機関誌『水の文化』57号
江戸が意気づくイースト・トーキョー

水の文化書誌 48
時を超えて世界最長のナイル川

古賀 邦雄さん

古賀河川図書館長
水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄(こが くにお)

1967年西南学院大学卒業。水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)に入社。30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集。2001年退職し現在、日本河川協会、ふくおかの川と水の会に所属。2008年5月に収集した書籍を所蔵する「古賀河川図書館」を開設。
平成26年公益社団法人日本河川協会の河川功労者表彰を受賞。

ナイル川の船

私は2017年7月13日福岡市博物館にて、国立カイロ博物館所蔵「黄金のファラオと大ピラミッド展」を観賞した。古代エジプトの王たちは、ナイル川を利用し、船で石を運搬し巨大なピラミッドを造り上げた。

古代エジプト人は、太陽とナイル川を中心とする死生観をもっていた。東岸(右岸)は生者の世界、西岸(左岸)は死者の世界と考え、死者は必ず甦ると信じていた。そのことは、太陽は東から昇り、西へ沈む現象から、上エジプトのテーベの町は東側に造られ、そこに住んでいた王や貴族たちの墓、葬祭殿のすべては西側に設けられていることに現れている。また、神殿の天井画には太陽とナイル川に浮かぶ船が描かれている。このことは、日本人の死生観である此岸と彼岸に似かよっている。

アン・ミラード・文『絵で見るナイル川ものがたり』(さ・え・ら書房・2004)は、ナイル川の恵みである魚をとるパピルス船、木造船、アスワンの花崗岩砕石場の巨大な平底船、引き船、王宮使節の船、アメン神の御座船、巡礼者たちの船、奴隷の町・奴隷商人たちの船、ヨーロッパ商人の船を描く。

ディルウィン・ジョーンズ著『船とナイル―古代の旅・運搬・信仰』(學藝書林・1999)によると、古代エジプト人は、二つのタイプの船を開発したとある。一つはパピルス製の小舟で地方の沼地のような場所で漁撈や狩猟のために使われた。もう一つは木製の船で、長い船旅や重い荷物を輸送するために使われた。古代はもとより現代においても、その存在や発展のためにエジプトほど水上輸送に依存した文明はない。ナイル川の船は商業や軍事遠征、宗教儀式が行なわれた大動脈であった。また、船の所有は権威の象徴であり、造船は国王の重要な年中行事の一つであった。現在では、観光用のクルーズ船、日用雑貨を積んだ帆かけ船がナイル川を行き交う。

  • 『絵で見るナイル川ものがたり』

    『絵で見るナイル川ものがたり』

  • 『船とナイル―古代の旅・運搬・信仰』

    『船とナイル―古代の旅・運搬・信仰』

  • 『絵で見るナイル川ものがたり』
  • 『船とナイル―古代の旅・運搬・信仰』


ナイル川の探検

高橋裕編集委員長『全世界の河川事典』(丸善出版・2013)によれば、ナイル川は全長6690km、流域面積334万9000km2、世界最長の川である。その源は地球上で一番小さな国の一つであるブルンジの小さな丘に発する。ここに1937年ドイツ人探検家ブルクハルトは「カブート・ニリ(ナイルの水源)」と刻んだ碑を建立した。ナイル川はブルンジから隣国タンザニア、ルワンダに流れ、東方へ転じヴィクトリア湖に入り、中央ウガンダを横断してアルバート湖に達する。さらに流下し、サッド(障害物という意味)の沼地に入る。スーダンの首都ハルツームでエチオピアのタナ湖を水源とする青ナイル川が合流する。この地点までを白ナイル川と呼んでいる。それからナイル川は右岸アトバラ川を合わせ、1970年に完成したアスワン・ハイ・ダム(ナセル湖)に流入し、さらに6km下流の1902年完成のアスワン・ダムに入り、それから700km下り、エジプトの首都カイロに達し、160kmにわたるデルタ地帯を下ると地中海に注ぐ。

17世紀までナイル川の源流は未知の世界であったが、18世紀はヨーロッパ人が植民地・領土拡大を図るためのナイル源流の探検を争った。1770年イギリス人ジェームズ・ブルースはエチオピアのタナ湖を青ナイルの源流と確認した。

ブルース著『ナイル探検』(岩波書店・1991)に、その源流を発見したことを淡々と述べている。この書は1790年ロンドンで刊行された探検記であるが、一方では18世紀における博物誌、民族誌、政治誌でもある。

アラン・ムアヘッド著『青ナイル』(筑摩書房・1976)には、ブルースが青ナイルの源流の最初の発見者ではない。それは、1618年ペドロ・パエズが青ナイルに達しているという。

同著『白ナイル―ナイル水源の秘密』(筑摩書房・1970)には、バートン、リビングストン、スピーク、グラントの白ナイル源流に挑む姿を捉えている。なお、バートンとスピークなどのナイル川源流を突き止める探検は、ボブ・ラフェルソン監督によって「愛と野望のナイル」(米・1989)で映画化された。

『青ナイル』

『青ナイル』

ナイル川の踏査

野町和嘉著『The NILE―「生命の川・ナイル」6695キロ、最初の一滴から地中海まで』(情報センター出版局・1989)は、白ナイル(スーダン南部のディンカ族牧畜民、ケニアのマサイマラ動物保護区)、青ナイル(エチオピアのティシサット滝、同高原のアムハラ族の葬儀)、ナイル(ナセル湖畔の小学校、エレファンティン島のナイロメーター・水位計)を踏査した写真集である。

表紙の写真は、スーダン北部アトバラ付近の浅瀬を渡って家路につく農夫たちを写す。スーダンのハルツームで合流した二つのナイル川は、この先一滴の降雨もない灼熱の沙漠を一路地中海に向かって北上する。沙漠と水の接点で古代エジプト文明が開化した。序文を寄せたジェフリー・ムアハウスはナイル川の特徴を、これほど変化に富む自然環境、文化、多種多様な民族のあいだを流れる川、そして有史以来、その沿岸に住む人々に、豊潤と災難、生と死にかかわる人間の物質的な生活を決定的に左右してきた川はないという。

同著『ナイル河紀行』(新潮社・1996)は、前の写真集を網羅して、ナイル河の5000年の歴史を追う。まさしくエジプトはナイルの賜物である。

NHK海外取材班編『ナイル』(日本放送出版協会・1968)は、1967年に取材した大ナイルの流域に住む人々の記録である。ひらけゆくその源ウガンダ、高原の夜明けエチオピア、砂漠の民族スーダン、よみがえるエジプト アラブ連合1、緑のデルタ アラブ連合2の章からなる。

  • 『The NILE―「生命の川・ナイル」6695キロ、最初の一滴から地中海まで』

    『The NILE―「生命の川・ナイル」6695キロ、最初の一滴から地中海まで』

  • 『ナイル』

    『ナイル』

  • 『The NILE―「生命の川・ナイル」6695キロ、最初の一滴から地中海まで』
  • 『ナイル』


ナイル川の人々の暮らしと自然

ナイル川の人々の暮らしと自然について、次のような児童書がある。

赤地経夫・文『ナイル川とエジプト』(福音館書店・1988)では、沙漠のなかのピラミッドやスフィンクスを造った古代エジプト人の偉大な文明をまず紹介する。人や家畜の飲む水、作物をつくる水もナイル川から汲み上げた。ナイル川は、毎年決まった季節に氾濫し栄養を含んだ土を上流から運んでくる。女性や子どもたちは素焼きの水瓶とバケツなどでナイル川の水を運ぶのが仕事となっている。水を汲み上げるシャドーフ、ダンブーラ、サキヤの道具を使っている。

E・B・ワージントン著『ナイル川』(帝国書院・1987)では、ナイル川の水を利用するには水量を測らなければならない。この水位を測り記録するのがナイロメーター。1年を4ヵ月の三つの季節に分け、ナイルが増水したとき、洪水のとき、水がひいて水位がもとの高さに戻ったときに分ける。肘から中指の先までの長さを1キュービット(1キュービットは約45cm〜55cm)とし、ナイル川の水位が12キュービットしかないとき、作物は不作、飢饉に見舞われる。14キュービットなら食べ物は十分、16キュービットならすべての人々にふんだんに行きわたることを表した。すでに古代エジプトでは、土地等を測量するための幾何学が確立しているのに驚嘆する。

ジェリア・ウォーターロー著『ナイル川』(偕成社・1995)は、アスワン・ハイ・ダムのことも著している。ナイル川の氾濫を利用した、後述するベイスン灌漑では、年1回の作物栽培であったが、アスワン・ハイ・ダムが1971年に完成し、ダムによってナイル川の水量がコントロールされ、一年中必要に応じ水が畑に配水されるようになる。小麦、米、綿花、トウモロコシ、サトウキビなどの農産物が一年中栽培されるようになった。

  • 『ナイル川とエジプト』

    『ナイル川とエジプト』

  • 『ナイル川』

    『ナイル川』

  • 『ナイル川とエジプト』
  • 『ナイル川』


ベイスン灌漑・ナイル川の文化

エジプトの国土の96%が砂漠であり、4%が農地と居住地となっている。降水量は白ナイル、青ナイルの上流域は年間1400mm以上に達するが、ナイル川の河口アレキサンドリアで250mm、海岸から160km入るカイロで25mm、さらに700km内陸に入るアスワンでは0.7mmにすぎない。ナイル川の上流域の降水によって、ナイル川は毎年6月に増水し、9月にピークに達し、10月に減少する。11月から冬作物の大麦小麦の作付けを行ない、翌年3月〜6月にかけて収穫される。ナイル川の水はスーダンやエジプトにとっては、国家の存亡を左右した。

リバーフロント整備センター編・発行『特集ナイル川(FRONT NO.184)』(2004)では、ベイスン灌漑が記されている。ナイル川の増水が始まって水位があるところまで高まると自然に水門からベイスン(水盤・池の意味)水路に流入し、ベイスンに水が入りはじめる。ベイスンに水が溜まると、水門を閉じてナイル川が減水を始めるまでそのままにし、この間ベイスンの土地は肥沃な土壌に変わり、水がひくと、この土地を耕作する。

灌漑については、鈴木弘明著『エジプト近代灌漑史研究―W・ウィルコックス論』(アジア経済研究所・1986)がある。

おわりに、小堀 巌著『ナイル河の文化』(角川書店・1967)、加藤 博著『ナイル―地域をつむぐ川』(刀水書房・2008)を掲げる。

『ナイル―地域をつむぐ川』

『ナイル―地域をつむぐ川』



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