機関誌『水の文化』52号
食物保存の水抜き加減

食の風土記4
水に乏しい痩せ地が生んだ宝物 阿波和三盆糖

江戸時代に始まる伝統的な製糖法を守って生みだされる阿波和三盆糖 撮影協力:岡田製糖所

江戸時代に始まる伝統的な製糖法を守って生みだされる阿波和三盆糖 撮影協力:岡田製糖所

水と風土が織りなす食文化の今を訪ねる「食の風土記」。今回は、高級和菓子に欠かせない砂糖「阿波和三盆糖」(和三盆)です。水に乏しい痩せ地だからこそ栽培できたサトウキビを原料とし、人々が農閑期に手作業で製糖していました。海外から安価な砂糖が輸入される今も、江戸時代からの製法が受け継がれている「阿波の宝物」の背景にふれました。

製糖法を広めた謎の人物

高知から徳島を流れる吉野川は、坂東太郎(利根川)、筑紫次郎(筑後川)とともに「四国三郎」と呼ばれる日本有数の暴れ川。その氾濫原で栽培された藍は有名だが、流域から生まれた上質な砂糖「和三盆」もまた江戸時代後期から阿波の特産品として知られる。徳島の産業史を研究する石井町教育委員会の立石恵嗣さんは、水が乏しい地形と地質が和三盆を生んだと言う。

「徳島(阿波)と香川(讃岐)の県境を走る阿讃(あさん)山脈の南麓は、扇状地なので水はけがよすぎるうえ、砂礫(されき)土壌で水に乏しい痩せ地だったため稲作はできません。サトウキビを持ちこんだところ土壌と気候が栽培に適していたのです」

サトウキビの栽培を広め、和三盆を生み出したと伝えられる人物がいる。阿波の糖業(注)の中心地、板野郡上板(かみいた)町出身の丸山徳弥(とくや)(1754〜1827)だ。

「徳弥は宮崎に渡って苗を持ち帰ったあと、もう一度宮崎へ赴き製糖の技術を学び、和三盆の製造に成功したそうです。当時、他の領地との行き来は制限されていましたから、山伏だったという説もある、謎めいた人物です」

江戸時代の砂糖の二大産地は讃岐と阿波で、天保年間の史料によると約85%を占める。立石さんは「量は讃岐が一位でしたが、白糖、白下糖(しろしたとう)(粗糖)、蜜の割合を見ると、阿波は白糖の割合が高かった。これは阿波が砂糖の『質』を重視していた証と考えられます」と明かす。

(注)糖業
砂糖の精製・製造

  • 和三盆の歴史を語る石井町教育委員会 社会教育課の立石恵嗣さん

    和三盆の歴史を語る石井町教育委員会 社会教育課の立石恵嗣さん

  • 原料のサトウキビが栽培される吉野川の左岸

    原料のサトウキビが栽培される吉野川の左岸

  • 和三盆の歴史を語る石井町教育委員会 社会教育課の立石恵嗣さん
  • 原料のサトウキビが栽培される吉野川の左岸

完成まで何度も水で研ぐ

安価な砂糖が大量に輸入されると、阿波の糖業は衰退する。今も和三盆を製造しているのは、徳島に3社、香川に2社のみ。そのうちの1社が徳弥の故郷・上板町の岡田製糖所だ。

サトウキビを絞って砂糖のもととなるエキスを取り出し、釜で煮立ててあくを抜く。煮つめたものを冷やしたのが白下糖だが、蜜を含むため茶色い。そこで白く精製するために重石をかけ、さらに手と水で何度も研ぐ。ゆっくりと乾燥させると和三盆の完成だ。

伝統的な製糖法を守りつづける岡田和廣さんは「砂糖づくりは農閑期の仕事でした」と語る。地元農家からサトウキビを受け入れるのは毎年12月1日以降。栽培地の北限に近いため、収穫時期を遅らせないと糖度が上がらないのだ。白下糖は2月末まで、蜜抜きと乾燥に時間がかかる和三盆は6月までつくりつづける。

糖業を続けてこられた理由は三つある。「一つめはサトウキビをつくる農家さんが周囲にいてくれること。二つめは製糖の職人さんが途切れず来てくれたこと。三つめが和三盆を使いつづけてくれる和菓子屋さんがいることです」(岡田さん)

今も地元農家45軒がサトウキビを栽培する。また、白下糖を手と水で研いで蜜を抜く「蜜抜き」を担当する坂東永一さんは、祖父、父に続く三代目の職人。父の跡を継がないかと声をかけられ「和三盆の仕事ができるなら」と二つ返事で引き受けた。

口に入れるとふわっとほどける芳醇な和三盆は、高級和菓子に欠かせない。岡田さんは「昔ながらのやり方を守っているだけです」と言うが、その姿勢こそが質を保つ源となっているのだろう。

地元農家が育てた原料を使い、「昔からのお客さまに『味が変わった』と言われないように」(坂東さん)と職人たちが額に汗してつくるものを、和菓子メーカーが大事に買い支える――。水に乏しい土壌から生まれた和三盆は、こうして今も宝物のように、大切につくりつづけられている。

  • 白下糖を白く精製する蜜抜き(押し・研ぎ)と乾燥の作業場。築年不明という古い木造蔵だ。和三盆を水で研ぐ職人・坂東永一さんを囲むように、てこの原理で蜜を絞る押し槽がある

    白下糖を白く精製する蜜抜き(押し・研ぎ)と乾燥の作業場。築年不明という古い木造蔵だ。和三盆を水で研ぐ職人・坂東永一さんを囲むように、てこの原理で蜜を絞る押し槽がある

  • 地元の農家が運び込んだサトウキビ。海外はもちろん、国内の他産地からも仕入れたことはない

    地元の農家が運び込んだサトウキビ。海外はもちろん、国内の他産地からも仕入れたことはない

  • サトウキビを細断して砂糖のエキスを絞りだす

    ①サトウキビを細断して砂糖のエキスを絞りだす

  • 釜に入れたエキスを火にかけ、あくを抜く。煮つめ具合は職人が目で見て判断する

    ②釜に入れたエキスを火にかけ、あくを抜く。煮つめ具合は職人が目で見て判断する

  • 攪拌しながら冷まして、さらに冷やし瓶に移す。これが白下糖となる

    ③攪拌しながら冷まして、さらに冷やし瓶に移す。これが白下糖となる

  • 重石をかけた押し槽から染みでる蜜(蜜抜き「押し」)

    ④重石をかけた押し槽から染みでる蜜(蜜抜き「押し」)

  • 一昼夜絞った白下糖を取りだし、手と水で研ぐ(蜜抜き「研ぎ」)。押しと研ぎを5日間繰り返したものをゆっくり乾燥させて完成

    ⑤一昼夜絞った白下糖を取りだし、手と水で研ぐ(蜜抜き「研ぎ」)。押しと研ぎを5日間繰り返したものをゆっくり乾燥させて完成

  • 白下糖を白く精製する蜜抜き(押し・研ぎ)と乾燥の作業場。築年不明という古い木造蔵だ。和三盆を水で研ぐ職人・坂東永一さんを囲むように、てこの原理で蜜を絞る押し槽がある
  • 地元の農家が運び込んだサトウキビ。海外はもちろん、国内の他産地からも仕入れたことはない
  • サトウキビを細断して砂糖のエキスを絞りだす
  • 釜に入れたエキスを火にかけ、あくを抜く。煮つめ具合は職人が目で見て判断する
  • 攪拌しながら冷まして、さらに冷やし瓶に移す。これが白下糖となる
  • 重石をかけた押し槽から染みでる蜜(蜜抜き「押し」)
  • 一昼夜絞った白下糖を取りだし、手と水で研ぐ(蜜抜き「研ぎ」)。押しと研ぎを5日間繰り返したものをゆっくり乾燥させて完成


(2015年12月6~7日取材)

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