「結(ゆい)の心」で取り戻した「水の知見」を海外へ!

豪雪地帯に加え山々に囲まれた扇状地の地形から、地下水が豊富で水が豊かな福井県大野市。40年前、深刻な「井戸枯れ」の危機に直面しましたが、市民が一体となった保全活動で再び地下水を取り戻した歴史があります。以来、地下水保全のための独自の取り組みを行なってきた大野市は、近年もう一歩踏み込んだ地方創生への試みである「水への恩返し Carrying Water Project(キャリング ウォーター プロジェクト)」を展開していると聞き、訪ねました。

豊富な地下水が今も生活基盤に

 標高170〜230mに位置し、周囲を日本百名山の荒島岳をはじめとする1000m級の山々に囲まれた福井県大野市は、湧き水に恵まれた「名水のまち」として知られています。大野市の人口は約3万3000人、総面積は約872km2と県内ではもっとも大きく、福井県の面積の5分の1を占めるほどです。

 今から440年前、織田信長の部将だった金森長近(かなもりながちか)が、大野城の築城とあわせて城下町をつくったことが大野市街地の始まりです。古くから湧き水が豊富だったこの地で特に水の利用を重視した長近は、短冊状のまちに生活用水のための水路を張り巡らせました。このときの町割が今もほぼそのまま残っています。

 大野市が湧き水に恵まれているのには、次のような理由があります。市の87%が森林で、雪の多い地域でもある大野市には、主な河川として九頭竜川(くずりゅうがわ)、真名川(まながわ)、清滝川(きよたきがわ)、赤根川(あかねがわ)の4本の一級河川が並行に流れています。大野市は、真名川と清滝川が形成した扇状地の上につくられたまちです。大野市の地下50〜200mのところには地下ダム型帯水盆(たいすいぼん)があり、上流で浸透した水が地下に溜まることで、伏流水となって市内のあちこちに湧き出しているのです。

 大野市の名物である、冬にこたつで味わうでっち羊かん、大根おろしが入ったつゆをかけて食す香り高い越前おろしそば、芳醇な風味の日本酒――。これらはすべて、大野市が育む豊かな地下水から生まれたものです。

 大野のまちを歩いていると、名水百選の「御清水(おしょうず)」をはじめ、平成の名水百選に選ばれている「本願清水(ほんがんしょうず)」など、「清水(しょうず)」と呼ばれる湧水地がいたるところに点在します。飲めるものも多いため口に含んでみると、雪どけ水特有のまろやかな口当たりでした。日常的にこんなにおいしい水が飲めるとは、なんとも贅沢。水温は年間を通して13〜15℃のため、夏は冷たく冬は温かく感じられます。こうした湧水地はかつて野菜や衣類などの洗い場であり、また現在の喫茶店のように井戸端会議を楽しむコミュニティの場として大野の人々を結びつけてきました。

 現在も市内の約70%の家庭はホームポンプによる井戸を所有し、地下水を汲み上げそのまま利用しています。一般財団法人 水への恩返し財団 事務局長の帰山寿章(かえりやまとしあき)さんによると、大野市の上水道の普及率は20〜30%だそうです。普段は井戸の水を使いながら、万が一のための「保険」として上水道を用いる家庭もあるのだそうです。地下水は、飲み水をはじめ、料理やお風呂、トイレ、洗車など、市民の生活のあらゆる場面でまかなわれています。

福井県の東部に位置する大野市福井県の東部に位置する大野市

かつての御清水(左/提供:大野市)現在の御清水かつての御清水(左)(提供:大野市)と現在の御清水(右)

水舟清水七間清水

新堀清水

大野のまちなかにはさまざまな湧水地がある。水舟清水(上段左)、七間清水(上段右)、新堀清水(左)

水循環について語る一般財団法人 水への恩返し財団 事務局長の帰山寿章さん

水循環について語る一般財団法人 水への恩返し財団 事務局長の帰山寿章さん

大野盆地(真名川以西)の水循環システム(「大野市地下水年次報告書」平成28年版より)大野盆地(真名川以西)の水循環システム(「大野市地下水年次報告書」平成28年版より)

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一度枯れてしまった水への取り組み

 地下水が豊富な大野市ですが、この状態が440年間絶えず続いてきたわけではありません。「過去には湧水地や井戸の枯渇もあったのです」と帰山さん。深刻な水危機に瀕したのは、1971年(昭和46)〜1984年(昭和59)にかけてでした。多くは12〜2月の冬季に井戸枯れが起こっています。

「冬は特に地下水が減少傾向となります。これは雪国なので融雪に多く使いすぎ、追い打ちをかけたのでしょう。1977年(昭和52)には、道路の融雪以外にも1000軒以上の家庭の屋根を地下水で融雪していました。加えて入浴が日々の習慣になるなど生活様式の変化があり、また当時200社ほどあった繊維工場が大量に水を使用したことなど、さまざまな要因が重なって『井戸枯れ』が起きたのだと思います。多いときは市内に8000本ほどあった井戸のうちの1000本が枯れてしまい、給水車も出たと聞いています。水遊びできるほど水量が豊富だった本願清水も、1978年(昭和53)には枯渇しました」(帰山さん)

 大野市の地下水位は3〜4月の雪融け時期、4〜5月の水田に水をはる時期、梅雨や台風の時期に大きく上昇し、8月中旬ごろ最高水位に達します。その後、水田から水が抜かれると地下水位は低下し、11月ごろに最低水位を記録するという変動パターンを繰り返します。つまり、最低水位となる冬季に地下水を使いすぎると水不足になり兼ねないのです。

 日常的に使ってきた地下水は、限りある資源――。井戸枯れを機に「当たり前にあった地下水」は「ありがたいもの」へと変わりました。

 大野市では1973年(昭和48)に地下水対策審議会を設置し、地下水保全の取り組みを始めました。地下水位の湧水量計測および水質検査による地下水の監視、地下水の涵養(かんよう)対策としての冬季湛水(たんすい)事業、涵養域のブナ林を購入して植林をするなど、さまざまな施策を打ち出してきました。冬期湛水は10月〜2月までの5カ月間、水の涵養地域である木の本原地区の田んぼ100haあるうち30haを市が借り上げて湛水しています。水を湛えることで地下にしみこむ水量を確保するためです。しかも、この30haは毎年違う田んぼをローテーションのかたちで動かして、水の涵養に役立てています。

 こうした施策で、特に大野市ならではのものが「地下水緊急時対策」だと帰山さんは言います。

「市内の湧水地のうち御清水、春日公園、菖蒲池の3カ所を基本観測井(かんそくせい)として定め、一定の水位を下回った場合にチラシや広報車による街頭広報で、注意報や警報を発令しています」

 まちなかで見かける地下水位を示す看板は、大野ならではの光景です。また、2011年(平成23)には地下水を守るだけではなく、地下水にまつわる「文化」も後世に残すべきという考えのもと、「越前おおの湧水文化再生計画」を策定しました。

 これらは大野市としての取り組みですが、市民団体や地域住民もまた、地下水を守るための活動を活発に行なっています。

泳げるほど水量豊かだった本願清水

泳げるほど水量豊かだった本願清水(1959年)(提供:大野市)

やがて水枯れを起こす

しかし、やがて井戸枯れを起こす(1978年)(提供:大野市)

春日公園観測井の過去10年間(2005〜2016)の平均水位。時期によって地下水位がかなり変動することがわかる(「大野市地下水年次報告書」平成28年版より)春日公園観測井の過去10年間(2005〜2016)の平均水位
時期によって地下水位がかなり変動することがわかる(「大野市地下水年次報告書」平成28年版より)

地下水の涵養対策として大野市が取り組む「水田湛水事業」

「森づくり事業」

地下水の涵養対策として大野市が取り組む「水田湛水事業」(上)と「森づくり事業」(左) (提供:大野市)

地下水位を示す看板。市内各所で毎日観測が行なわれている地下水位を示す看板。市内各所で毎日観測が行なわれている

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地元有志が一丸となった清掃活動

 私たちは、一度荒れてしまった湧水地を市民が蘇らせたという中野清水を訪れました。

 大野市下庄地区にある中野清水は、昔から水飲み場や洗濯場、水遊び場として近隣住民に親しまれてきました。市の魚に認定されたイトヨ(注1)もかつては多く生息していたそうです。ところが、周囲の田んぼが住宅地に変わり、下水道の整備が遅れたことで汚れた水が流れ込み、中野清水を利用する人は徐々に減っていきます。1975年(昭和50)ごろにはこうした生活雑排水やごみの不法投棄による汚染が深刻で、湧水地は汚泥が溜まり、無残に荒れ果てた沼地となってしまいます。

 それから約20年が経ち、きれいな湧水池だった姿を知る地元の青年有志「下庄倶楽部」のなかから昔の姿を取り戻そうという声が上がり、地元の住民にも呼びかけ、1996年(平成8)に、約40名による大掛かりな清掃活動を行ないました。「下庄倶楽部」に所属していた島田健一さんも、呼びかけを行ない清掃活動に参加した一人です。さらにきれいにするため継続して活動しようと、翌1997年(平成9)に「中野清水を守る会」を結成します。

「中野清水は私たちの通学路にありましたから、帰り道によく水を飲んだりしました。当時の様子は原体験として今も記憶に残っています」と島田さん。清掃を始めたころは悪臭がひどく、汚泥のなかからは自転車やタイヤなども出てきたそうです。重機や住民の手で取り除いたゴミは、なんと2トンダンプ50台分。清掃にかかわる有志には土木業に携わるメンバーもいたため、重機は無償で使えました。こうした住民による献身的な清掃活動は、1年ほど続きます。

 翌年、ようやくきれいな湧水地の姿を取り戻すと、手づくりの橋や花壇を設置し、イトヨの放流を行ない、地域の子どもたちの環境学習の場にもなりました。大量のゴミや汚泥に汚染されながらも、地下水はまだ枯れていなかったのです。そして2001年(平成13)、土地区画整理事業の一環で中野清水は親水公園として全面改修され、現在に至ります。

 島田さんは今も、中野清水の清掃や保全活動に取り組んでいますが、「中野清水を守る会」のメンバーの高齢化といった課題も抱えています。しかし、その一方で明るい展望もあります。この地域では3〜4年前から新たに「下庄を楽しむプロジェクト」という若者有志の団体が発足し、中野清水でイベントが不定期ですが行なわれるようになっています。イベントのときは「下庄を楽しむプロジェクト」のメンバーから「協力してほしい」と島田さんたちに声がかかります。その協力をきっかけに、世代の異なる若者たちとの交流も生まれているのです。

「中野清水が荒れてしまったのは、住民が関心を示さなくなったことが大きな要因だと考えています。もしゴミ捨て場のままだったら、区画整理のときに埋め立てられていたでしょうね。地域の小学校に招かれ講話をすることもありますが、次代の子どもたちに伝えたいことは、とにかく中野清水に遊びに来てほしい、関心をもち続けることが維持につながるということです」(島田さん)

注1:イトヨ
トゲウオ科イトヨ属。体長は5cmほど。20℃以下の比較的低くきれいな水を好む。一生を淡水域で過ごす淡水型(陸封型)と淡水で繁殖し海で成長する遡河型(海産型)に分類されるが、大野市のイトヨは淡水型。2005年(平成17)に市の魚に指定された。

 湧水地を蘇らせた経緯を話す「中野清水を守る会」の島田健一さん

湧水地を蘇らせた経緯を話す「中野清水を守る会」の島田健一さん

荒れ果てたころの中野清水現在の中野清水荒れ果てたころの中野清水(左)(提供:大野市)と現在の中野清水(右)

イトヨが棲みやすい環境を維持するために水草を刈る島田さん中野清水で泳いでいたイトヨイトヨが棲みやすい環境を維持するために水草を刈る島田さん(左)と中野清水で泳いでいたイトヨ(右)

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365日、責任をもって管理

 イトヨが多く見られる場所として知られる義景(よしかげ)清水もまた、市民の手によって守られている湧水地の一つです。近くに戦国大名である朝倉義景の墓があることから、義景清水の名がつきました。清水の周りは、義景公園として整備されています。かつてこの湧水地にもイトヨが自然に生息していましたが、地下水が枯渇した時期にはイトヨもいなくなりました。

「義景イトヨ保存会」に所属する杉本政司(まさし)さんは、12年前から義景清水の清掃や管理に携わり、毎日の掃除・除草、花壇の設置など、人の手でできることを保存会のメンバーとともに行なっています。「水を守るだけではなく、イトヨを見て何かを感じるなど体験してもらうための場所にしたい」と、杉本さんは笑顔で話します。

「多くの人に義景清水に足を運んでもらうためにも、土壌を整えることは大事なことだと思っています。年間を通しての清掃・管理は大変な面もありますが、こうしてここに携わっていられることが楽しく、何より好きなのです」

 また、これは大野市の地下水監視の取り組みの一環ですが、杉本さんは毎朝、義景清水の地下水位の計測も行なっています。365日、雨の日も雪の日も、早朝5時に保存会のメンバー2人がかりで手計り計測器を用いて水位を計測し、市の湧水再生対策室に電話報告しているのです。毎朝5時に計測するのは、できるだけ市民が水を使い始める前に記録するため。「無限にある地下水ではないからこそ、守っていこうという意識が私たちにも強くある」と杉本さん。

 大野には、「結(ゆい)の故郷(くに) 越前おおの」という市のブランドキャッチコピーがあります。人と環境、人と人がつながり支え合う心を、大野では古くから「結」と呼んでいます。限りある資源を守るために、会をつくり住民同士が手をとり合う姿はまさに「結」の精神だと、島田さんや杉本さんにお会いして感じました。

イトヨが棲む義景清水で微笑む「義景イトヨ保存会」事務局の杉本政司さん

イトヨが棲む義景清水で微笑む「義景イトヨ保存会」事務局の杉本政司さん

杉本さんが毎朝地下水位を図る「手計り計測器」金属製のセンサーを管のなかに差し込む。センサーが着水すると音が出るため、水位がわかる。水位は刻一刻と変化しているという杉本さんが毎朝地下水位を図る「手計り計測器」。金属製のセンサーを管のなかに差し込む。センサーが着水すると音が出るため、水位がわかる。水位は刻一刻と変化しているという

義景清水のそばにある「義景イトヨ保存会」のメンバーが草でかたどったイトヨの姿。奥にあるのは市内の小学生たちが書いた義景清水とイトヨの絵

義景清水のそばにある「義景イトヨ保存会」のメンバーが草でかたどったイトヨの姿。奥にあるのは市内の小学生たちが書いた義景清水とイトヨの絵

イトヨの大敵・カワウを寄せ付けないために紐を張った義景清水

イトヨの大敵・サギを寄せ付けないために紐を張った義景清水

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イトヨの保全は湧水文化を守ること

 次に向かったのが、糸魚(いとよ)町にある本願清水です。本願清水は市の魚であるイトヨの生息地として、1934年(昭和9)に国の天然記念物に指定され、2008年(平成20)には環境省の平成の名水百選に選ばれました。ここには大野市に生息する約1万匹のイトヨのうち、約6000匹が生息しています。

 イトヨはかつて大野市のいたるところで確認されましたが、高度経済成長期以降に激減し、現在では絶滅の危機に瀕しています。

 イトヨが激減したことを境に、大野市民が「大野イトヨの会」という市民団体を立ち上げ、イトヨを守るために本願清水の清掃・保全活動を行なうようになりました。やがて市民のあいだでイトヨの保護施設をつくろうという機運が高まっていくなか、本願清水が文化庁の天然記念物整備活用事業に採択されたことで、2001年(平成13)に本願清水に隣接する形で「本願清水イトヨの里」が設立されたのです。

 イトヨの里では、イトヨの自然のままの生態や水中に湧き出す湧水の様子を、ガラス張りの施設内から観察できるようになっていて、これが大変興味深いものでした。また、イトヨの調査研究・保護のみならず、イトヨを通した環境学習の場にもなっており、近隣の小学校の3〜4年生の児童は、毎年必ず授業の一環で本願清水とイトヨの里を訪れるそうです。

 2018年3月までイトヨの里の副館長を務めた長谷川幸治さんが、心あたたまるエピソードを教えてくれました。

「福井市のある飲食店で、私の後ろに座っていた学生が、『自分の地域では小学校の授業でイトヨの学習をする』と友だちに話しているのが聞こえたのです。聞いていると、その内容がすべて合っていました。当時私が伝えたであろうことを今もこうして覚えていて、しかも大野市外の友人に説明していました。後ろで聞いていて涙が出そうになりました」

 イトヨは、大野市民にとってとても身近な魚なのです。

 長谷川さんは、次のようにも話します。「イトヨは大野市特有の湧水文化の象徴であり、環境のバロメーターでもある重要な魚です。イトヨがいなくなれば、そのまま地下水をくみ上げて飲む今の生活もなくなってしまうでしょう。イトヨを守ることは地下水を守ることであり、ひいては大野の人々の生活を守ることでもあるのです」

金森長近が掘り下げて町用水の水源として整備したのが始まりと伝わる「本願清水」 金森長近が掘り下げて町用水の水源として整備したのが始まりと伝わる「本願清水」

本願清水の周囲の石垣からは今も伏流水がしみ出ている

本願清水の周囲の石垣からは今も伏流水がしみ出ている

「本願清水イトヨの里」の建物外観

「本願清水イトヨの里」の建物外観

2018年3月まで副館長を務めた長谷川幸治さん

2018年3月まで副館長を務めた長谷川幸治さん

 「本願清水イトヨの里」の館内ではイトヨが観察できる

「本願清水イトヨの里」の館内ではイトヨが観察できる

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地方創生を目指す新たな取り組み

 このように、大野市では行政のみならず、市民も一丸となり地下水保全の取り組みを行なったことが功を奏し、「結果が目に見えて表れています」と帰山さんは言います。3つの基本観測井の記録は年々右肩上がりの傾向を示し、2013年(平成25)以降は基準値を下回る日がほぼなくなったそうです。

 地下水の枯渇から始まったこの一連の取り組みは、2013年に日本水大賞の「環境大臣賞」を受賞しました。現在大野市は、国の研究機関や大学が大野の地下水に着目し、地下水研究の新たなフィールドとして活用されはじめています。

 そのようななかで、近年注目されている大野市の地方創生への取り組みが、「水への恩返し Carrying Water Project」(以下、CWP)です。

 CWPは、名水のまち・大野の水の可能性や魅力をさまざまな形で国内外に発信することで、大野の認知度や魅力を高め、さらに市民と協力しながらまちの活力向上や関係人口の拡大、雇用の創出などを目指すものです。

「大野でしかできないことでなければ意味がなかった」と振り返るのは、2016年(平成28)5月から約2年間、大野市の副市長を務めた今(こん)洋佑さんです。

「このプロジェクトは私が赴任する前に、地方創生・人口減少対策に向けた取り組みのなかで芽が出ていました。大野の資源として誰もが自信をもつ『水』をテーマに世界へ打って出るという方向性も、すでに決定していました。ただ、それだけでは弱いと私は考えたのです。『名水のまち』ならほかにもあります。肝心なのは大野に根づくこと。そこで、名水のまちに大野の文化や井戸枯れの苦難の歴史、さらには結の心を絡め、水への感謝の思いを『恩返し』として形にしようと、コンセプトを理論立てました。結の心があるからこそ世界の国々と手をとり合うために、海外に打って出る必要性も感じられると思ったのです」

 今さんのリーダーシップのもと、たんなる「名水のまちブランド」ではなく、大野でしかできない「水を通じたソーシャルな人口減少対策」という新たな試みとして、CWPは動き出しました。

2018年3月までの約2年間、大野市の副市長を務めた今 洋佑さん

2018年3月までの約2年間、大野市の副市長を務めた今 洋佑さん

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「結の心」を海外にも

 CWP の活動の一環として、2016年には公益財団法人日本ユニセフ協会とパートナーシップを結び、2017年(平成29)からの3年間、東南アジアにある東ティモール民主共和国を支援することが決まりました。これはCWPの活動の中核となるもので、地方自治体としては初となる「地域と使途を明確にした支援」です。

 なぜ東ティモールかというと、アジアでもっとも水環境が厳しい国だからです。加えて、東ティモールへの支援を通じて水のありがたみをシェアすることで、大野市民一人ひとりに水の大切さを再認識してもらうためでもあります。

 東ティモールは2002年に独立したばかりで、未だインフラ整備が十分ではありません。水汲みは主に子どもや女性の仕事で、3〜4km離れた水源まで毎日のように水を汲みに行かなければなりません。また不衛生な水ゆえ、乳児が感染症を引き起こし死に至るケースも少なくないのです。

 CWPでの具体的な支援内容は、子どもたちが清潔で安全な水へアクセスできるよう、計6基の重力式給水システム(注2)を設置し、水源を守るためのノウハウを共有すること。支援金は、市民や市内外業者からの募金や寄付金ですべてまかなったそうです。

 これまでに2基の水道施設が完成し、すでに水が引かれた地域では、「子どもが水汲みから解放されて学校に通えるようになった」「自分の村で安心して出産できるようになった」など、現地住民から喜びの声があがっています。また、2018年3月には科学技術振興機構(JST)が実施する事業を活用し、東ティモールの学生を大野市に招聘し、水への取り組みや水循環を学ぶ場も設けました。

 大野市は、今後も東ティモールとの中長期的な交流を視野に入れています。「現在東ティモール大使館と交渉しているのが、現地から若い技術者を労働力として招聘(しょうへい)することです。これにより大野の人手不足が解消するうえ、東ティモールの学生たちに新たな技術を持ち帰ってもらえれば、双方のメリットにつながると考えています」と、今さんは今後の展望を述べます。つまり、たんなる一方的な支援ではなく、お互いが利益をもたらす平等な関係をつくっていくことが目的なのです。

 このほかにも、CWPではさまざまな活動を行なっています。例えば、大野で蓄積された水に関する知見をシェアし、子どもたちが世界の水について考える「水のがっこう」。県内外への出張授業のほか、世界の水問題について知る冊子を作成し、約4万部を全国の小・中学校、高校、特別支援学校へ配布しました。

 大野ならではの食を通じて地域ブランドを発信する「水をたべるレストラン」では、2017年8月1日、大野の水や食材を使った料理を振る舞う「一夜限りのレストラン」を、古民家を借りて開催しました。食や水に関する有識者を招き、大野に住む若者9名が「ミズカラ」というグループを結成し、空間や料理をすべてプロデュースしたそうです。

 また、8月1日は水の日であることから、2017年8月1日付の日本経済新聞に、CWPとしてのメッセージを発信する全面意見広告を出しました。この広告は第66回日経広告賞環境部門最優秀賞・環境大臣賞を受賞しました。

 キャッチコピーは、「『水の日』なんか、いらない世界にしよう。」

 大野自体は小さなまちでも、世界の先頭に立ち能動的な取り組みを展開していくことを宣言する意味が、このキャッチコピーには込められています。さらに2017年11月には、ビジネスや水資源の管理、水を通じた社会貢献活動など、水における先進地であるフランスの誘いを受け、渡仏し意見交換を交わすなど、国際交流の一歩も踏み出しました。

注2:重力式給水システム
標高の高い場所にある水源地に小さなダムをつくり、そこから人が住む地域までをパイプでつなぐことで、重力を利用して水を供給するしくみ。

東ティモールへの支援金を募るために設置した募金箱

左:東ティモールへの支援金を募るために設置した募金箱
下:大野市の支援で完成した水道を囲む東ティモールの子どもたち(いずれも提供:大野市)

大野市の支援で完成した水道を囲む東ティモールの子どもたち

古民家を借りて開催した「一夜限りのレストラン」

古民家を借りて開催した「一夜限りのレストラン」(提供:大野市)

水とかかわりの深い「食」を集めた「水をたべるレストラン」の商品

水とかかわりの深い「食」を集めた「水をたべるレストラン」の商品(提供:大野市)

大野で蓄積された水に関する知見を子どもたちに伝えるため、大野市 湧水再生対策室が編集した冊子「水のがっこう」の一環として行なった出張授業左:水に関する基本的な知識や世界の水問題について考える機会を提供するため、大野市 湧水再生対策室が編集した冊子 右:「水のがっこう」の一環として行なった出張授業(提供:大野市)

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「世界水フォーラム」で得た手ごたえ

 2018年3月18〜23日、ブラジルの首都であるブラジリアで、「第8回世界水フォーラム」が開催されました。各国の水関係者が一堂に会し、水問題解決へ向けた議論を交わす世界最大級の国際会議に、大野市が参加したのです。今さんと帰山さんが現地へ赴きました。

 水フォーラムでは展示ブースを出展したほか、今さんが10分間のプレゼンテーションも行ないました。「水をビジネスに結びつけようとする国も多いなか、私たちは純粋に助け合いの気持ちでやっていること、お互いがハッピーになる世界をつくるために、ビジネス抜きで考えてみることも時には必要ではないかとアピールしました」(今さん)

 水フォーラムに参加した感想を、帰山さんは次のように語ります。

「いろいろな専門家の方が、世界から水がなくなる日はそう遠くないと話していますが、私にはどうもピンとこなかったのです。しかし実際に水フォーラムで各国の水問題を見聞きすると、水の問題は非常に深刻であることを実感しました。決して日本も無関係ではないと思います。その一方で、今さんのプレゼンに共感してパートナーになりたいという国があるなど、『結の心は世界共通なのかもしれない』と改めて実感した場でもありました」

 第8回世界水フォーラムには、日本の自治体としてほかに滋賀県が参加していましたが、市区町村レベルで参加したのは大野市だけです。

 今さんは「CWPについていえば、関係者も増え軌道に乗せることができたので、3年後の世界水フォーラムも視野に入れ、今ある取り組みを継続していきたいです。これまで、取り組みやイベントは市が考え企画してきましたが、今後は市民が新しいアイディアを出す市民参加型の社会をつくることが重要ではないでしょうか」と言います。

 日本で水に恵まれた土地は各地にありますが、大野市は昭和と平成の名水百選に選出されたことに頼ることなく、市民を巻き込んだ独自の取り組みを行なうことで、限りある水資源を守っていることを今回知りました。

 CWPの今後に注目するとともに、今ある地域資源を能動的な取り組みに切り替えることで未来への土台を築きつつある大野市のスタンスは、これからの市区町村のあり方のモデルになっていくのではないか。そのように感じた取材でもありました。

「第8回世界水フォーラム」でプレゼンテーションを行なう今 副市長(提供:大野市)

「第8回世界水フォーラム」でプレゼンテーションを行なう今さん(提供:大野市)

水がほとばしる芹川清水。井戸枯れの危機をみんな(結の心)で乗り越えた大野市の知見は、他の国や地域でもきっと役に立つ水がほとばしる芹川清水。井戸枯れの危機をみんな(結の心)で乗り越えた大野市の知見は、他の国や地域でもきっと役に立つ

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