[湖歴]
滋賀県には「重要文化的景観」が7地域選定されている。これは都道府県別で見ると、熊本県(10地域)に次ぐ2番目の多さだ。しかも、7地域のうち6地域が琵琶湖沿岸にある。文化的景観を文化財保護法のなかでどう位置づけるかに尽力し、今は滋賀県で暮らす金田章裕さんに、琵琶湖と文化的景観について聞いた。
重要文化的景観に選定されている滋賀県高島市の針江集落
インタビュー
京都大学名誉教授
京都府立京都学・歴彩館 館長
京都府立公立大学法人 理事長
金田 章裕(きんだ あきひろ)さん
1946年富山県生まれ。京都大学文学部史学科卒業。同大学大学院文学研究科博士課程単位修得退学。専攻は歴史地理学、人文地理学。京都大学教授、同理事・副学長、砺波市立砺波散村地域研究所所長などを歴任。『琵琶湖―水辺の文化的景観』『地形と日本人』『文化的景観―生活となりわいの物語』『和食の地理学』など著書多数。
琵琶湖には、伝統的な水辺の生活や生業(なりわい)がよく残っています。私たちが今見ても「こんな風に長い間暮らしてきたんだ」と想像できる状態で、かつ集落単位でまとまっています。全国を見渡してもこれほどまとまりよく残っている地域はそうはありません。それは国の「重要文化的景観」に琵琶湖沿岸だけで6地域が選定されていることにも現れています。
文化的景観とは、地域の環境に対応しつつ、歴史を通じて形づくられたものであり、地域の文化そのものの一部です。つまり、その地域における人びとの生活と生業を物語るもの。ひと言で表すならば「文化的な伝統を語る景観」です。
琵琶湖総合開発事業(以下、総合開発)で築かれた、湖岸提を兼ねた湖周道路で、水辺と分断されたように見えますが、湖周道路はさほど高くはないですし、道路を越えた先には松林と小さな砂浜があって水辺につながります。外洋に面した集落のように巨大な防波堤や道路で仕切られているわけではないので、総合開発後も基本的な形はさほど変わっていないんです。
むしろ伝統的な水辺の暮らしという点では、「内湖(ないこ)(注)」と呼ばれる潟湖(せきこ)が食糧増産のため昭和初期から干拓が進められて激減したことの方が、影響は大きいでしょう。
内湖は、琵琶湖で生活する人にとってもっとも身近な水辺でした。農業や漁業を生業としていた人たちから地続きである内湖は、江戸時代から石高(こくだか)とは関係なく自由に使える地先(じさき)です。小さな魞(えり)を仕掛けておけば家庭で食べる程度の魚なら獲れましたし、内湖に生えているヨシなどの草を刈り、田畑の敷き草や牛のエサ、燃料などに用いていました。
人びとの生活・生業と琵琶湖を結ぶとても強い靭帯だった内湖が失われ、さらに湖周道路ができて、湖面と人びとのつながりが若干薄くなったのは事実ですが、水とのかかわりが完全に失われたわけではありません。今も内湖が残る地域には刈り取ったヨシを乾かして茅葺屋根に用いたり、寺社の行事用として松明(たいまつ)をつくる事業者がいます。有名な高島市・針江集落の「カバタ」など地下水や表流水の利用もまだまだ残っています。
(注)内湖
沿岸流によって土砂が堆積し、そこにできた潟湖(せきこ)。明治時代、琵琶湖の周囲には内湖が100余りあったという。
文化的景観には2つの大きな要素があります。1つは、文化的景観を認定するのは専門家でも行政でもマスコミでも地元の人でも誰でもいいですが、みんなでまとまって取り組むことが必須です。
もう1つ、こちらが主に琵琶湖にかかわる要素ですが、文化的景観は生活と生業を物語るものですから、人びとの生活とともに「変わっていく」のです。人がそこで暮らしている以上、徐々に変わらざるを得ないのは当然のことです。
ただし、今ある文化的景観と不調和なものを新たにつくってはいけません。例えば、伝統的な建物や景色や生活・生業が残っている湖岸に高層マンションを新たに建てるのは、周りから見たら不調和でしかない。そうでなければ復元してもいいですし、手を入れてもよいです。「ゆっくり変わっていく状態」にしておくこと。これが文化的景観の2つめの要素です。
重要文化的景観に選定されれば、修理や作業に対する補助金も得られます。琵琶湖北部の菅浦(すがうら)は茅葺屋根の「四足門(しそくもん)」をつくり直しました。補助金がなければ資金的に厳しかったと聞いています。
将来にわたって琵琶湖の文化的景観が維持されるために必要なのは、「湖にかかわる生業が残ること」です。魞漁をはじめとするさまざまな漁法が残り、ヨシの使い道が絶えなければ、文化的景観は維持されるはずです。
さらに言えば、残すために「昔のままで」とがんじがらめにするのは避けるべきです。緩やかな変更、不調和のない変化ならばよしとしましょう。仮に醒井(さめがい)のようにマス釣り用の養殖池があっても私はいいと思っています。生業が、多少は形を変えるにしても、残りつづけることの方が大事だからです。
それに生業が残って水面や水辺を使っていれば不要な開発の抑止力にもなります。例えば魞が設置されているそばの護岸をコンクリートで固めようとは考えないでしょう。それこそが、文化財保護法のなかに文化的景観が定められた意味でもあります。
私たち消費者が生業を後押しするには、琵琶湖の産物をいただくことも手段の一つです。富山県の実家へ行った帰路、私は湖魚販売店や安曇川(あどがわ)の道の駅で湖魚や野菜を買って自宅に戻ります。特に好きなのはコアユ。白ワインで炊くといい味になるんです。
今よりも多くの人が湖魚を味わうようになれば、市場は大きくなるので生業が残り、水辺の文化的景観も維持できる。そういう関係性にも目を向けてほしいですね。
(2023年9月4日取材)