機関誌『水の文化』36号
愛知用水50年

公共事業の原点回帰

インフラといえばモノで社会基盤施設をつくるだけ、と思いがちですが、吉田恒昭さんは、人やコミュニティが持つ「潜在能力」を開花させる手伝いをするものがインフラだ、と言います。また、パブリックとは?デモクラシーとは?という問いを実体験することでもある、と。 「公共事業」「主体の確認」「信頼の醸成」といった愛知用水からのメッセージに学びます。

吉田 恒昭さん

工学博士
東京大学名誉教授
吉田 恒昭 (よしだ つねあき)さん

1946年、栃木県生まれ。1971年東北大学にて工学士(土木工学)を取得。卒業後は(株)日本工営の設計技師として国内・海外プロジェクトの水資源開発プロジェクトの計画に参画。1975年ロンドン大学でプロジェクト評価理論を学び、1978年経済学修士号を取得。
国際開発センター(財)研究員、国際協力事業団(現・国際協力機構)委託による数件の地域総合開発計画調査を経て、アジア開発銀行に1981年~96年在籍。1997年~2000年東京大学工学系研究科 社会基盤工学専攻教授、2000年拓殖大学に新設された国際開発学部の教授に就任。2004年再び東京大学で新領域創成科学研究科 国際協力学専攻教授に就任し、2010年定年退職。
主な著書に『社会基盤の整備システム―日本の経験』(経済調査会 1997)、『アジア型開発の課題と展望―アジア開発銀行30年の経験と教訓』(共著/名古屋大学出版会 1997)、『アジア 変革への挑戦』(監訳/東洋経済新報社 1998)、『国際開発学入門』(共著/弘文堂 2000)ほか

事業評価の意義

学生時代の専門は、水が好きで河川工学でした。就職は、学生時代のアジア放浪の際に、ラオスのナムグム・ダムで日本工営の野沢陞さん(後に副社長)に出会ったことから、水と途上国開発がオーバーラップする仕事先としてコンサルタントの日本工営に入りました。

構造物をつくっているうちに「ナゼ、これをつくるの?」という説明をどうやってするのかな、と思い始めました。要するに、事業評価ですよね。それで経済学を学びました。

まさに、それから20〜30年経つと日本の公共事業もその疑問に直面するのですが、当時の日本にはそういうことを学ぶところもなかった。

そういうことに興味を持っているときに、私が参加している社会人研修プログラムの講師としてアマルティア・セン(注1)が事業評価の集中講義を東京で行なってくれました。

セン先生は当時、ロンドン大学におられました。これはちゃんと勉強しなくちゃダメだな、と思い、若いから無鉄砲で、セン先生に手紙を出したんです。そうしたら、返事をくれた。「奨学金は出せないけれど、日本で奨学金をもらってくるなら指導してもいい」と言ってくれた。それで、断腸の思いで日本工営を辞めて、セン先生のところで2年間勉強しました。

セン先生は、「よく来た、よく来た」と言って歓迎してくれたけど、言葉もさっぱりわからない。自分では英語もできるつもりで行ったんだけれども、実際に講義が始まると半分ぐらいしか聞き取れなかった。若気の至りで会社を辞めて、おしめが取れない2歳の子供を抱えた、30歳になる前のころのことです。

でも、当時のイギリスは貧乏学生をきちんとテイクケアしてくれたんですね。幼稚園もタダでしたし、子供が病気になってもタダなんですよ。とても進んだ福祉国家だった。世界中の貧乏学生をイギリス家庭が受け入れてくれるプログラムがある。そういう意味で、イギリスの恩恵をたくさん受けました。このご恩返しを、日本に来る留学生を通して自分もやらなくちゃな、と思っています。

(注1)アマルティア・セン(Amartya Sen 1933年〜)
インドの経済学者。社会における経済の分配・公正と貧困・飢餓などの研究分野での貢献により1998年にアジア人で初のノーベル経済学賞を受賞した。ミクロ経済学の視点から貧困のメカニズムを説明した研究は、経済学に限らず哲学、政治学、倫理学、社会学など社会科学全般に影響を与えた。

センとの出会い

僕はセン先生の当時の講義やその後の論文を通して、インフラストラクチャー(infrastructure:通称インフラ)というのも突き詰めて考えれば、生まれながらにして人に備わっている能力、基本的には生まれながらに持っている潜在能力を開花させる手伝いをするものだ、と考えるようになりました。また、コミュニティの信頼や絆を醸成する力もあると思うようになりました。

セン先生は、1990年(平成2)に国際連合開発計画(UNDP)が発表した人間開発指数(HDI:Human Development Index)の構築で中心的役割を果たし、開発の流れを180度転換させたものとして、高く評価され、ノーベル賞を受賞しました。

開発の中心は、経済システムやインフラやモノではなく人間だよ、という考えです。僕は、その考え方に非常に影響を受けました。

援助機関が途上国に電気を引く支援をすると、みんなは涙を流して喜ぶんですね。日本だって、村に最初に電気がきたときは、万歳三唱して涙を流した。これで夜も本が読める、モーターを動かすことで、苦しい労働が少しでも軽くなる、と。バングラデッシュで日本の支援でいくつも橋ができています。橋を渡る理由の4割以上が親戚や知人に会いに行くというものでした。これは、親戚や知人との絆を高めて、いざというときに相互扶助を可能にする「ソーシアル・セイフティネット」や「人間の安全保障」に直結する効果で、経済的尺度では測れないのです。

このようなインフラの持つ多様で深い効果や喜びを、日本の場合はいつの間にか忘れてしまった。モノをつくればそれでよしで、その機能がどのようなインパクトを人々や地域社会に与えるかはあまり評価をしないし、事後評価することはモノをつくった先輩たちの顔に泥を塗るようなことになると考えてしまう文化があり、また、集票のためのインフラづくりと疑われるものもあるようです。

自国の水使いはどうなの?

ロンドン大学から帰国後は4年間IDCJ(International Development Center of Japan:国際開発センター)に在籍して主にJICA(Japan International Cooperation Agency:現・独立行政法人国際協力機構)の仕事をしていました。その後、アジア開発銀行(Asian Development Bank:ADB)に入って、インフラ事業の計画・評価・執行管理・事後評価など全般を15年担当しました。

1981年(昭和56)のADBの最初のプロジェクトで、バングラデッシュの農村開発を担当しました。彼らは貧困から抜け出すために必死に学ぼうとしているから、たくさん質問してくる。「ミスター吉田、日本の農業組合というのはいつ、どうやって、何を目的にできたの?」とか、「技術移転・普及・開発・革新などはどうして可能だったの?」というような、素朴な、しかし開発にとって本質的な質問を投げかけられました。そのときに僕はほとんど答えられなかったんですよ。日本の明治維新以降の近代化のプロセスにおける開発経験、とりわけインフラ開発整備と制度設計などに関する知識がほとんどなかったですから。

しかし、そういうことに答えられないと、向こうの人たちはすごく不安になる、ということがわかった。「こんな人の言うことを聞いていて大丈夫なのか」と思うんでしょう。それで「これはまずいなあ」と。当時もフィリピン・マニラのADBにいながら、努めて日本の農業やインフラ開発の経験に関する知識や情報を集めるようにしていました。

この延長線上で、1990年(平成2)ごろから、ADBの業務をやりながら博士論文を書こうとしたのは、定年になったら大学で話をしようと思ったからです。

結局、定年を待たずして、日本の学生や日本に留学している途上国の留学生に、途上国で二十数年培った経験をもとに開発とインフラや開発プロジェクトの計画や事業評価の話をすることになりました。

半田池の西にある半田揚水機場とタンク。

半田池の西にある半田揚水機場とタンク。緑色の水門が愛知用水からの取水口。

愛知用水は元祖参加型プロジェクト

愛知用水との出合いは、2003年(平成15)京都で行なわれた第3回世界水フォーラム。当時の水資源公団(現・水資源機構)から「水資源公団もセッションを一つ持って、世界に発信したい」という話がありました。

水資源公団は、戦後、七つの河川において流域を単位とした開発を行なってきています。

現在、世界中で合意された水資源管理のアプローチは流域単位の統合的管理ですから、日本は大変先験的な取り組みを長年行なっていたことになります。この流域管理システムの貴重な経験をアジアモンスーンに位置する諸国と共有することを目的として、第3回水フォーラムで日本の経験を発表しました。現在、この発表を踏まえた本を作成中です。東京大学名誉教授で水の権威である虫明功臣(むしあけかつみ)先生が監修的な役割を担っておられ、私もお手伝いしています。

この本には愛知用水事業も簡単に触れられていますが、私の個人的な意図としては、通水50年を機会に、事業開発のプロセスと成果を途上国の視点、すなわち経済効果に加えて人々の潜在能力の発現や地域社会関係資本(民力の地域版でしょうか)の盛衰の視点で整理すれば、意味があると考えています。

愛知用水については、活躍した人物を中心に『水の公団』という記事を高橋義雄さんという方が書かれていますが、これも大変面白い物語です。

愛知用水事業には、途上国のインフラ開発に役立つ、貴重な教訓もたくさん含まれています。究極は久野庄太郎さんたち農民が目指した利他主義の視点。大事なのは、自分たちで自らの運命を切り開く、という気概ですよ。しかも独りよがりにならないでね。

参加型プロジェクトというのは、近年、開発のキーワードになっていますが、愛知用水は農民がつくり上げた、元祖参加型プロジェクトです。

僕は、「あなた方は参加型プロジェクトというけれど、愛知用水は誰が参加したの?」と、よく聞くんです。農民が参加したんじゃない。50年前に、農民のプロジェクトに政府と世界銀行(注2)が参加したんです。そこがものすごく大事。それだけでも世界に発信していく価値がある。

それと、久野さんや愛知用水概要図を書いた浜島辰雄さんが、決意表明して行く中でガリ版の1ページに愛知用水の目的と意義を、小学生にもわかるような文章にして配っています。域内の先生を通して、子供たちに配っています。宿題として「これをお父さん、お母さんと話してきなさい」と渡すんですね。

これはまさに、参加型のすごい発明だと思います。大人は子供たちに、こういうことを表明したとたんに、ものすごいプレッシャーを感じたでしょう。コミットメントですよね。大人はこういうことを考えている、と。言った手前、簡単にはやめられない、というロジックなんです。

これをアフリカで話したら「早速やろう」と言ってましたよ。タンザニアの村落開発でも、小学校で説明会を始めました。

(注2)世界銀行
自国政府から債務保証を受けた機関に対し、融資を行なう国際金融機関。当初は国際復興開発銀行を指したが、1960年に設立された国際開発協会と合わせて世界銀行と呼ばれる。

日本における農地改革

農民が自ら水を引こうという意志を持ったのは、やはり土地が自分のものになったからです。

今となっては戦後の農地改革で、受益地の小作人が何%自作農になっていたということは積み上げて調べるしかありません。しかし、やはり農地改革が行なわれたあとに、収穫量が上がっているんですね。それは、当然、農民が自分の土地になると積極的に投資をし、労働を投入するようになるため、と考えられます。

そういう意味で、愛知用水の説明会に話を聞きに来ていた人たちが自作農になっていたということは、大変大きな意味を持ちます。主体的に自らの土地に投資する、つまり愛知用水事業費用の20%を農民自ら分担するという意思を固めたということです。

ここまで話すと、途上国の人は「なんでそんなにうまく農地改革ができたんだ」と必ず、聞きます。それにも答えなくてはなりません。

ところが、ここ十年以上、途上国開発のアジェンダから、なぜかランドリフォーム、農地改革が消えてしまっているのです。私は浜島さんをはじめ、ずいぶん多くの人に「争いごとはなかったのか」と聞きましたが、誰もが「なかった」と言うんです。地主も「協力した」と言うし、小作側も争いはなかったと言う。

日本は平和的なプロセスで、あれだけの短期間で農地改革をやった。しかもそのあとで愛知用水のような事業をやるんですよね。このことをどうやって説明したらいいものか。研究しなければならないことは多いのです。

農地改革は途上国の現状から見たら、手をつけることが難しい大きな課題の一つです。フィリピンでもパキスタンでも農地改革をやりましたが、どこも成功したとはいわれていません。

私は長い間途上国とつき合ってきて、途上国の貧困というのは、実はかなりの程度が当該国内の政治的な資源配分の問題であって、これにうまく対処できればほとんど解決ができると思い始めています。はっきり言って、外からの援助よりも、自分たちの富の再分配で解決できる可能性が大きい。それぐらいの富は、各国にある。

内政の問題なんです。ごく少数の金持ちが、土地を独占し、金融を支配し、富を寡占していることが問題なんです。水や森林を含めた土地資源の所有権や使用権の公正な配分、農地改革の促進、共有地の公正な配分と管理、富裕層からの適切で強制力のある徴税などが機能すれば、内政だけで貧困問題の多くは解決できるはずなんですよ。

ほとんどの援助機関は富裕層からの徴税や土地改革をまじめに議論していません。このような文脈からも、愛知用水事業は農地改革後に農民自ら興した主体的開発運動として、実に多くの刺激的示唆を現在の途上国に与え得る日本の開発経験といえるでしょう。

図表

図表

分配の作法を醸成するトラスト

実は愛知用水事業は、農業プロジェクトとしての当初の目的を達成できなかった。事業が完成した時点では農業人口が3分の2になってしまったわけですから。これは額面どおりにみたら大失敗のプロジェクトです。

プロジェクトを取り囲む外部条件が激変していく時代だったんです。こんなに世の中が変わっていくのに、受益者農民と事業そのものはどうやって生き延びていくのか。

おそらく、信頼を基礎としたネットワークが事業の計画・執行・管理を通して醸成されたからこそ、外部の変化に対応できて、自らをアジャストする力が持てたんでしょう。開発のプロセスで、まさにコミュニティの中に信頼と相互扶助精神に基づく共助機能グループが醸成されたといえるでしょう。

「誰のために、誰が開発するのか」と言ったときに、オーナーシップ(主体)は受益者の農民にあるんです。その過程で、とても難しい仕事である土地の再配分(交換分合)をやっています。しかも水のマネージメント、水の管理を土地改良区という新たな水利組織をつくって行なっていく。これは至難の業です。これができれば、途上国は途上国でなくなる、というぐらい難しい。

私も実際にパキスタンで経験しましたが、まず盗水が始まるんですよ。渇水になると、少ない水をいかに皆で分けるかという、社会的コンセンサスを得ることがもっとも難しい状況に陥るわけです。それが滞りなく行なわれるというのは、そこにどれだけの「知恵」と「経験」、「社会的な取り決め」と「行動規範」があるか、ということです。我々はそれを社会関係資本という言い方をしますが、要するにコミュニティの力ですよね。もっと簡単に言えば、コミュニティの成員が互いにどれだけ信頼しているかということです。

まさに、渇水期の水分配がうまくできるか否かで、信頼の量が多いか少ないかが判断できるんですよ。こういう目に見えない信頼のネットワークをつくって成功したのが愛知用水事業でしょう。インフラ開発のプロセスを通してコミュニティ内部での信頼と外部とのリンクが形成されたということです。これが外部条件の変化に対応可能な地域社会関係資本となったといえるでしょう。

木曽川上流の牧尾でロックフィルという形式の新しいダムができ、その後、日本中に爆発的に普及していきます。知的なものをすぐにパブリックにして、誰もがアクセスできるようにする。これが日本の技術移転の成功要因でしょう。日本が誇りにすべき点ですね。「知的資産はパブリックだ」というのが、日本の伝統的な感覚でしょうね。このことは所得分配にものすごく大きな役割を果たしているんですよ。知的資産はすぐパブリックにして、みんなが使えるようにする。そういう社会は、所得格差を小さくし、知的生産をする人は社会から名誉と社会的地位を与えられるという時代が日本にはかつてあった。

途上国の多くでは、技術移転・普及がなかなかうまくいかない。入手した技術情報を、囲い込んでしまいます。自分が生き延びるために、隠しておく。一概に責めることができない不幸なことです。

援助受け入れ国 日本の記憶

2回ほど愛知用水事業の現場を歩いてきて感じることは、世界銀行からアレコレと厳しい条件をつけられますが、現場ではあたかも条件をクリアしたかのように多少とも鉛筆をなめていたような形跡もないとはいえない、ということです。

正直な話、日本でも電力プロジェクトの借款なんかでは、自己資本比率などで世界銀行の条件をクリアできていないんですよ。確か、当時の通産大臣が条件をクリアできなくて世界銀行に謝りに行っています。

銀行は「電力料金を上げろ」と簡単に言うけれど、電力料金を上げたら政権が一つ吹っ飛んでしまうような国の事情もある。ぎりぎりのところで、途上国はやっているんですよね。そういう事情を、今となっては援助する側として理解しておくことは大切です。

「日本もかつては大臣が謝りに行ってね」という話をすれば、向こうの人も安心しますね。とたんに元気になるんです。そういうものですよ。

日本もかつては31プロジェクトで8億ドルの融資を受けていた。日本も援助される側であったと知ることで、問題を共有して一緒に解決していこう、という姿勢におのずからなれると思います。

ベトナム戦争が終わって、アジア開発銀行にベトナムの使節団が来たときに、「私たちは銀行からお金を借りるために来た。しかし、どうやって返すかのほうが先だ」と言ったというんです。今、こういうメンタリティを持っているアジア民族はベトナム人だけかもしれません。

日本人も、かつてはそうだったですね。契約通りの額だけ世界銀行から借りられるんだけれど、利子がつくんだからなるべく借りるな、という規範を関係者が共有している。それで、なるべく借りる額を少なくした。愛知用水事業の場合は最終的にはかなり節約して、世界銀行の融資額は、当初は総事業費の8%でしたが最終的には4%ぐらいのものなんです。これも日本のすごいところです。

世界銀行の果たした役割

では、たった4%の世界銀行融資が、どんな役割を果たしたのか。もっとも大きな貢献は、愛知用水公団という組織をつくることだったんじゃないでしょうか。世界銀行がどういう組織をつくったらいいのか、定款をつくったらいいのか、というリーガル(法律的)な面でのサポートをしています。資金だけではなく組織づくりとか技術移転とか、そういうものの重要性を際立たせた象徴的なプロジェクトだったんです。

愛知用水は、世界中のインフラをつくっている専門家集団の経験、知識の恩恵を受けたのです。

また、たった4%の融資なんだけれど、厳しい条件がついた。アメリカのコンサルタントを入れたり、最新の技術や機器を使うことを強要されます。しかし、そのお蔭で非常に短期間に完成させることができた。

今、日本が援助を与える側に回って考えさせられるのは、援助される国にどういう条件をつけたらいいか、ということです。そのときに、愛知用水が世界銀行からつけられた条件を再吟味することは意味があるでしょう。

パブリックグッズの管理は

途上国の場合も、地域によっては世界銀行の民営化路線に則って、水資源管理の民営化が進んでいる国々も見受けられるようですね。

水はパブリックグッズであって、エコノミックグッズであって、ソーシャルグッズである、と。ところがカルチャーグッズ、つまり文化的な価値という視点は、アジア以外ではあまりなかった。まあ、ワシントンにある世界銀行が考えることだから。水は文化だ、と言ったって、ピンとこないわけですよ。パブリックグッズとしてパブリックが管理するか。経済的合理性という基準で民営化するか、ということには、まだ迷いがあるようですね。

これはね、どっちがいいということではなく、まさに社会の合意としての価値規範に帰結していく事柄です。また時代によって変わっていっていいと思います。

カンボジアのプノンペン水道公社などはパブリックで、見事にうまくいった例です。プノンペン水道公社にはエクソン・チャンという立派な人物がいます。彼と話をして、大変感銘を受けました。とにかくスタッフのモラルが非常に高い。水道料金が払えない人たちに、スタッフが基金をつくって一時的に肩代わりする、というんです。それって、すごいですよね。

住民は当然、そこまでしてくれる公社の人たちを助けなくちゃ、と思う。漏水なんかがあっても、すぐに通報してくれるし、なけなしの家計のなかから優先的に支払うようになり、水道料金の滞納も減る。

プノンペン水道公社を見ると、パブリックマインドを育てることに貢献していることがわかります。公共精神とは何なのか、と思いました。これが民営だったら、「料金を払えなければ止めるしかない」となりますよね。しかし水がないと、とたんに生存が脅かされるわけですから、払えるか払えないかにかかわらず、水は出さなくてはならない。そういう意味で人権インフラなんですよ。だから、何でもかんでも途上国に民営化を迫るというのは間違っていますね。

払えなければ止める、ということをすると、みんなが勝手に穴を掘って盗水が始まるでしょう。犯罪ですよ。犯罪が蔓延して地域そのものが崩壊してしまう。それほどインパクトがあります。

水というのはみんなの気持ちをつなぐのに、役立つ財なんです。利水でもそうだけれど、洪水を防ぐにもみんなの気持ちを一つにしなくちゃならない。だから信頼を醸成する手段として使えます。そして、無限に循環します。

やっぱり、「公共」を新たにどう定義していくか。地域社会づくり、サスティナブルなコミュニティづくりは、個ではなくて「あなたがいるからこそ私がいる」You are, therefore, I am. (by Satish Kumar). この絆が失われてしまうと自殺者3万人は減らない。だからこれはとても大事なことです。

愛知用水が示唆すること

50年前の日本には、これだけのことができる民度の高さがあった。

ただね、この信頼のネットワークがある時期から融けていくというか、少なくなっていった時期があるんじゃないか、とも思うんですよ。信頼のネットワークが崩壊したとは言い切れませんが、必要性が薄くなっているというのが現状でしょう。

愛知用水を学生に教えるために分析してみて、二つの視点が出てきました。一つは、「援助受け入れ国だった日本の経験」という視点。もう一つは、「住民参加不在の日本の公共事業への警告」。珍しい存在ですよね、日本と途上国の両方に示唆を与えられるプロジェクトの実例なんて。

愛知用水自体の将来も考えなくちゃいけない。水源地の活性化、水質、流域モデル。まさに世界中が合意した、「河川流域における統合的水資源管理ガイドライン」(ユネスコから2009年3月に公表されたもので、策定に当たっては水資源機構も大きく貢献した)ですね。

持続可能な循環型社会を形成するために、流域単位で水資源を管理していくことが課題になります。

写真:愛知用水二連開水路

写真:愛知用水二連開水路
写真提供:(独)水資源機構

目的ではなく手段

じゃあ、公共事業って何だったの? その究極的な目的は? といったときに、私はそれを「地域の人々がお互いを信頼し合う」ことを、積み上げるための手段だったんだ、と気づきました。

久野さんたちが小学校で配ったガリ版刷りのチラシやなんかに「デモクラシー」という言葉がいっぱい出てきます。マッカーサーなんかが言っていた「デモクラシー」という言葉を聞いたことはあるだろうけれど、本当の意味は理解していなかったんじゃないか。

でも、愛知用水という事業を自分たちで計画して、努力して、水が流れた瞬間に「ああ、これがデモクラシーなんだ」と身をもって体験したと思いますよ。そこがまた、すごい教訓なんですよ。

すなわち、途上国でインフラを公共事業でやるということは、パブリックとは何だ、デモクラシーとは何だということを身体で実感することなんです。

学生たちはこういうことを学んで、「ああ、インフラをつくることは、ある意味でデモクラシーを体現する重要な手段に携わることなんだ」と理解するようになる。

今、土木工学を勉強して公共事業に携わるような学生には、こういうことを学べる機会がありません。しかしもともとは、シビル・エンジニアリング、文明工学。それが単に構造物をつくることだけになってしまった。

公共事業の再定義をしなければ、事業仕分け(注3)の基準だってできません。公共事業とは何か。機能を発揮する前提条件は何か。主体は誰か。失敗したときに誰がどのように責任をとるのか。それらが再定義されて、はじめて仕分けに意味が生じるのではないですか。

(注3)事業仕分け
行政刷新会議のワーキンググループが、国民への透明性を確保しながら、国家予算の見直しをする作業を指す。民主党の鳩山由紀夫内閣が掲げる政治主導策として、2009年(平成21)11月10日から開始された。

プロセスそのものの価値

公共事業というのは、ともすればでき上がったモノに脚光を浴びせてしまうんだけれど、つくるプロセスで誰が主人公であったかということはとても大切なことです。

愛知用水の特色は、土地問題をクリアした農民たちが自ら行なった活動として、インフラをつくるプロセスが輝いていたところにあります。インフラをつくることは、信頼を醸成するネットワークをつくる手段である。プロセスそのものに、価値がある、ということがわかってくる。

プロセスそのものに価値があって、モノをつくるというのはたまたまの手段なんだ、という考え方です。processing in effectと言ったらいいのか。JICAからも「吉田さんが話してきたそういうことに、何かネーミングをして、JICAの達成すべき目標にできないか」と言われています。

今の日本の政治の流れは、地方に財源を委譲して地方で実施するという方向に向かっています。その中で、主体は誰かという問いかけがやっと始まった。

公共事業の持つ潜在的で多機能な力はどのように計画・実行・管理すれば最大限発現されるのかと問うときに、「ああ、愛知用水でやっていたんだな」と思い起こさせることができる。これが愛知用水事業の普遍的ともいえる、つまり今の日本でも、途上国でも充分に参考になる経験の一つではないでしょうか。



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