機関誌『水の文化』55号
その先の藍へ

藍
現場1

藍染め新世代「BUAISOU」の挑戦

藍染め新世代「BUAISOU」の挑戦

徳島県の吉野川流域は、江戸時代から明治時代中期にかけて藍染めの染料となる「蒅(すくも)」を供給したことで知られる。徳島の蒅は品質の高さ、そして圧倒的な量から「阿波藍」と称され、全国へ供給された。今も蒅をつくりつづける藍師が数人いる。その一人、新居(にい)修さんに蒅づくりを学び、自らの手で藍染めを行なう若者たちがいる。伝統のうえに新しい発想を盛り込みながら、藍染めを世界に送り込もうとする四人組「BUAISOU(ぶあいそう)」の実像を追った。

一人だったら挫折していたかも

熊手で切り崩すたびに、もうもうと湯気があがる。むあっとした、息が詰まるような匂いが立ち込めるなか、若者たちは蒅をつくるための「切り返し」と呼ばれる作業を黙々と行なっていた―。

ここ徳島県板野郡の上板町は、「四国三郎」との異名をもつ暴れ川・吉野川の左岸にある。氾濫によって運ばれた肥えた土が客土(注1)の役割を果たし、蓼藍(たであい)の成長を促し、連作障害も封じた。徳島藩(注2)を治めた蜂須賀氏は蓼藍の栽培と蒅づくりを奨励。藍農家から集めた蒅は、藍商(あいしょう)と呼ばれる商人たちによって和船で各地に運ばれた。

こうした歴史を有する地で、2015年(平成27)4月に起業したのが「BUAISOU」だ。この名は、公の場でジーンズを初めてはいた日本人と伝わる白洲次郎の邸宅「武相荘(ぶあいそう)」にちなんだもの。彼らは自分たちで蓼藍を栽培し、刈り取った葉から蒅をつくり、その蒅を発酵させて染液(以下、液)にする「藍建(あいだ)て」を行なう。そうして染めた衣服やバッグ、小物などを販売している。

BUAISOUは、東京の商社で働いていた山形県出身の渡邉健太さんと、東京の美術大学で草木染めやテキスタイルを学んでいた青森県出身の楮覚郎(かじかくお)さんが上板町の「地域おこし協力隊」に応募したことに端を発する。2012年(平成24)7月、渡邉さんと楮さんは上板町に移り住み、町営の「技の館」(注3)の管理運営、そして同館で用いる蒅と染料をつくり来館者を指導する役目を担う。

蒅づくりは藍師・新居修さんに学んだが、「怖かったです」と渡邉さんは振り返る。7月は猛暑のなかで蓼藍の刈り取りを行なう時期。何をすればいいのかわからないうえ、慣れていないので動作も鈍い。「早よせい!」と新居さんに怒られることもしばしばだった。しかも「技の館」で使う蒅をつくるために、翌年の3月には自分たちで畑を借りて種を蒔かなければいけない。7月に着任したので研修期間は半年強。短い時間なのに覚えることは膨大だった。

「畑に出てすぐに『これは二人でやっていくしかない』と思いました」と楮さんは言う。上板町で初めて出会った二人だがほんの数日で同盟を結び、作業を分担して習い覚えていく日々を過ごす。「二人いてよかったです。もし一人だったら途中でやめていたかも」と楮さんは笑った。

(注1)客土
土質を改良するため、よそ(=客)から土を運び入れること。
(注2)徳島藩
阿波国(徳島県)と淡路国(兵庫県淡路島)の二国を領有した藩。阿波藩ともいう。1585年(天正13)に蜂須賀家政が阿波一国17万6000石で徳島地方に封じられたのに始まる。大坂夏の陣の功により淡路国8万1000石を加増され,25万7000石となったが、阿波藍と塩、阿波和三盆糖の利潤で実質的には50万石あったといわれる。
(注3)技の館
上板町に古くから伝わる伝統的な工芸品の見学や藍染め体験ができる施設。歴史や文化を肌で感じることで、日常生活で失われつつある人間性の回復を目指す。


  • 牛舎の一部を改造して土間にした作業場で「切り返し」を行なうBUAISOUのメンバー。発酵させるために、週に一度切り返す。右端の女性はシンガポールからの研修生

    牛舎の一部を改造して土間にした作業場で「切り返し」を行なうBUAISOUのメンバー。 発酵させるために、週に一度切り返す。右端の女性はシンガポールからの研修生

  • BUAISOUを見守る藍師の新居修さん。「成功してほしいね」と期待を寄せる

    BUAISOUを見守る藍師の新居修さん。「成功してほしいね」と期待を寄せる

  • 全国有数の暴れ川「吉野川」。氾濫のたびに上流から運ばれた肥沃な土が「阿波藍」を育んだ

    全国有数の暴れ川「吉野川」。氾濫のたびに上流から運ばれた肥沃な土が「阿波藍」を育んだ

  • 牛舎の一部を改造して土間にした作業場で「切り返し」を行なうBUAISOUのメンバー。発酵させるために、週に一度切り返す。右端の女性はシンガポールからの研修生
  • BUAISOUを見守る藍師の新居修さん。「成功してほしいね」と期待を寄せる
  • 全国有数の暴れ川「吉野川」。氾濫のたびに上流から運ばれた肥沃な土が「阿波藍」を育んだ

給料をもらいながら藍染めが学べるなんて

東京での暮らしを捨ててまで、なぜ二人は徳島にやってきたのか。

商社マンだった渡邉さんは、藍染め体験がきっかけだった。「素手で染めたときの感触や、色が変わっていく様子を見て感動したのです。それで学んでみたくなりました」。

「会社勤めは嫌いじゃなかった」けれど、藍染めをやりたい思いは膨らむ。そこで上板町の募集を知り「お給料をもらいながら藍染めの修業ができるなんて!」と応募したのだ。

一方の楮さんは「美大を卒業したら藍染めを現場で学ぶ」と決めていた。「いろいろな染料があるなかで、種から育てて染料にするまで一年かかる天然藍は特殊です。液にする過程で発酵させるのですが、『どのタイミングで何を入れる』のかは本を読んでもわからないんです」。

卒業後、無給の研修生として都内の工房に通っていたが、工房長が新居さんのお弟子さんだったので公募を知る。

「あとは渡邉くんと同じです。藍染めが学べるなら行ってみようと」

地域おこし協力隊は単年度契約で、しかも最長3年間。しかし、不安はまったくなかったという。「ダメならまた考えればいいと思った」と二人は口をそろえた。

二人から四人へ始動するBUAISOU

2013年(平成25)、二人は前年に学べなかった春から初夏の作業を新居さんに教わっていた。そして7月に新たな仲間が加わる。渡邉さんの大学時代の後輩、結城研さんだ。

渡邉さんが大学の恩師に上板町へ行くことを報告したとき、結城さんとばったり会った。「一度遊びに来いよ」と誘うと結城さんはすぐやってきて1週間ほど作業を手伝った。卒業後は銀行に勤めたものの3カ月で退職。新居さんは渡邉さんに「結城が辞めるのを止めろ」とまで言ったが、結城さんは上板町に来て、BUAISOUが法人化するまで新居さんのもとで藍師として修行を積む。

また、隣の石井町でファッションデザイナーをしていた三浦佑也さんと出会ったのもこの年だった。「藍染めをしている人が『同年代で衣服をつくっている男性がいる』と紹介してくれたんです」と楮さん。意気投合し、三浦さんもメンバーとなった。

自らの手で染めた藍色の衣服を身にまとうBUAISOUのメンバー。左から三浦佑也さん、渡邉健太さん、楮覚郎さん、結城研さん。自分たちで牛舎を改造してつくった作業場 兼 オフィスの前で

自らの手で染めた藍色の衣服を身にまとうBUAISOUのメンバー。左から三浦佑也さん、渡邉健太さん、楮覚郎さん、結城研さん。自分たちで牛舎を改造してつくった作業場 兼 オフィスの前で

テレビ電話を通じてNYで藍建て

法人化するまでの間、BUAISOUは藍染めと製品づくりにも挑んだ。渡邉さんと楮さんは上板町役場に副業の許可をもらい、業務時間外と休日で活動。徳島と東京で初の展示会が決まり、「次は海外の反応が見たいね」と話していると、BUAISOUを陰で支えるマネジメントの西本京子さんがニューヨークの藍染め体験イベントの話をもってきた。「『やってみたいっす!』と即決でした」(渡邉さん)

渡邉さんが代表して行くことになったが、滞在できるのは最長1週間。蒅が液になるまで10日ほどかかるので、現地に着いてからでは間に合わない。そこで先にニューヨークへ発ったイベント企画者に蒅を送り、テレビ電話で指示して液をつくることにした。

楮さんは「ニューヨークの、しかも水道水で発酵するわけがないと思ってました」と笑う。渡邉さんも「液がつくれなければ旅行気分でいいかと開き直りました」と言う。

ずぶの素人に「藍建て」を頼むとは、なんて無鉄砲なのだろう。しかし若さゆえの思いきりのよさは吉と出る。70Lの「めちゃくちゃ元気な液」(楮さん)に仕上がった。

意気揚々と乗り込んだが、予定していた体験2件のうち1件はキャンセルに。日本人学校の藍染めだけになったので肩透かしを食らう。液を捨てて帰るのも忍びない。そこで、ニューヨークに住む西本さんの知人に頼みこみ、その人のアパートで「藍染めパーティ」を開く。3日間で約90人が来て、ビールを飲みながら藍染めを体験した。

目の前で藍色に染まる様を見たアメリカ人は「オオ〜!」「ワァ!」など劇的な反応を示したという。

「畑に種を蒔いて蒅をつくり、さらに発酵させて液にしてからようやく染められるというプロセスも伝えたので、『アート』と受け止めてくれました」と手ごたえを感じた渡邉さんと楮さん。参加者は液が染み込んだ「青い手」のまま帰っていった。

これを機にたびたびニューヨークを訪れ、ショップを回っては「藍染めワークショップを開くので」と招待状を手渡した。「アーティストやアパレル関係者が多かったです。お金をかけずにアンダーグラウンドな感じでやっていました」と二人は笑う。海外におけるこうした活動が話題になり、それを見た日本のアパレル関係者から声がかかるようにもなってきた。

アパートを開放してくれた日本人は、2015年4月に設立したニューヨークスタジオ「BUAISOU Brooklyn」のマネージャーになり、ロシアやオランダなどさまざまな国の人たちともつながった。

「畑から色をつくる」というインパクト

順風満帆のように見えるかもしれないが、BUAISOUの事業はまだ緒に就いたばかり。取材時、渡邉さんは助成金の書類申請に追われ「藍染めだけがしたいです」と嘆いていた。

究極の目標は「自分たちがつくりたいものをつくって売ること」。そこに向かって、今は既製品を藍色に染める「染色委託」が軸となる。企業だけでなく、個人ユーザーからも注文がある。BUAISOUは自分たちが染めた作品を画像投稿サイトにアップしているので、それを見た人から「染めてほしい」とシャツ、カバン、ブーツなどが送られてくる。こうした委託を受けつつ、自社製品の比率を徐々に高めていく。

ものづくりに関しては衣服がメインとは考えていない。「トートバックなども同じくらい重要ですし、この前は『手縫い糸』も商品化しました」と楮さんは言う。デザイナーの三浦さんも「今はいろいろと形にしている段階。そのうち『よし、これなら!』というものが出てくるはず」と語る。

そんな彼らを見守る新居さんは、「彼らは若いから発想が新しいし、しがらみもないから自由だ。後に続く若い人たちのためにも、彼らには成功してほしいね」と期待を寄せる。

発想という点では、染めを行なう独自のしくみが挙げられる。伝統的な紺屋(こうや)なら、藍建てと染めは土中に埋めた藍甕(あいがめ)で、温度管理は籾殻で起こす火で行なうが、BUAISOUはステンレス製の幅広な槽を用い、しかも保温用に電熱線を巻く。幅広な槽は藍甕よりも幅のある生地が染められるし、電熱線なら温度調節もしやすい。

とはいえ、手間暇かかる天然藍のものづくりは「価格では勝負できない」(三浦さん)のも事実だ。「どうやったら買っていただけるのかを悩んでいます」と三浦さんは率直に語る。

カギになるのは、藍のどこに惹かれるのかと問うたときの、結城さんの言葉かもしれない。「BUAISOUはみんな藍が好きです。僕はそのなかでも『畑で葉を育てて、色をつくる』というプロセスに一番惹かれます」。

アメリカ人が驚いたように、欧米で天然藍は絶えて久しい。日本人でさえどれほどの人が正確に知っているだろうか。天然藍のプロセスには、たしかにインパクトがある。

テレビ電話で藍建てを指示し、ニューヨークでゲリラ的に藍染め体験を繰り返し、電熱線を巻いたステンレス槽で染め、SNS経由で海外から注文を受ける―伝統工芸に新しいやり方を持ち込んだBUAISOU。「やることが多すぎて、自分たちが身につけるものさえなかなか染められない」(渡邉さん)という日々のなか、〈藍染め新世代〉の挑戦は続く。

  • 蓼藍の種を見せてくれた渡邉さんの手。この種から藍染めが始まる

    蓼藍の種を見せてくれた渡邉さんの手。この種から藍染めが始まる

  • 藍色に染めたブーツ。これは個人ユーザーから送られてきたもの

    藍色に染めたブーツ。これは個人ユーザーから送られてきたもの

  • ずらりと並んだシャツは国内外の有名ブランドとBUAISOUのコラボレーション製品

    ずらりと並んだシャツは国内外の有名ブランドとBUAISOUのコラボレーション製品

  • 「ダルマ糸」とのコラボレーションで生み出した藍染めの糸

    「ダルマ糸」とのコラボレーションで生み出した藍染めの糸

  • 淡くきれいな色で染めあげた自社製のトートバッグ

    淡くきれいな色で染めあげた自社製のトートバッグ

  • 作業中の三浦さん。畑仕事、づくり、染め、そしてオリジナル製品まで一貫したものづくりを行なう

    作業中の三浦さん。畑仕事、づくり、染め、そしてオリジナル製品まで一貫したものづくりを行なう

  • 液の状態を確かめるため、染めた布を貼り付けたノート。毎日欠かさず記録する

    液の状態を確かめるため、染めた布を貼り付けたノート。毎日欠かさず記録する

  • BUAISOU 独自のステンレス製の幅広な槽に布を浸ける。槽には保温用として電熱線を巻いて温度調節している

    BUAISOU独自のステンレス製の幅広な槽に布を浸ける。槽には保温用として電熱線を巻いて温度調節している

  • 蓼藍の種を見せてくれた渡邉さんの手。この種から藍染めが始まる
  • 藍色に染めたブーツ。これは個人ユーザーから送られてきたもの
  • ずらりと並んだシャツは国内外の有名ブランドとBUAISOUのコラボレーション製品
  • 「ダルマ糸」とのコラボレーションで生み出した藍染めの糸
  • 淡くきれいな色で染めあげた自社製のトートバッグ
  • 作業中の三浦さん。畑仕事、づくり、染め、そしてオリジナル製品まで一貫したものづくりを行なう
  • 液の状態を確かめるため、染めた布を貼り付けたノート。毎日欠かさず記録する
  • BUAISOU 独自のステンレス製の幅広な槽に布を浸ける。槽には保温用として電熱線を巻いて温度調節している


(2016年12月8~9日取材)

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