農業生産のための工夫です。定住型の農耕が確立される前の時代から、食用の植物に人為的に水をかけることで生育が安定するという発見はなされていて、一部の地域ではそうした行為が行なわれていたようです。

作物生育における水の役割が認知されると、次はさらなる工夫で「安定した供給」を目指すようになり、近くの渓流の水を自分たちの農地まで引いて使うといった、初歩的な「灌漑」と呼ぶべき段階に入っていきます。

安定して水が手に入る状況というのはきわめて限定的でした。自然の川の水位や流量は変わりますし、雨が溜まってできる水溜まりも、時間が経てば枯れて消えてしまいます。そんな水を定常的に安定して利用できる技術が育まれていくと、水を資源とする道が開けていきました。

「灌漑」に近い段階に進む過程では、過渡的な工夫も見られます。例えば、なんらかのしくみで雨水を溜め利用する工夫や、エジプトのナイル川流域などで行なわれていた、季節的な氾濫がもたらす湛水や土砂を農業に活かすといったものなどです。これらを厳密には「灌漑」とは言いませんが、すばらしい工夫であることは間違いありません。

また、自然界に存在する水で、定常化や安定化、資源化する際に扱いやすいのは、動きの遅い地下水でした。地下水は地上に出ると多くは流水となって動き出すので扱いにくくなることがありますが、地下に溜まっている状態であれば比較的扱いやすいものです。ただし、利用するには地中から地上へ水を汲み上げる技術が必要になります。

時間的に安定な、つまりいつでも手に入る状態にするためには、河川水や汲み上げた地下水を溜めておく技術が求められることもあります。この水を汲み上げ、溜め、そして引き入れて利用することは、それまでと比してかなり人為的なもので、現在に至るまで、水を利用する際の技術の根幹にあるものと言えます。

この「揚水」と「貯水」そして「導水」には、道具を使って行なうものと、土地を改変させて行なうものがあります。それぞれ「手の延長」「大地の延長」といった表現もされますが、揚水のための道具づくりの技術や、貯水や導水の技術が磨かれ、掛け合わされていくなかで発展していき、いろいろな技術が生まれていきます。この過程で、各地で生まれていったものが今も受け継がれ活用されているというケースは、多くあります。

荒野だった栃木県の複合扇状地・那須野ヶ原を農業地域に変えた「那須疏水」

荒野だった栃木県の複合扇状地・那須野ヶ原を農業地域に変えた「那須疏水」。1885年(明治18)開削。安積(あさか)疏水(福島県)と琵琶湖疏水(滋賀県・京都府)とともに「日本三大疏水」と呼ばれる(『水の文化』50号の連載「Go! GO! 109水系」にて掲載

「灌漑」の定義と灌漑施設の種類

「灌漑」という言葉が意味するものには若干の幅があります。たんに「土に水を供給する」ということではなく、「人為の作業による施設を用いて」の供給という側面を重視するのが普通です。「人為の作業」で施設を建設するには、なんらかの「共同」が必要であるため、共同的な建設と維持管理がその要件とされることになります。

ですから、家庭で植木鉢の土に水をかけることは灌漑かといえば、そうではありません。家庭菜園に水をまくのもほぼあてはまらない。どちらも個人で行なうもので、そのための施設建設なども経ていないからです。

日本の水田はほぼ100%灌漑によって稲作がなされています。ほとんどが共同で建設した水路などの施設を使い、水田に水を供給しているためです。なお、対照的に、日本の畑は灌漑されているケースはかなり少なく、全畑地の2割程度といわれています。これは、畑作はもともと水が得にくい場所で行なわれることが多く、そうした場所に水を引くのは多額の費用がかかること。そして、畑作で水がもっとも必要となる夏を含めて、日本では、灌漑施設がなくても作物に必要な水が雨で賄えるといった理由があります。

灌漑施設の種類は、世界各地を見てもさほど大きな違いはありません、水を取り入れるための堰、農地に水を運ぶ水路、運ぶ途中で水を分ける施設、不要な水を排水するための施設などです。寒冷地であれば水田に入る水の温度を上げる施設などもつくります。そして、実際に水を使う水田など水路から農地に水を給水するためのゲートなどの装置。溜池やダムのような貯水のための施設ももちろん灌漑施設です。こうした施設は、規模の違いなどはあっても、ほぼ世界で同じ原理による似たものが使われています。

水田を含む水循環の模式図(日本の例)

水田を含む水循環の模式図(日本の例)
農業用水は、河川や溜池、ダムから取水し、用水路を経て水田に供給される。その水は水田に一時蓄えられ、同時に地下水を涵養し、また河川に戻り、下流域でも使用する
農林水産省HP「世界のかんがいの多様性」などを参考に編集部作成

「世界かんがい施設遺産」が生まれた背景

灌漑などの分野で、科学技術の研究開発、交流促進を図ることなどを目的に70年前に設立された非営利の国際NGOである国際かんがい排水委員会(以下、ICID)では、2014年より歴史的な灌漑施設を「世界かんがい施設遺産」として認定・登録する取り組みを行なっています。こうした制度が生まれた背景には、灌漑事業を取り巻く状況の変化があります。

大規模な灌漑の多くは、第二次大戦後に開発されています。世界銀行やアジア開発銀行などの出資のもとでの大規模プロジェクトが次々と実現していた時代があったのです。その結果、現在の世界の農地面積の20%ほどは、灌漑により人為的に水が供給されている灌漑農地となりました。この灌漑農地で世界の食糧生産の40%を賄っているとされ、果たしている役割は非常に大きなものとなっています。

しかしながら、近年は以前のような大規模な灌漑事業は行なわれなくなっています。理由は灌漑農地として開発するのに適した場所が減ってきたことや、灌漑施設を必要とする開発途上国の財政状況の悪化などが挙げられます。

また、環境に与える影響からも灌漑は難しい立場にあります。農業というのは膨大な水を使います。限りある水をいかに使い尽くして、生産を少しでも拡大・改善するかは、基本的な発想であり、例えば江戸時代に新田開発が進んだ時代になると、稲が生育される夏は日本の多くの川で水の流れが途切れました。川の水は水田に回され、水の豊かな農地や農村が生まれる一方で、干上がった川が数多く出現して、「瀬切れ」といわれるような現象が広く起こっていたのです。

これと似たことがとてつもないスケールで起きたのが中央アジアのアラル海です。旧ソ連の共和国、ウズベキスタンとカザフスタンの間にあった世界で4番目の大きさの湖だったアラル海は、周辺の砂漠を大農地にするために、流入する2つの大河川から取水する大規模な灌漑事業が1960年代から行なわれ、流入する水量は激減し、ほとんどなくなりました。その結果、開拓された大規模農場では綿花や小麦、米などが生産され、貴重な食糧生産基地となりましたが、一方で、アラル海の水位は年々下がり、今ではほとんどが干上がってしまったのです。このことで、アラル海の漁業や生態系は壊滅し、周辺農地でも農薬による汚染が広がりました。周辺の気候も変化したともいわれます。

こうしたことが、規模の違いはあれ世界中で起きました。その結果、灌漑が環境に与える影響という問題点が浮かび上がり、灌漑を抑制する原因ともなっていきました。

「灌漑は是か非か」ではない、別角度からの議論もあります。「現状の灌漑施設で取得している水をより効率的に使い、新たな開発をせずとも必要な農業用水を確保できないのか」「都市化が進んで農地が減ったところでは、施設を改修するなどして取水する水を減らせないか」といったことです。

粗放で効率の悪い水の管理を改めることや、施設改修などによって農業用水の一部を都市に回すといった合理化は、学術的にも世界で議論されています。ただし、施設の改修は費用がかかり、管理の改善は管理体制の仕立て直しが肝となり社会や文化ともかかわることから、実現は簡単に進みません。このあたりは、気候変動対応とも合わせて喫緊の課題です。

日本の灌漑施設の世界との決定的な違い

このように課題のなかではありますが、人類の食糧生産を支えてきた灌漑の歴史や発展の経緯を明らかにし、理解醸成を図るべきという考えから「世界かんがい施設遺産」の制度は誕生しています。課題があるからこそ、その意義や役割を再確認して、よりよい管理を求めようということです。

認定・登録においては、つくられてから100年以上が経った施設で、現在も使われているものを対象としています。

日本は突出して多くの世界かんがい施設遺産が認定されていることで知られています。去年までに認証された全世界の91施設のうち、39が日本にあるのです。これは農林水産省を中心とするICIDの国内委員会や対象地域が熱心であるのが最大の理由ですが、日本の灌漑施設が世界とは少し違った特殊性をもっているからというのも理由の一つです。

日本の灌漑施設の世界との違いとしてもっとも注目されることが多いのは、国や地方自治体から支援こそ受けつつも、あくまで土地改良区という受益する農家が集まってつくる組織が中心的な役割を果たして施設をつくり、完成後は自ら管理する「農民参加型水管理」という手法です。多くは、近世以前に開発された地域の農地や灌漑施設を、近代的な技術で施設の改修を図りながらも、農家が継承して現役として活躍させているのです。こうした姿は日本中で見ることができます。

海外では灌漑は国家事業であり、基幹施設の建設や管理は国が主導する形がほとんどとなっています。日本の灌漑は小規模なものが多いことから農家主体でも管理を完結することができるという面もあるのですが、灌漑管理の実績ある見本として他国から参考とされることも多いのです。

「世界かんがい施設遺産」はまだ立ち上がったばかりですが、将来的には、認定施設を通した灌漑への理解を図ることに加え、観光の一端を担えるものとして地域で認識し、活用することを考えていくことに協力していきたいと思っています。ただし、観光客を呼べばいいというわけではもちろんなく、施設を有する地域の方々が故郷の灌漑システムの歴史や現在の状況について知り、地域の自然と歴史や文化を見直す機会となることを望みます。

認定施設は発想や技術の高さ、苦労など称えられるべき部分は多くありますが、コアにあるのは灌漑の定義にも含まれる「共同」の部分ではないでしょうか。組織に所属する者が互いに信頼し合ってつくり上げたことに貢献しているという意識。引き継がれてきたコンヴィヴィアリティ(自立共生)の精神を、いかに継承していけるかが、これからの地域の社会や環境に向けてもっとも重要なことだと思っています。

(2020年9月23日/リモートインタビュー)

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