機関誌『水の文化』13号
満水(まんすい)のタイ(タイランド)

水資源 開発と保全のあいだ

中島 正博さん

広島市立大学国際学部教授
中島 正博 (なかしま まさひろ)さん

1950年生まれ。東京教育大学農学部卒業。イリノイ大学大学院博士課程修了。(財)国際開発センターに入り、主に水資源開発支援業務に従事。1994年より現職。

水資源開発支援コーディネーションが大事

――これまでの仕事の内容についてうかがえますか。

私は、大学では農業水利(灌漑、排水等)を勉強し、アメリカで水資源計画を専攻しました。その後日本に戻り、(財)国際開発センターに入り、開発計画づくりや、政府開発援助(ODA:OfficialDevelopmentAssistance)の案件調査の仕事を13年ほど行いました。タイの調査も、1990年から2年間行っています。水資源開発、水管理の仕事を、地域開発の側面から受け持ちました。つまり、開発という人間の水利用を、水資源という面で環境保全も考えながら行う調査をしていました。

水を包括的に見るという視点は、地域ごとに事情が違ってきますから、現場に即した提言を行うのは大変です。

ODAの仕事では、このような総合的な水資源開発を提案するために、まず現状を認識し、地域の要請を把握して、その要請にどう応えられるか、というように段階を踏んで仕事を進めます。

――現状把握の段階ではどのような要素を見るのですか。

水道、生活用水、農業用水、工業用水、という利水の面と、洪水防止のような治水の面があります。これらが、現状を見る際の不可欠な要素です。

水需要は地域により異なります。都市と農村でも違いますし、国によっても全然異なります。ケニアのような国の都市でしたら、「一人一日10何リットル使う」という原単位と、人口を掛け合わせて需要が推計されます。農村なら、井戸から地下水を使用するし、都市ならば川から水を引いてくる。都市の需要と原単位がわかり、川にはどれだけ利用可能な量があるか、季節的な変化も考慮して、都市用水の需要供給の見通しをつけていきます。

農業用水ですと、地域により開発の目的そのものが違います。たとえば、ケニアでは雨水に頼っている農業地域に、灌漑によりどの程度の人工的な水供給が可能かということを計算します。一方、タイでしたら、チャオプラヤーデルタですと乾期に水が足りなくなりますが、供給が増える可能性はあまりありません。そこで、現在ある水を、いかにうまく融通し合うかということが主な目的になります。この、水の融通、コーディネーションは重要な問題で、水利組合などの分配調整の組織単位が必要となりますが、私たちはこのような社会的な融通が大事だと思っています。水の量は決まっていますし、需要はだいたい増える傾向にある。そして資源が存在する場所と利用する場所は、ともに偏在しています。そこでどううまく使うか、融通しあって使うかという点が重要になります。

  • 共同作業は、デルタでは珍しい。数少ない、集団での農作業。

    共同作業は、デルタでは珍しい。数少ない、集団での農作業。 撮影:中島 正博さん

  • 左端より:チャオプラヤー川中流のチャイナートの堰、ロッブリーの東方に造られたパーサックダム

    左:チャオプラヤー川中流のチャイナートの堰 撮影:中島 正博さん
    右:ロッブリーの東方に造られたパーサックダム

  • 左:事務所に掲示された河川と幹線水路の系統図。 右:水利組合の組織図。誰でもわかるように、顔写真まで貼ってある。 撮影:中島 正博さん

  • 共同作業は、デルタでは珍しい。数少ない、集団での農作業。
  • 左端より:チャオプラヤー川中流のチャイナートの堰、ロッブリーの東方に造られたパーサックダム

水への多様な地域ニーズ

最も水を使うのは、米の生産です。タイでは米作が主流で、農民は昔から米を作っており「目をつぶっていても作れる」と言います。しかし政府としては、いろいろな作物を作ってほしいと要求するわけです。乾期は水が少ないので、多様化することでリスクを分散できます。米価に左右されることも少なくなります。農産物の多様化は、農家の所得を安定化させる効果と、水需要を減らしていく効果があります。

ただ、都市、工業、農業のように、異なる部門の間では水の奪い合いになることは避けられず、だんだん深刻化する傾向にあります。地域ニーズを把握する段になると、計画する側としては、農業、都市人口、工業生産等の目標を考えます。政府の方針も考えながら、地域の発展の方向性を把握します。

慣行水利権がない

タイではチャイナート、アーントーン、シンブリー、ロッブリー、サラブリー、アユタヤーの各県を担当しました。サラブリーとロッブリーは高台です。バンコクからアユタヤーにかけては郊外化が進み、工業地帯が点在している地域です。

われわれが提案した処方箋の一つは、ロッブリー東方に90年に計画し、96年に完成したパーサックダムです。パーサック川にかけたダムで、もともと国王の希望があって、それを支持する形でした。

そのときの国王の考えは、治水というよりも利水に重点が置かれていました。米の増産というほど明確なものではなかったのですが、水不足なので水源を確保するというものでした。ダムの下流のサラブリー地域は工業用水の需要も増えますし、農業も貴重でした。灌漑は整っていたのですが、やはり乾期には足りなくなっていました。

――開発時の水利権については、どのように対応するのですか。

私の担当した地域には、日本で言うような水利権は存在していなかったですね。水利権というのは、水利組合とか村とかが「これだけの水量を使う」と保証されたものです。ところが、タイのデルタ地域にはそういうものはない。

伝統的に何百年も前から水利が発達していた北部地域の村では、しっかりした慣習ができているようです。北部は、伝統的に少しずつ農民が開拓した土地で、そういう所では農民達がルールを慣習的に作っていく。

しかし、デルタは開発が新しく、かつ、政府がトップダウン式で行ったものですから、地域の水を使う慣習というものが形成されていかなかったと思うのです。

水利権の伝統が生成されるには、時間が必要であるということです。

また、デルタでは「お上」が水利施設を整備するものですから、農民にとっては自分たちで管理するものではなく、要求する対象でしかない。これからは変わっていくとは思いますが、私が調査したころは上から配分されるという感覚でしたね。

雨期はいいのですが、乾期になるとどうしても水不足になります。そのときには王立灌漑局が水配分の役を担います。今年はこの地域、来年はこの地域、という具合です。これは権利があるからではなく、各地域が平等になるように、政府が配分するのです。基準があって、干ばつで水がない、あるいは洪水で米が作れないなどの被害にあった所を優先することもあります。このようなローテーションは、まさに水利権がないからできるわけで、水利権が存在したら、政府と言えどとてもこのようなことはできません。

私はかつてパキスタンの調査も行いましたが、パキスタンの場合は水利権がはっきりしていました。パキスタンでは、100年ほど前にイギリスがインダス川の水利を開発していました。そこでは農民の土地の面積に応じて、時間単位で取水する権利が認められていました。同じデルタでも違うのですが、パキスタンはタイのデルタに比べ、乾燥して水が少ないのです。タイは雨期になれば目をつむっていても、ダムがなくても、水利施設がなくても、水が上昇してきて農業ができた。タイの場合、水の希少性が非常に低かったということも大きいのではないでしょうか。

水利施設が水需要を掘り起こす

ダムができると、乾期にも米ができるようになる。したがって、「もっと収入が欲しい」ということで、「もっと水をよこしてくれ」と、水需要が現れます。水利施設ができて需要が現れる。需要があるから水利があるわけではないわけです。その水利も、もとは地域のニーズというよりも、国連食糧農業機関(FAO:Food andAgricultureOrganizationof theUnitedNations)や世界銀行が戦後、食糧不足解決のために、このデルタの可能性に目をつけて水利を充実させたというところにあります。

稲もいまだに、いろいろな品種が育てられています。雨期になって水かさがあるときにでも育つ「浮き稲」だけではなく、条件のよい所では緑の革命を担った高収量品種も作っていると思います。

現在では、農民は雨期も乾期も米作りが主流です。やはり価格が高いですからね。したがって、乾期に水が足りなければ自分で井戸を掘って、トラクターのエンジンでポンプアップして、自分の田畑に水を流しているという所も多いです。

――タイでは、治水と利水のバランスはどのように考えられているのですか。

まあ、雨期で家が水に浸かっても、こんなものだという、ライフスタイルですからね。水はコントロールできるものでもないと思っているし、慣れています。水に浸かれば舟に乗って移動すればよい。農村でも都市でも水の上で暮らしてきたという歴史がある。今でこそ道路という陸の文明が主体ですけれど、昔は水路が主体で、その水路を道にしてきたわけですから。

  • 盛り土され、自ら守られた畑。

    盛り土され、自ら守られた畑。写真撮影:中島 正博さん

  • 盛り土され、自ら守られた畑。

    盛り土され、自ら守られた畑。写真撮影:中島 正博さん

  • 盛り土され、自ら守られた畑。
  • 盛り土され、自ら守られた畑。

治水をめぐる関係

堤防を造り、土地ができるだけ水に浸からないようなことは公共事業でも行いました。たとえばチャオプラヤー川では、雨期に岸が浸食される。国としても堤防を造り、侵食されない所を増やすようにしてきましたが、水を排除すれば、どこか違う所に行くわけで、治水にも限界があります。面白いのは、水は人間と人間、社会と社会をつなげるのです。水は流れていきますから、こちらの岸で水が入らないようにしたら、向こうの岸で入るようになる。上流で水をとれば、下流では水がとれない。日本では、江戸時代のコミュニティの原動力は水利であったと考えられているぐらい、水利用というのはコミュニティ形成の原動力になると思います。

――ただ、利害が異なる関係も発生しますね。その調整はどうするのでしょうか。

タイでは地域委員会を作り、そこに役人や警察などが加わり、紛争があるときに調整するというケースがあります。日本でも流域の委員会がありますが、それと似ています。ただ、それが一般的な解決方法というわけではありません。上流の稲作地区と下流のサトウキビ地区の間で話し合いの委員会が設けられた例もありますが、合意に持ち込むのは大変です。

――合意に至らない場合はどうするのですか。

王立灌漑局とか村長とか郡長とかの、公的な第三者がかかわるしかないでしょう。パキスタンではタイよりも熾烈な水争いがあります。有力者が独り占めする、自分に有利に取水するという、そういう有力者に力のない農民が押さえられている。ですから水争いは深刻です。

水を治める仕組み

――これからのタイの水資源管理は、どのような方向に向かうのでしょうか。

最近の動向は正確にはわかりませんが、農業、工業、都市間における乾期の水の配分が重要になってくると思います。特に農業の中で、水を有効に利用する水利組合のようなもの、まさに利用者が自ら水を管理する組織に目が向けられるでしょう。

幹線水路の供給については国がある程度行いますが、そこから先、利用者の農民の側でどう水を配分するのかということは、組合のようなものを作りうまくやっていくことが、おそらくどこの地域でも必要になると思います。まさに、水利施設をうまく機能させるためのガヴァナンス(うまく治める仕組み)の問題です。そういうことは、伝統的に水利が発達してきた所では、どこの国でも行われてきました。日本にもありますが、番水制というのもその一つです。ところが、政府が開発してきた所では住民の利用組織というのはなかなか育っていない。しかし、農民の利用者組織によって水を賢明に利用する仕組みはタイでも必要ですし、世界の水不足は、現場ではそういう方向で解決しなくてはならないだろうと思っています。

――乾燥地のような水が希少な地域でも、分権的なガヴァナンスは成立するのでしょうか。

ちょっと希望的な言い方になりますが、「それしかない」と思います。それはどこでも同じですし、水に限らないことですね。都市の環境管理についても、われわれは「隣は何をする人ぞ」という社会を作ってきましたけれど、やはり市民が自分たちの資源、環境を管理するという自治的な管理が必要でしょう。北部タイなど、昔から灌漑が発達してきた所はそうですし、日本も以前はそうだった。そういう共同体を重視する流れとは別に、世界には個人主義的な流れもあるわけですが、そのあたりの折り合いについては、これからの課題と思いますね。

上:個人的に護岸工事がなされた風景。自分の土地を僅かながら広くしていくために、川岸が徐々に迫り出しているのだが、「既成事実をつくってしまえば勝ち」というような慣習が強く、取り締まりの手が届いていないようだ。
左下:舟運に利用されている河川には浚渫が必須だ。いたる所で工事が行われている。
右下:行政が手がけた護岸。石垣風な部分の内側は空洞で、所々陥没しているが、誰も気にしない。護岸の最大の目的は侵食を防ぎ川底が浅くならないこと。

水資源開発と保全

――開発の恩恵にあずかれない人たちに、どのような力を与えるのかという問題も出てきますね。

水資源へアクセスできる人と、資源から分断されている人がいるわけです。確かに、今までの開発は、格差をつくり出し、格差を拡大させていることがはっきりしてきていますし、それらが世界を不安定にするということもわれわれは学んできました。これからは、富める者も今までの方法を自ら変えなくてはいけないと認識しています。どういう方向に変えるかという回答が、自治的に、分権的に、地域社会が利用管理するという方向に見出せると思います。

――すると、資源の保全と活用のバランスをどこでとるかという問題が出てきますね。資源は使わないと守れないわけですが、それを政策的にどうバランスを取っていくかは、地域によって異なると思いますが。

開発と保全が矛盾するという考え方を、まず改めなくてはならないでしょう。同時に、「開発」の意味も、「環境保全」の意味も変えていかなくてはならない。開発は、生活の質(QOL:QualityofLife)を重視するという方向で考え直す。環境については、「使うことが保全だ」と考え直す。資源は、使わなければ、価値がなくなって打ち捨てられていきます。つまり「人間社会と自然の分断が環境保護である」という考え方を変えなくてはならない。生活のために人間が使うこと、これを前提にきちんと持続的に使っていく。持続的に使うためには保全が必要です。使いながら、保全していく。使えば保全されると単純に考えるのではなく、保全するための賢明な使い方を考える。そうすれば、保全と開発の利害が一致し、つまりは、人間の営みとも調和が取れると、私は考えています。

もともとコモンズ(共有資源)は、利用者同士の顔が見えるからうまくいっていたわけです。規制するというよりも、自分たちで納得して決めていくことが大事だと思います。

――タイは、そのような共同体による分権的な管理に向かっているのでしょうか。

日本、いや、世界中事情は同じで、タイも近代化を進め共同体がなくなる個人主義的な社会に向かっています。これは世界の趨勢です。一方、アユタヤーで水利組合が機能している例など、両方の流れが併存しています。ただ、タイのデルタ地帯は水利組合が発達しにくいという歴史を持っていますし、あの辺の人は、あまり規制されたくないという自由の気風を強く持っているようにも思います。水利組合などが発達するには不利な条件です。したがって、共同体による分権的な水資源管理ができるのかどうかは、現状では何とも言えないところがあります。

ただ、私としては、個人主義と協働がうまく統合されればいいと思います。個人主義の延長に、協働が矛盾無く位置づけられる。つまり、自分のために何かするためには、人のため、社会のために何かしなくてはならない。それが真実だと思うのです。実績によって、そういう風に人々が考えるようになる可能性はあると思います。



PDF版ダウンロード



この記事のキーワード

    機関誌 『水の文化』 13号,中島 正博,海外,タイ,水と自然,水の循環,水と社会,産業,治水,開発,水資源,保全,ODA,稲作,水利権

関連する記事はこちら

ページトップへ