機関誌『水の文化』4号
くらしと水の多様な関係

食文化としての飲料水

飲料水は商品として、あたりまえとなりました。人々は飲料水に金と時間をかけることを、いとわなくなってきているようです。水に何を求めているのでしょうか。体へのいたわり、安心感、美味しさ…。こうした価値を求めて、ミネラルウォーターや浄水器への需要は高まり、記事も多数にのぼっています。中でもミネラルウォーターへの人気は高く、若年層の間で小型ペットボトルを持ち歩く姿が、一つのライフスタイルとして生まれ、普及しました。こうしたミネラルウォーターへの人気は、清涼飲料水の分野で《ニアウォーター》と、呼ばれる薄味飲料の新商品群を登場させることにつながりました。ここでは、日本ミネラルウォーター協会を訪ね「食文化としての飲料水」についてうかがいました。

福士 祐次さん

日本ミネラルウォーター協会技術顧問
福士 祐次 (ふくし ゆうじ)さん

意外と古いミネラルウォーターの歴史

福士 少し、日本のミネラルウォーターの歴史についてご説明しましょう。日本でおいしい水を味わうという点では、「温泉水」「酒」「茶の湯」としての利用がベースにありました。江戸時代にはすでに神田上水、玉川上水が引かれ、江戸庶民もおいしい水を享受していたのです。ところがその恩恵にあずかれなかった地域がありました。それは本所、深川辺りの、海面下の地域の人たちです。その不足を、「水売り」が補ったのです。品川にあった井戸からも、水を取っていたという記録も残っていますが、水売りは江戸の風物詩でもあったのです。その歴史があって、「水を販売する」という記述が次に登場するのは、1886(明治19)年のことです。川西市平野に源泉をおく「三ツ矢平野水」が、瓶詰め販売されました。これは天然炭酸ガスを含む、スパークリング・ミネラルウォーターです。1890(明治23)年には、ウィルキンソンという外国人が西宮市生瀬を源泉とする、やはりスパークリング・ミネラルウォーターを売り出しています。同じ頃、福島県の会津若松の只見川の源流近くから湧き水を採って瓶に詰め、瓶どおしを荒縄で縛って牛車に乗せ、横浜の居留地まで運んだという記録があります。

――すると、やはり外国人向けの商品だったわけですね。

福士 そうですね。江戸の水売りのような、庶民相手の水売りはいったん途絶えていたようです。ただ、日本人でもホテルなどに出入りする階層には、飲まれていました。そういう背景があって、1929(昭和4)年になると、山梨県下部町を源泉とするミネラルウォーターが売り出されますが、これは帝国ホテルの犬丸会長の尽力があったように聞いております。そして1962(昭和37)年頃、高度経済成長の兆しが見える頃から消費量が増えていき、1967(昭和42)年からのウイスキーの水割りの大流行につながります。家庭用として普及するのは、1989(平成元)年〜90(平成2)年になってからです。需要が、爆発的に伸びています。みなさん、今聞くと驚かれると思いますが、1979年頃には、ミネラルウォーターは「奢侈品」と言われていたのですよ。その頃から考えると、隔世の感がありますね。

――さて現在の話になりますが、飲料水にコストをかけるというスタイルの背景には、水に対するリスク感覚があるようです。当初は阪神大震災のような災害時に対するリスクであったものが、徐々に水そのものに対するリスク感覚に移っていったように思えるのですが。

福士 確かにそうですね。それに対して生産者が、応えていったということでしょう。それと、消費者全体が健康志向になったことも大きな原因です。今では、ミネラルウォーターが奢侈品だなんて言う人は、いないでしょうね。特に、安全かどうかの判断は、個人レベルでは調べられないことですから、やはり時間とお金をかけて安全を維持しようという、業界全体の品質管理意識が重要となります。この見地から、日本ミネラルウォーター協会が活動してきたわけです。

現在、国産のミネラルウォーターメーカーは約四百社、四百五十銘柄ぐらい、輸入では五十銘柄ぐらいあります。

容器が需要を産みだした?

福士 なぜ急激にミネラルウォーターの輸入が、1980年代に伸びたのかについてもお話ししましょう。1982(昭和57)年に清涼飲料水の食品衛生法が改正になりましたが、この法改正は清涼飲料界にとって大きな意味を持つものでした。昔の食品衛生法では、容器と飲料水製造法とがセットになって決められていました。「ガラス瓶に詰める時にはこういう製造方法、紙容器のときはこう」、というように決まっていたのですね。それが、飲料水製造方法の規則と容器の規則をそれぞれ独立させたのが、この時の食品衛生法改正だったのです。ここでペットボトルがガラス瓶等と同様に使えるようになったのですが、厚生省当局は、清涼飲料水の生産数量が多いことで、ゴミの増加、特に路上散乱(ポイ捨て)を危惧して、逡巡しておりました。それで業界としては、ポイ捨ての原因になりやすい「おおむね一リットル未満の製品はつくりませんから、ペットボトルを利用させて下さい」とお願いしたわけです。

この国産製造業者による自主規制に乗じた形で、規制に縛られない輸入業者が小型ペットボトルを作ってどんどん出してきた。その時に、輸入ミネラルウォーターは大変消費量を伸ばし、若者のファッションにまで影響を与えたことは、みなさんのご記憶に新しいと思います。平成8年にリサイクル法が制定され、使用済み容器の行き先がはっきりしましたので、そろそろ一般経済原則に戻りましょうということで、国産業者も先の取り決めを終了させていただいたのです。

――ミネラルウォーターの製造方法にも日欧の違いがありますね

福士 もちろんあります。日本とアメリカの考え方は比較的近いのですが、ヨーロッパはずいぶんと違う。ヨーロッパでは「本来成分を失ってはならない」というEU地方規格があり、殺菌、除菌を禁じています。なぜ本来成分を失ってはならないのかというと、ヨーロッパの人たちにとってミネラルウォーターは、元々が「神の水」なのですね。しかし、現在は日本と同様テーブルウォーターとして飲用されて、消費量が増してきています。日本では、加熱殺菌かそれと同等以上の殺菌をするように義務づけられています。言いようによっては、水はビールなどのアルコール飲料に比べて、格段に作るのが難しい。ビールにはアルコールはもちろん、ホップ、炭酸ガスなど菌の繁殖を抑える成分がたくさん含まれていますし、pHが低いため菌を抑える力が強いのですね。水にはそういった成分が入っていない上に、pHが高いから微生物の管理が難しい。それを、事故のないように安全な製品に維持していくというのは、とても努力のいることです。

強いて日本での問題点を挙げるとすれば、水源地を持っていれば誰でも製造業者として新規参入できることです。ヨーロッパでは、他の業者が泉源エリアに入れないような規制があります。しかし、誰でもなれる日本の場合、個々で責任を持って泉源を守らなくてはならない。A地点もB地点も、地下水脈でつながっていれば同じ泉源ですから、自分の所だけの汚染では済みませんからね。とにかく現在国際規格を作ろうと努力してはいるのですが、このようにミネラルウォーターに対する考え方が違うために、なかなか共通のコンセンサスが得られないでいるのが現状です。

ミネラルウォーターの消費構造の変遷(清涼飲料関係統計資料・大蔵省関税局日本貿易統計)

ミネラルウォーターの消費構造の変遷(清涼飲料関係統計資料・大蔵省関税局日本貿易統計)

ニアウォーター

――最近注目されているニアウォーターについてはどうお考えですか。

福士 登場したのが近年のことで、まだ検討するだけのデータが出ていない状態です。ニアウォーターというのは、従来にない機能性をうたっており、水では味気ないけれど、通常の清涼飲料水のようには味が濃くないものを指しているようです。そして若者のファッション感覚に訴えるようなラベルデザインや、五百ミリリットルのペットボトル入りであるなど、新しい要素を持った清涼飲料水でもあります。ただ、業界としての正式な定義付けはまだされていないようですね。私は、ニアウォーターの需要の伸びが、ミネラルウォーターの消費量を脅かすとは思っていません。いずれにしても、ミネラルウォーターの需要もほとんどが大都市圏に集中しており、首都圏・関西圏で四分の三ぐらいで、このことは雑誌の売り上げとオーバーラップする現象なんですね。そう考えると、どちらも都市型経済の申し子ということができます



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