機関誌『水の文化』62号
再考 防災文化

再考 防災文化
CASE1【再興】

60有余年の時を経て役目果たした「畳」の堤防

手延素麺「揖保乃糸」の産地として知られる揖保川には、全国でも三つの地域にしかない「畳堤」がある。いざというときに畳を差し込み、増水した川の水を防ぐ特殊な堤防だ。住民の「川面が見えないのは嫌だ」という要望によって60年以上前に生まれた畳堤は、昨年の豪雨で活用されたという。畳堤を実際に稼働させた地域の方々に、現場での苦労や事前の備えについて聞いた。

昨夏に畳堤を活用した兵庫県たつの市正條自治会の皆さん。揖保川沿いに設置された畳堤の前で

昨夏に畳堤を活用した兵庫県たつの市正條自治会の皆さん。揖保川沿いに設置された畳堤の前で

地域の安全と川の景観を両立

兵庫県西部を流れる一級河川揖保川(いぼがわ)には、全国でも珍しい「畳堤(たたみてい)」という特殊堤防がある。橋の欄干のような柵が川沿いに連なり、いざというときには、この枠に畳をはめ込むことで堤防の役目を果たす。畳がどこの家庭にもあった昭和の時代に生まれたこのアナログな堤防が、2018年(平成30)7月の西日本豪雨(平成30年7月豪雨)の際、実際に活用されたと聞いた。

揖保川を管理する国土交通省 姫路河川国道事務所調査課の前羽(まえば)利治さんは、畳堤ができた背景について、「昭和20年代初頭に水害が続き、堤防をつくることになったとき、地域の方々から『親しみある川の眺めを残したい』との強い要望があったそうです」と説明する。

揖保川は川から住宅までの距離が短く土を盛ることができないため、通常ならコンクリート壁を高く立ち上げた特殊堤防を設置するが、そうすると視界が塞がれて川も見えなくなってしまう。そこで長良川(岐阜)や五ヶ瀬川(宮崎)で採用されていた畳堤を参考に、昭和32年ごろ、揖保川沿いの3カ所に畳堤が整備された。

「堤防は災害時だけでなく、日常的にずっと存在するものです。その意味で畳堤は、『川のある風景』を損なわないという優れた機能を有した堤防だと思います。ただし、地域住民の水防への協力が不可欠です」と前羽さんは語る。

畳堤の話を聞きに、たつの市役所へも足を運んだ。総務部 危機管理課の奥林光章さんはこう言う。

「揖保川の畳堤は行政主導ではありません。住民の皆さんの自主的な取り組みで成り立っています。特に昨年の豪雨で畳堤を活用した正條(しょうじょう)地区は自治会役員の方々の意識が高く、そのリーダーシップのもと毎年自主的に畳堤の訓練をするなど、水防活動に積極的なのです」。

  • 通常の堤防と畳堤の違い

    ※赤色の破線は洪水の危険ラインであるハイウオーターレベル(計画高水位)を示す
    ※畳堤は、万一の場合は住民の手で畳を持ち寄り、堤として機能させる
    (国土交通省「揖保川の特殊堤防 畳提」を参考に編集部作成)

  • たつの市の中心部にある左岸の畳堤。欄干のようになっているので、川の景色と調和している

    たつの市の中心部にある左岸の畳堤。欄干のようになっているので、川の景色と調和している

  • 畳堤について説明する国土交通省姫路河川国道事務所の豊田陽介さん(左)、前羽利治さん(中)、川守田 智さん(右)

    畳堤について説明する国土交通省姫路河川国道事務所の豊田陽介さん(左)、前羽利治さん(中)、川守田 智さん(右)

  • 畳堤は、たつの市中心部、やや下流の正條地区、そして河口そばの御津町の3カ所に設置されている (国土交通省「揖保川の特殊堤防 畳提」を参考に編集部作成)

    畳堤は、たつの市中心部、やや下流の正條地区、そして河口そばの御津町の3カ所に設置されている
    (国土交通省「揖保川の特殊堤防 畳提」を参考に編集部作成)

テレビ番組のロケが畳堤を見直すきっかけに

正條自治会を代表して5人の役員さんに集まっていただいた。公民館の一室は自治会の災害対策本部になっており、畳堤の訓練や昨年の豪雨時の写真、いざというときの緊急連絡網や畳堤設置図面などが所狭しと掲示してある。

「正條は旧山陽道の宿場町として栄えました。今も国道やJR、新幹線などが密集する交通の要です。一方、揖保川がちょうどここでカーブしているため、地形的に水害が起きやすい場所でもある。その危険性をわかっているから、自分たちのまちを自分たちで守ろうという意識が強いのです」と自治会長の圓尾(まるお)和也さん。

だが、意外なことに畳堤の訓練は昔から続いてきたわけではなかった。ほんの10年ほど前に始まったのだ。畳堤復活の立役者で、自治会の副会長を務める澤村良親さんがその経緯を話してくれた。

「2009年(平成21)10月に、NHKの旅番組で正條の畳堤が取り上げられることになり、当時役員だった私も撮影に参加しました。それまで畳堤には関心がなかったのですが、自分の手で実際に畳を入れてみて、先人の知恵とその機能性に感心しましてね。『これは住民みんなに知ってもらい、活用しなければもったいない』。そう考えて皆に声がけし、翌年から毎年、訓練するようになったのです」

最初の年は自治会の役員30名全員で畳堤の使い方を学び、次の年は川沿いの住民も訓練に参加してもらう。それ以降、役員が入れ替わる年には役員が、その翌年には別のエリアの住民が水防訓練に参加するしくみにすることで、地域全体に畳堤の存在を広めてきた。

また、訓練のたびに作業内容を見直し、より効率がよくなるよう改善も続けている。理事の炭本正一さんは、「例えば堤防の開口部は堰板(せきいた)で塞ぐのですが、板の大きさが場所によって微妙に異なり間違えやすい。そこで色分けして番号を振り、どこの開口部の板かをすぐわかるように工夫しました。昨年はちょうど夜間作業を想定してサーチライトを購入した直後に豪雨災害が起きたので、早速役に立ちました」と話す。

  • 正條自治会の自主的な水防訓練。公民館に集合し、実際に畳を差し込み、堤防の開口部も塞ぐ実践的なもの(提供:正條自治会/2018年7月1日撮影)

    正條自治会の自主的な水防訓練。公民館に集合し、実際に畳を差し込み、堤防の開口部も塞ぐ実践的なもの(提供:正條自治会/2018年7月1日撮影)

  • 正條自治会の自主的な水防訓練。公民館に集合し、実際に畳を差し込み、堤防の開口部も塞ぐ実践的なもの(提供:正條自治会/2018年7月1日撮影)

    正條自治会の自主的な水防訓練。公民館に集合し、実際に畳を差し込み、堤防の開口部も塞ぐ実践的なもの(提供:正條自治会/2018年7月1日撮影)

  • 正條自治会の自主的な水防訓練。公民館に集合し、実際に畳を差し込み、堤防の開口部も塞ぐ実践的なもの(提供:正條自治会/2018年7月1日撮影)

    正條自治会の自主的な水防訓練。公民館に集合し、実際に畳を差し込み、堤防の開口部も塞ぐ実践的なもの(提供:正條自治会/2018年7月1日撮影)

  • 正條自治会の災害対策本部で話をする圓尾和也会長

    正條自治会の災害対策本部で話をする圓尾和也会長

  • 揖保川のほとりで畳堤に関する経緯を説明する澤村良親さん

    揖保川のほとりで畳堤に関する経緯を説明する澤村良親さん

  • 正條自治会で役員を務める炭本正一さん(左)、瀬尾義信さん(中)、古寺敏秀さん(右)

    正條自治会で役員を務める炭本正一さん(左)、瀬尾義信さん(中)、古寺敏秀さん(右)

深夜に決断!「畳を入れるしかない」

正條自治会の水防活動は畳堤だけではない。揖保川右岸に流れ込む支川・馬路川(うまじがわ)の内水被害を防ぐ「馬路川排水機場」(以下、ポンプ場)の管理を、市役所を通じて国土交通省から委託されている。ポンプ場の操作責任者を務める瀬尾義信さんは、「警報が鳴るたびにポンプ場へ駆けつける日々です」と言う。

昨年の7月7日。この日も、圓尾さんと瀬尾さんはポンプ場に詰めて、水位が上がる川の様子を見守っていた。激しい雨は夜になっても一向に収まらず、いつになく水位が上がるのが速い。午後8時半、自治会役員に招集をかけ、まず堤防の開口部を堰板で塞ぎ、土嚢を積む作業を進める。そして午後11時過ぎ、いよいよ氾濫の危険が高まり、「畳を入れるしかない」と圓尾さんが決断を下した。

「畳を入れると決まってからはもう無我夢中でした」と振り返るのは副会長の古寺(こてら)敏秀さん。「軽トラック数台で少し離れた市の防災倉庫から畳を運んできて、30人の役員が手分けし、ずぶ濡れになって堤防に1枚ずつ差し込んでいきました。深夜でしたが、川の様子を見に来た近所の人たち十数人も自然と手伝ってくれました」。

訓練の時は畳をすべて入れるわけではない。しかし実際には全長200mほどの堤防に畳を約100枚はめ込まなければいけない。いざ入れようとしてサイズの合わない畳が混ざっていることに初めて気づくなど混乱もあったが、なんとか2時間ほどですべての畳を設置し終えた。そして満潮を迎える午前2時前に、川の水位の上昇がようやく止まった。水は畳を濡らす寸前まで到達していたという。正條地区は浸水を免れたのだった。

水が引いた翌日以降の片づけも大変だった。濁流で押し流されてきた流木や土砂、ゴミが堆積し完全に道路が塞がれていたのだ。

「さすがに私たちだけではどうすることもできず、自治会放送でボランティアを呼びかけました」と澤村さん。するとあっという間に70人近く集まった。重機を出してくれる人もいて、その日のうちに、国道との行き来に必要な道路を開放することができた。

「ちょっと声をかければ、誰もが地域のために自分ができることを進んでやってくれる。水防訓練を続けた結果、地域全体がそういう雰囲気になってきたのが一番の自慢です」と澤村さんは胸を張る。

  • 西日本豪雨の翌朝。揖保川の水が畳を濡らす寸前まで押し寄せた。1週間ほど前に行なった自主水防訓練が実際に活かされた(提供:正條自治会/2018年7月8日撮影)

    西日本豪雨の翌朝。揖保川の水が畳を濡らす寸前まで押し寄せた。1週間ほど前に行なった自主水防訓練が実際に活かされた(提供:正條自治会/2018年7月8日撮影)

  • 西日本豪雨の翌朝。揖保川の水が畳を濡らす寸前まで押し寄せた。1週間ほど前に行なった自主水防訓練が実際に活かされた(提供:正條自治会/2018年7月8日撮影)

    西日本豪雨の翌朝。揖保川の水が畳を濡らす寸前まで押し寄せた。1週間ほど前に行なった自主水防訓練が実際に活かされた(提供:正條自治会/2018年7月8日撮影)

  • 西日本豪雨の翌朝。揖保川の水が畳を濡らす寸前まで押し寄せた。1週間ほど前に行なった自主水防訓練が実際に活かされた(提供:正條自治会/2018年7月8日撮影)

    西日本豪雨の翌朝。揖保川の水が畳を濡らす寸前まで押し寄せた。1週間ほど前に行なった自主水防訓練が実際に活かされた(提供:正條自治会/2018年7月8日撮影)

  • 水分を含んで膨らんだ畳はすぐに抜けないので干してから片づける。畳がずらりと並ぶ珍しい光景に撮影者が絶えなかったという(提供:正條自治会/2018年7月17日撮影)

    水分を含んで膨らんだ畳はすぐに抜けないので干してから片づける。畳がずらりと並ぶ珍しい光景に撮影者が絶えなかったという(提供:正條自治会/2018年7月17日撮影)

  • 西日本豪雨のあと、自治会の働きかけで正條地区内に設置された「畳堤倉庫」。畳およそ70枚を収納。入りきらない分はたつの市の防災倉庫で保管

    西日本豪雨のあと、自治会の働きかけで正條地区内に設置された「畳堤倉庫」。畳およそ70枚を収納。入りきらない分はたつの市の防災倉庫で保管

自分たちのまちは自らの手で守る

今回の正條自治会の水防活動に対して、国土交通省から表彰状が授与された。また、畳堤に強い関心をもった他県からの視察も相次いだそうだ。

約10年かけて住民の間に浸透してきた畳堤だが、今後はこれをどう維持していくかが課題となる。活動の担い手の高齢化は避けられないが、重い畳は一人で運べないためネックとなる。現在、国土交通省の助言も得ながら畳に代わる軽量素材(ポリカーボネート製)の検討も進めているという。国道のそばで駅にも近い正條地区はここ数年、新築ラッシュが続いており、若い世代の流入が増えている。

「なにより大事なのは、やはり人と人のつながりです。若い人たちを地域で復活させた『とんど祭』や春・夏・秋のイベントで巻き込みつつ、これからも自主訓練を続け、畳堤を通じて『自分たちのまちは自分たちで守る』という自治意識を次の世代に受け継いでいくことが、私たちの役目だと思っています」と圓尾さん。畳堤ができたころ、正條地区は180世帯。今は600世帯を超えている。水害の危険がある地域であること、そして備えがなによりも大事であることは、畳堤というシンボリックな存在とパワフルな自治会を通じて伝えつづけられるに違いない。

(2019年5月21〜22日取材)

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