機関誌『水の文化』35号
アクアツーリズム

地下水盆と共存する政策へ

「浮島さん」と親しまれる浮島熊野座神社。

「浮島さん」と親しまれる浮島熊野座神社。

阿蘇火山の自然のシステムと、加藤清正はじめ先人がつくった人間の営みのシステムとが熊本地域の地下水のメカニズムを生み出しました。的場弘行さんは、熊本の水を守ることは水が育んだ、生態系や土地のさまざまな文化という多様性を守ること、と言います。 多様性を構成する一つひとつの資源を保存し、後世に伝える仕組みをつくる政策についてうかがいました。

的場 弘行さん

熊本市企画財政局 財務部 管財課
的場 弘行 (まとば ひろゆき)さん

熊本市環境保全局水保全課に7年間の在籍ののち、現在は企画財政局管財課に所属。熊本市の地下水保全政策の企画立案から実施を担当。水文化の普及にも注力し、水遺産、水検定、水守など、全国的に注目される熊本市独自の政策を牽引した。 くまもとウォーターライフホームページ http://www.kumamoto-waterlife.jp/

熊本市と地下水

熊本市は豊富で良質な地下水資源に恵まれ、「日本一の地下水都市」といわれています。事実、73万市民の上水道をすべて地下水でまかなっています。蛇口をひねればミネラルウォーター、ダムも浄水場もない、こういう都市はほかにはないと思います。しかし裏を返せば、都市の需要を十分に満たす水資源は、地下水しかない。従って、熊本市は地下水と共存する道を歩まざるを得ないのです。

地下水が地表に露出したものを湧水と呼ぶわけですが、熊本市とその周辺には大湧水地帯があり、市内にある水前寺成趣園や江津湖などはその代表格です。白川や緑川といった大河川も、熊本市に集まっています。それゆえに、濃厚な水文化も育ちました。物質としての水だけでなく、生態系はもちろん、食、風習、伝統文化など多様な水文化、これらをすべて含めて水資源ととらえるべきだと思っています。

ダイナミックな地下水流動系

熊本市は、阿蘇山の西側に位置し、地形・地質は、阿蘇火山の影響を強く受けています。阿蘇外輪西麓から有明海に至る1041km2のエリアは熊本地域と呼ばれ、熊本市を含む11市町村で構成されています。ここに広域の地下水盆(地下水流動系)が存在します。主要な帯水層は、第四紀の阿蘇火山の噴出物などで、火砕流堆積物や溶岩、砂礫層などが中心です。つまり巨大な地下水の容れ物を阿蘇火山がつくってくれたということです。熊本地域の地下水は阿蘇の恵みなのです。

そして約400年前、肥後に加藤清正が入国し、数々の土木事業を広域に展開していきます。その一つに、白川中流域の水田開発があります。白川は、阿蘇カルデラ内に発し、西流して熊本市を貫流し、有明海に注ぐ一級河川です。清正はその中流部に井堰(いぜき)をつくり、水田の開発に着手しました。それは大規模なものでしたので、子の忠弘や細川治世に引き継がれ、完成に至ります。

さて、この水田開発が地下水に大きくプラスに作用するんですね。阿蘇火山の噴出物で形成された土地ですから、水田は非常に浸透性が高く、「ザル田」と形容されます。水田に張られた水がどんどん地下に入っていく。通常の水田の5倍以上の浸透能力があります。水田としては出来の悪い水田ですが、重要な地下水涵養(かんよう)域となるのです。

さらに、白川中流域の地下構造は、地下水の貯留タンクのような水文地質になっていて、しかも中間の粘土層が欠如しているため、深層に直接、地下水を補給します。熊本市の水道水源は深層地下水が主ですから、より重要な涵養域といえます。「土木の神様」といわれる清正公といえども、このことは知らなかったと思います。

このように熊本地域の地下水のメカニズムは、阿蘇火山の自然のシステムと、加藤清正はじめ先人がつくった人間の営みのシステムとが絶妙に組み合わさった仕組みなのです。白川中流域の水田開発は18世紀にほぼ現在の形に整いますので、現在のような熊本地域の地下水システムはこのころに完成した、といっていいかと思います。

熊本の年降水量は約2000mmと多く、熊本地域においては年間約20億m3の降雨があることになります。このうち約3分の1に当たる約6億m3が地下水に涵養されています。地下水涵養の内訳は、水田46%、畑地・草地41%、山地13%と、水田からの地下水涵養が大きいことが特徴です(1990年度の値)。

一方、地下水の流出量は約6億m3として、汲み上げが約2億m3、湧水の流出が約3億m3、有明海など他地域への流出が約1億m3となります。これが水収支の概要です。地下水シミュレーションの計算結果によると、近年の水収支は赤字基調にあることが指摘されています。

また、地下水の滞留時間は、阿蘇外輪から江津湖まで約20年、同じく白川中流域からは約5年程度と推定されています。

熊本市環境保全局水保全課発行の『くまもとウォーターライフガイドブック』6ページの図版を参考に、編集部で作図

熊本市環境保全局水保全課発行の『くまもとウォーターライフガイドブック』6ページの図版を参考に、編集部で作図

地下水保全の歴史

広域地下水流動系の発見は、昭和30年代(1955年〜)の熊本農地事務所(現・九州農政局)の地質官である柴崎達雄さんらによる台地部の地下水開発調査に端を発します。「地下水はどこをどう流れているのか」。阿蘇西麓台地部に広がる畑地に井戸を掘って農業用水とするため、水文地質が詳細に調査されました。その後、同所地質官の籾倉克幹さんら、大学・在野の研究者や熊本市水道局を中心に研究が進められ、また第四紀地質学の成果も相まって、昭和50年代(1975年〜)には広域地下水流動系の認識が定着していきます。

特に1975年(昭和50)に起きた健軍(けんぐん)水源地隣地のマンション建設問題は、地下水研究を前進させただけでなく、開発から保全へと地域社会の視点を大きく動かす契機となりました。

当時、住宅公団が市最大の水源地である健軍水源地の隣地に高層住宅団地の建設を計画。既に土地の買収も終え、資材が搬入されるというところまで事態は進んでいました。しかし、住宅団地の基礎杭が水道水源の主要帯水層に林立すると水源地に影響するとして、住民らの反対運動が起こりました。市も調査を行ない、結局、計画は白紙に戻りました。

熊本市議会は翌1976年(昭和51)3月に「地下水保全都市宣言」を決議し、1977年(昭和52)の「熊本市地下水保全条例」の制定へとつながっていきます。建設予定地だった場所は市の公園となり、地下には水源地が整備され、今も主力水源地の一つとなっています。後に「災い転じて福となす」と言われる出来事でした。1980年(昭和53)には、熊本市営戸島塵芥埋立地の地下水汚染が判明し、大変な問題になりました。

平成に入ってからの水量保全政策は、1998年(平成10)ごろまでは、県市合同の地下水総合調査の実施、地下水観測井の拡充、大口地下水採取者への節水合理化指導などが中心でした。

この間、水質の面では、トリクロロエチレンなどの揮発性有機化合物による地下水汚染が顕在化し、調査や浄化対策で大変な時期もありました。こうした問題に対して、その都度、反省や対策がとられてきました。

時期が前後しますが、熊本県・熊本市は、多くの研究者の協力を得ながら、1986年(昭和61)と1995年(平成7)に2度の地下水総合調査報告書をまとめる形で、前述の広域地下水流動系の解明、地下水シミュレーションによる地下水収支計算、将来予測などを行ない、合わせて地下水保全の課題解決への道筋が、徐々にではありますが形成されていきます。

このように熊本地域の地下水研究や対策の歴史は、現実的な問題に直面しながら進んできたわけであり、けっして最初から計画的・体系的に進められたものではありません。

地下水政策の発展

熊本地域における地下水量の減少は、時代とともに都市化と水田の減反が進んだことに起因すると考えられます。そのため、長期的には地下水位が低下し、江津湖などの湧水量も減少傾向にあります。一方、地下水の汲み上げ量は、1984年(昭和59)をピークに減少傾向にありますが、生活用水使用量は他都市に比べ、依然として高い状況です。

こうした中、地下水量政策を発展させる「熊本市地下水量保全プラン」が、2004年(平成16)3月に登場しました。

基本的に地下水量保全の政策は、地下水の汲み上げ量を減らし、地下水の涵養量を増やすしかありません。このプランは5カ年計画として、水収支のバランス改善を念頭に置き、熊本地域の地下水量が抱える課題に対応するよう、体系的に施策・事業が組み立てられています。これらは新規事業が多く、難易度も高いものでしたが、5年間でほとんどすべてが実行されました。事業の例を挙げると、節水市民運動の展開、水道料金の改定、白川中流域の水田を活用した人工涵養、上流域との交流連携、地下水保全条例の全面改正などです。

最も重要な地下水涵養域である白川中流域で注目されているのは、水田を活用した涵養事業です。上流域の大津町や菊陽町などと協定を結び、減反により転作した農地に1〜3カ月間水張りを行なって、熊本市が参加農家に助成金を交付する仕組みを創設しました。現在は400戸以上の地元農家の協力を得て、年間約2000万m3の地下水が涵養されていると見込まれています。減反に対応する涵養事業です。

さらに地下水保全条例の全面改正の中で、開発や建築物の新築時などに雨水浸透施設の設置を義務化しています。都市化してしまった区域の地下水涵養機能を取り戻すことが狙いです。

その結果、降水量の影響もありますが、ここ数年、地下水位が上昇傾向に転じています。東海大学の市川勉教授によると、白川中流域の人工涵養事業が付近の地下水位を約2m上昇させていると、事業の効果を評価しています。しかし、まだ量における対策は不十分であり、2009年(平成21)3月に後継の「熊本市地下水保全プラン」を策定し、事業の継続と定着、強化を進めているところです。

一方、水質の面では、硝酸性窒素の問題が深刻化しつつあり、これは待ったなしの状況にあります。

熊本地域の地下水保全は、最終的には広域管理の仕組みづくりが必要であり、今後の熊本の地下水保全の歴史の中で、大変重要なステップとなるはずです。関係行政には、これをリードしていく大きな責任があると思っています。

多様性の証明「熊本水遺産」

「熊本の水とはいったい何なのか」と、よく自問してきました。答えは平凡かもしれませんが〈多様性〉だと思っています。水は、生態系を育み、土地のさまざまな文化を育みます。従って、熊本の水を守るということは、その多様性を守るということです。具体的には、多様性を構成する一つひとつの水資源、例えば湧水であり、水とかかわりの深い史跡であり、食であり、祭りや風習であり、これら資源を保存し後世に伝えていくことでしょう。

特に現代は時代の移り変わりが速くて、街並みなどもすぐ変わってしまいますね。小さな湧水地などは開発の波で跡形もなく消え失せてしまいます。こうした現状は、多様性の危機だと思っています。

熊本市では、多様な水文化を守り伝えるため「熊本水遺産登録制度」を創設しました。湧水、食、土木建築、祭り、風習など有形無形を問わず、熊本市の水文化を構成している水資源を「水遺産」として、市が登録しています。候補は市民から募集し、事務局(水保全課)が調査を行ない、熊本水遺産委員会の審議を経て、登録されます。

手前味噌になりますが、各地の湧水を対象にした名水の選定制度と比べると、多様な水文化を対象にした熊本市の制度のほうが、より本質的であると自負しています。登録数も限定していません。現在、60件の水遺産が登録されています。

熊本水遺産は、熊本市の水文化カタログであり、多様性の証明でもあります。水文化というと小難しいですが、いわば郷土の再発見。とにかく、知っていただくことが第一歩なのです。

それで「熊本水遺産めぐり」マップをつくり、水遺産60件を写真付きで紹介しています。なかなか好評で、全国紙の新聞に紹介されたときは、熊本出身の方からたくさんの問い合わせをいただきました。市では市民講座やツアーも開催しています。市民の方から「今まで知らんかった!」「どこにあるの?」という声をいただくと、うれしいですね。

水遺産の登録があった地元では、例えば埃を被っていたような小さな湧水地でも、水遺産登録を機に見直され、清掃や整備が行なわれるところも出てきました。この制度に一番期待していた効用は、このような地域の動きなのです。元来それぞれが歴史を持った素晴らしい資源であり、磨けば光るのですから。

この水遺産制度は、熊本市が2006年(平成18)11月に策定した「くまもと水ブランド創造プラン」事業の一つです。このプランは、「熊本を訪れたい」あるいは「熊本で暮らしたい」と評価されるような、新たな都市ブランドを水で確立していこうというものです。

プランの中では「保全と活用の好循環」と説明していますが、魅力や価値に気づいてもらうことが大切なのです。知って価値があると感じれば、自ずと守ろうと心が動く。だから観光的な情報発信も大事です。そういう意味で水遺産は地味ですが重要な事業だと考えています。打ち上げ花火ではない、長期的視点を備えた「急がば回れ」型の事業の一つです。

  • 緑川の中無田閘門は、船の航行に際し、加勢川(高い)と緑川(低い)の水位差を調整するもの。

    右:緑川の中無田閘門は、船の航行に際し、加勢川(高い)と緑川(低い)の水位差を調整するもの。
    左:水守の井村さんが模型を使って仕組みを説明してくれた。閘門の扉はこだわりの木製。

  • 加藤清正が手がけた白川中流域の代表的な堰である瀬田下井手の旧取入口(大津町)は屋根付きで珍しい。

    加藤清正が手がけた白川中流域の代表的な堰である瀬田下井手の旧取入口(大津町)は屋根付きで珍しい。石柱に堰板をはめる溝が彫り込まれている。

  • 緑川の中無田閘門は、船の航行に際し、加勢川(高い)と緑川(低い)の水位差を調整するもの。
  • 加藤清正が手がけた白川中流域の代表的な堰である瀬田下井手の旧取入口(大津町)は屋根付きで珍しい。

水と人をネットワークする「水守」

水守制度とは、熊本の水を愛して活動する人たちを〈水守〉の愛称で登録する制度です。手続きは、申し込み後に講習会を受講するだけです。

大学教授の「研究水守」、飲食店オーナーの「おいしか水守」、タクシー乗務員の「ガイド水守」などなど。実は私も「講座・ガイド水守」なんですよ。水守の前の部分の名称は自分で自由につけることができます。その名の自覚のもと、自身の持ち場で活動するのが水守活動のモットー。

水守になると、水守名簿が配布されます。事務局から「水守ニュース」が配信され、各水守さんの活動情報が届きます。現在132名の水守さんが各地で活動しています。「水守ニュース」もメルマガ会員に登録すれば受信できます。

制度設計としては、人材情報バンク、活動情報バンク、ネットワーク形成の3機能を備えた仕組みになっています。

水守になるには資格など不要で、熊本市外の方も登録することができますので、登録してみませんか? ただ一つ求められるのは、マイペースの活動だけです。

的場さん自身も「講座・ガイド水守」。

的場さん自身も「講座・ガイド水守」。

合格者1万人突破!くまもと「水」検定

2008年度(平成20)からは、水検定を行なっています。全国初の〈水のご当地検定〉としても話題になりましたが、送料負担だけの無料検定としても関係者には知られているようです。目指しているのは、知ってもらうこと。もう少し欲をいえば、水を横断的に知ってもらうことです。繰り返しになりますが、多様性です。

公式テキストブックを読んでもらえば、横断的という意味が理解できると思います。阿蘇があり、清正があり、地名があり、歳時記があり、わりと本格的な熊本地域の地下水の説明があり、といろいろな角度から水を見せています(「水の文化書誌」ページを参照)。

市民の皆さんが自腹でテキストブックを買って、水のことを勉強してくれる。有り難いことです。従来の行政の押し売りともいえる啓発講習会とは180度違います。

水検定には1級〜3級があり、3級は入門レベルといえども、熊本の水の全体像が理解できるような設問形式になっています。3択30問で、問題を市の広報紙などに公開しています。つまり、何を見て解答してもいい。通信試験なので解答を郵便で送るだけで受験完了です。70点以上が合格ですが、取り組んでもらうだけで十分価値があると思っています。

昨年は海外からも3級の受験者があったんですよ。合格すると何かもらえるのか? いえ、認定証と自己満足だけです。

水検定受験者には小中学生が多いんです。実は、市内の小学生には、卒業するまでに全員に合格してほしいと願っていまして、小学校に出張授業に出かけて水検定を受けるよう促す活動もしています。最終的には「教育」なんですよね。

  • 「かき原」湧水。

    「かき原」湧水。

  • 熊本県上益城郡嘉島町で生まれ育った宮地小百合さん 「寺の下」と呼ばれる洗い場。 木道の左の水面に茂るウォーターレタス

    左:熊本県上益城郡嘉島町で生まれ育った宮地小百合さんは、熊本大学文学部総合人間学科で学び、卒業論文に「嘉島町の水環境と人のかかわり」をテーマに選んだ。
    中:「寺の下」と呼ばれる洗い場。宮地さんの聞き取り調査によると、50年以上にわたってここを利用してきた道の向かいにある岩野商店の岩野要子さん(78歳)は、「少し離れた人は、わざわざ洗濯ものを持ってくるのが大変だからやめていった」と言う。
    右:木道の左の水面に茂るのは、ウォーターレタス。繁殖力が旺盛な外来種で、駆除に頭を痛めている。

  • 湧水天然プール。

    湧水天然プール。地元村民、川野益雄さんが1927年(昭和2)の明治神宮大会において、水泳競技800m自由形で優勝した記念につくられた。周辺にプール施設がなかったこともあって、水泳選手の練習場所としても重宝されたが、近年、利用者のマナーが悪く存続が危ぶまれている。

  • 近年、利用者のマナーが悪く存続が危ぶまれている

    近年、利用者のマナーが悪く存続が危ぶまれている

  • 湧水天然プールの位置

    湧水天然プールの位置

  • ホテルの蛇口にも「安心して飲める井戸水使用」の文字が。

    ホテルの蛇口にも「安心して飲める井戸水使用」の文字が。

  • 馬場楠井手の鼻ぐり。

    馬場楠井手の鼻ぐり。

  • 緑川の支流・加勢川の下流に位置する川尻。 右は岡裕二さん

    緑川の支流・加勢川の下流に位置する川尻。 右は岡裕二さん

  • 「かき原」湧水。
  • 熊本県上益城郡嘉島町で生まれ育った宮地小百合さん 「寺の下」と呼ばれる洗い場。 木道の左の水面に茂るウォーターレタス
  • 湧水天然プール。
  • 近年、利用者のマナーが悪く存続が危ぶまれている
  • 湧水天然プールの位置
  • ホテルの蛇口にも「安心して飲める井戸水使用」の文字が。
  • 馬場楠井手の鼻ぐり。
  • 緑川の支流・加勢川の下流に位置する川尻。 右は岡裕二さん

<コラム> 民の立場で発信する
~地域が教えてくれる大切なもの~

岡 裕二さん

舫(もやい)ワークス有限会社 代表取締役
岡 裕二 (おか ゆうじ)さん

1955年熊本・川尻出身。本業の地域計画づくりのかたわら、緑川の流域連携組織(NPO法人)や九州の川の流域連携組織(NPO法人)の事務局を務めている。地域づくりの実践例として、NPO法人九州流域連携会議が2000年より毎年主催している九州「川」のワークショップ及び九州川のオープンカレッジ(2003〜2008)、2008年熊本県主催:八代元気づくり大賞、2005年から2007年緑川流域委員会委員。

舫ワークス(有)の岡裕二さんに、熊本のアクアツーリズムスポットを案内していただいた。岡さんは加勢川の下流に位置する、川尻の出身。学生時代以降、熊本を離れた時期があるが、それ以外はずっと地域の変遷を見守ってきた人だ。

本業の地域計画づくりのかたわら、流域のNPO組織、九州の流域連携組織の運営や事務局を務めており、それらの経験と実践をとおしたノウハウや人材・情報のネットワークを活かして、地域づくりアドバイザーやコーディネーターとして、熊本県内外で地域づくりにかかわってきた。

美しい水が豊富にある熊本でも、水質汚染や地下水位の低下、中山間地の過疎・高齢化や都市部の空洞化といった悩みは、全国共通だ。

「『地域が私の先生』を信条に、中山間地域の振興をライフワークにしています。そこから見えてくるのは、活動・実践の範囲が流域環境の保全にとどまらなくなってきた、ということ。地域福祉、環境教育、ひいては防災システムの研究にまで広めていかないと、問題解決にはたどり着きません」
と岡さん。

熊本地域には市が積極的に進める水遺産をはじめ、素晴らしい見所が各地に点在する。都会の真ん中の水前寺公園や江津湖のような美しい遊水池は、水の恵みを身近に感じるきっかけだ。

岡さんが案内してくれたフィールドは、水と人の暮らしのかかわりを再認識させてくれる、いわば財産。アクアツーリズムの解釈を広げ、「見る」だけではなく「触れて」「かかわる」ことで、環境保全や地域の活性化にも貢献できるのではないか、と実感した。

  • 馬場楠井手の鼻ぐり。かつては手入れもされずに草がぼうぼうとしていたので、見るために降りていくのも命がけだったと言う(左の写真は岡裕二さん提供の当時の写真)。台地の下だから、ヨナ(火山灰の堆積物)が溜まると手入れができない。そのため用水路を掘る際に、隔壁を設け牛の鼻ぐりのような穴を開けて、底の流速が増すことを利用してヨナを排出させた。恐るべし、加藤清正。

  • 馬場楠井手の鼻ぐり。右が模型で左が現在。

  • 緑川の支流・加勢川の下流に位置する川尻は、岡さんのお膝元。外城蔵と船荷の積み降ろしに使われた約150mの石段が残る。



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