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水の文化 35号 アクアツーリズム

くまもと アクアツーリズム
景観資源は誰のものか 産業の変遷と景観保全

藤村 美穂さん

藤村 美穂(ふじむら みほ)さん
佐賀大学農学部准教授

1965年生まれ。関西学院大学社会学研究科博士後期課程単位取得退学。社会学博士。
主な著書に『環境民俗学―新しいフィールド学へ』(共著/昭和堂 2008)、『東アジアモンスーン域の湖沼と流域−水源環境保全のために』(共著/名古屋大学出版会 2006)、『景観形成と地域コミュニティ―地域資本を増やす景観政策』(共著/農文協 2009)ほか。

阿蘇をフィールドとして、生活環境主義の視点から景観を見つめた藤村美穂さん。
「使いながら守る」ことが難しくなった草原をいかに維持・保全していくのか。
解決への第一歩は、「人間の営み」を大切にすることにあるのかもしれません。

阿蘇の草原

阿蘇の草原と赤牛の意味

環境省が2001年(平成13)に行なったアンケートでは、観光客は阿蘇の魅力について「草原が広がる風景」77%、「山の連なりやカルデラの風景」50%、「牛馬のいる風景」38%と答えています。

火山の噴火によって形成されたこの草原は、年平均気温10℃、降水量3000mmを超えるという気象条件から考えると、度重なる火山灰の影響があったとはいえ、現在ではうっそうとした森林に覆われていてもおかしくありません。

それにもかかわらず、10世紀ごろから今日に至るまで、約1000年もの間、広大な面積の草原が維持されてきたのは、人間の絶え間ない働きかけが続けられてきた結果です。

ここは、火山灰で覆われた酸性土壌であったために、水田の肥料として大量の草や家畜の糞が不可欠でした。多くの地域で勃発した水争いですが、阿蘇では草が、それに匹敵するぐらい重要な価値を持っていました。いくつかの村が入り合って利用してきた阿蘇の草原は、草が不足した時期には、利用権を巡って度重なる領土争いが起こったことが記録されています。

阿蘇の草原景観に大きく関与してきたのは、赤牛(注1)です。

赤牛は、耐寒・耐暑性に優れているため放牧に適し、性格がおとなしいので群れで飼いやすい。また、ダニに強いという特性のために、長らく阿蘇で飼い続けられてきた品種です。

戦後、農業機器の機械化や化学肥料の導入で、耕作用の赤牛は役能力としての役目を終え、畜産用に飼われるようになりました。1950年代半ば(昭和30年代はじめ)からは、広大な草地を持つ阿蘇は、国政や県政からも畜産基地として注目されるようになりました。

1970年代(昭和45〜)になると、農家はサラリーマンに転職して兼業化が増える一方、規模を拡大する畜産業者も出て、牛の頭数が増えて農家の数が減少するという傾向になりました。

ところが1991年(平成3)4月に輸入枠が撤廃され牛肉の輸入が自由化されてからは、国内の畜産頭数は激減しました。阿蘇も例外ではなく、既に畜産農家がいなくなった地区もあります。

(注1)褐毛和種(あかげわしゅ)
一般に赤牛といわれる。熊本系と高知系に分けられ、いずれも起源は韓牛といわれている。現在の「くまもとあか牛」は阿蘇、矢部及び、球磨地方で飼われていた在来種とシンメンタール種の交配により改良された固有種で、1944年(昭和19)に和牛として登録された。肥育において、黒毛和牛は約5tの飼料が必要なのに対し、赤牛は約4tと、成長効率の良い品種である。

景観維持のための野焼き

阿蘇で有名な野焼きは、草原の維持に重要な行事です。

野焼きをするのは、春になって地面に発生するダニ類を撲滅するのが第一の目的です。このダニ類は牛の大敵で、昔から壊滅を目指しているのですが、まだ果たせていません。

もう一つは、冬場に枯れ野になるために、防災上、極めて危険な状態にある草原に意図的、計画的に火を入れて、焼き払うことで枯れ野を整備します。放牧地と人の暮らしの場の境界には森がありますが、そこも燃えたらすぐに人家ですから、とても危ないのです。

ダニ駆除、防災のほかに、草の芽吹きをいっせいにそろえる、という役割もあります。枯れ草の層が厚い所では、なかなか新しい草が芽吹かないからです。観光の面からは、「いっせいに芽吹いた美しい新緑」として、訪れた人たちに大変喜ばれます。

しかし、畜産農家が減少し、高齢化する中で、労力も技術も要求される野焼きは、徐々に行なわれなくなってきました。現実的に続けていくことが困難になってきたのです。

そのため、利用や手入れができずに放置され、灌木林になりつつある所、植林された所などが増え、阿蘇全体の草原面積は明治期の3分の1になってしまったといわれています。

手入れができずに放置された森林の問題は、阿蘇に限らず全国に及んでいます。一般的には、最低限の手入れをして密植した林地に空き地をつくって光を入れ、自然の植生に戻していく整備をする、という対応策が考えられますが、阿蘇に住む人にとっての「生活の場」は、訪れる人にとって「景観資源」と見なされるので、放置して自然林に戻すわけにはいかない、という事情があります。

それで国立公園の管理を担当する環境省は、1996年(平成8)から景観を守るための積極的な保全策を打ち出していくようになります。

その中には、これまで草原景観を維持してきた農業・畜産業と両立させるための試み、例えば輪地切り(延焼を防ぐための防火帯づくり)労力削減のための設備、技術の開発実験や、赤牛産直活動の支援、草原再生を活用した観光・環境教育などがあります。

景観資源の保全のために、環境省がここまでやるということは、普通に考えると不思議な気がします。

しかし、阿蘇の草原が地域資源として利用・管理されてきた結果としてつくり出され、維持されてきた経緯を考えると、保全すべき景観の中には放牧や採草、野焼きといった「人間の営み」が含まれるのは必然的なことである、といえます。

誰が守っていくのか

民間レベルでは、牛肉輸入自由化の翌年、1992年(平成4)に地元の新聞社が「草原の危機」と題して連載した記事がきっかけとなって、大手観光業者や熊本市内の生活協同組合などが行動を起こしました。

くじゅう高原の大手リゾートホテルが1993年(平成5)に「くじゅう環境保全基金」を設置したのを皮切りに、1995年(平成7)には「全国草原サミット」が、1998年(平成10)には「野焼きボランティア体験・検討会」(観光協会などが主催)が開催されています。

一方、環境収奪型の観光に危機感を抱いていた研究者や熊本市内の生活協同組合などが中心になって、(財)阿蘇グリーンストックが1994年(平成6)に設立されました。この財団の事業は、草原の緊急避難的保全対策と並んで、「新しいかたちでの人と草原の共生」を掲げており、都市住民の思いを受け止めるチャンネルにもなっています。

負ける勇気を共有する

(財)阿蘇グリーンストックでは1998年(平成10)から野焼きボランティアの組織化を進めており、2005年(平成17)には延べ600人近い応募者が集まるまでになりました。野焼きボランティアの働きかけによって、中断していた野焼きを再開した地区も増え始めています。

ただ、野焼きは危険を伴う作業ですし、技術や経験が必要とされるために「野焼きにはボランティアを入れない」と決めている集落もあります。

草原の利用方法が変わることで、その価値も変わります。農業や畜産業による利用が減ったことで、観光による「景観資源」という新たな価値を与えられた阿蘇の草原は、今後どのように維持・管理されていくのでしょうか。

おそらく、今までのように実際の利用者の考えだけで、草原の維持・管理が進むとは考えられません。利用権を持つ人たちの意見を尊重し、直接利用していないが「景観資源」として草原を大切に思う人たちの意見にも耳を傾ける。そういった、歩み寄りが必要なのかもしれません。

草原を維持してきた農家の人たちは、自分がここで暮らすことの意味を考え抜いて、生活している人たちです。経済成長期やバブル景気といった時代には、その感覚は間尺に合わないと見なされたかもしれません。

しかし、阿蘇のある農家の人は、それは「負ける勇気」である、と表現しました。

今後の草原の保全に際しても、単に観光資源として貨幣換算できる価値を求めていたのでは解決になりません。

住民の人が自分たちの将来を考え抜いて決めることは、外部の人たちの思いと、そうかけ離れた選択にはならないような気がします。

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