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第5回 発見!水の文化
江戸の水辺街歩き(深川編)

江戸の水辺街歩き(深川編)

ミツカン水の文化センターでは、2017年より新たなイベント「発見!水の文化」をスタートさせました。これまで開催していた「里川文化塾」よりも、より身近で気軽な企画内容を取り揃え、多くの方に興味を持って参加していただければと考えています。

今回は、「江戸の水辺街歩き〜深川編〜」を開催しました。江戸時代に埋め立てが進んだエリア「深川」は幕府の船庫が置かれたり、物流のターミナルになったりと、様々な役割を果たしていました。現在は面影が残っていないところもありますが、専門家の解説を受け、江戸時代の風景を想像しながら、今に引き継がれる「水の文化」を発見しました。

実施概要

日時
2017年11月12日(日)13:00〜16:30
街歩きルート
@深川神明宮 → A御船蔵跡 → B万年橋・川船番所跡 → C干鰮(ほしか)場跡 → D霊巌寺 → E紀伊国屋文左衛門の墓 → F清澄公園(休憩) → G仙台堀 → H永代橋 → I深川正米市場跡 → J向井将監(しょうげん)忠勝の墓 → K富岡八幡宮 → L門前仲町
参加者数
14名
主催
ミツカン水の文化センター
講師
斎藤 善之さん
斎藤 善之(さいとう よしゆき)さん
東北学院大学経営学部 教授
1958年栃木県生まれ。1981年宇都宮大学教育学部卒業。1987年早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学、1995年「内海船と幕藩制市場の解体」で早大博士(文学)。日本福祉大学知多半島総合研究所嘱託研究員などを経て現職。専門は日本近世史、海運港湾史。主な著書に、『海の道、川の道』(山川出版社 2003)、『日本の時代史17近代の胎動』(吉川弘文館 2003、共著)など。

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江戸の水辺街歩きスタートは深川発祥の地「深川神明宮」

絶好の秋空に恵まれ、14人の参加者が深川の発祥地「深川神明宮」に集まりました。「七五三」の可愛い着物とはかまを着た子供たちがお参りする中、深川の名前の由来について斎藤先生に説明いただきました。

この地を開拓して、田んぼと村を作った深川八郎右衛門の苗字から名付けられたそうで、その由緒碑が建っています。

深川の発祥地
深川の発祥地

ルートを進むと幕府の軍船と御座船の船庫があった御船蔵跡新大橋に到着しました。海運史を専門にしている斎藤先生によれば江戸の名物の一つとなった巨大な軍船「安宅丸」(あたけまる)がここに停泊していたそうです。和洋折衷の船型で約1500トンもある「安宅丸」はあまりにも巨大すぎた為、軍船として機能せず結局、将軍の権威を示すだけだったようです。隅田川3番目の橋である新大橋(1694年架橋)は何回か架け替えられましたが、関東大震災で唯一落橋せず、多くの人を救ったので御助け橋とも呼ばれたそうです。

新大橋で説明する斎藤先生橋の一部であった明治時代の街灯が今も残る左:新大橋で説明する斎藤先生 右:橋の一部であった明治時代の街灯が今も残る

隅田川に沿って南へ向かえば小名木川があります。小名木川は徳川家康の指示で開削され、本来塩や米など様々な物資を江戸城に運ぶ為に作られた運河です。しかし後に隅田川から東北の太平洋岸まで繋がる重要な動脈となりました。この小名木川に架けられたのは万年橋です。安藤広重の「名所江戸百景」と葛飾北斎の「冨嶽三十六景」に描かれた万年橋は、船の通行を妨げないように高く架けられています。

万年橋を渡る万年橋を渡る

次に現在インターナショナルスクールの敷地に囲まれている干鰮場跡を訪れました。このエリアは当時土地に余裕があり、交通の便もよかったので干鰮肥料の流通ターミナルとなったのです。江戸時代この干鰮は生産性を飛躍的に高め、農業に欠かせないものでした。

干鰮場跡、今は公園になっていて、当時の様子を表す物はない干鰮場跡、今は公園になっていて、当時の様子を表す物はない

霊巌寺を通って、清澄公園で休憩を済ませた後、仙台藩邸跡に着きました。すぐに目を引くのは大きなセメント造形物です。ここは1875年に大蔵省によって日本初のセメント製造に成功した場所です。更に時代を遡れば、江戸の人々の生活を支えた仙台藩米が運ばれてきた、仙台藩の蔵屋敷がここにありました。

セメントで作られた造形物

清澄公園

上:セメントで作られた造形物

左:清澄公園

永代橋のすぐ近くには、かつて深川正米市場(深川正米市場跡)がありました。深川正米市場は18名の米問屋が仲間組織を設立し、1886年に建設されました。1931年に食糧ビルがここに築かれ、立派なアーチ型の回廊が有名になり、映画の舞台にも使われたそうですが、残念ながらビルは取り壊され、現在はアーチ回廊の一部が残るのみです。

深川正米市場跡のアーチ深川正米市場跡のアーチ

門前仲町へ向かって行く途中で紀文稲荷神社に立ち寄り、10個もの力石を数えました。深川の所々に置いてある力石は、江戸時代に深川で働いていた人足が力比べをした時に、持ち上げた石です。毎日体力を尽くし、船から物資を積みおろしていたたくましい人足たちはその力を自慢する為に石を持ち上げる競争をしていたそうです。この「力持ち」という競争は今でも伝統芸能として行われています。

紀文稲荷神社にある力石紀文稲荷神社にある力石

最後に門前仲町を抜けて、深川のシンボルである富岡八幡宮に辿り着きました。江戸時代が始まるまで富岡八幡宮の周辺はまだ海でした。つまりこのエリアは埋め立ての結果、現在は昔と全く違う風景になっているのです。そのことを知り、みんなとても驚いていました。とはいえ、探って行くと江戸時代から残っている力石や倉庫の跡などの痕跡を見つける事ができます。当日の街歩きで深川エリアの歴史について学び、江戸時代の活況とそれを支えた舟運や水の文化を再発見する事ができました。

富岡八幡宮 富岡八幡宮

参加者の声

「こんなにしっかりしたレジュメをいただけると思っていなかった。。。後で振り返りながら再度今回のルートを巡ってみようと思います!」(女性20代)

「水」と「深川」を江戸期の流通という角度からとらえるマチ歩きで、とてもユニークなコース設計が良かったです」(男性70代)

「過去にその場所がどんなところか分かって、ビジュアライズされた」(女性50代)

「多くのガイドツアーに参加しているが、ここまで内容の濃いツアーは初めて」(男性70代)

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