機関誌『水の文化』40号
大禹の治水

生きている川 酒匂川

九州大学大学院工学研究院教授
島谷 幸宏(しまたに ゆきひろ)さん

扇状地河川の特徴とは

典型的な扇状地河川である酒匂川の治水の要は、流路を固定することにあります。大久保忠世が検地を行なって、網目状に流路が広がる酒匂川の川筋を平野の東側に一本にまとめ、今まで川であった場所を新田開発するという壮大な計画は、息子の忠隣が上流からの水勢を弱めるために春日森土手、岩流瀬土手、大口土手を築くことで実現されましたが、理にかなった治水術だと思います。

扇状地河川の特徴は、川筋がいくつもできてしまって流路が固定しづらいことです。しばらくの間、一定の川筋を流れていても、そこに土砂が溜まって地形が高くなるので(自然堤防)、また低い所を求めて流路が変わるからです。イタリアにはまだ自然河川が残っており、網目状の流路を見ることができますから、航空写真を検索してみてください。

山から平地に出た所で、川に運ばれた粘着性のない砂と礫を中心とする土砂が堆積し始めます。粘着性が「あるか」「ないか」が川を性格づけますが、川も下流に行くと、粘着性のある土などが多くなるので、川岸の浸食に対しても強くなります。

川岸と川底とが同じ材料でできているために、川底の石が動き始めると、川岸の石も同時に動き出す。それで川を深く保つことができなくて、浅くて平たい川になるから、常に左右に振れやすいのです。こうして、扇状の傾斜を持った地形が形成され、山から平地に出た所が扇の要になります。禹王の本場である黄河も、「鉄の尾を持つ」と言われ、鄭州辺りを尾の付け根(扇頂部)として、南北に大きく振られてきました。

酒匂川は平地に出たあとでも、山に拘束されているために川筋が限定されている箇所が見受けられますが、制限する山などがなければ、網目状に広がった流路をつくるのが扇状地河川の特徴なのです。 

扇状地霞堤の機能

酒匂川は、山梨の釜無川・笛吹川と非常によく似ています。

釜無川・笛吹川にも酒匂川にも霞堤が見られますが、上流(扇状地)霞堤と下流霞堤とでは、求められる役割が違います。下流霞堤は、氾濫させることが基本的な目的です。上流から水が入ると田んぼがやられてしまうのですが、下流から入ると無事ですし、肥沃な土を落としていってくれるし、より下流の人を氾濫から守る。霞堤をどこにどうつくるかで、あふれる場所を特定することもできます。成富兵庫茂安(なりどみ ひょうご しげやす)がつくった象の鼻や天狗の鼻、松浦川のアザメの瀬も同様の構造です。あふれることで、沃土や生きものを運んできてくれる。

上流(扇状地)霞堤は、流路固定と氾濫戻し。扇状地河川の勾配はだいたい100分の1から500分の1ぐらいの間です。100分の1というと、100m行って1m下がるぐらいの勾配。霞堤であふれるといっても水深はせいぜい2mにもなりません。傾斜がきついので断続堤の切れ目からあふれることはないから、閉じる必要性がない。万が一切れ目から水があふれても、間に入った水が堤防を支える役目をします。二重堤だと思えばいいんです。閉じてしまうと、逆にあふれた水が戻らなくなってしまいます。

昔の人はその土地に住む人が損をするような仕組みは絶対につくりません。それは霞堤に限らず、溜め池でも同じです。みんな、洪水防止の面からしか見ていないため霞堤の機能を正確にとらえていませんが、多面的な働きを持つことを見直すべきです。

釜無川に合流する御勅使川(みだいがわ)に相当するのが、酒匂川における川音川です。小河川のほうが水が先に出てくるので、大河川の合流地点に土砂を溜めます。それで川が曲がるのを、どうやって制御するかというのが治水の要点になるわけですから、こうした小河川との合流点が治水の要衝になります。ここに蓑笠之助がつくったといわれている三角土手があるわけです。

甲州三大難所といわれているのが、笛吹川の万力、釜無川の竜王と笛吹川・日川・重川の三川が合流する近津。これらの堤がよく切れるので三大水難所といわれています。甲府盆地への水の供給は、ここから行なわれています。いつも水が当たる所は、いつも水が引ける所なんです。笛吹川の万力林にあたるのが、酒匂川の福沢神社付近(文命東堤碑)ではないでしょうか。私は酒匂川の地図を見て、福沢神社と高台病院と寒田神社と開成スポーツ公園付近が、治水上の要所だと思いました。

日本列島の基本構造

みなさんは、付加体(ふかたい)(accretionary prism/wedge)という言葉を聞いたことがあるでしょうか。海洋プレートが、ハワイの辺りの中央海嶺という所から吹き出してきて、徐々に日本列島に押し寄せられて大陸プレートの下に沈み込む際に、海の中の堆積物やサンゴが削り取られて、日本列島に付加される。これを付加体、と呼んでいます。

海溝付近には、洪水のときに川から運ばれた土砂や岩石が積もっていきます。酒匂川も富士山の噴火の際に放出された砂礫や、川が削り取ったたくさんの土砂を海溝に運んだと想像できます。

海洋プレートが海溝で大陸プレートの下に沈み込む際には、次々に到着する新しい付加体が古い付加体の下に潜り込みながら大陸側へ押し上げるため、並行する逆断層が形成されるという特徴があります(ただし並行する2本の断層間にある岩体内においては、下部が古くて上部が新しくなる)。

小田原周辺の海域はプレートが集まっている地帯でもあり、付加体の構成も複雑で、非常にわかりにくくなっています。フィールドワークでも確認してみたのですが、川底の材料には火山岩、花崗岩、堆積岩といったいろいろな種類の岩石が混在していました。

日本列島を構成する材料としては、一番新しい付加体が太平洋側にあって、日本海側に徐々に押し出されるために北にいくほど古い付可体が存在します。

  • 足柄平野は三つのプレートの境界にあるため、複雑な地質が形成された。

    足柄平野は三つのプレートの境界にあるため、複雑な地質が形成された。

  • 付加体の構造

    付加体の構造

  • 足柄平野は三つのプレートの境界にあるため、複雑な地質が形成された。
  • 付加体の構造

川の性質を左右させる地質

日本列島は、このような単純な基本構造なのですが、火山が載っているので他国に比べて地質が複雑になっています。いわゆる白砂青松というのは花崗岩地帯なので、川砂が白い、というように、山の地質が川の性質に、大きく影響を与えているのです。

地質と山から出る水の流量というのはものすごく関係が深くて、小水力発電をするときの適地探しに効力を発揮すると考えています。〈地質と流出特性〉の表を見ると、古い地質の所は新しい地質の所の4分の1しか水が出てきません。火山岩の所は第4紀ですから、100hで3t。

上に植物が載っているので植物が寄与する面もゼロではないのですが、せいぜい1割程度で、水量は地質によってほぼ特定されます。水源の維持管理からいうと森林の保水力も大切ですが、岩体の容量が非常に大きいことから、地質の影響の重要性をもっと意識すべきです。

付加体の構造 地質と流出特性の関係

基本的に地質は古くなるほど締め固められ硬くなるので、水が浸透しにくいと考えればよい。地質により4倍の開きがあることが数値から読み取れる。ただし花崗岩は風化しやすいので保水力は比較的大きくなる。このような特徴は、平常時の河川の流出特性にも同様の影響を及ぼす。
注:低水量とは、一年のうち275日(9カ月)間これより下がらない水量。(虫明功臣さんらの研究を島谷幸宏さんがまとめたものです)

平野に点在する〈島〉

酒匂川は自然堤防が非常に発達した川で、集落はほとんど自然堤防上にあります。島がついた地名が多く見られるのも、その現われです。

旧流路の横には、氾濫したときに土砂を堆積した跡として自然堤防ができます。古い地図を見ると、その跡がよくわかりますし、川が低いほうに流れたがっていることも、地図から読み取ることができます。水を堤防にぶつけて勢いを削ぎ、方向をコントロールしているのですが、それでも川が行きたいほうに流れてしまう恐れがあることもわかります。実際、過去の水害の例を見ると、コントロールしきれないでそちらに流れて行ったこともあるようですね。

川の方向をコントロールしたのは、利水に有利だからです。もちろん、取水口は高い所に設けているはずですが、川全体を扇状地の中でも高い所に導いておけば、どこからでも水が引けて都合が良いのです。また流路を固定すれば、扇状地全体を網目状に流れくねっていた酒匂川の澪筋を整理して、残りの土地を開発することが可能になります。大久保忠世・忠隣親子が行なった足柄平野の開発は、まさにそういう手法でした。

日本の古代に拓けた土地は、例えば大和盆地や九州に見られるように、はじめは小河川の扇頂に集落が形成されます。その後、治水技術が向上すると、大河川の扇状地にも進出することが可能になります。足柄平野全体を見渡すと、酒匂川の左岸の山あいにある曽我という地名の辺りが古くから開けた集落であると予想でき、そうした歴史的経緯がわかります。そういう意味でも、とても素晴らしい場所だと感じました。

実は扇状地河川においては、大変インパクトのある事柄が1960年代にありました。高度経済成長期に、全国の河川の高さが約3m下がったことです。日本全体で2億tぐらいの土砂が出るのですが、ピーク時には3分の1以上の土砂が採取され、しかも土砂許可量があまり守られずに大量採取された結果です。そのために河川の高水敷が安定して、そこが樹林化するようになりました。網目状に複数の川筋に水が流れていたのに、単立化といって澪筋を一つに集約するようになったことも、樹林化に拍車をかけました。

酒匂川は樹林化しないで砂礫に覆われて白い河原が見えますが、こういう川は今では少なくなっています。久しぶりに川らしい川を見たと思いました。

扇状地河川の特徴の一つはこの河原ですが、現在は河原が減っており、全国的に河原の再生が行なわれています。酒匂川には良い河原が残っていますね。私たちは酒匂川のような川を〈生きている川〉と呼んでいます。



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