機関誌『水の文化』48号
減災力

自然災害と恵みの循環

地学の分野では100万年が国際基準単位になっている、と原田憲一さん。敬遠されがちな地学を、わかりやすく、また、暮らしに結びつけて話してくれました。自然災害が多発する日本列島で、縄文時代からたくさんの命が育まれてきたのは、火山の噴火や河川の氾濫が豊かな土を運んできてくれたから。地球のダイナミックな活動が、私たちに多くの恵みを与えてくれたことを知ることが、リスク回避のヒントにつながる、といいます。

原田 憲一さん

理学博士
原田 憲一(はらだ けんいち)さん

1946年生まれ。1976年京都大学大学院博士課程修了。1977年太平洋深海底産マンガン団塊の成因の研究で理学博士号取得。1980年山形大学理学部地球科学科助教授、1995年同学部教授を経て、2002年より京都造形芸術大学教授。
専門は地質学。山形大学で資源科学の考え方を学び、海洋地質学の研究から、技術を介した自然(資源)と社会との関係を考えるようになる。さらに地球物質の循環によって地表環境は自律的に安定し、地下では資源が形成されることに気づき、資源・災害・地盤・環境・土壌などをキーワードにして、資源人類学、災害文化論、比較文明論などに取り組んでいる。
主な著書に、『地球について−環境危機・資源涸渇と人類の未来』(国際書院 1990)、『地学は何ができるか』(共著/愛智出版 2009)『収奪文明から還流文明へ』(共著/東海大学出版会 2012)ほか

地球の時間は100万年単位

東日本大震災が起きたとき、1000年に一度の巨大地震といわれました。それで、869年(貞観11)に起きた貞観(じょうがん)地震がクローズアップされました。

日常生活では、1000年というと途方もない長い時間のように思いがちですが、私の専門である地学の世界では、100万年を単位にしていて、Ma(Mega annum:100万年前)という国際基準単位が設けられています。Ka(kilo annum:1000年前)やGa(Giga annum:10億年前)という単位もあって、地球は4.6Ga(46億年前)に誕生した、という使い方をします。

さて、東日本大震災では、地震そのものだけでなく、津波が沿岸部を襲って被害を大きくしました。復興の過程で、漁業や海運に便利な沿岸部に町を再興するのか、高台に移転するのかが論点になりました。津波のリスクが高い沿岸部だけでなく、日本では火砕流や土石流、河川の氾濫地帯にも多くの人が住んでいます。それは単に山がちで平野が少ないから仕方なく、というわけではありません。

地球科学から見た気象現象

毎年日本列島を襲う台風が、いつごろから始まったか、ご存知ですか。日本列島がアジア大陸の一部だった約2億年前、中緯度にあったために台風に襲われるようになりました。あと2億年は、毎年、必ず台風がきます。

地震と火山噴火と津波は、1500万年前から。2500万年前の日本はアジア大陸の東縁にありましたが、2000万年ほど前に大陸との間に割れ目ができて500万年かけて太平洋のほうに移動しました。ですから、日本列島の原型と日本海ができたのが1500万年前です。

以来、太平洋プレートとフィリピン海プレートが日本列島の下に沈み込むようになって、火山が噴火し、地震が起きて津波がくるようになりました。この現象は、あと5000万年は続きます。

梅雨は比較的新しく、750万年前からです。インド大陸が北上してユーラシア大陸と衝突し始めたのが5000万年前。衝突後も北上が続いたため、ヒマラヤ山脈が高くなっていきました。1000万年前にはインド洋から上がってきた湿気を遮るほどヒマラヤ山脈が高くなって、750万年前ころから本格的に湿気が東に流れるようになり、日本列島に達するようになりました。ヒマラヤ山脈が低くなるまでに1億年ほどかかるので、あと数千万年は梅雨が続くことでしょう。

日本海沿岸に大雪が降るようになったのは8000年前からです。氷期には海面が今より120mほど低かったのですが、1万5000年前に氷期が終わり陸上の氷河が融けて海面が上昇。8000年前には、対馬暖流が日本海に流入しはじめて、冬でも水蒸気が盛んに発生するようになり、シベリア寒気団で冷やされて雪となるのです。

雪のお蔭で日本海沿岸は相対的に暖かくなり、東北地方にブナ林が発達しました。あと5万年ぐらいすると次の氷期がやってくるので、海面が再び下がって対馬海流の流入が止まり、雪も降らなくなるはずです。

地学で見つめ直すと

地学の視点から気象現象を説明したのは、技術で対処しようとする考え方が間違っていて、そろそろ改めたほうがいいと思うからです。台風はあと2億年続くのに、護岸の鉄筋コンクリートは50年しかもちません。梅雨も豪雪も、まだまだ続きます。

自然災害は阻止できないという視点に立って暮らしを考え直し、減災のためにすべきことを根本的に見直さなくてはなりません。そのときに、地学の長いスパン(時間軸)の考え方が役に立つはずです。

ニュージーランドへの入植は19世紀最大の森林破壊といわれています。森林をどんどん伐採して羊を導入したのですが、そのツケが150年後の今、現れています。原生林の跡地をそのまま牧草地に利用したために、土壌浸食が進んで河床が浅くなって、サイクロンがくるたびに河川が氾濫するようになりました。河口の港にも泥が溜まって、浚渫(しゅんせつ)に追われています。

例えば、牧草地を日本の棚田のようにしておけば土壌浸食は防げたはず。単に昔に戻れというのではなく、自然の力に敬意を払いながら、経験と科学の知識を使って対応することが求められているのです。

日本が豊かだった理由

日本の遺跡はみんな土に埋もれています。それに対してエジプトのピラミッドやインカの遺跡などは、地面の上に建っています。イタリアのポンペイの遺跡など例外もありますが、ヨーロッパの遺跡も地面の上に現れたものがほとんどです。

これは、日本は火砕流や土石流、河川の氾濫や津波といった自然災害に、繰り返し遭遇してきた地域だということを意味しています。

では、そんな日本は暮らすのに厳しい環境だったのでしょうか。決してそうではありません。今から2万年以上前の旧石器時代の遺跡をみると、中国は数百カ所、朝鮮半島には100カ所余。それに比べて日本では1万カ所発掘されています。人口密度や国土面積、掘り返す頻度などを考慮すると単純に比較できませんが、それだけの人口を養う力が日本列島にあったことがわかります。

多くの人口を支える生産力は、自然災害といわれる地震や火山の噴火、洪水が与えてくれたものです。そのキーワードが、土です。

  • 火の国熊本のシンボル、阿蘇の外輪山 大観峰から見たカルデラと阿蘇五岳。

    火の国熊本のシンボル、阿蘇の外輪山 大観峰から見たカルデラと阿蘇五岳。

  • 火の国熊本のシンボル、阿蘇の外輪山 大観峰から見たカルデラと阿蘇五岳。約30万年前から9万年前までに、4回の大規模噴火を繰り返し、巨大なカルデラが形成された。カルデラ内は、湧水と肥沃土に恵まれ、稲作が盛んに行なわれている。

  • 火の国熊本のシンボル、阿蘇の外輪山 大観峰から見たカルデラと阿蘇五岳。

生きものに必要な元素は土から

お百姓さんに「作物生産で一番大切なことは何ですか」と聞いたら「土づくりです」という答えが返ってくるでしょう。

植物が育つには、窒素、リン、カリウムという三大栄養素をはじめ、鉄やマグネシウムなど、16種類もの生命元素が必要です。

水と空気には酸素、水素、炭素、窒素しか含まれていませんし、大気中の窒素はそのままでは吸収できません。根粒バクテリアで固定されたり、焼畑で小さい分子にされたりした窒素化合物が吸収されますが、雷も吸収できる形の酸化窒素をつくります。雷に打たれると稲が良く育つことを経験上知っていたから、昔の人は稲妻と命名したのです。

残りの12元素は、土が与えてくれます。土の主成分は岩石が風化してできた砂利と泥です。そこに、岩石が風化する過程で水に溶け出したいろいろな元素が加わって、生命元素を豊富に含んだ土がつくられるのです。

動物の場合は、必要な生命元素は26種類になります。植物が育つには16種類で足りるのですが、植物が自分にとって不要な元素も取り込んでくれるお蔭で、動物は植物から必要な元素を得ることができます。

ニュージーランドに入植した当初、オーストラリアから運んだ羊は潤沢に牧草を食んでいたにもかかわらず、しばらくすると運動神経に障害を起こして死んでしまいました。原因は、土に含まれる微量成分のコバルトが少ないためです。今ではコバルトを含んだ岩石を粉末にして、年に2回、牧草地に空中散布して防いでいます。

ニュージーランドの羊と同様のことが、実は現代の日本人に起きています。亜鉛不足による味覚障害です。原因の一つは、食生活の変化。米には亜鉛が比較的多く含まれているのですが、米を食べなくなったことで亜鉛の摂取量が減りました。もう一つは水耕栽培が増えたことにあります。

生態系を考えるとき、ほとんどの人が、植物が光合成をするところから始まると思っています。それは小学生の理科の時間に、光合成のことをあまりにも強調するために、植物は太陽エネルギーと水と空気さえあれば生長できると勘違いしてしまうからでしょう。

水耕栽培では水溶液に窒素、リン、カリウムを添加するので葉っぱは大きくなりますが、肝心のカルシウムや鉄、マンガンなどはほとんど入っていません。ほうれん草を例に取れば、昔に比べて鉄の含有量は4分の1に減少しています。

こういうことを小学校から教えれば、栄養のことから林業や農業のことまで全部わかるのです。しかし実際には光合成のことしか教えない。だから水耕栽培の野菜工場をつくれば善し、という発想になってしまう。これではミネラル不足の国民が増えるだけです。

昔の人は知っていた

では、土はどこにあるのでしょうか。

土は山と川のそばにしかありません。火砕流や泥流が流れた火山の麓には田畑が広がっています。噴火があるたびに火山灰が降り、火砕流や土石流が流れ、地滑りを起こして土が運ばれたから、豊かな農生産の場となりました。そうでなければこんな危険な所に、何万もの人が住むはずがありません。

崖崩れの崖下の土(崩積土)、こういう所では山菜がよく採れます。山麓の斜面の土(残積土)も、土が上から流れ込んでくるので肥えています。川沿いの竹やぶの下や河岸段丘には、洪積土が溜まっています。これは、2万年以上前の氷期に流れていた川が運んできた土です。現在の氾濫原には、沖積土が溜まっています。

ナイル川の氾濫が豊かな実りを約束したことは知られていますが、京都でも同じことが起こっていました。京都の鴨川水系のハザードマップを見ると、浸水危険地域は賀茂ナスや九条ネギ、聖護院大根などの産地と一致しています。東山沿いでも桂川沿いでも京野菜の採れる所は、何度も洪水や土石流に襲われた土地です。この氾濫こそが、京の生産力を上げていたのです。

陸から海に目を向けてみましょう。当たり前ですが、海は陸地とつながっています。

淡水中の鉄は水に溶けていますが、海に入ると海水に含まれる成分と結びついて不溶性の錆(さび)となって沈んでしまいます。ですから、陸地から離れた海には鉄分がなく、プランクトンも魚もいません。

ちなみに遠洋漁業という言葉を聞いて、豊富な海産物が捕れる遠洋があると思うのは誤解です。日本で遠洋漁業といっているのは、遠くまで行って他国の陸地のそばで操業することであって、陸地から遠く離れた海域で魚を捕っているわけではありません。

気仙沼で牡蠣の養殖をしている畠山重篤さんは「森は海の恋人」と言いましたが、それには理由があります。鉄はフルボ酸と結びつくと酸化されにくくなり、海水中でも安定して存在します。フルボ酸は広葉樹の腐葉土に多く含まれている有機酸。ですから森に広葉樹を植えることが、海を豊かにすることにつながるのです。

このように水の循環だけでなく、土の循環は命を育むために非常に大切です。ダムをつくって土砂流出を止めてしまうのは、そういう意味からも大変な損失なのです。

  • 静岡県御殿場市は、1707年(宝永4)富士山の大噴火により、壊滅的な被害を受けるが、今では豊かな土壌を生かし、在来種 水掛け菜の栽培が盛んになっている。

    静岡県御殿場市は、1707年(宝永4)富士山の大噴火により、壊滅的な被害を受けるが、今では豊かな土壌を生かし、在来種 水掛け菜の栽培が盛んになっている。

  • 山間の渓谷に石積みで堰をつくり導水することで、新田が拓かれ、食糧増産が図られていった。

    山間の渓谷に石積みで堰をつくり導水することで、新田が拓かれ、食糧増産が図られていった。

  • 静岡県御殿場市は、1707年(宝永4)富士山の大噴火により、壊滅的な被害を受けるが、今では豊かな土壌を生かし、在来種 水掛け菜の栽培が盛んになっている。
  • 山間の渓谷に石積みで堰をつくり導水することで、新田が拓かれ、食糧増産が図られていった。

ダイナミックな造山活動

岩が風化して砂利や泥ができ、それが海まで運ばれる。こうしてさまざまな生きものが養われているのですが、陸地がただ削られていては、世界最高峰のエベレストも2億年ほどで400〜500mの高さになってしまいます。陸地が真っ平らになってしまうと、雨が降っても川が流れなくなり、山から海への養分の供給も途絶えてしまいます。

ところが幸いなことに、地球には山をつくり出す力があります。一つは火山噴火。もう一つは大陸移動による大山脈の形成です。エベレストの山頂付近には、オルドビス紀(4億6000年前)の海底で溜まったチョモランマ層という地層が縞模様を描いていて、三葉虫やウミユリの化石が埋もれています。

地球の火山活動と造山活動は、風化や浸食で山がなくなることを防いでいるのです。

大陸の移動速度は、早いもので年間10cm程度。ちょうど爪が伸びる速度です。私は爪を切るときに、地球が動いていることを実感しながら「大陸はこれくらい動いたな」と思って切っています。

このように、地学はダイナミックな時間概念を教え、土にも性質があることや気象の理解を促してくれます。

風土論だけでなく

地質は、人々の暮らしにとても大きな影響を与えています。

対馬海峡に浮かぶ壱岐と対馬、韓国の済州島はすべてモンスーン地帯にあり、気温も降水量もほとんど一緒で、風土という点で見たら3島とも変わりありません。しかし、実際には大きな違いがあります。それは地質が異なっているからです。

壱岐は約200万年前に噴出した玄武岩がつくった溶岩台地です。玄武岩は無機養分を多く含むため、土壌が豊か。谷間には『魏志倭人伝』の時代から水田が広がり、今でも九州本土へ米を出荷しています。

対馬は地層が激しく褶曲(しゅうきょく)し、マグマが貫入してできた島です。鉱物資源と海産物には恵まれていますが、堆積岩からなる土壌は無機養分が乏しく、地形も険しいため、畑からの収穫はわずかです。

済州島は玄武岩の溶岩が積み重なってできた活火山の島。1950mのハルラ山の山頂には雪が降りますが、雨や雪融け水はすぐに地下浸透して裾野に水はありません。電動ポンプがなかった昔は、ほとんどが畑作でした。

この3島の例のように、文明を風土から見ることは一面的な見方に陥ることがあります。ましてや地球環境、資源の問題を考えるときは、地学的な視点を入れて見るといっそう理解が深まります。

循環する命

人間は、特に日本人は、過酷な自然災害を克服しながら、栄養豊富な土壌を運んできてくれる恵みを巧みに利用して生きてきました。

縄文時代は1万年以上続きましたから、1000年に一度の大津波を10回は経験したことになります。それでも縄文人は、その土地を離れませんでした。災害も長い目で見れば恵みのほうが大きいから、災害多発地帯で多くの命が養われてきたのです。被災のダメージを災難として乗り越えたとき、共同体が育まれ、強い結束が築かれて、日本人の民族性が鍛えられたとも考えられます。

循環とは単に物質がクルクルと回っているだけではないことを、地学は教えてくれます。水や土が循環し生きものの命を育むように、あらゆる生きものがお互いに餌となりあって生態系を保つという、共死による生命の循環もあります。

大気圏と水圏と岩石圏を巡って、あらゆるものが循環し、生命圏が維持されている。そのことを謙虚に受け止めて暮らし方を見直したとき、災害に負けない生き方が見えてくる気がしています。

100年はおろか、10年先も見通せない昨今、目先のことばかりが気になって焦ることもあるでしょう。しかし、地球の時間はずっと雄大です。西洋では「我思う故に我在り」と言いますが、日本の感覚では「我思うは父母ある故」。

命の循環を考えたとき、父母と祖父母のことを思えば100年という時間にリアリティを持つことができます。同じように孫世代のことを思って、100年先の地球の在り方を考えたいと思います。

(取材:2014年7月9日)

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