ここまでは東川町に住んでいる人たちに話を聞いてきた。では、周辺地域に住む人たちは、東川町をどのような目で見ているのだろうか。隣接する東神楽町(ひがしかぐらちょう)で生まれ育ち、今は旭川市にある一般社団法人大雪カムイミンタラDMOに勤める小原弘慎(おばらひろみつ)さんに、東川町のまちづくりやこの圏域における存在感などを語ってもらった。
紅葉が美しい秋の旭岳。北海道でもっとも高い山で「日本の百名山」にも選ばれている(提供:東川町)
私たちは地域の魅力を引き出し、外から人を呼び込むためのマーケティングや事業の企画・実行、または地域内のさまざまな機関や団体、人材を調整する役割を担っています。立ち上げて約3年が経過しました。組織の構成員は、行政や銀行からの出向者、そして生え抜きの職員。私は東川町と接する東神楽町の出身で、旭川市役所からの出向です。
私たちが管轄するのは、旭川市、鷹栖町(たかすちょう)、東神楽町、当麻町(とうまちょう)、比布町(ぴっぷちょう)、愛別町(あいべつちょう)、上川町(かみかわちょう)、東川町の1市7町からなる「大雪(たいせつ)エリア」。大雪山国立公園を核とするこの圏域は、アイヌの人々が「神々の遊ぶ庭=カムイミンタラ」と呼んだ場所なのです。
東川町は上川町とともに大雪山国立公園をまたぐようにあります。大雪山の最高峰「旭岳」は東川の町域ですので、いわば大雪山のベースタウン的な存在です。
そして、東川町には「この自然のなかで暮らしたい」「スキーや登山などアクティビティのツアーを生業として生きていきたい」「この自然が生む水や農作物を用いた飲食店や食品加工で暮らしたい」という人たちが集まっています。しかも、その人たちはいろいろな地域からやってくる。ほかの地域もしっかり見たうえで大雪山の魅力に惹かれてこの地に住み着いているのです。
「この地域にはこんな魅力がありますよ」と私たちが逆に教えてもらっています。その意味で、東川町はツアーのメニューづくりやプロモーションなどの面で一緒に活動しやすい地域です。
(注)DMO
Destination Management/Marketing Organizationの略称で、観光地域づくり法人のこと。その地域の自然や食、芸能、風習などの観光資源を活かし、地域とともに観光地域づくりを行なう。
自分たちの町をブランド化する、新しいコンセプトを打ち出すところなど、すべての面で一本芯が通っていると思います。
次々といろいろなことを展開しているように見えますが、「写真の町」を言い出したのは35年も前のことです。それ以来、何を言われても「うちはこういう町です」とブレません。小さな施策の積み重ねで認知度が高まったのは、今まさに昔からの取り組みが結実しつつあるからです。
その通りです。物心ついたころから東川町を見ていますが、最初に走りはじめた人たちの跡を継いで、途切れずタスキをつないできたと思います。しかも、それは松岡町長を含む行政の人間に限った話ではなく、信念を貫く力のある人が事業者や住民のなかに何人もいます。
東川町は企画を立てたり、新しいものを生み出すことに比較的時間や能力を割いているような気がします。
敵とは考えていません。人口33万人の旭川市という都市基盤のうえに、農業一本で突き進む町、あるいは林業が強い町といったそれぞれの個性が組み合わさって、45万~50万人がこの圏域で暮らしているのです。自治体の職員は別にして、住民が「ここまでは東川町、ここからは旭川市」と意識することはほぼないと思います。
旭川市は、この圏域における都市基盤の中核を担っています。例えば、医療に関しては道北圏を網羅しています。利尻島や稚内の重症患者はドクターヘリで旭川市に搬送します。古くから国防の拠点に位置づけられ、自衛隊もあります。旭川市は、福祉や消防、ごみ処理、上下水道など「圏域全体の発展」を意識する職員が多いと思います。
今のままでよいと思います。人口も暮らしやすさを維持できるように考えていますし、観光客もオーバーツーリズムにならないよう今の水準を保つことを意識しているようです。
外から来た人と元々住んでいた人との関係性というのはどのような地域でも難しい面があるものですが、東川町の場合は比較的うまく混ざり合っているように見えます。利便性の高い市街地に住む人、自然のなかに住む人、暮らし方はさまざまですが、昔から住んでいる人と移住してきた人との住み分けもあまりないように思います。豊かな自然とある程度の利便性も兼ね備えている。町の構成がよいと思います。
ぜひ真夏の暑い時期、もしくは厳寒期にお越しください。特に2月は空気がきれいです。ダイヤモンドダストが普通に見られますし、「マイナス25℃」を体感することもできますよ。
(2020年12月25日/リモートインタビュー)