機関誌『水の文化』76号
そばと水

そばと水
【浮世絵とそば】

浮世絵から読み解く江戸時代のそば屋

そばの歴史を振り返るとき、江戸時代を外すことはできない。多くの人たちが楽しむ量産型の絵画として生まれた浮世絵版画で、そばはどう描かれているのか。日野原健司さんに、浮世絵版画から見える江戸時代のそばと人びとの関係性について解説していただいた。

歌川広重「東都名所 高輪廿六夜待遊興之図」。「二八そば・うどん」の屋台が描かれている(部分拡大)太田記念美術館蔵

歌川広重「東都名所 高輪廿六夜待遊興之図」。「二八そば・うどん」の屋台が描かれている
太田記念美術館蔵

日野原 健司さん

インタビュー
公益財団法人 太田記念美術館 主席学芸員
日野原 健司(ひのはら けんじ)さん

1974年千葉県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科前期博士課程修了。浮世絵専門の太田記念美術館で数多くの展覧会を企画。浮世絵の歴史を幅広く研究しつつ、妖怪や園芸、旅といったジャンルの研究にも取り組む。『ようこそ浮世絵の世界へ』『ヘンな浮世絵』など著書多数。

「汐干狩り」にも出ていたそばの屋台

「そば切り」という言葉が文献に登場するのは戦国時代です。江戸時代、江戸の町には、うどん・そばを出す専門店ができて、おそらく18世紀初頭までには、庶民が気軽に食べる料理として、屋台のそばも定着していたでしょう。18世紀後半になると、武家や裕福な商家などの上流階級が通う高級なそば屋も現れました。

幕末の江戸には700軒くらいのそば屋があったと言われています。それに加え、店舗が閉まる夜の時刻に営業する「夜鷹(よたか)そば」と呼ばれた屋台も多く出ていたはずです。江戸の庶民から広く愛された食事の一つが、そばでした。

とりわけ屋台は、寺や神社、橋のたもとなどの交通の要衝地、さらには祭りや縁日など、人が集まるところに店を出していました。

屋台の浮世絵としてよく紹介されるのが、歌川広重の「東都名所高輪廿六夜待(にじゅうろくやまち)遊興之図」。真夜中に姿を見せる26日目の月の光は霊験あらたかとされ、大勢の人たちが江戸湾を見晴らす高輪に集まり、飲み食いに興じている様子の絵です。寿司、天ぷら、だんご、水菓子、いか焼き、しるこなどの屋台とともに「二八そば・うどん」の屋台も登場しています。

歌川貞秀の『汐干狩の図』は、早朝に沖まで船に乗り、潮が引いて地面になったところで潮干狩りに興じている人々を描いた作品です。ここにもよく見ると、そばの屋台が描かれています。

とはいえ、実は、一枚摺りの絵として描かれた浮世絵版画を探してみても、そば屋やそばの屋台の様子が、よくわかるように描かれたものは少ないのです。そばに限らず、料理や料理屋がクローズアップして描かれた絵は、ほとんど見当たりません。先の広重の作品のように、画面中の点景として描かれる程度です。

あるいは、珍しくそばの屋台が中心に描かれた三代歌川豊国の「神無月はつ雪のそうか」も、絵の主題としては雪降るなかでそばを食べている夜鷹(街娼)たちの方です。

歌川広重「東都名所 高輪廿六夜待遊興之図」。「二八そば・うどん」の屋台が描かれている<br>
太田記念美術館蔵

歌川広重「東都名所 高輪廿六夜待遊興之図」。「二八そば・うどん」の屋台が描かれている
(部分拡大) 太田記念美術館蔵

江戸の庶民の日常食だった証

そば屋台の内側が描かれている珍しい作品が、歌川国貞の「當穐(できあき)八幡祭」。丼、盆、麺をゆでる鍋、箸を入れたザルなどが狭い場所にコンパクトに収納されています。しかし、これも実は、歌舞伎舞台の一場面を描いたもの。江戸の日常の風景ではありません。

江戸の町から離れると、例えば歌川国芳の「木曽街道六十九次之内 守山 達磨大師」。守山宿(現・滋賀県守山市)のそば屋を描いています。山と積まれたもりそばを平らげる底なしの大食漢は達磨大師。「もりやま」とかけた駄洒落でしょうが、守山宿と達磨大師にどんな関係があるのかはわかりません。木曽街道の宿場町の伝説や物語を組み合わせて描かれた連作なので、何らかのゆかりがあったのかもしれないです。

そばの出前が犬に足を噛まれて盆をひっくり返し、たまたま近くを通りかかった武士が頭からそばをかぶる──という滑稽な場面を描いたのが歌川広景の「江戸名所道化尽 九 湯嶋天神の台」。この絵が描かれた幕末には少なくとも、そばの出前をする人が街なかにいたことを伝えてくれる作品です。

時代が明治に下りますが、四代歌川国政の「志ん板猫のそばや」は、おそらく子ども向けに描かれた「猫の牛鍋屋」「猫の学校」などの連作の一つ。座敷にあぐらをかいて食べ、調理場では麺を打ち、ゆでています。猫のおかげでそば屋の店内がよくわかりますが、絵としての改変もあるでしょう。

多色摺りの豪華な浮世絵版画は、当初は裕福な人たちが買っていたのですが、次第に人気が広がっていきます。それこそ、そば一杯と同じ、二八の十六文程度、今の値段でいえば400~500円で買える庶民の娯楽になりました。

浮世絵は、江戸の暮らしをそのまま切り取っているのではなく、賑やかで華やかな風俗や景色が描かれています。だからこそ、人びとが求めました。そば屋やそばの屋台は、いってみれば、江戸の庶民にとってごく当たり前の日常であり、それだけを描くニーズはなかったのでしょう。浮世絵にそばを主題にしたものが極めて少ないのは、逆説的に、そばがいかに江戸の庶民の暮らしに定着していたかの証といえるかもしれません。

  • 歌川国芳「木曽街道六十九次之内 守山 達磨大師」。もりそばを次々に平らげる達磨大師 太田記念美術館蔵

    歌川国芳「木曽街道六十九次之内 守山 達磨大師」。もりそばを次々に平らげる達磨大師 
    太田記念美術館蔵

  • 歌川広景「江戸名所道化尽 九 湯嶋天神の台」。武士がそばをかぶるユーモラスな浮世絵版画 太田記念美術館蔵

    歌川広景「江戸名所道化尽 九 湯嶋天神の台」。武士がそばをかぶるユーモラスな浮世絵版画 
    太田記念美術館蔵

  • 四代歌川国政「志ん板猫のそばや」。延して角を出す江戸流で猫がそばを打っている(部分拡大) 太田記念美術館蔵

    四代歌川国政「志ん板猫のそばや」。延して角を出す江戸流で猫がそばを打っている
    太田記念美術館蔵

  • 四代歌川国政「志ん板猫のそばや」。延して角を出す江戸流で猫がそばを打っている

    四代歌川国政「志ん板猫のそばや」。延して角を出す江戸流で猫がそばを打っている(部分拡大)
    太田記念美術館蔵

(2024年1月12日取材)

PDF版ダウンロード



この記事のキーワード

    機関誌 『水の文化』 76号,日野原健司,東京都,渋谷区,水と生活,食,水と生活,歴史,そば,江戸,浮世絵

関連する記事はこちら

ページトップへ