機関誌『水の文化』19号
合意の水位

都市化する土地改良区の合意形成
<新潟県>亀田郷のワークショップ

地域の水を管理する組織の一つに、農業用排水の管理を行なう土地改良区という組織があります。その数全国で約6500。その中でも、約400年にわたり信濃川・阿賀野川の氾濫と闘い、苦しい排水の歴史を持っているのが新潟県・亀田郷土地改良区です。 水と闘わねばならないこの土地で、都市化による農民と都市住民の混住化が進んでいます。そのような中、亀田郷土地改良区では排水路整備の計画づくりにワークショップの手法を用いました。その目的は、どこにあるのでしょうか。

編集部

ワークショップとは

まちづくり活動などの現場では、地域のことを自由に話し合ったり、意見を出し合い、計画などをまとめるときに、「ワークショップ」という言葉をよく使う。話し合いで決めるプロセスを「議論」などと言わずに、わざわざ「ワークショップ」と言う場合には、この言葉を使う側にも意図があるようだ。

声の大きい人が鶴の一声でものごとを決めてしまうことを防いだり、できるだけ参加者の発言を平等に取り入れたり、ざっくばらんに話を交わしている間に生まれる気づきを提案に取り入れたり…と、ものごとを決めるにあたって自由な場をつくりたいのだろう。

一方、この方法は責任の所在をぼかすにも便利で、場で出た発言をうまく組み合わせて結論を出す儀式と化す場合もある。まことに融通無碍(ゆうずうむげ)な方法であるだけに、用い方には慎重さが求められる。

このワークショップという合意形成手法を、排水路の整備にうまく持ち込んだのが、新潟県の亀田郷(かめだごう)土地改良区である。

  • 亀田郷土地改良区の高橋誠さん

    亀田郷土地改良区の高橋誠さん

  • 亀田郷土地改良区の高橋誠さん

かつて新潟は田が浮いていた沼だった

亀田郷土地改良区は新潟市内、それも新潟駅のすぐ南側に位置する。

新潟市の人口は51万人。新潟駅から山側方向を望むと、マンションや商業施設が並ぶ、全国どこにでもあるような地方都市の駅前風景がある。車で走ると新興住宅地が並び、やがて田んぼがポツポツと混じり始める。

この新潟駅前を含む1万1154haが、亀田郷土地改良区のエリアだ。ここが昔は洪水常襲地帯の沼地で、1957年(昭和32)にようやく乾田化された土地であることを知る人は、今となっては多くない。

阿賀野川と信濃川、そしてその両河川に囲まれた輪中地帯が、亀田郷土地改良区のエリアなのだ。

「ほとんど沼のような土地で、芦沼と呼ばれていました。ただ、砂丘台地が何カ所か山のように盛り上がっていて、江戸時代の農民はその上に住んでいたようですね」と話すのは、亀田郷土地改良区の高橋誠さんだ。現在の地図を見ても、そのことがはっきりと判読できて、昔からの知恵を偲ばせる。

ここが新田として開発され始めたのは17世紀前半だ。新田開発者には3年間年貢が免除されたため、50ほどの新田が生まれた。しかし、その新田は、現代の私たちが想像するような田んぼではなかった。芦の上に土を載せただけの「浮田」や、「江丸(えまる)」(ちなみに排水路を江と呼んでいた)という簡単な堤防で守られた田を、腰から胸あたりまで泥につかり稲作を行なっていた。少しずつ土地が増えたとはいえ、これと似た状態が昭和初期まで続いていたのだ。

また、ここは阿賀野川、信濃川が合流する場所であるところから、何回もの洪水に見舞われた。今でも語り継がれているのが、1913年(大正2)8月の大洪水で、田畑6000haが水に浸かる水害となり、「木津切れ」と呼ばれた。さらに4年後の1917年(大正6)10月の「曽川切れ」でも被害は甚大であった。

これらの水害を機に、1914年(大正3)結成されたのが「亀田郷水害予防組合」だ。横越、大江山、亀田、早通、石山、鳥屋野、沼垂、大形、曽野木、両川の10の町や村が連合してできたもので、以来この一帯を亀田郷と呼ぶようになったのである。

その後1948年(昭和23)に栗ノ木排水機場ができ、1951年(昭和26)亀田郷土地改良区が設立された。

写真はいずれも 亀田郷土地改良区編写真集『亀田郷』−水と土と農民−2000より 一番上の右の写真は、1913年(大正2)の「木津切れ」大洪水。戦後までは田植えも収穫もすべて水の中。舟堀が巡り、刈り取られた稲は水路沿いに立つ高い枝にハサかけする。土地改良は個人から共同へ、そして土地改良区へ。

一番上の右の写真は、1913年(大正2)の「木津切れ」大洪水。戦後までは田植えも収穫もすべて水の中。舟堀が巡り、刈り取られた稲は水路沿いに立つ高い枝にハサかけする。土地改良は個人から共同へ、そして土地改良区へ。
写真:いずれも亀田郷土地改良区編写真集『亀田郷』-水と土と農民-2000より

土地改良区を取り巻く時代の変化

そもそも土地改良区とは、どのようなことをする組織なのだろう。

土地改良区と農業協同組合は、農業生産者にとっての二大組織だ。農協は、農産物の協同販売や、営農に必要な物資を協同購入するための組織で、こちらはよく知られている。しかし土地改良区というと、都市部に住んでいる人間にはなかなか馴染みがないのではないだろうか。

土地改良区の仕事は、圃場整備など土地改良事業の実施と、水路やポンプ等施設の維持管理、用排水の運営である。こうした仕事は、戦前までは地主主体の組合で行なわれていた。しかし、農地改革により農地は自作農のものとなり、1949年(昭和24)の土地改良法により、自作農による土地改良区が用排水管理を行なうようになったのである。したがって、土地改良区の組合員は、自作農民であり、事業費、管理費も基本的には組合員による負担で、それまでの「普通水利組合」「耕地整理組合」が小作農を伴った地主主体であったのとは大きく異なる。

ただ、その後も多くの土地改良区では、実質的には集落単位の運営が行なわれ、組合員による役員や総代の選挙も、利害代表者同士が激しく闘う場面もあった。さらに、水利を調整するという性質上、地域慣行から外れないように、事情を知る古老が運営の中心となる。そうした背景があって、いつの間にか閉鎖的で上意下達の組織になっていた所も、かつてはあったという。

こうした土地改良区も、管轄地域の住民のほとんどが農民であれば、問題ないかもしれない。しかし、昭和30年代(1955〜)から全国で都市化が進み、多くの農家が離農したり、農地が住宅や工場に転用され、土地改良区のエリアに農業とは関係のない都市住民が居住するようになる所が増えてきた。亀田郷も例外ではなかった。

亀田郷土地改良区は、かつては新潟駅の南側に広がった広大な農地だった。地図を見るとわかるが、その内の北半分は、現在ではほとんど都市化して、中にちょぼちょぼと農地が残っている程度。一方南半分は、耕地整理が行き届いた田んぼが、まだ広がっている。

しかし都市化した地域にも農地は点在しているため、かつて整備した用排水路はそのような地域にも残っている。これらの用排水路は、引き続き整備する必要がある。

さらに、亀田郷は常に排水し続けることで、浸水を免れている土地だ。亀田郷の中で一番低い鳥屋野潟には、周囲の排水が流れ込み、そこから信濃川や阿賀野川に排水されるようになっている。この水循環のシステムは亀田郷全体で管理しなくてはならないもので、農村部でも都市部でも関係ないのである。亀田郷内の住民約25万人の内、組合員は約4900名。住民の約2%が組合員として、亀田郷用排水に直接責任を負っている形だ。しかし実際は 排水し続けなければ住んでいられない土地でありながら、事情を知らない人々が一緒に住むようになったため、亀田郷全体の用排水の管理は岐路に立たされている。

「土地改良区には主要な排水機場が4機、幹線の用水路が58本、排水路が53本あります。整備、維持管理費は、もちろん組合員の農家の人が相応の負担をしていますが、行政からも補助を受けています。しかし、亀田郷内の多くの都市住民は、税金を通じて事業に参加しているという実感は乏しく、ここの排水主体が亀田郷土地改良区だということを知らない人も多いでしょう」

と、高橋さんは言う。

このような合意形成の当事者の変化に対応しようとした一つの試みが、ワークショップで用排水事業の計画をつくるという取り組みだったのである。

  • 地図で見ると、新潟が信濃川と阿賀野川の河口にできた町であることを実感する。色の濃い所が市街地。線で囲われた部分がすべて亀田郷土地改良区で、新潟駅のすぐそばまで含まれている。

    地図で見ると、新潟が信濃川と阿賀野川の河口にできた町であることを実感する。色の濃い所が市街地。線で囲われた部分がすべて亀田郷土地改良区で、新潟駅のすぐそばまで含まれている。

  • 駐車場の重機には、キャタピラが。こんな何気ない風景の中にも、亀田郷の土地柄が表れている。

    駐車場の重機には、キャタピラが。こんな何気ない風景の中にも、亀田郷の土地柄が表れている。

  • 横断図面(日本海〜信濃川〜鳥屋野潟〜阿賀野川)

    横断図面(日本海〜信濃川〜鳥屋野潟〜阿賀野川)

  • 亀田郷の西側、信濃川に排水する親松排水機場

    亀田郷の西側、信濃川に排水する親松排水機場

  • 地図にない湖

    地図にない湖

  • 地図で見ると、新潟が信濃川と阿賀野川の河口にできた町であることを実感する。色の濃い所が市街地。線で囲われた部分がすべて亀田郷土地改良区で、新潟駅のすぐそばまで含まれている。
  • 駐車場の重機には、キャタピラが。こんな何気ない風景の中にも、亀田郷の土地柄が表れている。
  • 横断図面(日本海〜信濃川〜鳥屋野潟〜阿賀野川)
  • 亀田郷の西側、信濃川に排水する親松排水機場
  • 地図にない湖

水害が土地改良区と地域自治会の協力を後押し

「用排水路の整備事業の合意形成に、ワークショップを用い始めたのは2000年(平成12)からです。ただ、この発想の種になったのは、もとをたどると、1975年(昭和50)ごろの都市化に遡ります。当時、亀田郷の急激な都市化により、農家と都市住民が混住するようになり、地域の合意形成もなかなかうまくいかなくなってきました。これを何とかしようと、地域づくり協議会を立ち上げたのです。ただ、活動は一時休止になっていました。当時は、地域づくりといっても何をすればいいのかが漠然としていたという理由もあるのでしょう。ただ、農業従事者も住民とパートナーシップを結ばなくては、うまくやっていけないという気持ちが芽生え始めたことは確かですね」

それから20年後の1996年(平成8)。土地改良区は、都市住民との協力を迫られるようになった。

「そのころは、これまでのハードを中心とした農業基盤整備が一息つくと同時に、次は環境に配慮した施設維持をしなくてはならない時期でした。特に、都市住民の地域の環境再生・まちづくりへの思いが高まりました」

魚が棲める水路の復活、親水的な景観への要望は、日増しに高まった。ただ、それを実践しなくてはならないことはわかっていたが、具体的に地域の人とどのように協力していけばよいのかがわからなかった。というのも、これまで改良区の運営や事業は、基本的には改良区組合員の合意により行なわれるため、地域住民を主体とする自治会とは、それほど積極的な関係を必要としてこなかったからだ。

そこで、まずは手をつなぐことから始めねばならないと、1998年(平成10)、9地区の自治連合会と、土地改良区の役員が集まり、「亀田郷環境整備連絡会」という団体を設立する。この連絡会には、各地区の住民代表2名と改良区代表2名ずつの計36名が加わった。

設立の2カ月後、1998年(平成10)8月4日に、新潟市を集中豪雨が襲った。床上浸水1358戸、床下浸水7544戸の大被害で、鳥屋野潟の水位は一時、通常の管理水位より2.1m高いマイナス34cmまで上がり、周辺部が湛水した。

「このときの水害で、住民の側からも、排水対策を自分たちの問題として考えていかなければいけない、という気運が盛り上がりました。やっと、意見を出し合う場ができたわけです」

いざ意見交換が始まると、それまで改良区の耳に届かなかった声が実に多いことに驚いたそうだ。

「住民、農民という異なる立場の人たちから共通で出てきたのが、水質が悪いというものです。臭いから蓋をつけろという案も出ましたね。この話し合いで、水質改善を目標とすることで合意し、関係機関に働きかけて冬場でも水を流すことが実現しました」

用排水整備の合意形成にワークショップ形式を

2000年(平成12)からは、地域用排水の整備に本格的に取り組むために、連絡会を母体に「地域用水対策協議会」を設立した。そしてその下に、各地区毎に自分たちでものごとを決めるための「各地区地域用水協議会」を設けることになった。

加入者のリストを見ると、小中学校、PTA関係者や、NPO、老人クラブなどが含まれている。

では、この組織で、何をするのか。「地域水路の計画づくりです。ちょうど清五郎排水路を整備する時期にあたっていましたので、これを住民のみなさんと一緒にやってみたいと考えました」

これまでの水路整備の場合、計画は担当者同士でつくってしまうことが多く、承認も大団円で満場一致、というのが当たり前だった。

しかし、高橋さんは「それで済めばこちらも楽ですが、そんなことを言っていられない時代になってきました。計画づくりもみんなの意見を反映させないといいものはできません」と言う。しかし、ワークショップという合意形成方式を取り入れるには、少なからず不満の声もあったにちがいない。

「土地改良区は用水を入れてくれて、水さえちゃんとはけてくれれば、あとは何もしなくていい」と、環境保全への取り組みを嫌がる組合員もいただろう。さらに、かつての土地改良区は年齢によるタテのつながりがモノを言った組織。ワークショップを導入しようとした当時の土地改良区の苦労も、何となく想像がつく。

「協議会をつくることはそんなに苦労はありませんでした。ただ、各地区の用水事業の計画を、経験もないワークショップという方式で行なうということを、各地区の役員に納得してもらうには労力がいりましたね。今まで都市住民と農民の間での水路の話というのは、基本的にはトラブル処理が多かったのです。住民から、水路の上を車通るのに使わせてくれと要望が出たり、自治会から水路の水が臭うと苦情が出れば、地区の役員は対応しなければいけなかった経験があるわけです。全国の他の場所でワークショップがうまくいっている所を見ると、農家だけ、あるいは住民だけ、と、どちらかにまとまっていることが圧倒的に多い。でも、亀田郷のように言い分が異なる者が拮抗している例は少ない。その分、改良区としての課題は多いことは確かです」

横並びワークショップの意外な効用

いざワークショップを始めようと思うと、ここでも予期せぬことが起きた。「清五郎排水路の地区で行なうならば、うちの地区でもワークショップをする」と他の地区が言い出し、結局9地区全部が、何らかの形でワークショップを行なうという形で落ち着いたのだ。

1地区だけのワークショップだけでも不安なのに、それを9地区同時並行で行なう。これには担当者も苦労したことだろう。

「確かに初めは大変でしたが、活発な意見交換の中から、いろいろな要望や課題が上げられてくる。これまで個々に掛け合っても、なかなか対応してもらえなかったことも、協議会に言うと何とかなったということもあり、住民も、農民も、だんだんやる気が出てきたのです。これは意外でしたね。雨が降るとすぐに水があふれた。しかし、下水道の拡張は当面あてがなく、困って協議会に相談を持ちかけたところ、近くにある土地改良区の排水路を活用しようということで、話がまとまりました。その水路は、地元の住民からは、汚くて危険な水路だといわれていたものですが、これを機に、水路周辺の環境を住民みんなで整備しようという活動が始まっています」

でも、効用はそれだけではなかった。高橋さんは言う。

「こうした住民の問題は、最初に土地改良区に持ってこられても、『下水道は管轄外だから』と言ってお引き取りいただいていたかもしれません。でも、協議会方式だと直接の管轄ではなくても、とにかく議論の俎上には上がるわけです。そして、うまく協力すれば解決策もすぐにまとまる。協議会みたいにふわふわしていると、窓口としては機能しやすいのでしょうね」

土地改良区と地域水管理のゆくえ

「ワークショップの効果は、これまで土地改良区にまで伝わってこなかった住民からの相談事が、届くようになったことです。改良区が頼りにされているんだな、という感触を徐々に感じつつあります。ただ、多様な意見を持っている人たちの考えを取りまとめるのは、本当に難しい仕事です。例えば亀田郷は開渠でという方針があり、それを曲げることはできませんが、『水路を暗渠にしてくれ』という要望を出す住民もいます」

仮に、地域住民の総意としての要求が提案されても、土地改良区という仕事の範囲が決まっている以上、それらをすべて許容するわけにはいかないのである。

しかし、水はその地域を循環して流れている。農業用排水だけではなく環境用水、さらには生活排水まで気にしなくてはならない。新潟は地盤沈下が問題になった土地でもあり、工業用水にも目を配らねば地域の水は守れない。もっと言えば、水を人間の都合で分けて考えること自体に無理があるのだ。

今後、土地改良区はどのような進路を進むのか。

高橋さんは言う。

「これからの土地改良区は、用排水、土地改良はもちろんですが、水利だけという考えでは解決できません。土地改良区が扱う農地や用排水が、農産物の生産環境であると同時に、都市化した地域の自然環境であり、また、人々の生活環境でもある以上、地域全体で、農業そのものをどうするか考えないとならないでしょう。結局私たちのような者が、農家の立場、住民の立場の中間でつなぎ役にならないといけないのかなと思いますね。大切なのは、みんなが情報を共有し、それぞれの立場から議論し合える環境づくりでしょうか」

ワークショップ方式は、亀田郷土地改良区にとって、立場をつなぐという意味で大きな手応えとなった。循環するという水の性質上、さらに多くの立場の人が連携し、調整し合いながら、合意形成する場が増えてくるに違いない。そして、農家も住民もこのような合意形成の方法に慣れて、多様な言い分も見えるようになると、一人ひとりの頭の中に、亀田郷全体、ひいては日本全体の将来像が浮かんでくるかもしれない。そのとき、土地改良区がどのように変化しているか、大いに興味あるところだ。

高橋さんは、オランダの水管理委員会にも興味を持っているという。今の活動を広げて、都市と農村が調和をとりつつ、地域の水を総合的に管理することは、土地改良区の一つの方向を示しているのかもしれない。

清五郎排水路の改良を目的としたワークショップ



【清五郎ワークショップの実際】

清五郎ワークショップは2001年(平成13)から既に11回開かれている。清五郎排水路の改修が目的で、計画策定の手順は(1)現地点検(2)先進地視察 (3)地域提案 (4)整備計画の4ステップを踏むようにした。


第1回 「現地点検:清五郎排水路を見てみよう」2001年5月20日  
第2回 「先進地視察:ほかのまちをみてみよう」2001年6月24日
第3回 「ゾーニング検討:清五郎を描いてみよう」2001年8月5日
第4回 「講演会:昔の話を聞いてみよう」2001年10月21日
第5回 「エリアコンセプト検討:清五郎水辺のコンセプト決定」2002年6月29日
第6回 「視点を変えて再検討:3つの視点で提案しよう」2002年6月29日
第7回 「イメージ完成:整備イメージ完成」2002年12月14日
第8回 「現地見学&課題検討」2003年6月1日
第9回 「浄化ゾーン植栽計画」2004年3月3日
第10回 「浄化ゾーン植栽作業」2004年4月18日
第11回 「現地見学会」2004年11月13日



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