機関誌『水の文化』64号
氷河が教えてくれること

水の文化書誌54
アフガニスタンの大地に命の水を
──中村哲の河川哲学を学ぶ

古賀 邦雄

古賀河川図書館長
水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄(こが くにお)

1967年西南学院大学卒業。水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)に入社。30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集。2001年退職し現在、日本河川協会、ふくおかの川と水の会に所属。2008年5月に収集した書籍を所蔵する「古賀河川図書館」を開設。
平成26年公益社団法人日本河川協会の河川功労者表彰を受賞。

〈アフガンの大地に水と人の「道」創りし仕事中村氏逝く〉(篠原俊則)

2019年12月4日。戦乱の続くアフガニスタンにて、医療のかたわら人を救うには水の確保が必要だとの考えで井戸を掘り、カレーズ(地下水路)を復元し、灌漑用水施設を拓いていた中村哲さんが逝去した。ご冥福をお祈りするとともに、アフガニスタンの大地に命の水を拓いた彼の功績を辿ってみたい。

山田堰と古賀百工

筑後川中流域における福岡県朝倉市山田に位置する山田堰、筑後川の水をその堰から取水する堀川は、1790年(寛政2)下大庭村(現・朝倉市)の庄屋・古賀百工(こがひゃっこう)によって改築され、現在も農業用水が送られ、一部の水は堀川に設置された、三連水車・二連水車によって揚水される。

鶴田多多穂著『改訂 山田井堰堀川三百年史』(山田堰土地改良区・1981年)に、堰の特徴として次のように記している。「石積の斜め堰で、洪水の洗掘を回避し、取水の安定を図るため、取水口の間口を広く取り、河道全体を斜めに堰上げて、水位変動を抑え、土砂の流入を防いでいる。さらに対岸に遊水地を広くとり、自然の地形を巧みに組み合わせた構造となっている」。

アフガニスタンにおいて、灌漑用水施設を築造する中村哲は、山田堰の農業用水の水利システムを応用する。山田堰に佇むと、その河川空間が何ともいえない不思議な世界に満たされてくる。この水利システムは古賀百工の30年にわたる筑後川の流れの観察によるものといわれている。

鶴田多多穂著『改訂 山田井堰堀川三百年史』

鶴田多多穂著『改訂 山田井堰堀川三百年史』

アフガニスタンの地勢

アフガニスタンの状況については、東京大学西南ヒンドゥークシュ調査隊編『アフガニスタンの水と社会─1967』(東京大学出版会・1969年)により、次のように追ってみた。

アフガニスタンはユーラシア大陸のほぼ中央にあり、カシワの葉のような形をしている。中央部は高原状で地中海ヒマラヤ造山帯の一部をなし、インド地塊とユーラシア内陸低地を分断している。山の多い地勢であるが、北部や南西部に平野が広がる。もっとも高い地点は標高7492mのノシャック山で、国土の大半は乾燥しており、真水が供給できるところは限られている。気候は大陸性で夏は暑く、冬は寒く、乾燥地帯である。乾燥地帯とは蒸発量が降水量を上回る地域を指す。

アフガニスタンの沙漠は年間降水量がわずか100mm足らず。しかも年間蒸発量は2000mm~3000mmにも及ぶ。主要産業は農業である。農業が基幹産業であるにもかかわらず耕作されている地域は全土の12%に過ぎない。不耕地が圧倒的に多い。灌漑は、天水灌漑、河川(湧水)からの導水、それにカレーズによる灌漑を行なっているが、水不足はなかなか解消されない。

『アフガニスタンの水と社会─1967』

東京大学西南ヒンドゥークシュ調査隊編『アフガニスタンの水と社会─1967』

医者 井戸を掘る

中村哲は、ハンセン病などの医療活動を継続しながら、何度もアフガニスタンの大干ばつに遭遇する。大地は干し上がり、感染症が蔓延する体験から、診療所で水の大切さを痛感する。「とにかく生きておれ、病気はあとで治す」の心意気で、まずアフガニスタンの700人を指揮して1000基の井戸を掘り、大干ばつにあえぐ人々を助けた。中村哲著『医者 井戸を掘る─アフガン旱魃との闘い─』(石風社・2001年)がある。

医療活動について、中村哲著『ダラエ・ヌールへの道─アフガン難民とともに─』(石風社・1993年)、同著『医は国境を越えて』(石風社・1999年)、澤地久枝との対談『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る─アフガンとの約束─』(岩波書店・2010年)などがある。

飢えと渇きは薬では治せない。清潔な飲料水と十分な農業生産があれば、病の多くは救えるという強い信念のもとに、灌漑用水路づくりに挑む。

  • >『医者 井戸を掘る─アフガン旱魃との闘い─』

    中村哲著『医者 井戸を掘る─アフガン旱魃との闘い─』

  • 『医は国境を越えて』

    中村哲著『医は国境を越えて』

マルワリード用水路の建設

中村哲著『医者、用水路を拓く─アフガンの大地から世界の虚構に挑む─』(石風社・2007年)は、アフガニスタン・クナール河に斜め堰をつくり、全長13km(その後延長された)にわたるマルワリード用水路の建設を記す。この用水路は取水量4.5m3/s~5.5m3/s、灌漑面積約9700ha、分水路延長7.2km、付帯施設(橋、水道橋、遊水地)を設置、水路の土砂防止が施されている。また、環境にも十分に考慮され水路沿いに柳など12.5万本が植樹された。

クナール河は、ヒンドゥークシュ山脈の雪解け水が一気に押し寄せてくる荒い川であるが、干天(かんてん)が続くと優しい川に変化する。低予算のため近代的な土木機器を欠くなかで、人力に頼り、多くの蛇籠(じゃかご)によっている。悪戦苦闘の4年の歳月を経て完成した。今では沙漠地帯に緑が広がっている。用水路管理には苦労が絶えない。このマルワリード用水路斜め堰の施工に、筑後川における江戸期につくられた山田堰を参考にしたという。福岡県大牟田市に住所のある中村哲は、用水路施工中に帰国した際、白川、緑川を歩き、加藤清正の水制御システムである石刎(いしはね)、鼻ぐり井手工法を学んでいる。

『医者、用水路を拓く─アフガンの大地から世界の虚構に挑む─』

中村哲著『医者、用水路を拓く─アフガンの大地から世界の虚構に挑む─』

天、共に在り

中村哲は、アフガニスタンの大干ばつに伴い、井戸を掘り、農業用水路をつくり、アフガニスタンの人びととともに命の水を送りつづける。その苦闘の過程を綴った中村哲著『天、共に在り─アフガニスタン三十年の闘い─』(NHK出版・2013年)がある。

1986年~2001年命の水を求めて(内戦下の診療所開設、大旱魃と空爆のはざまで)、2002年~2008年緑の大地をつくる(農村の復活を目指して、真珠の水─用水路の建設─、基地病院撤収と邦人引き揚げ、ガンベリ沙漠を目指せ)、2009年~沙漠に訪れた奇跡(大地の恵み─用水路の開通─、天、一切を流す─大洪水の教訓─)の構成となっている。

熱砂のガンベリ沙漠は人を寄せつけない。その地に2009年8月3日、この荒野で働く400名のアフガン人が最後の力を振り絞って、マルワリード用水路全長約24kmを突貫工事で開通させ、水が流れ出した。その瞬間足かけ7年にわたる汗の結晶が実を結び、3000haの農地が回復した。「神は偉大なり!」。期せずして歓声と拍手が起こり、現場は興奮の渦になった。

なお、この書は、『NHK知るを楽しむ─この人この世界』において2006年6~7月に放送された内容をまとめた「アフガニスタン・命の水を求めて」(NHK出版・2006年)に加筆したもの。さらに、中村哲著『アフガニスタンで考える─国際貢献と憲法九条』(岩波書店・2006年)がある。

『天、共に在り─アフガニスタン三十年の闘い─』

中村哲著『天、共に在り─アフガニスタン三十年の闘い─』

緑の大地計画

中村哲著『アフガン・緑の大地計画─伝統に学ぶ灌漑工法と甦る農業─』(石風社・2017年)には、日本における治水・利水の河川伝統工法が多く用いられていることが記されている。

日本とアフガニスタンの河川と灌漑の類似性について、(1)急流河川が多く、夏冬の水位差が著しいこと、(2)山間部の山麓や小さな平野に田畑があり、狭い土地での集約的な農業がなされていることと指摘する。したがって取水と灌漑方法にある種の類似性があり、近代工法が不可能なアフガンの農村では維持・補修が自ら行なうことが可能な単純な工法により、日本の古い水利施設が役立ったという。

資材として、蛇籠工、護岸や石出し水制、柳枝工(りゅうしこう)、剣山・粗朶柵工(そださくこう)を施し、河川環境に配慮している。治水対策として、(1)取水堰の近傍に溢水(いっすい)防止を目的として連続堤防を配置し、堰上流で河道分割、(2)取水堰上下流の急流部に浸食防止を目的として連続堤防と高水敷保護の越流型水制を配置、(3)ひんぱんに村落を脅かす洪水流侵入地点に植生工を施した連続堤防を配置し、河道のショートカットで流方向を変更した。

取水堰(頭首工)は、クナール河土砂流入を防ぐ特徴をもっている。(1)斜め堰、(2)二重堰板式取水門、(3)急傾斜の主幹水路、(4)沈砂池(送水門、排水門)で構成されている。さらに、堰の特徴として、(1)堰の越流幅をできるだけ長くとって通過する越流水深を抑え、堰体の単位面積にかかる負荷を減じ、かつ水位変動を最小に抑えている、(2)河道全面積上げで河床低下を防いでいる、(3)堰の平面形状を上流側に向けて半楕円形を描くようにとり、越流する流れを河道の中心に集め、対岸への影響を防いでいる、(4)大洪水に対しては通過水量が限界を越えないよう、近傍で河道を分割したり、砂州全体を堰の一部に組み込んだりする工夫がなされている。

『アフガン・緑の大地計画─伝統に学ぶ灌漑工法と甦る農業─』

中村哲著『アフガン・緑の大地計画─伝統に学ぶ灌漑工法と甦る農業─』

治水神・禹王の影響

以上見てきたように、中村哲の河川づくりは、アフガンの人びとを心から愛し、河川法に基づく治水・利水・環境の三つの目的すべてを取り入れて現場主義を貫く、バランスのよい施工法である。行基や空海などの池づくりの土木事業は利他的な行為であって、その根底には宗教的救済精神が貫かれているが、クリスチャンで医者である中村哲の精神にも通じるものがある。これらの精神を含めて、誰から河川哲学を学んだのであろうか。

ペシャワール会報(NO.140)に、「治水」と「洪水制御」東洋における水というテーマで「禹(う)」を取り上げている。禹は五帝時代の聖王・舜に仕え、困難な黄河の治水・灌漑工事を行なって尊厳を集め、禅譲によって皇帝となり、後に夏王朝を開いた。禹は徹底した現場人間で、直接工事を指導していたといわれる。中村哲の河川哲学は、禹王、古賀百工の精神を貫き、時代的、地域的空間を超え、今アフガンの大地に花開いた。

最後に、禹王に関する書として、大脇良夫・植村善博編著『治水神 禹王をたずねる旅』(人文書院・2013年)、王敏著『禹王と日本人─「治水神」がつなぐ東アジア─』(NHK出版・2014年)、植村善博+治水神・禹王研究会著『禹王と治水の地域史』(古今書院・2019年)を挙げる。

〈アフガンの大地に水を引いた日の中村医師の輝く笑顔〉(瀧上裕幸)

植村善博+治水神・禹王研究会著『禹王と治水の地域史』

植村善博+治水神・禹王研究会著『禹王と治水の地域史』

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