機関誌『水の文化』75号
琵琶湖と生きる

[湖歴]

琵琶湖と生きる
【開発】
水質を保つために長年取り組んだこと

戦後の高度経済成長期を経て、琵琶湖は大きく変わった。1972年(昭和47)から「琵琶湖総合開発事業」(以下、総合開発)がスタート。1997年(平成9)に終了するまで約1兆9000億円を費やした。滋賀県職員として水質、環境アセスメントなど一貫して環境系の業務に携わり、現在は公益財団法人 国際湖沼環境委員会のテクニカルアドバイザーとして海外の視察・研修団に琵琶湖における環境保全の取り組みを伝えている市木繁和さんに話を聞いた。

水質を保つために長年取り組んだこと
市木 繁和さん

インタビュー
公益財団法人 国際湖沼環境委員会
テクニカルアドバイザー
市木 繁和(いちき しげかず)さん

1979年(昭和54)滋賀県庁に入庁。水質、環境アセスメント、廃棄物関連、温暖化対策と環境系の業務に長く携わる。幼い頃は改修前の野洲川や自宅そばの用水路で魚を追いかけ、今も0.6haの水田で稲作を行なう。

琵琶湖総合開発事業の背景にあった利水と治水

1972年(昭和47)に制定された琵琶湖総合開発特別措置法による「琵琶湖総合開発事業」(以下、総合開発)は、二度の期間延長を経て1997年(平成9)まで実施されました。それまで国が一つの湖沼を対象に特別措置法をつくり、その事業に対して予算を割くということはありませんでした。

総合開発が行なわれた背景には、大きく二つの理由があります。

一つは水源開発、つまり「利水」です。琵琶湖の水は唯一の流出河川である瀬田川から流れ出て、京都、大阪方面の水源として利用されていますが、戦後の経済復興とそれに伴う都市開発によって下流域はそれまで以上に多くの水を必要としていたのです。

二つ目は「治水」です。瀬田川から流れ出る水の量が限られているため、大雨のときは琵琶湖の水位が上がってしばしば水害が発生しました。京都、大阪方面の水源開発だけでは滋賀県にあまりメリットがないため、地元にも役立つ事業を……という思いがありました。

「利水」と「治水」がきっかけとなり、総合開発が始まりました。ただし、水源開発をどのような方法で行なうかはさまざまな案があり、紆余曲折があったそうです。琵琶湖周辺の地盤の低い地域に湖岸提(堤防)を築き、排水機場を設け、流入河川の改修などを行なうことで治水対策も実施したのです。

利水と治水にかかわる流出量のコントロールは、瀬田川洗堰(あらいぜき)によって国土交通省が管理しています。ふだんは水を一定量流さなくてはなりませんし、逆に大雨のときは一気に水を流すと下流域で水害リスクが高まるので国が流出量を調整しています。

琵琶湖の課題と対策

出典:滋賀県「琵琶湖ハンドブック三訂版」を参考に編集部作成

水質保全に対する県独自の取り組み

利水と治水に加えて総合開発にはもう一つ異なるフェーズがあります。「水質保全」です。

本格的な工業化と都市化によって、琵琶湖の水質の悪化が目に見える形で現れます。国が水質汚濁防止法を制定した1970年(昭和45)の2年後、滋賀県はより厳しい基準を独自に設ける「上乗せ条例」を制定するなど水質保全に取り組んでいましたが、1977年(昭和52)5月に淡水赤潮が発生したのです。

それ以前から水質に問題が生じている認識はあったものの、「琵琶湖の水はきれい」と思っていた県民にはショッキングな出来事でした。淡水赤潮の原因の一つが合成洗剤に含まれるリンであることがわかり、合成洗剤ではなく粉石けんを使おうという県民主体の「石けん運動」が始まります。それを受けて滋賀県は1979年(昭和54)10月、工場・事業所に窒素とりんの排水規制を適用した「滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例」(以下、琵琶湖条例)を制定、翌年7月1日から施行しました。

リンを含む合成洗剤の使用・販売の禁止、農業での肥料の適正使用、家畜のふん尿の適正処理なども盛り込んだこの琵琶湖条例は、水質改善に向けて全国に先駆けたものと評価されました。

ちなみに琵琶湖条例が施行された7月1日を「びわ湖の日」と制定し、今も7月1日前後は10万人以上が清掃活動を行なっています。

■ 滋賀県の下水道普及率と琵琶湖への流入河川の水質[BOD(注)]

出典:公益財団法人 淡海環境保全財団「明日の淡海」VOL.37(2022年3月発行)
(注)BOD
生物が水中にある有機物を分解するのに必要とする酸素の量。汚染度が進むと値は高くなる。BOD5mg/L以下でコイやフナが、3mg/L以下でアユが棲める。

この便利な生活も「ほどほど」に

総合開発は約1兆9000億円を費やしたプロジェクトでした。事業費のうち、もっとも比重が大きかったのが下水道整備で26.6%。全体の4分の1を占めています。

総合開発が始まった頃、滋賀県の下水道処理人口普及率は全国平均を下回っていましたが、今は全国6位。総合開発が終わっても普及率が伸びているのは、下水処理場はすでに完成しており管渠(かんきょ)をつなぐだけだからです。今も市街化区域はもちろん、市街化調整区域でも下水道をつないでいますし、220ある農業集落排水処理施設も下水道に順次つなぎ直しています。どうしても難しい地域は合併浄化槽で対応しています。

総合開発の初期に「こんなに広いエリアでやる必要があるのか」という議論もありましたが、リンは下水処理の最後に化学的な凝集沈殿法を用いればしっかり除去できます。また、田植え時期の水田から流れ出る濁水や肥料・農薬を減らすため2003年(平成15)に「滋賀県環境こだわり農業推進条例」を定め、水質悪化を防ぐ手だてを講じました。これらによって、リンや窒素がかかわる富栄養化については今のところ改善傾向にあります。

一方、在来魚介類が減少する問題もあり、生態系保全対策として「マザーレイク21計画」や「琵琶湖保全再生計画」に基づくさまざまな施策を行なっています。

生態系保全は実に困難です。私は化学専攻なので水質だけならば基本的なシミュレーションはこなせますが、生きものが入ってくると途端に難しくなる。あまりに水がきれいだと魚の種類が限定されるうえ量も増えない。水のなかに栄養があってこそ植物プランクトン、動物プランクトンが増えて魚も生きていけるのです。

人間は昔から生きものと一緒に暮らしてきましたね。私は野洲川(やすがわ)のそばで生まれ育ち、投網でアユを狙ったり、増水後に田んぼへ入り込んだ魚を獲ったりしていました。今の安心で便利な生活もよいけれど、便利さを追求するにも「ほどほど」というレベルがあると思うんです。だからもう少し「人間が退く」という姿勢があってもよいのではないでしょうか。

  • 琵琶湖総合開発事業費の内訳

    出典:琵琶湖総合保全連絡調整会議「琵琶湖の総合的な保全の推進―琵琶湖と人との共生―」(平成15年3月)

  • 琵琶湖総合開発事業費の推移

    出典:琵琶湖総合保全連絡調整会議「琵琶湖の総合的な保全の推進―琵琶湖と人との共生―」(平成15年3月)

  • おいしい琵琶湖

    おいしい琵琶湖 ふなずし
    撮影協力:あやめ荘(野洲市)

(2023年8月22日取材)

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