愛媛県西条市の自噴地下水〈うちぬき〉を飲む子ども。野田さんお気に入りの一枚(提供:野田 岳仁さん)
琵琶湖の北西部に位置する滋賀県高島市の「針江(はりえ)集落」に足しげく通い、ここを基準点にしながら各地で進められているアクアツーリズムの現場を訪ね歩く研究者がいます。立命館大学 政策科学部 助教の野田岳仁さんです。地元の人たちに聞き取り調査をしながら「水と人の暮らし」を研究している環境社会学者ですが、学生時代には国際環境NGOを立ち上げて水に関する国際会議などで活躍し、社会起業家として行動していた時期もあります。野田さんに「水」に興味をもったきっかけや環境社会学者に転身した理由、そしてアクアツーリズムの可能性についてお聞きしました。
立命館大学 政策科学部 助教
野田 岳仁 (のだ たけひと)さん
私の原点は長良川です。幼いころから長良川が大好きで、泳いだり釣りをして遊ぶなかで「どうしてこの川はこんなにも水がきれいなんだろう」と思っていました。それに対して私の実家のそばの支流・津保川(つぼがわ)の水は汚かったのです。しかし、実は津保川も上流は長良川と同じくらい水はきれいだったのです。小学校の夏休みの自由研究で津保川の上流から下流まで水質調査をしてみると、素麺の切れ端がゆらゆらと流れてきました。それを見て、「人間の暮らしが津保川の水を茶色くしているのだ」と気づきました。水を汚しているのは人間の暮らしそのものだったのです。「暮らしのなかから水を考えたい」と思ったのはそのときです。
高校生になって大学進学や将来を考えたときに、「環境問題、長良川のこと、水のことを考えたい」と思うようになりました。現在、私が籍を置く立命館大学政策科学部が当時数少ない「環境問題を学べる学部」だったので「琵琶湖も近いし、いいかもしれない」と入学したのですが、大学の授業は期待していたほどおもしろくなかった。4月に入学して1カ月後にはあまり大学には行かなくなりました。環境に関心のある京都大学の学生や立命館大学の友だちと「SAGE(セージ)」というNGOを立ち上げて、その活動にのめり込んでいきます。ちょうどその年(1999年)の11月30日からアメリカのシアトルでWTO(世界貿易機関)の閣僚会議(第三回世界貿易機関閣僚会議)が開かれることを知り、「日本の若者の声を届けたい」と書類を送ったところ受理され、実際に参加することができました。
帰国後もSAGEを母体にしながら、2001年11月に琵琶湖で開かれた「世界湖沼会議」の一環として「学生版湖沼会議」を開き、2003年3月に琵琶湖・淀川流域で開催される「第3回世界水フォーラム」の準備に携わるために大学を休学して事務局で働くことになりました。私の主な役割は2つあって、1つは「ユース世界水フォーラム」をオフィシャルなものとして組み込むための準備、2つめはNGOの人たちも参加できるような枠組みづくりです。「ユース世界水フォーラム」には50カ国から約1500人の若者が集まりました。エジプトの水・灌漑大臣を務めていたマフムード・A・アブー・ゼイドさんをはじめ世界銀行の副総裁など錚々たる面々に来ていただき、各国の若者の代表者とラウンドテーブルを行ないました。
フォーラムは無事に終わりましたが、自分でもNPO法人Waterscapeを設立するなど水に関する活動は続けました。大学を卒業しても就職せず、講演会などに呼んでいただき、各地で「水の大切さ」について語り、企業と組んで子どもたちに水の大切さを感じてもらえるワークショップなども手掛け、雑誌で「日本の社会起業家30人」として紹介されたこともあります。しかし、自分のなかで「このアプローチははたして正しいのだろうか?」という違和感がどんどん大きくなっていったのです。講演などを通じて、水を守るための行動や実践できる具体的な提案をしていました。話を聞いてくれた人たちは、そのときは感化されるわけですが、1年後もそれを続けているかといえば、なかなかそれは難しい。そのような人たちの反応に対して、「日本は欧米に比べて市民社会が成熟していないから時間がかかる。継続が大切だ」と考える運動家の人たちは少なくないのですが、私は「そうではないのではないか」と思いました。「多くの人たちがついてこられないのは、市民社会の成熟度に原因があるのではなくて、私のアプローチに問題があるのではないか」と考えたのです。無理してがんばらないとできないような行動を、私は提案しているのではないかと……。悩みは深まるばかりでした。
そんな悩みを抱いたまま、琵琶湖沿岸にある「針江(はりえ)集落」(滋賀県高島市)を訪ねました。針江集落には「カバタ」という湧水施設をつくって水を汚さないように生活する、まさに水と共生している人たちがいました。私は「おばちゃんたち、環境意識が高いですね」と話しかけましたが、「なんのこと? 環境意識なんて高くないで。水が暮らしに必要だから守っているんだよ」と言うのです。行き詰まりを感じていた私にとって、これは大きなヒントです。「生活に必要だとほんとうに思わなければ、人は水や環境は守れないのだ」と気づいたからです。必ずしも環境意識が高いわけではない針江集落で、なぜ水と共生する暮らしが守られているのかを知ることができれば、私の活動も変わると思ったのです。
ところが、当時の私には針江集落の人たちが水を大事に使う暮らしを守り続けている深い理由がわかりませんでした。その意味を的確につかむには、環境社会学的な分析をしないと無理だと悟りました。そこで「鳥越皓之先生のもとで学びたい」と門をたたきました。鳥越先生は高名な社会学者・民俗学者で、特に「生活環境主義」という環境の理論で知られています。「生活環境主義」の考え方をごく簡単に説明しますね。環境を守ろうとすれば、私たちは素朴に生態系や自然そのものを守るべきだと考えがちですが、なかなか長続きしません。理念だけではなかなか守れないからです。しかし、現場に暮らす人たちの生活をつぶさに見ていくと、人びとの生活はそれらの自然を利用しながらも守っている側面があります。「生活環境主義」は、「現場の人びとの生活を守ることが結果的に環境保全にもなる」という考え方なのです。「生活環境主義」で政策を考えていくのならば、当然そこに住んでいる人たちの生活を分析しなければなりません。現場の人たちの生活を分析するためには社会学や民俗学の方法が必要になります。私はそれまで社会学を学んだことはありませんでしたから、必死に勉強しました。
論文を書くにあたって針江集落を取り上げたいと考えていましたが、切り口がなかなか見つかりません。ある日、鳥越先生が「『水の文化』35号でアクアツーリズムを取り上げているよ」と教えてくれました。そして「アクアツーリズムって『生活を見せる観光』だな」とつぶやいたのです。ハッと気づきました。定期的に訪ねていた針江集落では、生活を見せる観光を行なうためにさまざまな問題が生じ、まさにその解決に取り組んでいるところだったからです。アクアツーリズムという言葉は直接使っていませんが、アクアツーリズムの視点から針江集落を分析することにしたのです。
アクアツーリズムをひと言で表すと「水辺の空間を活かして成り立っている観光」です。研究している人はあまりいません。アクアツーリズムに取り組んでいる現場を調べると、昭和、平成と二度にわたって発表された環境省の「名水百選」に選ばれた地域が多いんですね。名水百選に選ばれると、地元ではそれを観光資源にしようと、行政の後押しを受けてモニュメント的な湧水施設をつくりがちです。しかし、それらは地元の人は使いませんし、観光客すら利用していないのが現状です。生活そのものを見せて観光客が集まっている針江集落と比べると、観光資源としての魅力につながっていません。どうすれば魅力あるアクアツーリズムを形成できるのだろう。そこで、次に「アクアツーリズムの本質的な価値」を明らかにする研究をはじめたのです。
各地を見て歩いたことに鑑みると、アクアツーリズムを考えるポイントは2つあると思います。1つは、「あくまでも観光」という点です。針江集落もガイド料を徴収してツアーを行なっているので、しくみは観光です。そもそも観光とは18世紀後半以降にイギリスを中心に始まった「産業革命」によって余暇が生まれ、労働者の「休日はリフレッシュして自己を取り戻したい」という欲求に応じる形で誕生しました。ですので、観光は自由や自発性がいちばん大事だとされていますし、消費社会とも結びついている。自由にふるまいたいという人々の、ある種のわがままにこたえようとするがゆえに、常に大衆化する危険性をはらんでいます。もちろん大衆化がすべて悪いわけではありませんが、アクアツーリズムに関しては大衆化してしまうと、地域ごとの個性を失ってしまいます。ですから、水辺を観光に活かそうとする場合、「地域の個性」をどうとらえ、どう伝えるかがカギとなります。
もう1つは、「環境を守りながら行なう」ということです。エコツーリズムも近年生まれた新しい観光ですが、欧米の自然観が入っていますから、手つかずの希少な自然に足を踏み入れることに価値を置いています。しかし、アクアツーリズムは「人々の生活のなかにある自然=水を見る」というところに価値があります。日本的な自然観が表れるのです。水を見たり、あるいは飲んだりするなかで、観光で訪れた人たちと生活のために使う人々が競合関係となりますから、「観光と環境の両立」も大きなポイントです。
針江集落について少しお話しします。比良山系から流れる安曇川の扇状地の北部にある針江集落では、地下23m付近に鉄管を打ち込んで自噴してくる水を利用して暮らしてきました。自噴した水を「生水(しょうず)」と呼び、その湧き出た水を2つか3つの水槽が連なる「カバタ」で受け、水場・洗い場として使ってきました。今は約160世帯、およそ660人が住んでいます。
2004年、NHKのテレビ番組で針江集落のカバタを利用した人々の暮らしが紹介され、放送翌日には「どんなものなんだ?」と人が集まってきます。当初は「数日経てば落ち着くだろう」と集落の人たちは静観していたそうですが、その後も訪ねてくる人は一向に減らない。カバタは私有地にあるので、見に来た人が勝手に家のなかに入ってきて、住民とトラブルになりました。洗濯物を見られますし、昔と違って今は集落の外で働いている人が多いので日中は留守がち。そういう不安もあったそうです。
そこで、自治会長の経験者を何人も含む地元の有志の26人が立ち上がり、「針江生水の郷委員会」(以下、生水の郷)を結成し、有料のガイドツアー「里山水辺ツアー」を始めました。これはたんなる観光ガイドではなく、観光客が集落内で勝手なことをしないようにコントロールするためのものでもあります。事前に予約していなければ「帰ってくれ!」と追い返すほど厳密に運営していて、見学者から1人あたり1000円のガイド料を徴収し、110カ所あるカバタのうち10カ所程度に限って案内することを始めました。
ガイドの人たちは「カバタは水路を通じて隣近所とつながっている」「カバタは一軒に1つしかつくってはいけない」「カバタは神聖なもので『がわたろう』が棲んでいるという言い伝えがある」という話をしながら、集落内を案内してくれます。カバタは各家の敷地を通っているので私的な所有物の印象を受けますが、実際にカバタを流れる水は共有資源、コモンズです。
興味深いのは、針江集落に掲示されている見学者への注意事項のなかに「ここは、観光地ではありません」とはっきり書いていること。これは観光目的で訪れた人だけでなく、針江集落の人たちに向けたメッセージでもあると私は考えています。というのも生水の郷が発足してから、地域が葛藤を抱えることになったからです。
生水の郷の人たちは地元のために活動しているつもりでも、「そのお金はどこに使われているのか」といった声も聞こえてきたそうです。針江集落には年間約1万人が訪れます。1人につき1000円徴収していますから、かなりの売り上げです。その収益で公民館のコピー機を買い換え、あるいは老人会で使う建物のエアコンを付けるなど、利益を社会的に還元しています。観光というよりも、まちづくりやコミュニティビジネスと考えればよいと思います。
ところが、今度は「お金で解決できると思っているのか」という批判が聞こえてきました。「では、お金以外の活動もしようじゃないか」と、生水の郷の人たちはカバタを見た後に船着き場に繁茂する外来植物も駆除するツアーを企画します。たくさんの応募があったのですが、これがまた問題になりました。「お金を払ってまで草刈りをしに来る人がいるなら、義務として嫌々やっている私たちの代わりに全部やってもらおうじゃないか」という意見が出たのです。もしそうなれば、古来続いてきたこの集落のルールを根底から覆すことになります。
集落のルールというのは、次のようなものです。集落では、年に一度の溝掃除、年に4回川掃除が全戸参加で行なわれます。これは住民の義務です。実は人びとがカバタを利用できているのも、この義務を果たしているからなのです。つまり、カバタの利用する権利は、これらの掃除という管理義務を果たしてはじめて集落から付与されるものだと考えることができるわけですね。集落の水資源は決してお金では買えないコモンズなのです。生水の郷の取り組みは善意とはいえ、このルールを破ることになってしまったのです。「これはまずい」と生水の郷の人たちは反省し、地域の水のルールを破らないこと、例えば竹藪を保全する活動や花壇づくり、水路に鯉を放つといった活動に切り換えます。「ローカルルール」を守る姿勢が認められ、今はもう文句は出ないそうです。このような経緯があるので「ここは、観光地ではありません」という看板の意味は、観光客だけでなく、集落住民に対する生水の郷による決意表明でもあると思います。
このように水のローカルルールをきちんと守ることが、アクアツーリズムを地元に受け入れてもらうためのポイントなのです。また、そういう経緯を観光に来た人たちに説明することで、この水や暮らしがどう守られてきたかの理解が深まるという相乗効果もあります。針江集落を歩いていても各家のカバタにつながっているため気軽に水は汲めません。そこで、「来訪者向けのカバタをつくったらどうか」という話が出ましたが、女性たちに「カバタは生活のためにあるものだから、そんなことをしてはダメだ」と却下されたそうです。
こうしたローカルなルールを観光にも反映することがアクアツーリズムを地域社会が受容するだけでなく、観光地の魅力をつくることになります。ほかの地域でもかつてあったはずのローカルルールがなくなった途端にどんどん大衆化して、結果的には魅力を失うことになる。ローカルルールは観光の大衆化の防波堤となり、「地元の人たちの水への価値観」は、アクアツーリズムを魅力的にする根幹だと思います。
針江集落のほかにも魅力的な地域はあります。富山県黒部市の生地(いくじ)地区は、共同の洗濯場を、地元の人たちと観光で訪れた人たちとでどう使い分けるかという課題に取り組み、成果をあげました。もっとも人気が高いのは、洗い場のある清水庵の清水(しょうず)です。生地地区には、実はほかに水の味がよいといわれる水が湧いているところもありますが、観光で訪れた人たちは皆、清水庵を選びます。水の味や質だけではなく、地元の人たちが水を汲んだり洗濯したりと賑やかに利用しているからこそ、清水庵の水がおいしそうに見えると言います。「人が使っているから飲みたいと思う」という心情に、「人と水」の付き合い方の本質があるような気がします。
熊本市の人たちも、自分たちで「水遺産」をつくり、1人あたり100円で案内する観光ガイドのしくみをつくりました。水道が普及して見向きもされなくなった湧水を「水遺産」と位置づけたところ、よそから人が見に来るようになり、その様子を見た地域の人たちが「そんなに価値があるものなら、水場の掃除を再開しよう」となったそうです。
しかし、失敗あるいは停滞している地域の方が多いのがアクアツーリズムの現実です。そして、うまくいかない地域の多くが、昭和と平成の「名水百選」に選定されたことに頼っています。「名水百選」という選定はあくまで外部から付与された価値なので、それでは差別化できませんし、独自の魅力も形成できません。そうではなく、そこに暮らしている人たちの水への価値観を出すことが魅力になるはずです。地域の「隠れた名水」に光を当て、それに価値があることがわかってもらえれば地域づくりに取り組もうとする人たちは必ずいます。それは都市部でも同じです。東京にも「江戸の名水」があります。麻布十番駅のそばに「柳の井戸」という名水があるし、品川にもあります。今、東京区内では隅田川を軸とした川巡りが人気ですから、それと組み合わせることもできるはずです。
そもそも「名水」とはどういうことでしょうか。旧厚生省は名水を「科学的にきれい=衛生的であること」「おいしい水」と位置づけました。環境省の名水百選は、量と質が大事で、さらに地元の人が愛着をもって保全活動に取り組んでいることが基準です。ところが、江戸期に出版された「名水番付」を見ると、現代とは名水の基準が異なることがわかります。私は今、江戸期の名水番付を手がかりに、水に対する人々の自然観を歴史的に明らかにする研究も進めています。
『都名水視競相撲(みやこめいすいみくらべずもう)』という名水番付があります。これが実におもしろいのです。大関が「巨椋池(おぐらいけ)」と「廣澤池(ひろさわいけ)」で、関脇、小結、前頭の上位でも圧倒的に「池」が多いのです。当時の史料を分析しても、池の水がきれいで、飲んでもおいしいとは言い難い。ということは、江戸時代の人にとって名水の基準は違うところにありそうです。巨椋池は埋め立てられて残っていませんが、廣澤池は「景観が美しいところ」そして「和歌で詠まれるところ」です。いわゆる「名所」ですね。私自身、廣澤池などに足を運んでかつて詠まれた和歌を見ると「なるほど」と感心します。つまり、江戸時代の名水とは、水資源そのものの評価だけではなく、名水を見て歌を詠んだ詠み手の美意識に共感し、歌を詠んだ人の心情にふれることができる場所でもあったと思うのです。
つまり、アクアツーリズムの本質的な価値とは、水に込められた人々の「価値観の共有化」にある――。そう考えれば名水百選を「売り」にすることが多い今のアクアツーリズムのとらえ方も変わってくるはずです。地元の人たちがどのように水を愛でてきたのか、その思いや考え方を表現していくことは唯一無二の魅力となるはずです。
アクアツーリズムという「水と地元の資源を組み合わせて、地域の魅力とする観光実践」については、私たち環境社会学者が役に立つ局面が多いはずです。小学生のときに「暮らしのなかから水を考えたい」と思った私としては、アクアツーリズムによって魅力的な地域が増え、そこを訪ねた人たちが「水と人」の関係、さらに自らの暮らしを見直すきっかけになればいいなと思っています。
(取材日 2018年2月13日)
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