水の風土記
水の文化 人ネットワーク

グローバリズムと定住化がモンゴル社会を変えつつある 
〜遊牧社会の維持可能なシステム〜

モンゴルといえば遊牧民の社会。でも、「コメ文化の日本人」にとって、「遊牧民の文化が持続可能な社会を体現している」と言われてもなかなかピンと来ないものです。 そこで今回は、モンゴルをフィールドに文化と環境を見続けてきた小長谷有紀さんに、「居住」「財産権」の意味が日本とは異なる遊牧民社会についてお話しをうかがいました。

小長谷 有紀

国立民族学博物館教授
小長谷 有紀 こながや ゆき

1957年生まれ。1986年京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。79〜80年、モンゴル国立大学に留学、87〜88年には中国内蒙古社会科学院に留学。現在、国立民族学博物館教授。国立民族学博物館助手、助教授を経て、2003年より現職。
主な著書に『中国の環境政策 生態移民―緑の大地、内モンゴルの砂漠化を防げるか?』(昭和堂、2005)、『世界の食文化3モンゴル』(農文協、2005)『モンゴルの二十世紀―社会主義を生きた人びとの証言』(中央公論新社、2004)他多数。

私のモンゴル武勇伝

 1979年、女性ではじめての交換留学生としてモンゴルに行きました。面白かったですね。何しろ顔は日本人と同じなのに、考えることは全然ちがうのですから。

 1979年といえば、まだまだ社会主義が色あせていなかった時代でした。私は資本主義の国・日本から来た学生ですから、いろいろな規制が課せられたのですが、その一つが「40キロの範囲を越えて移動してはいけない」というもの。でも、私にしてみればそれは「ヒマラヤの麓まで来て、山に登るな」と言われているのと同じこと。ならば、変装してでも遠方を見に行こうとしたわけです。変装といっても顔・恰好はモンゴル人と同じですから、しゃべらなければわからない。そうしてゴビの方に列車に乗って出かけていったわけですね。ところが、当時のモンゴルKGBはちゃんと知っていて、戻ったら捕まったわけです。

 事情聴取を受けたのですが、その質問がふるっていまして。

 「馬何頭もっているか?」

 もちろん「ゼロ」

 「家何軒もっているか?」いわゆるパオのことですね。モンゴル語ではゲルと言います。

 これも「ゼロ」

 そんな風に答えましたら、私は「資本主義の国日本から来た、とびきりの無産階級」ということで、良い印象を与えたかもしれませんね。

 考えてみると、この事情聴取は、政治的な取り調べという以前に、文化にみちたやりとりでもあったわけです。「馬何頭?」というのは土着の伝統を反映した質問ですし、そういう文化を背負った質問が私を楽にさせてくれた。本来なら即刻国外退去なのですが、私は「交渉の余地がある」と思い、「私を戻すことが得かどうか考えなさい。交換留学制度だから、私を戻すということは、日本のモンゴル人が一人帰ることになる」と言ってしまいました。下手なモンゴル語で。私にとっては生まれて初めての交渉事で、このおかげで何とか日本に戻されないですみました。

 振り返ると、社会主義のもつ、社会全体を抑圧的にしてしまうしくみをナマで感じたわけで、怖い思いをしたのですが、それを「文化というのはおもしろいな」という印象でも受け止めた。

 それは私が、いま、人類が考えた結果の文化遺産の一つとして社会主義を研究する動機にもなっており、私にとっては貴重な経験です。

同じ地域なのに制度が違うと環境が破壊される

 社会主義時代のモンゴルでは調査で出歩くことは禁止でした。そこで、フィールドを、いち早く開放路線を選んだ中国の内モンゴル自治区として仕事を始めたんです。中国は現在も表向き社会主義ですが、早くから外国人を受け入れていましたので。

 いざ調査を始めて見ると、モンゴルと、中国内モンゴル自治区という二つの地域の違いが気になりはじめたのです。二つの地では顔も、基本的な言葉も、伝統的な習慣も同じなのに、環境が違っていた。中国内モンゴル自治区はどんどん草が悪くなり、遊牧ができなくなっていました。ところが、もう一方のモンゴルの方では天国のように草原が広がっている。これは人口や、20世紀になってからの開発の考え方などに起因しています。内モンゴル自治区はモンゴルに比べ人口圧力は10倍程高い。遊牧というのは草が変動するのに合わせて良い所へ動くことにメリットがあるのに、遊牧民が自由に動き回ることができなくなり、とどまって家畜を飼うようになる。それが環境にマイナスの影響を与えるわけです。

遊牧は軍事産業である

 ここで、遊牧民の暮らしについて簡単に紹介しておきたいと思います。

 一般的には、農業の中に牧畜が位置づけられます。牧畜は家畜により生産することですが、その中でも季節毎に放牧地を動かすのが遊牧とされています。ただ、遊牧民の歴史的展開を本質的に考えると、そういう風に農業の一種と見ることに問題があると、私は最近になってつくづく思います。なぜかというと、遊牧には軍事産業という一面があるからです。

 その話をしますと、世界中の牧畜の中で、モンゴルに突出した特徴は、オスがやたらに多いことです。普通は再生産するから、メスだけ飼っていれば効率的なんです。だけど、モンゴルの牧畜は半分がオスで、殺さない代わりに去勢する。よく地中海沿岸で子羊料理がありますね。あれはいらないから殺したオスを食べているわけですが、モンゴルにはそういう意味での子羊料理はありません。ただ、オスがケンカしたら群れが分裂してしまいますし、そうなったらいつでも食べられる冷蔵庫として群れをもっている意味が無くなってしまう。そこで、去勢することによって群れを分裂しないようにしてオスも大量に飼っている。

 では、なぜ再生産に関係ないオスを飼っているか。それは、去勢オスが軍事兵器だからです。いつ死んでも再生産には関係ない。

 遊牧というのは、軍事産業という一面をもっていると同時に、食べることができるし、服もつくれるし、家もつくれるという資源の一面ももっている。しかもこのナマモノの武器は実際に行使しなくても脅しに使える。圧倒的な軍事力を背景にまちの近くまで行き、威嚇し、相手が「守ってくれ」と服従してきたら、服属させればよい。軍事産業は、一面では平和構築産業ですからね。こういう視点から見ると、モンゴルの征服の歴史や遊牧の特徴、それは農業としての牧畜ではないという感覚はわかりやすいと思います。

 問題は、20世紀になると、そんなナマモノを武器に使えるような時代ではなくなってきたということです。そこで、20世紀に入り、社会主義の下で家畜の平和利用を考えるようになります。それが農業としての畜産業です。ですから、毛を刈って、毛織物にするのも20世紀に入ってからのことで、それも多くは1950年代になってからのことです。

資源にアクセスする力が最大の財産

 1ヶ所に千頭も飼っていたら、その場所の植生に対する負荷は大きすぎます。だから、その前に相続・分家などの形で分かれていきます。伝統的には末子相続といって、末っ子が相続する。つまり、「上から順に自立して出て行く」というシステムで、これは環境調和型ですね。もしお兄さんが相続したら、そこを離れないからどんどん増えていく。でも、この場合は自立できる者から、どんどん出て行って、どんどん持っていかせる。そして、最終的に残ったお父さんの財産は最後に残った息子が継ぐ。

 でも、別に日本のように土地建物を相続するわけではない。相続するのは家と家畜ぐらいですね。土地は誰のものでもない。これは社会主義以前からです。そもそも遊牧のメカニズムの中に、「ここがいい土地だ」ということが無いんです。今年はよくても、雨が降らない年はそこが悪くなる可能性があるわけで、1ヶ所の土地をもつことよりも、移動できる力をもっていることが大事な事なんです。いわば、一番いい所へアクセスできる能力。移動する力とは、家畜で言えば牛とか馬とか移動力のある足と自由をもっていること。移動の自由をもっていることが最大の権利なんです。

 だから、もし財産として本当に譲るべきものが何かといえば、「移動すること」そのものでしょうね。ここにずっといなくてはならないということは、彼等にとって財産ではないんです。でも、社会主義時代に入ってから、その移動に制限が加わり、そんなに勝手には動けなくなるわけです。戸籍も発行され、都市に勝手にいくこともできなくなりましたから。ずっと自分たちの代々の場所を受け継いでいる。

動く家・ゲル

 家はゲルと呼ばれます。これは便利でして、新婚さんならば、もう一つつくればよい。スープの熱い距離か、冷めない距離にするかは調整できます。日本なら一度二世帯住宅にしたら、途中で嫌になっても変えるのに大変ですけれど。ゲルだと、物理的な人間同士の距離を、自分たちで調整できる。非常に便利だと思います。

 ですから、ゲルの配置を見れば、どういう家族関係なのかわかります。私たちも慣れてくると、一番北にあるのはおじいさん、おばあさん。一番の家長。ちょっと離れている所にもゲルがあれば「ああ、出戻りの人が来ているな」と、ある程度読めてくる。ほとんど社会関係がゲルの空間配置という形で反映しているわけです。

 彼等が移動する範囲ですが、イメージとしては、まぁ、四国ぐらいの範囲を動くという感じでしょうか。人口密度は世界一低く、平均すると30キロに1軒です。だから、ここ大阪で、隣りに生きたかったら京都に行けというぐらいの感じです。でも、羊密度は人口の10倍ありますから。

災害による調整

 相続の他にも、飼う頭数を調整できます。例えば、自分で千頭も二千頭も飼うようになったら、ものすごい圧力が自然にかかります。そこで、福祉機能をはたらかせて、貧乏な方に家畜を委託放牧するわけです。家畜という財産は「動産」です。「動産は移動が自由」というメリットを使って、血のつながらない社会関係をも含めて調整するわけです。動産であるがゆえに、非常にフレキシブルな社会構造をつくっている。

 この調整を、自然災害がもたらすこともあります。12年に1度ぐらいの割合で自然災害がおこります。多くは雪害、あるいは雪はなくても非常に寒い年であったりする。彼等は「申年(さるどし)の雪害」と呼びますが、そういう感覚でやってくる災害ということです。この災害は、貧乏な人にも、千頭も飼っている裕福な人にも同等の被害を与え、飼う頭数はゼロになる。いわばリセットボタンです。このため、富の蓄積がそんなにない。不動産社会ですと、持っている者は、よほどのことがない限り強く、地主が交代することもないですが、そういう経済的格差の固定化がモンゴルでは起こりにくかった。

水と牧畜

 降水量は、首都ウランバートルは年間300ミリくらいで、日本の一回の集中豪雨で降ってしまうような量です。それでも結構水があるように見えるのは、氷河が溶けたり、凍土が溶けたりするためで、川の水や泉は豊かです。その川や泉の近くが、人の住みかになっていきます。

 ただ、すぐ側というわけではない。というのは、水を利用するのは、彼等も利用しますが、その10倍の家畜が一緒に利用する。ずっと同じ所に住んでいたら、すぐに汚くなる。ちょっといたら大地が無茶苦茶になるかどうかは、草原がはげてくるからわかります。つまり、人間が住むことそのものが負荷であることが、まるわかりなんです。しかも、降水量が少ないから、1回はがしたらどうなるか。だから、遊牧民は「引っ越ししないと」という気にさせられるし、それが彼等にとっては環境を守ることでもある。

 川の水は誰のものでもなく、そこを利用する権利は誰もがもっています。誰かが投資したものではないですから、所有権の設定はもともとない。

 水の回りに来るのは夏の行動で、冬は雪や氷が水源となる。だから、夏に川筋に集中し、冬は点々と散っていきます。その冬にはちょっと投資します。風よけを作ったり、暖房を集めて置いておく。羊の糞は断熱材になるので、去年いた所のものを置いておく。自分が集めて投資した所には利用権を設定できるように21世紀にはなってきています。

市場に近づく遊牧

 今は、資本主義経済になったがゆえに遊牧民は市場に近づこうとしますので、ウランバートルのような大都市の近くは環境保全型ではなくなってきます。つまり、遊牧民は自然の資源に合わせようとするのではなく、都市・市場という社会資源に合わせようとする。その社会資源は移動しませんから、環境に適応的ではなくなる。今の課題として、井戸をきちんと復活させて、社会主義時代に開発した遠方の放牧地を利用しようという動きが始まっています。

 市場に近い遊牧民は、みんなが生活全体で遊牧するのではありません。お父さんが家畜担当で家族の生活とは切り離され、単身赴任するように移動するわけです。残った家族には、テレビも映画も学校もあるという所に住み移動しない。

 都市の人は定住化すると不動産の概念も浸透する。これまでは家畜だけが富だったのですが、それをもっと永続的な動産に変換するようになります。社会主義以前は指輪など災害に強い金属動産に変えていたので、動産に関する知恵は発達していた。いまは不動産の社会になってきたので、富を不動産に変える。つまり、土地に対する投資です。井戸を機械化するとか、畑をつくるとか、豚を飼うということです。

 2002年に新しい土地法が制定されました。法的には遊牧民については遊牧地についての所有権設定が許されておらず、冬営地や春営地にのみ利用権の設定が許されている。彼等は伝統的な遊牧の社会を守りながら、そういう新しい時代と接合させる法律をつくっている。でも、実態は法律より先に進んでいて、「もうかる」ということが先にいってしまうわけです。

定住する土地の回復

 定住化していくと、荒れていく自然の回復コストを誰がどう負担するか問題になりますが、現在のところまったく無策です。何万人も居住している首都とういのは、もともと「草原のキズ」だったわけですよね。そこに対しては植生に対する負荷がかかる1点だったわけですね。それが面になってきている所に問題があるわけですよ。どの規模まで、この面を許すか。さらに、観光地と鉱山資源開発がパッチ状に点々と広がるわけですが、このキズにもどう対処するか。

 こうしたキズについては、私は社会主義時代に築いた農耕跡地から問題を考えるべきだと思っているんですね。農耕跡地に行くと、今はヨモギの畑になっています。日本で普通に見かけるヨモギよりもずっと濃い緑色の花粉を発し、人の背丈ぐらいに伸びているところもあります。これは荒廃地の指標になる植物です。社会主義時代に、適していない所でも開発した畑に、いまそんなヨモギがはびこっているわけです。そういうものを調べることで、一旦崩してしまった環境がどうなるかをモンゴルの政治家たちが気づく。ヨモギ畑は、このまま開発を続けたらどうなるかわからないという最大の発見場所だと思います。

共有資源管理のルール化

 これまでは、共有資源の管理は慣習、モラルによっていたんですね。でも、モラルでは抵抗できない、グローバリズムが入ってきた。そこで、共有の財産を活かしてきた伝統を用いて、モラルをルールに変えていく時代になったのが現在だと思います。法や契約など目に見える形で決めなければならなくなった。

 そのルール化はかなり地方に委ねられていまして、利権の構造を生む可能性もあるけど、地元に適った方法を生むこともできる。うまくいっている所はほとんど、国際機関・NGOが援助しているんです。まぁ、社会主義もモンゴルの人にとっては「おせっかいアイデア」だったわけですが、今度は国際機関という新たなおせっかいが来ている。モンゴルの歴史を見ると、こういう第三者の使い方がうまいですね。遊牧業というのは資源にアクセスする産業ですが、国際的人材についても同じなんでしょうね。

 (2007年5月8日)



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