機関誌『水の文化』13号
満水(まんすい)のタイ(タイランド)

雨期の世界単位

高谷 好一さん

滋賀県立大学人間文化学部教授
高谷 好一 (たかや こういち)さん

1934年生まれ。1963年、京都大学大学院理学研究科(地質学専攻)修了。理学博士。1995年、京都大学東南アジア研究センターを退官、現職に移る。京都大学名誉教授。 著書に『熱帯デルタの農業発展』(創文社)『多文明世界の構図』(中公新書)、『新編・世界単位から世界を見る』(京都大学学術出版会)他多数。

1960年代にはルースリー・ストラクチャード・ソサエティ(ゆるやかな構造をもった社会)という言葉が大流行でした。日本とタイの社会を比較して、J・F・エンブリーが日本はタイト(きっちりした)、タイはルース(ゆるやか)といったのです。タイ人は二人で歩いても足並みをそろえない、タイ人の部屋は乱雑だ、タイ人は日和見主義だ。タイ社会には組織がない。日本の社会に比べるとこうした特徴があるとし、だからこれはルースに構造された社会だとしたのです。タイの人たちが聞けば不快に思うようなこうした議論が盛んに行われていました。

地域研究をやっていた私たちは、なぜこうしたことが起こるのか考えました。何度かタイを歩きまわって、その答えは「それは洪水の起こり方が違うからだ」「雨期の様子が違うからだ」ということになりました。

日本の雨期を見てみましょう。梅雨の雨で川は水かさを増します。すると人々は川に堰をかけ、水路で水を引いてきて稲を植え付けました。井堰や水路の建設、維持は個人では難しいから共同作業でやりました。梅雨といえば皆が一斉に出動し、協力して田植えをしてしまう。それが常識でした。私の字などでは秋の台風時がまた大変でした。いつ近くの堤防が破れるかわからないからです。だから、台風が来ると消防団が川の見廻りをしました。洪水は本当に恐ろしいものでした。

ところが、タイでは様子がまったく違います。1966年、初めてメナムデルタを訪れた私は本当にびっくりしました。6月といえば、若稲の時期のはずなのですが、稲は見えません。地平線にまで広がる全面が草で覆われていて、そこに何百頭もの水牛が草を食んでいました。なんだ、全面牧場じゃないか、私はそう思いました。しかし、やがて私は土地の人達から教わりました。そのうち洪水がやって来る。すると雑草はみな溺れ死に、稲だけが茎を伸ばして、水面に顔を出し、花を咲かせる。ここは浮稲地帯だったのです。

100km四方がまっ平らで広がっているデルタでは日本風の稲作はできないのです。5月になると人びとはまだ水のないデルタを水牛ですき起し、籾をバラ蒔くのです。やがて、稲は雑草と一緒に芽を吹き出します。だが、この時には雑草が多くて、とうてい水田には見えません。そこに水牛が入って草を食うのです。こういう稲作のなかでは、井堰作りのための共同労働などありません。井堰など作りたくてもできないのです。洪水はあまりにも広範囲にやってくるので、人びとはただそれに身を委ねて、生きる以外に手がないのです。メナムデルタの洪水は雄大です。だが、危険ではありません。堤防を破り、家を流すようなことはありません。ゆっくりとやってきて、デルタ全体を覆い、稲を生育させ、膨大な量の魚を呼んでくれるのです。だから、洪水は破壊をもたらす恐ろしいものというのではなく、むしろ恵みをもたらしてくれる、ありがたいものなのです。

所変われば品変わる。世界を広く見渡してみるといろいろの種類の「洪水」があり、雨期の風景があります。そして、それを巧みに利用した人びとの生活があります。政治・経済だけで引かれた国境を一度取り払ってみて、雨期の風景を主題にした世界地図を作ってみたらいかがでしょう。雨期の世界単位図です。雨期の様子で世界を何十かのブロックに分けてみる。あるいは、これは21世紀中に現れるだろう超国家の時代の世界地図に近いものになるのかもしれません。



PDF版ダウンロード



この記事のキーワード

    機関誌 『水の文化』 13号,高谷 好一,海外,水と自然,気候,川,水と生活,民俗,タイ,洪水,稲作,雨期

関連する記事はこちら

ページトップへ